芸術というか文学?
展覧会に行っても、わからん作品がほとんどやで。だからこそ、わかる作品に出合えた時の喜びが大きい
観測範囲狭っ! 太宰治の「斜陽」は作りが甘い。「東京八景」の方が隙がないのに、取り上げられない。学校教育での作家のチョイス、作品のチョイスは、内容的な事情があるのだろうが、杜撰なものである。
エンタメは鑑賞者が考えなくてもいい、もしくは鑑賞者全員が同じ結論に至るようにわかりやすく設計されてるからな。芸術は自己意識を明確に確立している者にしかわからん。つまり、ほとんどの人間にはわからん。
薄っぺらくて分かりやすいエンタメも芸術と言い切れば芸術。
この4作全部読破した人て何割位居るだろうなーと思うと諦めないで分かろうとしてて凄い。BSでやってる鈴木保奈美さんの文芸紹介番組面白いよ。次週確か三島特集だったはず。何がいいのか言語化してくれると思う。
分かんなくてもいいよ。結局好みだよ。好きなのだけ見たり聴いたり読んだりすればいい。小説は時間がかかるのが難点ではある。
芸術や文学がわかるってどういう状態をいうんだろうか。同じことはエンタメにも言えるが
けれども国語の成績には人一倍敏感であった。
何が嫌いという話は置いといて、増田が何が好きだという話を聞きたいんだよ。
開高健「日本三文オペラ」とかどう?
わかんないからべつにいいや 今日は連休最後だねー つらーい
金閣寺読んで
なんで言語芸術だけ?
爆発だよ
ゲージュツなんてのはハイソインテリのシコシコでしかないんだからわかる必要はないんだよ。マンガ・アニメ・ゲーム未満。
お金で考えるのも芸術の価値を測る面白いやり方。あなたがそれにどれだけのお金を払えるのかで理解する方法ね。牛丼1杯程度でも十分だと思うわよ。
その辺は好き嫌いの分かれるやつなので、増田は実は割と純文学を読んでる可能性
マウント欲誘発増田
それは芸術じゃなくて、文学なのでは?社会的評価を受けてるものと自分の好みが違う場合、そういうものと割り切ろう。これできないと「自分が気に入らないものが評価されてるのが憎い」って繊細チンピラに堕すので。
その中では羅生門はかなりエンタメでは?
夏目漱石が入っていなくて偉い。
おれもわからん。中島敦は好きで全集もってるけど(他も何人かある、夏目漱石とか)、いい悪いの基準はわからん。好き嫌いはわかる
芸術にはいろんな分野があって全部に精通している人って極々少数と思うよ。僕も文芸はわからない。オペラは少し鑑賞する。それから僕は工芸が好きでどうしても知識はそちらに偏る。時間は有限なので仕方ないと思うよ
ゴッホより普通にラッセン好きでもええんよ
まあ確かに、芸術って「おおっ!『金閣寺』は2000万文学パワーだ!」とかわかりやすい目安って無いものね。
わかる
これはその昔自分も思っていたな。芸術と教養を混同したり、なんだか小難しいものに見ていた。岡本太郎の「今日の芸術」には、そのへんがだいたい書いてあります。
読む側の好みはあって当然。しかしまた、なぜその4篇を選んだ。
わかるのね。じゃあまあ良いじゃん。(「わかんないのね。じゃあまあ良いじゃん」も言えるけど。)
薄っぺらくて分かりやすくて大好きなエンタメがどれなのかを聞きたいのよ
エンタメ作品を見ても子供の頃の作品より今の作品の方が進歩してるように感じるし、昔の文豪の作品より現代の作品の方が優れてるんじゃないか、と思うのは技術屋の世界観だろうか
その芸術は当時の人にとってのエンタメだよ!だからだいじょうぶ!昭和時代の◯◯入門みたいな本をたまに読むと驚きの難解さ。平成を経た令和人はファストやパ(タイやコス)を求めすぎ脳が溶けてるだけ!シランケロ
わかるかわからんかと言われたら、わからん。わからんけど、読める部分もあれば、読めんかったなと思う部分もあり。100点満点中何点まで読めたらわかったと言っていいんだろうか
春画では抜けない、みたいなもん
評論家がすごいというので、、、
ちゃんと読んでだうえで分からんのだからこの人はすごい
未だに読めるって点ではすごいのだろうと勝手に思っている。もう100年近く経つものもあるし当時と常識が違いすぎる部分もあるが、それでもけっこう想像できた気になってしまうあたり。
「物理学がわからん」なら「もっと勉強しろ」しか言いようないのに、芸術なら何かしらの形で擁護されるのなぁぜなぁぜ?
