対立とか、誤解すれ違い和解とか、簡単なんだと思う。物語が作れない人でも作れるドラマ。そういうのを忌避して何を読んでいるかというと何か…何だろう…色々あるのでカテゴライズできなくてまとめ易いのがそれ
対立とその解決がドラマというのはその通りだと思う。対立軸をどこに置くか、人の間か、心の中か、あるいは物理的な壁とかか、そのバリエーションで色々な物語が生まれる。
シンプソンズがリアリティショーにでるエピソード ⇒ https://simpsons333.hatenablog.com/entry/20120624/p5
そういう意味でも孤独のグルメは独特だなぁ。主人公が空腹とケンカしていると言えなくもないけど。
日常系もあるかもだがドラマティックか?というと確かに違うか。家族で響けユーフォニアム観てるんだけど対立しまくってる(主人公は巻き込まれ型だけどね)
アニメとかに影響され過ぎて、やたら芝居がかった攻撃的な口調で喋る人間を稀に見る事がある。普通に視聴してるとあんま意識しないけど一般的、日常的なコミュニケーションとは完全に別物だよな
ドラマに限らず、人が惹かれるのは『ビジュアル』と『能力』だよ。それをわかりやすく表現する手法としてドラマと言うジャンルが未だに流行っている。あくまで手段だよ。
ドラマ剣で斬り結ぶ剣尖の下
『おっさんずラブ』『逃げ恥』『深夜食堂』等、違うのも多々あるんで……
「認知って結局対比と無視でしょ?」みたいな話。
対立・ケンカが全て終わった時に物語は終わる。流行り廃りじゃなくて、(ごく一部のジャンルを除いて)物語の基本。
その対立・ケンカ部分が「考えなしタイプのキャラが足を引っ張ることをして始まる」という展開(特にそれを繰り返す)だと、視聴者に「話が不快」「考えなしキャラが不快」と言われがち。朝ドラでよくある
対立どころかキャラクターも一切登場しないドラマってありうるのかな。やっぱり人間とか擬人化されたものが何がしか揉めないとダメなのかな
大福は餅だが餅は大福ではないみたいな話かい?
脚本の基本は「ドラマとは葛藤である」らしいすよ
脚本の本にも書いてあった。喧嘩っていう狭い意味での対立ではなかったが
緊張と緩和という言葉がありましてね
そうなんだよな~。だから、お嬢様のマチュがひたすら最も似合わない選択肢を「選ばされてる」のがジークアクスで、この増田の(正確にはシンプソンズの制作者の)が言っているのと同様に、ドラマツルギーでしかない
テレビのナイトムービー お決まりのエンディング 俺が見たいのは その後のストーリー/浜田省吾『こんな夜は I MISS YOU』
歴史も戦争とか権力争いがないと全然面白くないと思う
対立もケンカもしなくてもドラマティックな展開はあるでしょ。わかりやすいところだと人が死ぬとか。
ドラマが葛藤すなわち対立だというのは誤解で、実際には謎が深まることを葛藤と訳したもの
だからまあ、大河ドラマ 64作品中 戦国が23、維新15、源平… と動乱期が多いわけで。それ以外だと元禄モノは赤穂浪士の討ち入りが絡んできたり。光る君へ、では終盤に刀伊の入寇が絡んできたな。
もっと一般的にした「緊張と緩和」の方がしっくりくる。「魔法少女酷い目にあわされがち」ってのは緊張要素を盛ってるんだろう
「四方八方話」の読みを検索しても「しほうはっぽう」しか出てこない。「四方山(よもやま)話」と間違えてる?/「ヨモヤモ」と読むこともできるのか。ただ、よもやもばなしという言葉は見つからない。/あるのか。
岡田斗司夫のYoutubeでも観てハマっちゃったか、面白いもんなあれ。論じる系のYoutubeって結局のところ偏ってる・断言してるでしょ
ダンパーモンのストーリーサークルとか物語のフレームワーク的なものだよ。対立ケンカはただの手段。他にもある。
ためになる 今ジークアクスの悪口をもっともらしく書くと伸びるようなので読み返して研鑽する
