良かった理由を「不快なものが1つもないから」とするのは、テンプレートとして使いやすいからなあ。解釈とか言語化というものは、画像に補正をかけ、失う行為。「不快なものが3つあるのが良い」とかもあると良いのか
不快以前に冒頭でテンポ感が合わないなと感じると見るのすぐやめちゃう。レンタルショップで借りてきてた頃は勿体ないから見てたと思う。可処分時間の質とスピード感が変わってしまった。
犬が死なないとか結構大事。津波とか虐待シーンもあると分かると見ない人もいる。評論家じゃないんだから気楽に見たいよ。
感情はめっちゃ揺さぶられるけど、不快(下手くそ)なシーンが全然なくて素晴らしいと思うことはある。このポストが指す“不快”がどんなものかわからないけど。
多分これ、不快が嫌と言う人は駄作を駄作たらしめるシーンの事を不快と言い、不快も必要と言う人は物語の必然があり挿入された酷いシーンの事を不快と言っていて、話が噛み合ってないんじゃなかろうか…
不快の定義がざっくりしすぎてて、議論にならなさそう
全シーン満足いく映画って一生出会えないかもしれない
昔の映画見ると結構「不快な」表現が多いんだよね。特に性的な個所とか男性の私でも不快な物があったのでおそらく女性だとかなり不快な可能性がある。危険というが昔のその表現自体が危険だったので何ともいえない。
映画を見ての「不快がなくてよかった」は是非じゃなくて…「不快がないということは快適だということです」というような…
映画に求めるものって人によって違うだろうし、好きに評価していいんでは
悪役の俳優を嫌いになる人とかおるしな。それ演技力がすごいってことなんだが。
芸術とエンターテイメントの区別がつかないチンカス野郎が増えたのは実感している。なお「チンカス」を褒め言葉と捉えても差し支えございません。
これを突き詰めていくと、伊藤計劃の「ハーモニー」なんだけど、みんな実はあの世界って理想だと思ってるのかなって最近思う。/そんなに不快なものが嫌なら猫の映像でもずっと流してればいいんだよな。
自分が不快なものは見たくないというのは人間の当たり前の感情なので、映画見て「不快なシーンが一つもなくてよかった」なんて感想は「極めて現代的」なんてこともなく大昔から普遍的に有ったと思うよ
“SNS含めて個人の主観を普遍的なモノと勘違いして圧力をかけてくる人達が増えましたから、作り手側も面倒くさくなるのでしょう”
快・不快っていうか、こういう減点法に偏ったコンテンツの見方は勿体ないなーって感じるし、そういう人間が個人の好嫌を超えて論評とかしてるの見るとウゼーってなる。
「エリカが例えてあげる」はとても不愉快だけど作品を彩る非常に重要なシーン
鑑賞者を舐めてもらっては困る。それが演出かどうか、監督の手癖、ダダ漏れの凡庸さかの区別ぐらいつくんだよ。面白かったが不快、それさえなければ傑作、なんて評価はあって当然なわけ。
苦手な野菜が入ってなかったので、美味しい料理でした。って言うと変なのがわかるかも。個人で思う分には自由だけど、そもそも感想としての体を成して無いよな。
「不快なシーンが一つもなくてよかった」という評価は、それ以外に褒めることが何一つない映画だったってこと。褒めることがないのを無理やり褒めるやさしさを発揮している。
映画じゃないけど俺にとってYOASOBIの曲って不快なところが一つも無い曲なんだよな。あの引っかかりの無さはすごい。
ホラー映画とかどーすんだろ。ある意味「不快」なのが快楽ではあるが。/不快なことも疑似体験できるのがフィクションの強みだと思うが、割り切って観られないんかな。
世の中酷いことばかりだからせめて物語の中だけでも…と考えるようになってしまった。歳を取ったなぁ
不快=稚拙だったり記号的ってことじゃないかしらね。良くない邦画はわかりやす過ぎる記号的な不快キャラ出がち
でも急にIQ下がって危険行動する主人公たちはみんな不快じゃん…
不快なシーンが観たい!と思ったことないので無くていいです
キャラののちの行動で「不快な行動」が不快だったかそうでなかったかが決まる。
「生々しい暴力描写が最高」と書いたとしても、映画に暴力は必須と考えているわけじゃない。同様に「不快なシーンが一つもない」と書いたからって、別に「快不快を是非の基準にしている」わけではない
岩健さんかいな。「不快」「よかった」の抽象性をあまり恣意的に解釈しないほうがいいと思うが。
作品としての稚拙さを「不快」と表現する場合も多いのでは?物語を進めるためだけの頭の悪い行動やキャラ設定とか、一時期のハリウッドのテンプレ状態だったけど。
「不快」の意味がコンセンサスとれなさすぎて、議論しようがないやつだ。
俺は、設定とか台詞回しが雑なテレビドラマが不快かな。関係ないが、今週の本誌読切の大東京鬼嫁伝の人の新作は、暴力描写が妙に生々しかった。不快ではないけど、人気には繋がらんな〜と思った。
エンタメって不快なものを極力の除いて楽しむものっていうより、どんな形であれ自分の心臓にどれだけ楔が打ち込まれたかが大事で摂取してたから驚いた。花恋の麦と絹みたいに生活環境によって許容できる範囲が違う?
Softbankのお父さん(※犬)が冒頭でモンスターに食べられるモンスター映画とか撮ろうぜ!映画館が悲鳴であふれるだろうな映画ってのはこうでなきゃ!
いや名作と言われてても不快なシーンが不快すぎて二度と見たくないのはある。シャリーズセロンのモンスターとか見たくないって女性複数知ってる。理由はたぶん同じシーン。自分も無理。
まあムカデ男みたいひともそんなにおらんやろうし、レベルの問題ではあるけど、それこそあかんときはきらら系でもあかんときあるからなあ。
はてなブックマークは確かに不快だよな
自分も辛いシーンを見ることにかなりのストレスがかかるので映画やドラマを積極的に楽しめないタイプではあるが、そんな自分が楽しめる映画ばかりにはなってほしくないという程度の気持ちはある
不快ってのは感動して泣く、ノれる、スカッとすると感情を揺さぶられることでもあるんだから不快がないってのは逆に快楽も無い平坦虚無な作品。本当は自分の嫌いなシーンが無かったってだけのことを言い換えてる。
映画で人生変わるようなクリエイターばっかりになったら映画業界は衰退しちゃうからこういう意見は重要
映画だと「不快なものも味のうち」と思えるが、個人的に音楽はそうはいかない。
快不快が好悪に繋がるのは分かる、良否に繋がるってのも物によってはまあそういう人もいるだろう、だが善悪に繋げるのはキチガイ
一般的にはレビューの書き手の未成熟さと受け取りがちだが、不快な場面を出しといて不快のつもりがない映画もあるにはある。「不快」一言で片付けるのは言語化が足りてないとは思うが。
この快不快の考え方は今は人間関係にも適用されていて過剰なレッテル貼り分断排斥に繫がっていると思う。コロナ禍以降思い当たる節があるはず。
B級映画に、不快なシーンだらけ見る価値なしでした、とのコメント。そういう素直なお気持ち表明が流行ってるのかな?