おれはエンタメの「わかる」がわからん
ひろゆきさんも芸術オンチだけどパリに堂々と住んでるから大丈夫!
わかるのは、酒とタバコと麻薬だけ。
現代アートみたいな話かと思ったら小説だった
それで良い
文学、音楽、絵の全てを兼ね備えたアニメを学校で学ばせれば一石三鳥なのに
川端康成や高級フレンチが「芸術」で、鬼滅やハルヒや家系ギトギトラーメンが「芸術じゃない」というのが思い込み。
この四作、作者との関わりが強いので初心者向きではない 漱石とか谷崎とかから始めれば 芸術かどうかは知らんけど
それで幸せなら問題ない
芸術か…?
それを自覚できてるのが超すごい 九割九分九厘の人間が芸術を好き嫌いで判断してるだけなのを良し悪しで判断できてると思い込んでるというのに
絵画だと値段がついて芸術パワーが間接的にであれ可視化されるけど文学作品にはそういう数値ないしね
わからんもんは、わからんもんでいい。周りが騒いでるだけで、大した価値も無い。
前提として、個人のわかるわからんと芸術の良し悪しは別物だよ。どちらかというと考察が捗る方が芸術性が高いと言われることが多いよ。
古典の類はね。小説に限らず、絵画でも音楽でも演劇でも、単に古典だからとありがたがられてるのが大半。それらが優れていることは否定しないけど、だからと言って面白いとはならない。時代によって価値観は変わるし
自分も純文学はさっぱり分からん 解説が無いと分からんし 解説があっても分かる自信ない 絵画や音楽やお笑いも
時代の文脈があるから、今の感性だけで同じように感じられなくても当然。
三島由紀夫は割と読んだ上で作家としてはあんまり好きじゃない派だけど、『天人五衰』のラストは最高だと思う
小説は芸術なのかな
分かる分からないじゃない、合う合わないだ。菊池寛『恩讐の彼方に』いっとけ。超一級エンタメだ。
当時の日本語表現の平均レベルと、小説を中心としたエンタメや文学の状況と、作家本人のインフルエンサー的立ち位置と、めちゃくちゃ深読みが必要なテーマ性とか、なかなかハイコンテクストではある。
わからんから芸術なんだと思うから、その受け取り方は正しい。わかったつもりで「こうだと思う」もまた楽しい
それらは「芸術」なのか?
川端なら『掌の小説』から『山の音』、芥川の短編は同業者にも鼻につくといった酷評があるので『河童』。三島、太宰はわかんない。漱石『夢十夜』に何一つ感銘を覚えなければ、明治期文豪は見晴らせぬ彼岸と諦める。
展覧会では解説を読まずに作品だけを見ていく入場客が大半であるが、芸術作品は解説とセットで完成するので理解出来なくて当然だと思う。悪質なのは解説も読まずに作品の権威性を信奉する大衆である。
文学だけが芸術ではないでしょ。視野が狭い。
アートを楽しむコツはそれを作った人の気持ちになりきること。これをやると文学・絵画・音楽だけでなく、食事や街歩きなどの日常生活ももっと楽しめるようになるよ
ポイントは、「わからん」と書き散らかしたものを読んでもらって反応があるってことの幸と不幸があることだなと思う。ネットならではの文章だよなあ。
俺も羅生門最初に読んだときは、まあ人間そんなもんやろぐらいの感想しかなかったからな。
言語による芸術、先に詩のほうが思い浮かぶかな
ある種「わからんもんをわからんと言う」のではなく「わかるもののわかるところを言う」ことが社会的な意義であり芸術的な貢献だよ。エッシャーはおもしろいぞ。ちょっと数学的・幾何学的なものがすきなら尚更。
出版されてから70~80年経ってもまだ売れてるってのは、時代を超えても「分かる」作品なんじゃないの。
ブコメ、「わかってる側」っぽいポジションの人のコメントを見ても、誰一人「どう素晴らしいか」を語っておらず、こいつらってほんまマウント取ってるだけなんやなって悲しくなる
太宰も当時の人間に薄っぺらい大衆迎合作品扱いされてた定期
せやな