最近はもうそうしたものでわざわざ感情をざわつかせようとも思えなくなり、日常風景の垂れ流し的な動画を好むようになった。散歩や車窓や猫との生活の動画など。敢えて見るのは淡々としたドキュメンタリー位で十分。
アニメだと日常系とかギャグとかあるけどドラマはどうなんだろ/海外でもスヌーピーとか平和だよね
脚本術の基本中の基本『コンフリクト』ってやつ。対立・葛藤を描けってことなので、必ずしも敵対者が必要な訳では無い。ギターが上手く弾けないとか漫画が締め切りに間に合わないとか。
万物はドミナントモーション
先日、書かれてたな「米国人は左右とも上から下まで全国民がとにかく争いが好きなのだ」と。何だかんだ言って闘争・喧嘩が観るのもやるのも好きで好きで仕方なく、だから貿易戦争なんかも喜々として起こすのだと。
ドラマの基本構造は「欠落→充足」で「対立→和解or勝利」はその中の一パターン。孤独のグルメは「空腹→満腹」で「欠落→充足」している。
運命と対立するとギリシャ悲劇になるし、人間の性格ゆえの対立だとシェイクスピア、時代と対立するとチェホフになるのでまあ言ってることは間違ってないと思うけど、「結局のところ」てのがワカラン。どゆこと?
ドラマは単なるのぞき趣味やからな。タレントとかエロとか見せるだけでええんやったら対立とかケンカさせとったらええんやで。
しかのことかもうトラブルしかなかった
対立は喧嘩じゃない。
ドラマが結局対立なのはそうだが、いいドラマは一話一話のドラマから全体のドラマ、キャラのドラマをうまく織り合わせてくるんだよな。できないドラマは永遠に服を買いに行く服を買うみたいな話をやり続ける
カタルシスの前にはストレスや緊張が必要だからね
ドラマの基本は正・反・合の止揚
コメディだと例外もあるかも
そう。そしてお前は結局のところタンパク質
ドラマとは葛藤であるが、大衆視聴者的には登場人物の心情など自己の中だけでやられるとパット見の動きが少なく分かりにくく退屈に映るそうなので喧嘩などわかりやすい衝突を作るのだ
スポーツの試合もプロが凄い技術で試合をしてるだけなら素人がこんなに楽しめないだろうとは思う、そこにドラマを自分か誰かが作った状態で観るから盛り上がる
両津勘吉、ねずみ男、マチュは別の世界に連れて行ってもドラマが勝手に進む。対立ともまた違った欲望の要素もありそう。
メロドラマならそうかも。アニメで流行ってるのは信念を曲げないロックな女だからちょっとニュアンスが違う気もするが。
ブレイキングダウンがウケたのは、オーディション方式を取り入れてそのドラマを製造しまくったからなんだろうなぁ。
つまりプロジェクトXではどんなに素晴らしくても全てが順調だったプロジェクトは出来ない
コメディが好きなので良くわからない
辞書を引くと演劇ジャンルとしては、悲劇または喜劇ではないもの、とある。いったんはリアリズムに、その後いろいろ派生していったらしい。一方、ドラマチックといえば波瀾万丈なさまとなる。わからんでもない
ダンジョン飯で、人間に夢を見せてその感情を食べる魔物が悪夢を見せる理由は「幸福な夢には慣れてしまうから」だったなと/ 神話の基本構造は、困難の克服→日常への帰還なので、困難を対立と見ればこれも相似形。
ストレスとカタルシスかな(´-`)なおストレスは形式だけでも効果を出せる可能性
とりあえず「四方八方話(よもやもばなし)」の用例持ってきました。/「四方八方話に疲れを忘れて」https://dl.ndl.go.jp/pid/1717687/1/54?keyword=%E5%9B%9B%E6%96%B9%E5%85%AB%E6%96%B9
まあ、橋田壽賀子は「渡る世間は鬼ばかり」で、向田邦子は「寺内貫太郎一家」でケンカ大暴れを書いて受けてた。三谷幸喜の受賞作は「ラヂオの時間」。