そういう感想は誰が言ったか知りませんが、もし評論家が言えば疑問ですが、ごく少数の一般人が言うならほっといて良いと思います。/不快なシーンのある作品として「セブン」でも推しておきましょうか。
シンゴジに恋愛要素なくて良かった!と同じようなもんでは。強姦シーンそんな長々と必要だった?てか無くても成立したよね?とかさ
その感想を書いた人にとって「不快なシーン」とは「面白くないシーン」かも知れんよ。快に繋がるストレスと繋がらないストレスは違うからな
バカだなあ。価値のないコンテンツ、価値のないゴミと付き合う義理なんかこれっぽっちもないのよ。不快な人間だって排除してるのに映画ごとき排除しないわけねーだろ。
カサヴェテスの「ハズバンズ」の配信verには、オリジナルにある激不快なワンシーンがまるまるないのだが、そこがこの映画のキモなので「え、そこ切る?」と思った。
これって現代的というか、現実が辛いからと言う時代的な背景も影響しているんでしょうか? 愉悦部、バッドエンド好きとしては、最近の流れには物足りなさを感じることもあり
メイドインアビスは平気だけど、「白血病の少女のラブストーリー」は不快。またかよ、ってなる。
こういう話は具体的に何を指してるか例示しないと、語義がふわふわのまま同調ないし反感が強化されるだけなんよね。
どう危険なのか知りたかった
多分「不快なシーンが一つも…」という感想は、これまで多数派以外をディスパワメントする多数映画を諦めつつ受け入れてたけど、ポリコレのおかげで初めて解放された人の話なんじゃないかな。投稿主と噛み合わない
これマンガでもあるあるんだけど、悪役の残虐さを演出するために虐待シーンなんかを入れるわけだが、虐待シーンが過剰でストレートに演出されることが多いのよ。あとでそこだけ切り取って広告にするためなんだろう
野菜は人に有益だけど不快なシーンは有益ではないじゃん
うる星やつらは諸星あたるの扱いがひどくて見続ける気をなくした。
映画はまだいい方で、テレビの方が“不快”対応が厳しい。というかポリコレ全盛の時代だよね。「現代的」←現実にクレーム対応という問題が生じるので。/そのあたりの“需要”をネットが吸収してるよね。無法地帯。
化粧品のレビューで『いいものですが肌に合わなかったので星一つです』みたいなもんか。
ドラマとかでよくある、イモ演技とかご都合展開とか共感性羞恥を惹起するあれこれとか「不快なシーン」って思っちゃうなあ。
主流として求められてるのが「暇潰しの娯楽、肩のこらない娯楽」なので、観客が不快にならないことは制作者が売上のために第一に考えてることだと思うが、そうでない娯楽が十分残ってる社会が俺には有り難いな。
何をもって不快とするかによる>だよね。ワイは(グロは苦手だが)暴力描写は平気だし。退屈なシナリオと下手な演技とか、進まない展開の方が不快。
そいつにとっての「“不快”なシーン」としか言いようがないのと、“愉快”“爽快”または“単調”“凡庸”的なポジティブか毒にも薬にもならないコンテンツだけを好ましく感じる人もおるんやなー、ほーんて感じ
快・不快は個人の感覚によるので「殺人シーンがなかった」とか「性的シーンがなかった」とかはチェックポイントとしてあると子連れには助かる。ただ、それは面白さとは別の評価基準。
メンタルにまで影響する映像は見なくていいなあ
まあ犬猫が死ぬのはかなり嫌がられるよね
バッドエンドも好きだけど、「登場人物全員いいヤツ」系も好き。
個人の感想なんだし自由に言えば良いんしないかなぁ。仕事として批評してるとしても、それしか言えなければ仕事がこなくなるわけだし。
自分の地雷シーンあると気分悪くなってそこで見るのやめちゃうな。そんな無理して見るものじゃないと悟った
不快なシーンがあったので星1です
どこまでも主観でしかない話なんだから「個人の感想は自由です」で終わりじゃん
別に、「不快なシーンがひとつでもあったらダメ」ではないだろ。「アクションがよかった」「美術が良かった」「不快なシーンがなかった」という評価軸の一つだよ
「「アンパンマン」とかなくて気楽に見られていい」というのも一つの評価だと思う。そういう評価と、「「セブン」のストーリーは救いがなくていい」という評価は別の評価軸として両立する
でもアイアムレジェンドで一番いいシーンって犬が死ぬところだし…
犬は死にません映画
不快なシーンって、映画の冒頭で何千、何万の悪の軍勢のNo.2が一つのミスでボスに殺されるみたいなシーンですか?
食べ物の例えのブコメを見て、B級グルメで人気のあるメニューは、万人受けする好き嫌いの少ない食材を使っているものが多いという話を思い出した。
よくわからない。不快なシーンがないことを評価する声があったからといって不快なものが評価されなくなるわけではないと思うけど…快不快も評価基準の一つで全然いいと思うし一消費者としてはその前情報はありがたい
好き嫌いと良い悪いをごっちゃにしてる人が増えたって感覚はある。プロの評論家でさえ。好き嫌いは個人的な感想、良い悪いは作品の評価。好き嫌いは個人の自由だがそれを評価としてドヤ顔で語らないでとは思う
単に語彙力がなくて「不快」とひとまとめにしてるだけでは?