わからなくていいんだよ。井上尚弥のボクシングのテクニックを素人が見てもわからないのと一緒。芸術は誰が見てもわかるものという幻想もあるが、誰もが簡単に理解できるなら芸術という粋ではなくていい。
具体例を出してわからないって言うの、一周回って芸術家らしい発言に思えてきた
「わからん」にも色々あり、本職の数学者が「数学まるで分からん」というような例もあるので、この増田もそっちかもしれん。たぶん、芸術や学問はやればやるほど分からなくなる
芸術は何かを入り口にして人の内面へ行く行為、不向きと感じるなら他を当たればいい、目的地はおなじ
同じ質問をとある芸術イベントで運営者のひとりに素人の立場でぶつけたことがあるが「世の中には365日、その芸術とやらに全身全霊で向き合っている人がいるという事を忘れないで欲しい」と言われたことがある。
わかんなくても現国は満点取れるしね。川端は「眠れる美女」が教科書に載せられないドエロ小説で良いですよ。あまりにもエロいので国内と海外て計5回映画化されてる。雪国は国内で2回きり。魅力の差は歴然。
増田と似たような状態から、ピンと来る作品との出会いをきっかけに以降は芸術をつくる側に回った人間を2人ほど知っているので、どうか未来永劫わからないままだと思い込まないで欲しいなあ、とつい願ってしまいます
後世に残るものは何かしら強いインパクトがあるような気はするが、わかるわからないより、面白い面白くないでしか見てない
それは「文学」。「芸術が分からん」という時はたいてい視覚美術を出す。
私みたいに光栄(当時)の歴ゲーから入って小中高と歴史小説ばかり読み漁ってた奴でも現国はそこそこの成績だったからまあそんなもんよ。
俺には芸術がわからん
芸術というか文学?
展覧会に行っても、わからん作品がほとんどやで。だからこそ、わかる作品に出合えた時の喜びが大きい
観測範囲狭っ! 太宰治の「斜陽」は作りが甘い。「東京八景」の方が隙がないのに、取り上げられない。学校教育での作家のチョイス、作品のチョイスは、内容的な事情があるのだろうが、杜撰なものである。
エンタメは鑑賞者が考えなくてもいい、もしくは鑑賞者全員が同じ結論に至るようにわかりやすく設計されてるからな。芸術は自己意識を明確に確立している者にしかわからん。つまり、ほとんどの人間にはわからん。
薄っぺらくて分かりやすいエンタメも芸術と言い切れば芸術。
この4作全部読破した人て何割位居るだろうなーと思うと諦めないで分かろうとしてて凄い。BSでやってる鈴木保奈美さんの文芸紹介番組面白いよ。次週確か三島特集だったはず。何がいいのか言語化してくれると思う。
分かんなくてもいいよ。結局好みだよ。好きなのだけ見たり聴いたり読んだりすればいい。小説は時間がかかるのが難点ではある。
芸術や文学がわかるってどういう状態をいうんだろうか。同じことはエンタメにも言えるが
けれども国語の成績には人一倍敏感であった。
何が嫌いという話は置いといて、増田が何が好きだという話を聞きたいんだよ。
開高健「日本三文オペラ」とかどう?
わかんないからべつにいいや 今日は連休最後だねー つらーい
金閣寺読んで
なんで言語芸術だけ?
爆発だよ
ゲージュツなんてのはハイソインテリのシコシコでしかないんだからわかる必要はないんだよ。マンガ・アニメ・ゲーム未満。
お金で考えるのも芸術の価値を測る面白いやり方。あなたがそれにどれだけのお金を払えるのかで理解する方法ね。牛丼1杯程度でも十分だと思うわよ。
その辺は好き嫌いの分かれるやつなので、増田は実は割と純文学を読んでる可能性
マウント欲誘発増田
それは芸術じゃなくて、文学なのでは?社会的評価を受けてるものと自分の好みが違う場合、そういうものと割り切ろう。これできないと「自分が気に入らないものが評価されてるのが憎い」って繊細チンピラに堕すので。
その中では羅生門はかなりエンタメでは?