「『敵対』なしのドラマはない」とはすなわち「ハラスメント(セクハラでもパワハラでも)のない演劇はない(それがリアルでも劇中でも」ということなので(残念ながら園子温カントクが正しい
シナリオの教科書の1ページ目にはドラマとは対立と葛藤が描かれているものと定義されています。
多くの「ドラマ=物語」に当てはまる真実ではあるが、全てに当てはまるわけでもないんよ。対立やケンカがなくても成立する。古典を例にとれば不条理劇などはその典型。そういうのは過去の人が山ほど研究しとるよ
解決したときのカタルシスも必要。 最後までない(最後にもない)の多いが。
1人生き残った人類なんて題材にしてもドラマは作れるが、自身の心の対立とか淘汰とのケンカとか言えばそうかもね。抽象化しすぎて意味を包含し過ぎだと思うけど。
とりま倒すべき相手の設置は物語の基本。争いを全力で回避する主人公には物語は起きない。
気づいちゃったね。もうドラマやアニメの消化は辛くなると思う。作品のタイムラインを入れ替えたり、エピソードやシーンを小刻みにして飽きさせないようにしたり。やり尽くされた感がダルい。
すごーいあたまいい~
ドラマチックとは何なのか
ふむふむ、ケンカはドラマの味付けにゃね!でも、ずーっとだと飽きちゃうかにゃ?たまには peaceful な物語もいいにゃ。でも、やっぱり猫パンチは必要にゃ!
家族が見てるドラマいっつも口喧嘩ばっかしてて嫌になる
その対立に合理性がある、というか、納得できるか?が重要だと思うんだよね。まぁこれも好みの問題なのかもしれないけども
まあだからAしか作れない人、Bしか作れない人、Cしか作れない人…みたいな状況になっても、視聴者が飽きでローテーションをしてくれる限り、同じことやってるだけでも結構飯は食える。
そういうのが多いのは確かですが、それだけとは限らない。日常系とか。
海外ドラマも当初はコンセプトにそって問題を解決していく形だったものが、シリーズ化してキャラが立ってくるとヒューマンドラマに変貌するのよくあって残念な気持ちになる(Numb3rsとか)
基本的な物語論は「衝突と解放」だし、松本人志の昔から言う「緊張と緩和」でもある。対立・ケンカは常套手段だが「ハッピーエンド」「バッドエンド」という結末を増田は語れてない。対立のみで物語は終わらない。
つまり、対立もケンカもないのにヒットした「けいおん」は、奇跡的な作品だったというコト!? 「何にも起きない」と批判されがちではあるが、まったり日常系のきららアニメは、立ち位置が特殊だよな。
The author of this 増田 is such a drama queen !
Netflixの「極悪女王」は、ダンプ松本と長与千種の実在したライバル関係を軸にした様々な対立構造でドラマを作り出した名作。なお今現在のダンプ松本と長与千種はこちらです。https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/347085
ドラマはすぐケンカしたりいじめてたりして見てて、楽しいものではないイメージ だから自分はドラマ見ないんだけど、やっぱりそういうものなのか 自分には全く合わないけど、そういうのが好きな人が多いんだろうな
そういう視点だとベターコールソウルは色んな対立の軸が並行して進むからめっちゃ面白かった。終わり方もよい。
突き詰めていくと「緊張と緩和」になる。どのコンテンツにも当てはまる。
「孤独のグルメ」はドラマじゃないw まあコントめいた小芝居は入るが、フィクションが全部ドラマなわけではない。あれはエッセイ/散文に近いものだ。
児玉まりあ文学集成では物語を「世界の説明」「自分の説明」「時間のふしぎ」に整理しててその話は割と好きだったんだけど増田のことはそんなに
比較して高段差を出したら刺激としては成り立つから山谷作るのに関係性作って戦わせるのが楽なんでねぇかな?