「無能な仲間が足を引っ張るシーンや無駄な恋愛要素がなかったのでイライラせず、よかった」と具体的に書かれてればどうだったろうか?/個人的には、マイクロアグレッションや嗜虐的な加害描写が不快に感じるかな。
なろう系の読者コメント見てると物語の中盤での主人公側の敗北が不快な人もいる。努力しても負けてさらにヘイトが溜まる展開に我慢ならないみたい。
まあネットがインフラな現代、快も不快もリアルがコンテンツ化されてて、映画は所詮イミテーションでしかないからなw。そら気持ちのいいもんしか見た無いとか、なんならファンやから見るだけやったりするからなw。
不快な要素が削ぎ通されたモンハンワイルズは結果的に無味無臭になってしまった。ある程度のイライラ要素はスパイスとして必要なんだろうな。
「ハピエン好き」を公言してる作者の本を安心して買ってるから、、よくわかる、、、おとうふメンタルですまん、、、、、進撃よめてないけど。。 排除せよとはまったく思わない。
ストレス与えて解放するというベタなストーリー手法があるのにね。ずっと快ではつまらん
そりゃわざわざお金を払ってまで不快な思いをしたくないんだから当たり前だと思う。それに危機感を覚えるのって制作サイドの傲慢だと思う。
不快なシーンが の全体を見ないとなんともいえない。感想が一作品でこれだけなら、その作品中身薄いんではと思う
最近AIにハーバードのこと聞いてたら『古典的リベラルとDEI的リベラルの違いは「心理的安全性」「トラウマの尊重」「マイクロアグレッション排除」など、文化的繊細さの強調』って言われて、はーわかる、って思った
『評して』『是非』『危険』という表現が気になった。個人の感想の話をしてるのか、客観的に「良い映画」「悪い映画」を決めようって話なのか。そのうえで『危険』だろうかという気も。
ストレスいっぱいのホラーやサスペンスに悪い評価をつけるわけじゃなくて、ハラハラドキドキしたい時と、ほっこりしたい時があるってことだと思うな〜。
どんな感想を持つのも自由で、この人がクソリプつけてるだけなのでは?
観てる間は不快で二度と観たくないけど、観てよかったと思える作品って結構あるけどね
ドラえもんもジャイアンが横柄だから見たくない、とかになれば、もう起承転結なく何のトラブルも起きない日常だけの話しか作れなくなるな
重い映画軽い映画はあるよね。どっちも大事
漠然とした評にたいする漠然とした評、囲碁でいうところの手拍子。きわめてSNS的だし危なっかしい。なにを、どのていどで不快と認識するのか不明瞭だのに、その有無を原則で基準であると認識しちゃう極端やばい。
色んなものがあっていい、と言う解答をまず提示しておく/その上で所詮エンタメなので快楽原則全振りの作品は当然正義で、自称映画を憂う者の浅い危惧とかどうでもいいよね
敵味方関係なく、組織の足を引っ張る登場人物が中々退場しないことにイライラするのは分かる。
ま、選択の自由があるんだし問題無いよね。食いもんでもアレルゲンは避けるでしょ。
すぐチャンネルを変えられるテレビと違って、そこそこの料金を支払った上に暗い部屋にぎゅうぎゅうに押し込められて容易には出られない部屋で大画面爆音で見る映像にトラウマシーンが混入してたら恐怖だよ
「観やすかった」と「面白かった」を言語化する段階で峻別する解像度を持たない人は多い。職業的な必要性がない人ならば、それで良いと思うけど。まぁね。
SNSやウェブ上の広告により、不快さや怒りのもつ訴求力が露わになったが故、相対的にに評価されるようになった価値観のような気がした。是非はわからんが、過渡期特有の現象で以後は落ち着いていくような気もする
余裕がない時は、不快感ない娯楽が楽でいいな/変に引っかかると気が散るというのもある。ゴジラの映画で人が逃げきれなさそうなシーンが出てきたら、怪獣同士の戦いよりそっちが気になっちゃうみたいな。
人生に不快なものが多すぎるのに、その上お金と時間使ってまで不快体験をしたいか?ということです。
映画見てて、そこでビックリさせる必要ある?みたいにモヤって不快になるんよな。なんかブラックスワンのガラスが割れるシーン?がとても印象的に不快だった。
不快なシーンがあったというのが単なる減点評価なら個人の感想で終わる話なんだけど、今時はそれが「性犯罪を助長している」「差別を容認している」みたいにスーパー飛躍して社会的に殺されるとか全然あるからな。
元アナウンサーが言ってたな。「私にとって不快なシーンがない素晴らしい映画」。
元の評を見てないからわからないが苦手な食材が入ってなくてよかったという意味でしかなくて、美味しかった、面白かったは別に感想があるのでは…
うーん、感想が下手なんかも、くらいな気がするが。現代的とか言われましても。。。。。。
仕事でも学問でもなく娯楽なんだから別によくないか 危機感覚えるようなことか?
特定の映画に不快感がないことを評価することと、映画全般に不快感がないことを求めることは全然違うので、前者であれば多様性として受け入れたいが、後者なら表現の自由という観点で問題がある。
快不快の問題でしかないものをすり替える論調が蔓延った今却って素直に聞こえるね。単なる感想で評してはいないと思うが。
料理を評価する時の基準として、不快な味が無かったみたいなことは往々にしてあるので、この表現自体は分からなくもない
「ここの豚汁はごぼうが入ってなくて好きです!ごぼう苦手な人でも食べられる豚汁だよ!うれしい!」と思えば全然普通の感想だし、娯楽を快不快じゃなく求道的な態度で突き詰めさせられるならそれもう仕事なんよ…
誰でも批評できる時代になったので批評家も批評したがる一般人に批評される対象となりその顔色を窺う批評を行い批評家という職業の価値は著しく低下しました。それでも孤高の批評家やりたい人は各自頑張りましょう。
でもその人、「不快なシーンもあったけどよかった」という評価も下しそうだから問題ないのでは。不快な部分に異様に攻撃の眼を向けて「なくせ」と騒ぐ人よりも。
なんで個人の感想が原則基準になるんだ。その個人の基準になったとして何も問題無いし意味不明。俺は恋愛とかはこの気持ちで見てるよ、ライバルとかすれ違いとか要らんのよ
これはメダリスト。 あの初回からのミ〇ズ推しが無理。EDでゆるキャラぶったってミ〇ズはミ〇ズ。苦手な人もいるんですよ。スキップしてたら危うくCパート見逸るところだったし。せめてモザ かけてほしい。
個人の感想(だよね?)にダメ出しする方が危険だよ
今の日本はオタク文化が根底にあってそれは視聴側の妄想を実現するエンタメ。ゲースロが日本で流行らなかった理由は不快なシーンの連続だから。でもそうでないと描けない人間の真実もある。自分は後者を支持する。
エンタメをエンタメとして消化できない輩が増えたって事かね。エンタメ見ないで焚き火でも見てた方が良いんじゃね。
是非の原則基準は言い過ぎの気がする。映画は娯楽なので好き嫌いの一環かと。
小説でスゴく感じる。ストーリーに波を作るのに、安直な仕掛けを作りすぎ
でも犬が死ななかったらジョンウィックは生まれてなかったからなぁ
日本映画にありがちな陳腐なメロドラマや過剰なバイオレンス描写は不快なシーンだな。あとTVドラマやコントみたいな安っぽい会話劇。そういった不快なシーンが一つも無い映画は良作。
感想ならいいけど、評価となるとちょっとね
基本的に面白い映画が観たいんであって,その過程として少々,不快なシーンが出現することは問題ないな.個人的には.
