淫夢ネタで笑うくらいならバラエティ番組で笑ってたほうがまだマシ
自分もお笑い芸人のコンテンツはほぼ見ない。大声で大袈裟に話す人が苦手で、多くのお笑い芸人からその傾向を感じ取ってしまうからかもしれない。
私は逆に、ネットで賑わす淫夢ネタが1ミリたりとも面白く感じないので……当然ながら育ってる土壌が違えばお笑いへの感性が異なるのも、むべなき事かと
相互理解のためというならもう少し詳しく。お笑い以外の創作物、ドラマや映画、演劇、小説にも、作為の通りには感情移入できないということだろうか。音楽も絵画も創作物だが、それも駄目なのだろうか。
ALISONは脳の快楽回路が焼き切れているからでは。
お笑い芸人=テレビ、と一面的な捉え方になっている。売れっ子の芸人でも単独ライブ等では「これで笑っていいのかな?」と思いながら笑ってしまう共犯者になった気持ちになるネタをやっている人もいるので。
淫夢は面白いが淫夢ネタはつまらないということなら理解できなくもない。ミーム化した淫夢ネタなんて漫才よりよっぽど予定調和で作為的な内輪ネタだろう。
これのポジティブ?なパターンだと、昔のテレビでやってたホームビデオのハプニング集みたいなやつが該当するのかな
道化、笑われる、笑わせる
M-1(や他の類似コンテスト)も淫夢も興味ないです。でも映画館では声をあげて笑うことはあります
拙者は…自身が「笑わせるのは好きだが、笑われるのは嫌い」なので、逆に "笑わせる意図がない人" のことを見て心の底から笑うことはできないタイプの忍者。笑っちゃ悪いのかも…が常にチラつく。十人十色にんにん
音楽ライブのMCでオチの瞬間にドラムが鳴るとお笑いバラエティの笑い声SEを思い出して笑いが引っ込みそうになる そもそも台本ありきだろうし
ALISONをはてブで見る日が来るとは。ヤクやめれてる?
人それぞれ。
M-1とかって、女・子供向けと思う。そして、淫夢は淫夢厨(男・おっさん)が笑うように制作されている。起源は露悪的なコンテンツかもしれないけど、今は内輪乗りの世界だと思いますね。
フリップ芸みたいないかにも準備しました臭が高まると面白くなくなるのはある
漫才はライブで見て以降笑えるようになったかな。
日本のお笑いは低俗すぎるからな。アメリカのお笑いも低俗なものはあるけど、スマートなものもかなりある。日本のお笑いは9.9割が低俗。一発ギャグとかその最たる例だわな。
そんな難しい話より、単純に面白くないから見ないかなー 意味不明なネタは「それどういう意味なの?」と考えてしまう
コントや漫才みたいな「用意されたもの」って声の調子が明らかに会話と違うのでその時点で白ける。ラジオやポッドキャストのトークしか聞かない。そこでの会話が面白い芸人というのは本当に限られる。
しゅんき氏かと思ったら別人だった
維新憎ければ吉本まで憎し、吉本憎ければお笑い芸人まで憎し。この風潮を広めて行きたい。
供給過多で、好き嫌いとか関係なく、芸人自体を見たい気分にならない
自分の笑いのツボと時代がズレてるだけ
見いだして能動的に笑うのは皆チャップリンの昔からやっているのでは?ひょうきん族→大泉洋とマスコミでもニッチになってきた。今は推しのvtuberや淫夢厨とどんどんニッチになり外からは全く面白くなく感じたりする
話芸におけるツッコミは、作られたボケへの解説であり、観衆の心の声の(より高度な)代弁によって面白さを増すが、特にボケてない人を嗤うのは、演者としては本意ではないだろうな… とは思う。
妻もお笑い番組で笑ってるのを一度も見たことない(というか見るのも子供達に連れられて)けど、別にこの人の考察には全然当てはまりません。
“作後の喝采などどうでもよいという姿勢がハッキリしてるほうが笑える”この辺は企業がウケ狙いで往年の匿名掲示板ネタ出してくるとシラケる空気に通じるものがあるのかな
意図せずかつ他人を見下げる例しか出てないけど、例えば赤ちゃんがガラガラを振って音が出るのに気づいて何度も振るみたいなのはどうなんだろう?でも幼稚園のおゆうぎ会で一生懸命な子供を笑ったらダメだよね
最近のお笑いタレントは、私もですがよく知らないから笑えないんじゃないでしょうか。そのネットミームは古典芸能みたいなもので、長年熟成されて、キャラやお約束ネタが確立しているから面白いんだと思います。
はてブにもお笑い芸人を敵視してるタイプが多いけど「世俗なユーモアを解さないオレカッケー」感が溢れていてキショいんよな。実際はNot for meができない愚か者でしかないのにね。
M-1は初回から全てリアルタイムで見ていて普段劇場にも通い毎週楽しみにしているバラエティ番組が何本もある俺は確かに作為性のあるものが好きで、映画とかも俳優や監督・脚本家を事前に調べた方が楽しめるな
馬鹿にした笑いだろうから、昔のテレビとは相性良いよね。働くおっさんとかさ。まあ差別的というか、嘲笑でしょう。インターネット的とかいってるけど、古い感覚だと思う。
単にテレビ見てないからじゃないかな?