多国籍なゲームをやっているんだけど、アメリカ人は喧嘩し始めると、ドラマは求めていないとか言い出すので、おそらくそういう意識なんだろうなぁと思う。
まぁ対立構造を一切出さずにドラマを描けって言われると相当難しい気はする。きらら系4コマ漫画みたいなドラマ性がない日常モノならワンチャンあるかもだが。
「つまらない」という言葉がある。逆の言い方をすれば、詰まる(滞る/有障害/対立/有蓄積/学び)事が無いて事やしな。日常系が流行るのは詰まる日常からの逃避やし、脱ゆとりでレール上成長してきた子は、詰まる事に餓え
「パンって結局小麦でしょ」と言ったところで何も言っていないのと同じ。パン好きは全部食べたいしあんぱんだけ好きな人はどこのあんぱんでも食べたい。くくっても意味ないよ。
孤独のグルメはどの店に入るのか、どのメニューを選ぶのか等の葛藤があり、他の客の注文を見て「そういうのもあるのか」とか「ぶた肉ととん汁でぶたがダブってしまった」と後悔するようなドラマが生じている。
ていうかコンフリクトって物語構造の基本なんだけど、わざとアホなフリして言ってる?
物語って結局のところ問題の発生と解決でしょ
孤独のグルメはそれまでたくさん作られてきたグルメ漫画との対立だったりする。
ショッギョムッジョ
対立というより衝突かなあ。トラバの対比はうまい説明だけど、もう少し直感的に言うなら擦り合わせ。
自分が行って帰るか、誰がかやってきて帰る。帰るってのは次のステップにって感じも含むけど、前者は水戸黄門的で、後者はシティーハンター的な感じでその間に対立・ケンカがあるじゃないかな。
最近の韓国ドラマそんなに喧嘩してるかな
そういう意味では野球選手は硬い球投げて棒振り回して毎日ケンカしてる
大河ドラマが戦国幕末だらけになる理由
ドラマっていうか、社会生活や家庭生活が概ねそうなのでは。雑にくくれば弁証法というか、挑戦と対立と和解。アニメなどの日常モノはアニメだからギリギリ見られるけど、実写でやったら違和感強いんだろうと…
そうじゃない作品もあるよー
ドラマって結局のところ対立・ケンカでしょ
対立とか、誤解すれ違い和解とか、簡単なんだと思う。物語が作れない人でも作れるドラマ。そういうのを忌避して何を読んでいるかというと何か…何だろう…色々あるのでカテゴライズできなくてまとめ易いのがそれ
対立とその解決がドラマというのはその通りだと思う。対立軸をどこに置くか、人の間か、心の中か、あるいは物理的な壁とかか、そのバリエーションで色々な物語が生まれる。
シンプソンズがリアリティショーにでるエピソード ⇒ https://simpsons333.hatenablog.com/entry/20120624/p5
そういう意味でも孤独のグルメは独特だなぁ。主人公が空腹とケンカしていると言えなくもないけど。
日常系もあるかもだがドラマティックか?というと確かに違うか。家族で響けユーフォニアム観てるんだけど対立しまくってる(主人公は巻き込まれ型だけどね)
アニメとかに影響され過ぎて、やたら芝居がかった攻撃的な口調で喋る人間を稀に見る事がある。普通に視聴してるとあんま意識しないけど一般的、日常的なコミュニケーションとは完全に別物だよな
ドラマに限らず、人が惹かれるのは『ビジュアル』と『能力』だよ。それをわかりやすく表現する手法としてドラマと言うジャンルが未だに流行っている。あくまで手段だよ。
ドラマ剣で斬り結ぶ剣尖の下
『おっさんずラブ』『逃げ恥』『深夜食堂』等、違うのも多々あるんで……
「認知って結局対比と無視でしょ?」みたいな話。
対立・ケンカが全て終わった時に物語は終わる。流行り廃りじゃなくて、(ごく一部のジャンルを除いて)物語の基本。
その対立・ケンカ部分が「考えなしタイプのキャラが足を引っ張ることをして始まる」という展開(特にそれを繰り返す)だと、視聴者に「話が不快」「考えなしキャラが不快」と言われがち。朝ドラでよくある
対立どころかキャラクターも一切登場しないドラマってありうるのかな。やっぱり人間とか擬人化されたものが何がしか揉めないとダメなのかな
大福は餅だが餅は大福ではないみたいな話かい?