「好きなものを見ればいい」も思考停止な気が。全体の傾向がこうなっていくって事は今後のフィクションのあり方にも影響すんのよ
不快と言うと広すぎるけど気持ちは分かる。その恋愛要素とかギャグ要素はこの話には不用だろとか言うのが多すぎて、そういう気持ちにならない作品は高く評価してしまう。
泣けたかどうかで評価する人もいるし、相容れない人は昔から存在するのだ
商店街で唐突にボコられるシーン意味わからんくて「それいる?」って思ったことはご報告しておきます。
バイオレンスやグロは映倫である程度判断できるけど、犬猫がどうこうまでは網羅してないからね
3分より長い映画で不快なシーンゼロ、は本当は無理だと思うが。まあ記憶に残ってないのならそれでよかったのかな
美男美女と二世しか出てこない邦画は不快だから星ひとつにしときますねー
女性読者の多い漫画とか小説読むとこういう「不快な表現がある」って注意書きたまにある。映画に行くのも女性多いし今後は増えるんだろうなと想像。自分はこういう注意書きでネタバレしてほしくないんだが
自分の大好きなMelvin Van PeeblesのSweet Sweetback's Baadasssss Songなんて現代の基準で言ったら不快なシーンのみで構成されていると言っていいかもしれないけど、だからこそ伝わる部分があるのは確か
これが極まってなろう系が流行ってるわけで。不快なシーンは書かないか、その章(3000字)で片付けるのが離脱を防ぐ鉄則となってるらしい。
言いたいことはわからんでもないが、「極めて危険」は大げさでは。死ぬんか?wwww
“エンタメとして映画を見るか、芸術として映画を見るかの違いだね。俺は、不快なシーンない方がいい。 素人が娯楽として楽しむ上でのただの感想を述べてるだけでしょ。”
『PTSDにはRPGよりテトリスが効く』『過労の時は日常系アニメ』みたいな話では。心の余裕が無いとギスギスやら絶望やら架空の不幸ですら見てられない。つまり現代人は疲れ過ぎ。
死んでほしかったキャラが死なずに怪我で済んで不快だった可能性もあるぞ!
面白さ(意外性)に拒否感を示す層は一定数居て、例えばなろうで主人公が負けるだけで(作劇上逆転の前振りであっても)発狂したりする。そう言う奴等向けに作るんじゃなければ無視一択/自閉スペクトラムだよな
そういえば昔の映画でフィルムのかけかえ失敗した時は不快だった
いわゆる冷蔵庫の女みたいな話かしら?犬とかも。ばかすか死んでいくゲースロは一周まわって最高なんだがな…
ごくごく一部の例を取り上げて自分の言いたい事を言ってないこれ?
そもそも元の発言をした方と言葉の定義をすり合わせないと(この方も専門領域ならそうするだろう)いけない気がするが、我々は日常のことでそこまで労力をかけて認識を共有したいわけでもないしなあ……
昔のハリウッド映画で、大した意味もなくでかいカメラに出っ歯でメガネで変な挙動の日本人観光客が出ててバカにされてたけど、そういうのずっと見たいか?人種差別的への配慮で、ノイズ減って見やすく感じなかった?
不快なものは日々のニュースで十分見ているのでフィクションの娯楽映画くらいそういうの無しで、という気持ちはわからないではない。
映画を観る理由の一つに感情を揺さぶってほしいと言うのがあるので、不快なシーンがあってもOK派
こういうの作るのって難しそうですけどね、イライラ棒をノーミスでクリアするみたいな技術がいる。でもタイトルはなんだろ?逆に不快なシーンしかない映画ってのも難しいでしょうけどね。「ビジターQ」とかそうかな
それが感想の全てで評価が他にないなら、そいつと映画の話は二度としないと思うがそうじゃないんでしょ。
減点要素がないことは悪いことではないが、減点がないだけで加点もない0点映画みたいなの増えたなとは思うよ。白雪姫みたいな、思考停止で善行チェックリスト通しただけの虚無映画とか
ホラー、スプラッター、鬱展開、何でもOKだけど、子供と犬が悲しいことになる話はダメ
ペーソスのある話の方が好み
時代考証が必要な類の映画から喫煙シーンを外すのだけはやめてほしい。
そういうとこが良いって映画もあって良いと思うけど / 別の話だけど、私が観てて不快に感じるのって、キャラがストーリー回すためだけに愚かな行為させられてると感じる時だな
まぁ邦画「ミュージアム」みたいな胸糞映画ってあるからなw。そういうのがイヤだと言っても所詮は個人の感想。例えSNSで表明しても、世の中への影響力は微々たるものだから気にすることもないでしょう。
レッドルームから解放されたその後のタスクマスター…みたいな展開はもうちょい観たかったけどドゥームズデイのキャスト発表ですでに結末知ってたようなもんだから残念。
ポリコレみたいに公的に価値がある、みたいな文脈で言わなければ別に。
「感想」ならそれでもいいけど「レビュー」面をするなよとは思う
どういう種類の映画かにもよるよなあ。「不快なシーンが一つもない」ことがとてもよい作品であることに直結するジャンルもあると思うよ。/「原則基準」って書いてるので、分かって言ってると思うけど。
ダンサー・イン・ザ・ダークとか許されないのかな
エンタメなのか体験なのかでも違う。/「不快なシーンな一つもない」という評価は「そもそも何も映っていない場合」に適用可能なんだよな(笑)
快と不快ってよくよく見つめると仕分け難しいよね…でも強烈に不快なものがあるとそれだけで映画全体を否定したくなるような気持ちもわかるし、とりあえず自分の感性とか批評眼はけっこう幼いんだと再認識した
問題にするかどうかはサンプル数による
映画みててこのシーンは不快だって思った事が一度もないのでみんなが何話してるのかいまいち理解できない。個人的トラウマが想起されるシーンとかはあるけど不快だとは思わないし。
ある映画を評して「不快なシーンが一つもなくてよかった」とあって、極めて現代的だなーと思う一方でかなり危機感を覚える… 快不快を是非の原則基準にするのは極めて危険
良かった理由を「不快なものが1つもないから」とするのは、テンプレートとして使いやすいからなあ。解釈とか言語化というものは、画像に補正をかけ、失う行為。「不快なものが3つあるのが良い」とかもあると良いのか
不快以前に冒頭でテンポ感が合わないなと感じると見るのすぐやめちゃう。レンタルショップで借りてきてた頃は勿体ないから見てたと思う。可処分時間の質とスピード感が変わってしまった。