夏目漱石が入っていなくて偉い。
おれもわからん。中島敦は好きで全集もってるけど(他も何人かある、夏目漱石とか)、いい悪いの基準はわからん。好き嫌いはわかる
芸術にはいろんな分野があって全部に精通している人って極々少数と思うよ。僕も文芸はわからない。オペラは少し鑑賞する。それから僕は工芸が好きでどうしても知識はそちらに偏る。時間は有限なので仕方ないと思うよ
ゴッホより普通にラッセン好きでもええんよ
まあ確かに、芸術って「おおっ!『金閣寺』は2000万文学パワーだ!」とかわかりやすい目安って無いものね。
わかる
これはその昔自分も思っていたな。芸術と教養を混同したり、なんだか小難しいものに見ていた。岡本太郎の「今日の芸術」には、そのへんがだいたい書いてあります。
読む側の好みはあって当然。しかしまた、なぜその4篇を選んだ。
わかるのね。じゃあまあ良いじゃん。(「わかんないのね。じゃあまあ良いじゃん」も言えるけど。)
薄っぺらくて分かりやすくて大好きなエンタメがどれなのかを聞きたいのよ
エンタメ作品を見ても子供の頃の作品より今の作品の方が進歩してるように感じるし、昔の文豪の作品より現代の作品の方が優れてるんじゃないか、と思うのは技術屋の世界観だろうか
その芸術は当時の人にとってのエンタメだよ!だからだいじょうぶ!昭和時代の◯◯入門みたいな本をたまに読むと驚きの難解さ。平成を経た令和人はファストやパ(タイやコス)を求めすぎ脳が溶けてるだけ!シランケロ
わかるかわからんかと言われたら、わからん。わからんけど、読める部分もあれば、読めんかったなと思う部分もあり。100点満点中何点まで読めたらわかったと言っていいんだろうか
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評論家がすごいというので、、、
ちゃんと読んでだうえで分からんのだからこの人はすごい
未だに読めるって点ではすごいのだろうと勝手に思っている。もう100年近く経つものもあるし当時と常識が違いすぎる部分もあるが、それでもけっこう想像できた気になってしまうあたり。
「物理学がわからん」なら「もっと勉強しろ」しか言いようないのに、芸術なら何かしらの形で擁護されるのなぁぜなぁぜ?
おれはエンタメの「わかる」がわからん
ひろゆきさんも芸術オンチだけどパリに堂々と住んでるから大丈夫!
わかるのは、酒とタバコと麻薬だけ。
現代アートみたいな話かと思ったら小説だった
それで良い
文学、音楽、絵の全てを兼ね備えたアニメを学校で学ばせれば一石三鳥なのに
川端康成や高級フレンチが「芸術」で、鬼滅やハルヒや家系ギトギトラーメンが「芸術じゃない」というのが思い込み。
この四作、作者との関わりが強いので初心者向きではない 漱石とか谷崎とかから始めれば 芸術かどうかは知らんけど
それで幸せなら問題ない
芸術か…?
それを自覚できてるのが超すごい 九割九分九厘の人間が芸術を好き嫌いで判断してるだけなのを良し悪しで判断できてると思い込んでるというのに
絵画だと値段がついて芸術パワーが間接的にであれ可視化されるけど文学作品にはそういう数値ないしね
わからんもんは、わからんもんでいい。周りが騒いでるだけで、大した価値も無い。
前提として、個人のわかるわからんと芸術の良し悪しは別物だよ。どちらかというと考察が捗る方が芸術性が高いと言われることが多いよ。
古典の類はね。小説に限らず、絵画でも音楽でも演劇でも、単に古典だからとありがたがられてるのが大半。それらが優れていることは否定しないけど、だからと言って面白いとはならない。時代によって価値観は変わるし
自分も純文学はさっぱり分からん 解説が無いと分からんし 解説があっても分かる自信ない 絵画や音楽やお笑いも
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三島由紀夫は割と読んだ上で作家としてはあんまり好きじゃない派だけど、『天人五衰』のラストは最高だと思う
小説は芸術なのかな
分かる分からないじゃない、合う合わないだ。菊池寛『恩讐の彼方に』いっとけ。超一級エンタメだ。
当時の日本語表現の平均レベルと、小説を中心としたエンタメや文学の状況と、作家本人のインフルエンサー的立ち位置と、めちゃくちゃ深読みが必要なテーマ性とか、なかなかハイコンテクストではある。
わからんから芸術なんだと思うから、その受け取り方は正しい。わかったつもりで「こうだと思う」もまた楽しい
それらは「芸術」なのか?