脚本の基本は「ドラマとは葛藤である」らしいすよ
脚本の本にも書いてあった。喧嘩っていう狭い意味での対立ではなかったが
緊張と緩和という言葉がありましてね
そうなんだよな~。だから、お嬢様のマチュがひたすら最も似合わない選択肢を「選ばされてる」のがジークアクスで、この増田の(正確にはシンプソンズの制作者の)が言っているのと同様に、ドラマツルギーでしかない
テレビのナイトムービー お決まりのエンディング 俺が見たいのは その後のストーリー/浜田省吾『こんな夜は I MISS YOU』
歴史も戦争とか権力争いがないと全然面白くないと思う
対立もケンカもしなくてもドラマティックな展開はあるでしょ。わかりやすいところだと人が死ぬとか。
ドラマが葛藤すなわち対立だというのは誤解で、実際には謎が深まることを葛藤と訳したもの
だからまあ、大河ドラマ 64作品中 戦国が23、維新15、源平… と動乱期が多いわけで。それ以外だと元禄モノは赤穂浪士の討ち入りが絡んできたり。光る君へ、では終盤に刀伊の入寇が絡んできたな。
もっと一般的にした「緊張と緩和」の方がしっくりくる。「魔法少女酷い目にあわされがち」ってのは緊張要素を盛ってるんだろう
「四方八方話」の読みを検索しても「しほうはっぽう」しか出てこない。「四方山(よもやま)話」と間違えてる?/「ヨモヤモ」と読むこともできるのか。ただ、よもやもばなしという言葉は見つからない。/あるのか。
岡田斗司夫のYoutubeでも観てハマっちゃったか、面白いもんなあれ。論じる系のYoutubeって結局のところ偏ってる・断言してるでしょ
ダンパーモンのストーリーサークルとか物語のフレームワーク的なものだよ。対立ケンカはただの手段。他にもある。
ためになる 今ジークアクスの悪口をもっともらしく書くと伸びるようなので読み返して研鑽する
最近はもうそうしたものでわざわざ感情をざわつかせようとも思えなくなり、日常風景の垂れ流し的な動画を好むようになった。散歩や車窓や猫との生活の動画など。敢えて見るのは淡々としたドキュメンタリー位で十分。
アニメだと日常系とかギャグとかあるけどドラマはどうなんだろ/海外でもスヌーピーとか平和だよね
脚本術の基本中の基本『コンフリクト』ってやつ。対立・葛藤を描けってことなので、必ずしも敵対者が必要な訳では無い。ギターが上手く弾けないとか漫画が締め切りに間に合わないとか。
万物はドミナントモーション
先日、書かれてたな「米国人は左右とも上から下まで全国民がとにかく争いが好きなのだ」と。何だかんだ言って闘争・喧嘩が観るのもやるのも好きで好きで仕方なく、だから貿易戦争なんかも喜々として起こすのだと。
ドラマの基本構造は「欠落→充足」で「対立→和解or勝利」はその中の一パターン。孤独のグルメは「空腹→満腹」で「欠落→充足」している。
運命と対立するとギリシャ悲劇になるし、人間の性格ゆえの対立だとシェイクスピア、時代と対立するとチェホフになるのでまあ言ってることは間違ってないと思うけど、「結局のところ」てのがワカラン。どゆこと?