犬が死なないとか結構大事。津波とか虐待シーンもあると分かると見ない人もいる。評論家じゃないんだから気楽に見たいよ。
感情はめっちゃ揺さぶられるけど、不快(下手くそ)なシーンが全然なくて素晴らしいと思うことはある。このポストが指す“不快”がどんなものかわからないけど。
多分これ、不快が嫌と言う人は駄作を駄作たらしめるシーンの事を不快と言い、不快も必要と言う人は物語の必然があり挿入された酷いシーンの事を不快と言っていて、話が噛み合ってないんじゃなかろうか…
不快の定義がざっくりしすぎてて、議論にならなさそう
全シーン満足いく映画って一生出会えないかもしれない
昔の映画見ると結構「不快な」表現が多いんだよね。特に性的な個所とか男性の私でも不快な物があったのでおそらく女性だとかなり不快な可能性がある。危険というが昔のその表現自体が危険だったので何ともいえない。
映画を見ての「不快がなくてよかった」は是非じゃなくて…「不快がないということは快適だということです」というような…
映画に求めるものって人によって違うだろうし、好きに評価していいんでは
悪役の俳優を嫌いになる人とかおるしな。それ演技力がすごいってことなんだが。
芸術とエンターテイメントの区別がつかないチンカス野郎が増えたのは実感している。なお「チンカス」を褒め言葉と捉えても差し支えございません。
これを突き詰めていくと、伊藤計劃の「ハーモニー」なんだけど、みんな実はあの世界って理想だと思ってるのかなって最近思う。/そんなに不快なものが嫌なら猫の映像でもずっと流してればいいんだよな。
自分が不快なものは見たくないというのは人間の当たり前の感情なので、映画見て「不快なシーンが一つもなくてよかった」なんて感想は「極めて現代的」なんてこともなく大昔から普遍的に有ったと思うよ
“SNS含めて個人の主観を普遍的なモノと勘違いして圧力をかけてくる人達が増えましたから、作り手側も面倒くさくなるのでしょう”
快・不快っていうか、こういう減点法に偏ったコンテンツの見方は勿体ないなーって感じるし、そういう人間が個人の好嫌を超えて論評とかしてるの見るとウゼーってなる。
「エリカが例えてあげる」はとても不愉快だけど作品を彩る非常に重要なシーン
鑑賞者を舐めてもらっては困る。それが演出かどうか、監督の手癖、ダダ漏れの凡庸さかの区別ぐらいつくんだよ。面白かったが不快、それさえなければ傑作、なんて評価はあって当然なわけ。
苦手な野菜が入ってなかったので、美味しい料理でした。って言うと変なのがわかるかも。個人で思う分には自由だけど、そもそも感想としての体を成して無いよな。
「不快なシーンが一つもなくてよかった」という評価は、それ以外に褒めることが何一つない映画だったってこと。褒めることがないのを無理やり褒めるやさしさを発揮している。
映画じゃないけど俺にとってYOASOBIの曲って不快なところが一つも無い曲なんだよな。あの引っかかりの無さはすごい。
ホラー映画とかどーすんだろ。ある意味「不快」なのが快楽ではあるが。/不快なことも疑似体験できるのがフィクションの強みだと思うが、割り切って観られないんかな。
世の中酷いことばかりだからせめて物語の中だけでも…と考えるようになってしまった。歳を取ったなぁ
不快=稚拙だったり記号的ってことじゃないかしらね。良くない邦画はわかりやす過ぎる記号的な不快キャラ出がち
でも急にIQ下がって危険行動する主人公たちはみんな不快じゃん…
不快なシーンが観たい!と思ったことないので無くていいです
キャラののちの行動で「不快な行動」が不快だったかそうでなかったかが決まる。
「生々しい暴力描写が最高」と書いたとしても、映画に暴力は必須と考えているわけじゃない。同様に「不快なシーンが一つもない」と書いたからって、別に「快不快を是非の基準にしている」わけではない
岩健さんかいな。「不快」「よかった」の抽象性をあまり恣意的に解釈しないほうがいいと思うが。
作品としての稚拙さを「不快」と表現する場合も多いのでは?物語を進めるためだけの頭の悪い行動やキャラ設定とか、一時期のハリウッドのテンプレ状態だったけど。
「不快」の意味がコンセンサスとれなさすぎて、議論しようがないやつだ。
俺は、設定とか台詞回しが雑なテレビドラマが不快かな。関係ないが、今週の本誌読切の大東京鬼嫁伝の人の新作は、暴力描写が妙に生々しかった。不快ではないけど、人気には繋がらんな〜と思った。
エンタメって不快なものを極力の除いて楽しむものっていうより、どんな形であれ自分の心臓にどれだけ楔が打ち込まれたかが大事で摂取してたから驚いた。花恋の麦と絹みたいに生活環境によって許容できる範囲が違う?
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いや名作と言われてても不快なシーンが不快すぎて二度と見たくないのはある。シャリーズセロンのモンスターとか見たくないって女性複数知ってる。理由はたぶん同じシーン。自分も無理。
まあムカデ男みたいひともそんなにおらんやろうし、レベルの問題ではあるけど、それこそあかんときはきらら系でもあかんときあるからなあ。
はてなブックマークは確かに不快だよな
自分も辛いシーンを見ることにかなりのストレスがかかるので映画やドラマを積極的に楽しめないタイプではあるが、そんな自分が楽しめる映画ばかりにはなってほしくないという程度の気持ちはある
不快ってのは感動して泣く、ノれる、スカッとすると感情を揺さぶられることでもあるんだから不快がないってのは逆に快楽も無い平坦虚無な作品。本当は自分の嫌いなシーンが無かったってだけのことを言い換えてる。
映画で人生変わるようなクリエイターばっかりになったら映画業界は衰退しちゃうからこういう意見は重要
映画だと「不快なものも味のうち」と思えるが、個人的に音楽はそうはいかない。
快不快が好悪に繋がるのは分かる、良否に繋がるってのも物によってはまあそういう人もいるだろう、だが善悪に繋げるのはキチガイ
一般的にはレビューの書き手の未成熟さと受け取りがちだが、不快な場面を出しといて不快のつもりがない映画もあるにはある。「不快」一言で片付けるのは言語化が足りてないとは思うが。
この快不快の考え方は今は人間関係にも適用されていて過剰なレッテル貼り分断排斥に繫がっていると思う。コロナ禍以降思い当たる節があるはず。
B級映画に、不快なシーンだらけ見る価値なしでした、とのコメント。そういう素直なお気持ち表明が流行ってるのかな?