川端なら『掌の小説』から『山の音』、芥川の短編は同業者にも鼻につくといった酷評があるので『河童』。三島、太宰はわかんない。漱石『夢十夜』に何一つ感銘を覚えなければ、明治期文豪は見晴らせぬ彼岸と諦める。
展覧会では解説を読まずに作品だけを見ていく入場客が大半であるが、芸術作品は解説とセットで完成するので理解出来なくて当然だと思う。悪質なのは解説も読まずに作品の権威性を信奉する大衆である。
文学だけが芸術ではないでしょ。視野が狭い。
アートを楽しむコツはそれを作った人の気持ちになりきること。これをやると文学・絵画・音楽だけでなく、食事や街歩きなどの日常生活ももっと楽しめるようになるよ
ポイントは、「わからん」と書き散らかしたものを読んでもらって反応があるってことの幸と不幸があることだなと思う。ネットならではの文章だよなあ。
俺も羅生門最初に読んだときは、まあ人間そんなもんやろぐらいの感想しかなかったからな。
言語による芸術、先に詩のほうが思い浮かぶかな
ある種「わからんもんをわからんと言う」のではなく「わかるもののわかるところを言う」ことが社会的な意義であり芸術的な貢献だよ。エッシャーはおもしろいぞ。ちょっと数学的・幾何学的なものがすきなら尚更。
出版されてから70~80年経ってもまだ売れてるってのは、時代を超えても「分かる」作品なんじゃないの。
ブコメ、「わかってる側」っぽいポジションの人のコメントを見ても、誰一人「どう素晴らしいか」を語っておらず、こいつらってほんまマウント取ってるだけなんやなって悲しくなる
太宰も当時の人間に薄っぺらい大衆迎合作品扱いされてた定期
せやな
わからなくていいんだよ。井上尚弥のボクシングのテクニックを素人が見てもわからないのと一緒。芸術は誰が見てもわかるものという幻想もあるが、誰もが簡単に理解できるなら芸術という粋ではなくていい。
具体例を出してわからないって言うの、一周回って芸術家らしい発言に思えてきた
「わからん」にも色々あり、本職の数学者が「数学まるで分からん」というような例もあるので、この増田もそっちかもしれん。たぶん、芸術や学問はやればやるほど分からなくなる
芸術は何かを入り口にして人の内面へ行く行為、不向きと感じるなら他を当たればいい、目的地はおなじ
同じ質問をとある芸術イベントで運営者のひとりに素人の立場でぶつけたことがあるが「世の中には365日、その芸術とやらに全身全霊で向き合っている人がいるという事を忘れないで欲しい」と言われたことがある。
わかんなくても現国は満点取れるしね。川端は「眠れる美女」が教科書に載せられないドエロ小説で良いですよ。あまりにもエロいので国内と海外て計5回映画化されてる。雪国は国内で2回きり。魅力の差は歴然。
増田と似たような状態から、ピンと来る作品との出会いをきっかけに以降は芸術をつくる側に回った人間を2人ほど知っているので、どうか未来永劫わからないままだと思い込まないで欲しいなあ、とつい願ってしまいます
後世に残るものは何かしら強いインパクトがあるような気はするが、わかるわからないより、面白い面白くないでしか見てない
それは「文学」。「芸術が分からん」という時はたいてい視覚美術を出す。
私みたいに光栄(当時)の歴ゲーから入って小中高と歴史小説ばかり読み漁ってた奴でも現国はそこそこの成績だったからまあそんなもんよ。