ドラマは単なるのぞき趣味やからな。タレントとかエロとか見せるだけでええんやったら対立とかケンカさせとったらええんやで。
しかのことかもうトラブルしかなかった
対立は喧嘩じゃない。
ドラマが結局対立なのはそうだが、いいドラマは一話一話のドラマから全体のドラマ、キャラのドラマをうまく織り合わせてくるんだよな。できないドラマは永遠に服を買いに行く服を買うみたいな話をやり続ける
カタルシスの前にはストレスや緊張が必要だからね
ドラマの基本は正・反・合の止揚
コメディだと例外もあるかも
そう。そしてお前は結局のところタンパク質
ドラマとは葛藤であるが、大衆視聴者的には登場人物の心情など自己の中だけでやられるとパット見の動きが少なく分かりにくく退屈に映るそうなので喧嘩などわかりやすい衝突を作るのだ
スポーツの試合もプロが凄い技術で試合をしてるだけなら素人がこんなに楽しめないだろうとは思う、そこにドラマを自分か誰かが作った状態で観るから盛り上がる
両津勘吉、ねずみ男、マチュは別の世界に連れて行ってもドラマが勝手に進む。対立ともまた違った欲望の要素もありそう。
メロドラマならそうかも。アニメで流行ってるのは信念を曲げないロックな女だからちょっとニュアンスが違う気もするが。
ブレイキングダウンがウケたのは、オーディション方式を取り入れてそのドラマを製造しまくったからなんだろうなぁ。
つまりプロジェクトXではどんなに素晴らしくても全てが順調だったプロジェクトは出来ない
コメディが好きなので良くわからない
辞書を引くと演劇ジャンルとしては、悲劇または喜劇ではないもの、とある。いったんはリアリズムに、その後いろいろ派生していったらしい。一方、ドラマチックといえば波瀾万丈なさまとなる。わからんでもない
ダンジョン飯で、人間に夢を見せてその感情を食べる魔物が悪夢を見せる理由は「幸福な夢には慣れてしまうから」だったなと/ 神話の基本構造は、困難の克服→日常への帰還なので、困難を対立と見ればこれも相似形。
ストレスとカタルシスかな(´-`)なおストレスは形式だけでも効果を出せる可能性
とりあえず「四方八方話(よもやもばなし)」の用例持ってきました。/「四方八方話に疲れを忘れて」https://dl.ndl.go.jp/pid/1717687/1/54?keyword=%E5%9B%9B%E6%96%B9%E5%85%AB%E6%96%B9
まあ、橋田壽賀子は「渡る世間は鬼ばかり」で、向田邦子は「寺内貫太郎一家」でケンカ大暴れを書いて受けてた。三谷幸喜の受賞作は「ラヂオの時間」。
「『敵対』なしのドラマはない」とはすなわち「ハラスメント(セクハラでもパワハラでも)のない演劇はない(それがリアルでも劇中でも」ということなので(残念ながら園子温カントクが正しい
シナリオの教科書の1ページ目にはドラマとは対立と葛藤が描かれているものと定義されています。
多くの「ドラマ=物語」に当てはまる真実ではあるが、全てに当てはまるわけでもないんよ。対立やケンカがなくても成立する。古典を例にとれば不条理劇などはその典型。そういうのは過去の人が山ほど研究しとるよ
解決したときのカタルシスも必要。 最後までない(最後にもない)の多いが。
1人生き残った人類なんて題材にしてもドラマは作れるが、自身の心の対立とか淘汰とのケンカとか言えばそうかもね。抽象化しすぎて意味を包含し過ぎだと思うけど。
とりま倒すべき相手の設置は物語の基本。争いを全力で回避する主人公には物語は起きない。
気づいちゃったね。もうドラマやアニメの消化は辛くなると思う。作品のタイムラインを入れ替えたり、エピソードやシーンを小刻みにして飽きさせないようにしたり。やり尽くされた感がダルい。
すごーいあたまいい~
ドラマチックとは何なのか
ふむふむ、ケンカはドラマの味付けにゃね!でも、ずーっとだと飽きちゃうかにゃ?たまには peaceful な物語もいいにゃ。でも、やっぱり猫パンチは必要にゃ!