そういう感想は誰が言ったか知りませんが、もし評論家が言えば疑問ですが、ごく少数の一般人が言うならほっといて良いと思います。/不快なシーンのある作品として「セブン」でも推しておきましょうか。
シンゴジに恋愛要素なくて良かった!と同じようなもんでは。強姦シーンそんな長々と必要だった?てか無くても成立したよね?とかさ
その感想を書いた人にとって「不快なシーン」とは「面白くないシーン」かも知れんよ。快に繋がるストレスと繋がらないストレスは違うからな
バカだなあ。価値のないコンテンツ、価値のないゴミと付き合う義理なんかこれっぽっちもないのよ。不快な人間だって排除してるのに映画ごとき排除しないわけねーだろ。
カサヴェテスの「ハズバンズ」の配信verには、オリジナルにある激不快なワンシーンがまるまるないのだが、そこがこの映画のキモなので「え、そこ切る?」と思った。
これって現代的というか、現実が辛いからと言う時代的な背景も影響しているんでしょうか? 愉悦部、バッドエンド好きとしては、最近の流れには物足りなさを感じることもあり
メイドインアビスは平気だけど、「白血病の少女のラブストーリー」は不快。またかよ、ってなる。
こういう話は具体的に何を指してるか例示しないと、語義がふわふわのまま同調ないし反感が強化されるだけなんよね。
どう危険なのか知りたかった
多分「不快なシーンが一つも…」という感想は、これまで多数派以外をディスパワメントする多数映画を諦めつつ受け入れてたけど、ポリコレのおかげで初めて解放された人の話なんじゃないかな。投稿主と噛み合わない
これマンガでもあるあるんだけど、悪役の残虐さを演出するために虐待シーンなんかを入れるわけだが、虐待シーンが過剰でストレートに演出されることが多いのよ。あとでそこだけ切り取って広告にするためなんだろう
野菜は人に有益だけど不快なシーンは有益ではないじゃん
うる星やつらは諸星あたるの扱いがひどくて見続ける気をなくした。
映画はまだいい方で、テレビの方が“不快”対応が厳しい。というかポリコレ全盛の時代だよね。「現代的」←現実にクレーム対応という問題が生じるので。/そのあたりの“需要”をネットが吸収してるよね。無法地帯。
化粧品のレビューで『いいものですが肌に合わなかったので星一つです』みたいなもんか。
ドラマとかでよくある、イモ演技とかご都合展開とか共感性羞恥を惹起するあれこれとか「不快なシーン」って思っちゃうなあ。
主流として求められてるのが「暇潰しの娯楽、肩のこらない娯楽」なので、観客が不快にならないことは制作者が売上のために第一に考えてることだと思うが、そうでない娯楽が十分残ってる社会が俺には有り難いな。
何をもって不快とするかによる>だよね。ワイは(グロは苦手だが)暴力描写は平気だし。退屈なシナリオと下手な演技とか、進まない展開の方が不快。
そいつにとっての「“不快”なシーン」としか言いようがないのと、“愉快”“爽快”または“単調”“凡庸”的なポジティブか毒にも薬にもならないコンテンツだけを好ましく感じる人もおるんやなー、ほーんて感じ
快・不快は個人の感覚によるので「殺人シーンがなかった」とか「性的シーンがなかった」とかはチェックポイントとしてあると子連れには助かる。ただ、それは面白さとは別の評価基準。
メンタルにまで影響する映像は見なくていいなあ
まあ犬猫が死ぬのはかなり嫌がられるよね
バッドエンドも好きだけど、「登場人物全員いいヤツ」系も好き。
個人の感想なんだし自由に言えば良いんしないかなぁ。仕事として批評してるとしても、それしか言えなければ仕事がこなくなるわけだし。
自分の地雷シーンあると気分悪くなってそこで見るのやめちゃうな。そんな無理して見るものじゃないと悟った
不快なシーンがあったので星1です
どこまでも主観でしかない話なんだから「個人の感想は自由です」で終わりじゃん
別に、「不快なシーンがひとつでもあったらダメ」ではないだろ。「アクションがよかった」「美術が良かった」「不快なシーンがなかった」という評価軸の一つだよ
「「アンパンマン」とかなくて気楽に見られていい」というのも一つの評価だと思う。そういう評価と、「「セブン」のストーリーは救いがなくていい」という評価は別の評価軸として両立する
でもアイアムレジェンドで一番いいシーンって犬が死ぬところだし…
犬は死にません映画
不快なシーンって、映画の冒頭で何千、何万の悪の軍勢のNo.2が一つのミスでボスに殺されるみたいなシーンですか?
食べ物の例えのブコメを見て、B級グルメで人気のあるメニューは、万人受けする好き嫌いの少ない食材を使っているものが多いという話を思い出した。
よくわからない。不快なシーンがないことを評価する声があったからといって不快なものが評価されなくなるわけではないと思うけど…快不快も評価基準の一つで全然いいと思うし一消費者としてはその前情報はありがたい
好き嫌いと良い悪いをごっちゃにしてる人が増えたって感覚はある。プロの評論家でさえ。好き嫌いは個人的な感想、良い悪いは作品の評価。好き嫌いは個人の自由だがそれを評価としてドヤ顔で語らないでとは思う
単に語彙力がなくて「不快」とひとまとめにしてるだけでは?
「無能な仲間が足を引っ張るシーンや無駄な恋愛要素がなかったのでイライラせず、よかった」と具体的に書かれてればどうだったろうか?/個人的には、マイクロアグレッションや嗜虐的な加害描写が不快に感じるかな。
なろう系の読者コメント見てると物語の中盤での主人公側の敗北が不快な人もいる。努力しても負けてさらにヘイトが溜まる展開に我慢ならないみたい。
まあネットがインフラな現代、快も不快もリアルがコンテンツ化されてて、映画は所詮イミテーションでしかないからなw。そら気持ちのいいもんしか見た無いとか、なんならファンやから見るだけやったりするからなw。
不快な要素が削ぎ通されたモンハンワイルズは結果的に無味無臭になってしまった。ある程度のイライラ要素はスパイスとして必要なんだろうな。
「ハピエン好き」を公言してる作者の本を安心して買ってるから、、よくわかる、、、おとうふメンタルですまん、、、、、進撃よめてないけど。。 排除せよとはまったく思わない。
ストレス与えて解放するというベタなストーリー手法があるのにね。ずっと快ではつまらん
そりゃわざわざお金を払ってまで不快な思いをしたくないんだから当たり前だと思う。それに危機感を覚えるのって制作サイドの傲慢だと思う。
不快なシーンが の全体を見ないとなんともいえない。感想が一作品でこれだけなら、その作品中身薄いんではと思う
最近AIにハーバードのこと聞いてたら『古典的リベラルとDEI的リベラルの違いは「心理的安全性」「トラウマの尊重」「マイクロアグレッション排除」など、文化的繊細さの強調』って言われて、はーわかる、って思った
『評して』『是非』『危険』という表現が気になった。個人の感想の話をしてるのか、客観的に「良い映画」「悪い映画」を決めようって話なのか。そのうえで『危険』だろうかという気も。
ストレスいっぱいのホラーやサスペンスに悪い評価をつけるわけじゃなくて、ハラハラドキドキしたい時と、ほっこりしたい時があるってことだと思うな〜。
どんな感想を持つのも自由で、この人がクソリプつけてるだけなのでは?
観てる間は不快で二度と観たくないけど、観てよかったと思える作品って結構あるけどね
ドラえもんもジャイアンが横柄だから見たくない、とかになれば、もう起承転結なく何のトラブルも起きない日常だけの話しか作れなくなるな
重い映画軽い映画はあるよね。どっちも大事
漠然とした評にたいする漠然とした評、囲碁でいうところの手拍子。きわめてSNS的だし危なっかしい。なにを、どのていどで不快と認識するのか不明瞭だのに、その有無を原則で基準であると認識しちゃう極端やばい。
色んなものがあっていい、と言う解答をまず提示しておく/その上で所詮エンタメなので快楽原則全振りの作品は当然正義で、自称映画を憂う者の浅い危惧とかどうでもいいよね
敵味方関係なく、組織の足を引っ張る登場人物が中々退場しないことにイライラするのは分かる。
ま、選択の自由があるんだし問題無いよね。食いもんでもアレルゲンは避けるでしょ。
すぐチャンネルを変えられるテレビと違って、そこそこの料金を支払った上に暗い部屋にぎゅうぎゅうに押し込められて容易には出られない部屋で大画面爆音で見る映像にトラウマシーンが混入してたら恐怖だよ
「観やすかった」と「面白かった」を言語化する段階で峻別する解像度を持たない人は多い。職業的な必要性がない人ならば、それで良いと思うけど。まぁね。
SNSやウェブ上の広告により、不快さや怒りのもつ訴求力が露わになったが故、相対的にに評価されるようになった価値観のような気がした。是非はわからんが、過渡期特有の現象で以後は落ち着いていくような気もする
余裕がない時は、不快感ない娯楽が楽でいいな/変に引っかかると気が散るというのもある。ゴジラの映画で人が逃げきれなさそうなシーンが出てきたら、怪獣同士の戦いよりそっちが気になっちゃうみたいな。
人生に不快なものが多すぎるのに、その上お金と時間使ってまで不快体験をしたいか?ということです。
映画見てて、そこでビックリさせる必要ある?みたいにモヤって不快になるんよな。なんかブラックスワンのガラスが割れるシーン?がとても印象的に不快だった。
不快なシーンがあったというのが単なる減点評価なら個人の感想で終わる話なんだけど、今時はそれが「性犯罪を助長している」「差別を容認している」みたいにスーパー飛躍して社会的に殺されるとか全然あるからな。
元アナウンサーが言ってたな。「私にとって不快なシーンがない素晴らしい映画」。
元の評を見てないからわからないが苦手な食材が入ってなくてよかったという意味でしかなくて、美味しかった、面白かったは別に感想があるのでは…
うーん、感想が下手なんかも、くらいな気がするが。現代的とか言われましても。。。。。。
仕事でも学問でもなく娯楽なんだから別によくないか 危機感覚えるようなことか?
特定の映画に不快感がないことを評価することと、映画全般に不快感がないことを求めることは全然違うので、前者であれば多様性として受け入れたいが、後者なら表現の自由という観点で問題がある。
快不快の問題でしかないものをすり替える論調が蔓延った今却って素直に聞こえるね。単なる感想で評してはいないと思うが。
料理を評価する時の基準として、不快な味が無かったみたいなことは往々にしてあるので、この表現自体は分からなくもない
「ここの豚汁はごぼうが入ってなくて好きです!ごぼう苦手な人でも食べられる豚汁だよ!うれしい!」と思えば全然普通の感想だし、娯楽を快不快じゃなく求道的な態度で突き詰めさせられるならそれもう仕事なんよ…
誰でも批評できる時代になったので批評家も批評したがる一般人に批評される対象となりその顔色を窺う批評を行い批評家という職業の価値は著しく低下しました。それでも孤高の批評家やりたい人は各自頑張りましょう。
でもその人、「不快なシーンもあったけどよかった」という評価も下しそうだから問題ないのでは。不快な部分に異様に攻撃の眼を向けて「なくせ」と騒ぐ人よりも。
なんで個人の感想が原則基準になるんだ。その個人の基準になったとして何も問題無いし意味不明。俺は恋愛とかはこの気持ちで見てるよ、ライバルとかすれ違いとか要らんのよ
これはメダリスト。 あの初回からのミ〇ズ推しが無理。EDでゆるキャラぶったってミ〇ズはミ〇ズ。苦手な人もいるんですよ。スキップしてたら危うくCパート見逸るところだったし。せめてモザ かけてほしい。
個人の感想(だよね?)にダメ出しする方が危険だよ
今の日本はオタク文化が根底にあってそれは視聴側の妄想を実現するエンタメ。ゲースロが日本で流行らなかった理由は不快なシーンの連続だから。でもそうでないと描けない人間の真実もある。自分は後者を支持する。
エンタメをエンタメとして消化できない輩が増えたって事かね。エンタメ見ないで焚き火でも見てた方が良いんじゃね。
是非の原則基準は言い過ぎの気がする。映画は娯楽なので好き嫌いの一環かと。
小説でスゴく感じる。ストーリーに波を作るのに、安直な仕掛けを作りすぎ
でも犬が死ななかったらジョンウィックは生まれてなかったからなぁ
日本映画にありがちな陳腐なメロドラマや過剰なバイオレンス描写は不快なシーンだな。あとTVドラマやコントみたいな安っぽい会話劇。そういった不快なシーンが一つも無い映画は良作。
感想ならいいけど、評価となるとちょっとね
基本的に面白い映画が観たいんであって,その過程として少々,不快なシーンが出現することは問題ないな.個人的には.