家族が見てるドラマいっつも口喧嘩ばっかしてて嫌になる
その対立に合理性がある、というか、納得できるか?が重要だと思うんだよね。まぁこれも好みの問題なのかもしれないけども
まあだからAしか作れない人、Bしか作れない人、Cしか作れない人…みたいな状況になっても、視聴者が飽きでローテーションをしてくれる限り、同じことやってるだけでも結構飯は食える。
そういうのが多いのは確かですが、それだけとは限らない。日常系とか。
海外ドラマも当初はコンセプトにそって問題を解決していく形だったものが、シリーズ化してキャラが立ってくるとヒューマンドラマに変貌するのよくあって残念な気持ちになる(Numb3rsとか)
基本的な物語論は「衝突と解放」だし、松本人志の昔から言う「緊張と緩和」でもある。対立・ケンカは常套手段だが「ハッピーエンド」「バッドエンド」という結末を増田は語れてない。対立のみで物語は終わらない。
つまり、対立もケンカもないのにヒットした「けいおん」は、奇跡的な作品だったというコト!? 「何にも起きない」と批判されがちではあるが、まったり日常系のきららアニメは、立ち位置が特殊だよな。
The author of this 増田 is such a drama queen !
Netflixの「極悪女王」は、ダンプ松本と長与千種の実在したライバル関係を軸にした様々な対立構造でドラマを作り出した名作。なお今現在のダンプ松本と長与千種はこちらです。https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/347085
ドラマはすぐケンカしたりいじめてたりして見てて、楽しいものではないイメージ だから自分はドラマ見ないんだけど、やっぱりそういうものなのか 自分には全く合わないけど、そういうのが好きな人が多いんだろうな
そういう視点だとベターコールソウルは色んな対立の軸が並行して進むからめっちゃ面白かった。終わり方もよい。
突き詰めていくと「緊張と緩和」になる。どのコンテンツにも当てはまる。
「孤独のグルメ」はドラマじゃないw まあコントめいた小芝居は入るが、フィクションが全部ドラマなわけではない。あれはエッセイ/散文に近いものだ。
児玉まりあ文学集成では物語を「世界の説明」「自分の説明」「時間のふしぎ」に整理しててその話は割と好きだったんだけど増田のことはそんなに
比較して高段差を出したら刺激としては成り立つから山谷作るのに関係性作って戦わせるのが楽なんでねぇかな?
多国籍なゲームをやっているんだけど、アメリカ人は喧嘩し始めると、ドラマは求めていないとか言い出すので、おそらくそういう意識なんだろうなぁと思う。
まぁ対立構造を一切出さずにドラマを描けって言われると相当難しい気はする。きらら系4コマ漫画みたいなドラマ性がない日常モノならワンチャンあるかもだが。
「つまらない」という言葉がある。逆の言い方をすれば、詰まる(滞る/有障害/対立/有蓄積/学び)事が無いて事やしな。日常系が流行るのは詰まる日常からの逃避やし、脱ゆとりでレール上成長してきた子は、詰まる事に餓え
「パンって結局小麦でしょ」と言ったところで何も言っていないのと同じ。パン好きは全部食べたいしあんぱんだけ好きな人はどこのあんぱんでも食べたい。くくっても意味ないよ。
孤独のグルメはどの店に入るのか、どのメニューを選ぶのか等の葛藤があり、他の客の注文を見て「そういうのもあるのか」とか「ぶた肉ととん汁でぶたがダブってしまった」と後悔するようなドラマが生じている。
ていうかコンフリクトって物語構造の基本なんだけど、わざとアホなフリして言ってる?
物語って結局のところ問題の発生と解決でしょ
孤独のグルメはそれまでたくさん作られてきたグルメ漫画との対立だったりする。
ショッギョムッジョ
対立というより衝突かなあ。トラバの対比はうまい説明だけど、もう少し直感的に言うなら擦り合わせ。
自分が行って帰るか、誰がかやってきて帰る。帰るってのは次のステップにって感じも含むけど、前者は水戸黄門的で、後者はシティーハンター的な感じでその間に対立・ケンカがあるじゃないかな。
最近の韓国ドラマそんなに喧嘩してるかな
そういう意味では野球選手は硬い球投げて棒振り回して毎日ケンカしてる
大河ドラマが戦国幕末だらけになる理由
ドラマっていうか、社会生活や家庭生活が概ねそうなのでは。雑にくくれば弁証法というか、挑戦と対立と和解。アニメなどの日常モノはアニメだからギリギリ見られるけど、実写でやったら違和感強いんだろうと…
そうじゃない作品もあるよー