「好きなものを見ればいい」も思考停止な気が。全体の傾向がこうなっていくって事は今後のフィクションのあり方にも影響すんのよ
不快と言うと広すぎるけど気持ちは分かる。その恋愛要素とかギャグ要素はこの話には不用だろとか言うのが多すぎて、そういう気持ちにならない作品は高く評価してしまう。
泣けたかどうかで評価する人もいるし、相容れない人は昔から存在するのだ
商店街で唐突にボコられるシーン意味わからんくて「それいる?」って思ったことはご報告しておきます。
バイオレンスやグロは映倫である程度判断できるけど、犬猫がどうこうまでは網羅してないからね
3分より長い映画で不快なシーンゼロ、は本当は無理だと思うが。まあ記憶に残ってないのならそれでよかったのかな
美男美女と二世しか出てこない邦画は不快だから星ひとつにしときますねー
女性読者の多い漫画とか小説読むとこういう「不快な表現がある」って注意書きたまにある。映画に行くのも女性多いし今後は増えるんだろうなと想像。自分はこういう注意書きでネタバレしてほしくないんだが
自分の大好きなMelvin Van PeeblesのSweet Sweetback's Baadasssss Songなんて現代の基準で言ったら不快なシーンのみで構成されていると言っていいかもしれないけど、だからこそ伝わる部分があるのは確か
これが極まってなろう系が流行ってるわけで。不快なシーンは書かないか、その章(3000字)で片付けるのが離脱を防ぐ鉄則となってるらしい。
言いたいことはわからんでもないが、「極めて危険」は大げさでは。死ぬんか?wwww
“エンタメとして映画を見るか、芸術として映画を見るかの違いだね。俺は、不快なシーンない方がいい。 素人が娯楽として楽しむ上でのただの感想を述べてるだけでしょ。”
『PTSDにはRPGよりテトリスが効く』『過労の時は日常系アニメ』みたいな話では。心の余裕が無いとギスギスやら絶望やら架空の不幸ですら見てられない。つまり現代人は疲れ過ぎ。
死んでほしかったキャラが死なずに怪我で済んで不快だった可能性もあるぞ!
面白さ(意外性)に拒否感を示す層は一定数居て、例えばなろうで主人公が負けるだけで(作劇上逆転の前振りであっても)発狂したりする。そう言う奴等向けに作るんじゃなければ無視一択/自閉スペクトラムだよな
そういえば昔の映画でフィルムのかけかえ失敗した時は不快だった
いわゆる冷蔵庫の女みたいな話かしら?犬とかも。ばかすか死んでいくゲースロは一周まわって最高なんだがな…
ごくごく一部の例を取り上げて自分の言いたい事を言ってないこれ?
そもそも元の発言をした方と言葉の定義をすり合わせないと(この方も専門領域ならそうするだろう)いけない気がするが、我々は日常のことでそこまで労力をかけて認識を共有したいわけでもないしなあ……
昔のハリウッド映画で、大した意味もなくでかいカメラに出っ歯でメガネで変な挙動の日本人観光客が出ててバカにされてたけど、そういうのずっと見たいか?人種差別的への配慮で、ノイズ減って見やすく感じなかった?
不快なものは日々のニュースで十分見ているのでフィクションの娯楽映画くらいそういうの無しで、という気持ちはわからないではない。
映画を観る理由の一つに感情を揺さぶってほしいと言うのがあるので、不快なシーンがあってもOK派
こういうの作るのって難しそうですけどね、イライラ棒をノーミスでクリアするみたいな技術がいる。でもタイトルはなんだろ?逆に不快なシーンしかない映画ってのも難しいでしょうけどね。「ビジターQ」とかそうかな
それが感想の全てで評価が他にないなら、そいつと映画の話は二度としないと思うがそうじゃないんでしょ。
減点要素がないことは悪いことではないが、減点がないだけで加点もない0点映画みたいなの増えたなとは思うよ。白雪姫みたいな、思考停止で善行チェックリスト通しただけの虚無映画とか
ホラー、スプラッター、鬱展開、何でもOKだけど、子供と犬が悲しいことになる話はダメ
ペーソスのある話の方が好み
時代考証が必要な類の映画から喫煙シーンを外すのだけはやめてほしい。
そういうとこが良いって映画もあって良いと思うけど / 別の話だけど、私が観てて不快に感じるのって、キャラがストーリー回すためだけに愚かな行為させられてると感じる時だな
まぁ邦画「ミュージアム」みたいな胸糞映画ってあるからなw。そういうのがイヤだと言っても所詮は個人の感想。例えSNSで表明しても、世の中への影響力は微々たるものだから気にすることもないでしょう。
レッドルームから解放されたその後のタスクマスター…みたいな展開はもうちょい観たかったけどドゥームズデイのキャスト発表ですでに結末知ってたようなもんだから残念。
ポリコレみたいに公的に価値がある、みたいな文脈で言わなければ別に。
「感想」ならそれでもいいけど「レビュー」面をするなよとは思う
どういう種類の映画かにもよるよなあ。「不快なシーンが一つもない」ことがとてもよい作品であることに直結するジャンルもあると思うよ。/「原則基準」って書いてるので、分かって言ってると思うけど。
ダンサー・イン・ザ・ダークとか許されないのかな
エンタメなのか体験なのかでも違う。/「不快なシーンな一つもない」という評価は「そもそも何も映っていない場合」に適用可能なんだよな(笑)
快と不快ってよくよく見つめると仕分け難しいよね…でも強烈に不快なものがあるとそれだけで映画全体を否定したくなるような気持ちもわかるし、とりあえず自分の感性とか批評眼はけっこう幼いんだと再認識した
問題にするかどうかはサンプル数による
映画みててこのシーンは不快だって思った事が一度もないのでみんなが何話してるのかいまいち理解できない。個人的トラウマが想起されるシーンとかはあるけど不快だとは思わないし。