笑いとは意外性であって、自分の予測していた展開とずれが生じる(かつそれが不快でない)ときに起きるものだと思っている。テレビでやっている「お笑い」は自分の想像を超えるほどの展開にはならないので面白くない。
関係ないけど Mr. Bean 見てると「本当に知恵が足りなくて奇矯な振る舞いをする人を笑えるか」ということを考えたりはする(そう思うとローワン・アトキンソンを笑うことこそが倫理なのかもしれない云々)
最近のお笑い芸人は面白いのおらんから笑えないというのはわかるが、笑点で笑えるならソッチ側だろ。用意されてるじゃん
たけしが言うところの「笑われるのではなく笑わせろ」がまさしくこういう話で、プロの芸人はミーム的に消費されたら負けなのよね
M-1とか今のお笑い文脈が上がり過ぎてる感じがして、サンドイッチマンが優勝した時それが下がるかと思ったけどそんなことはなくて、やっぱり皆、頭が良いお笑いやりたいんだろうな
昨日もR1番組内で「おもろいとすごいが両方ぐわーっと伸びてきて、後半すごいが勝ったので、点数が低くなった」って感じに言ってて、「??????」となった。 落語を求めつつ落語じゃダメってことらしい。難解。
淫夢ネタもお笑い芸人もさっぱり笑えない。感性がドリフで止まってるが、人それぞれだと思ってはいる。お笑い芸人の話題が必須と言われると困る。
お笑い評論家が大量にいると、漫才もコントも見る気をなくす。「本来くだらない」はずのお笑いはテキストで分析評論されて「権威化、天才化」されると非常につまらなくなる。さらにグランプリで競技化もしてる
お笑いはプロの作り物で普通に笑うけど、格闘系はプロスポーツよりネットにある素人喧嘩動画の方が好き。
面白さの性質に意図的とそうでないのがあるのはわかるけど、そこの好みが“生来の傾向”かというと、そうでも無いかと。お笑いもハマるにはそれなりに触れてコンテクスト得る必要がある。別にハマらなくて良いけど。
「⚪︎⚪︎のよさがわからない」系の言説って、相互理解の必要性があるだろうか。「好きじゃない人間がいる」ことを発信することで好きな人向けのコンテンツを規制したい?ツイフェミみたいじゃないか。
「人気の〇〇、おれはぜんぜんおもしろいと思えない」とわざわざ声高らかに言う人は、それを言う自分が高尚だと思ってるフシがある。自分の感性が鈍くなっている可能性については考えもしないのだろう。
“笑わせようとした瞬間にそれは笑えなくなる”これは漫才師側もそう思っていて、ネタがネタに見えないようにするのが話芸でしょ。M-1はM-1に最適化された漫才の形というだけ。
いいなー 羨ましい
そのわりには寒い芸人のパクリアニメのパクリドラマのパクリみたいな動画が大半じゃん。淫夢というフィルターを通さないと笑えない(そんな俺って特別感あるよね)ってだけ
薬物で麻痺してんじゃないの
芸歴浅いと笑わせようと焦って力む。すると笑いは起きづらくなる。「笑わない人」はわずかの力みでも笑えなくなるのかもしれない。
私自身の感じ方で言うと「作為の有無」よりも、笑いの中に「共感/一体感の押し付け」が混じる物だと笑えない。個人の「くすりとする感情」はあくまで個人の感じ方が起点になる物だと思う。
わかる。意図したギャグアニメよりチャージマン研のほうが笑える人も多いのでは。
自分はこの人に近い。芸人で1番面白いのはザコシとくっきーで、「シュシュっとご苦労さん」だけめっちゃ面白い。令和ロマン、さや香は「人前にお出しできる笑い」という感じ
アフィブログが「いかがでしたか?」と問うてくる違和感に近いのかもと思った
やっぱ笑いには雰囲気が大切で、前提としてそれを共有してないと笑えない。
淫夢自体はおもしろいと思わないけどそれが中国全土まで広がってるような状態が興味深い
冒頭だけ読んで、まぁそういう人もいるよね。と思ってブコメ見たら淫夢は面白い。みたいな話らしくてびっくりした。
本来は人がライブで演じているから、一度現場で観たらまた印象が違うかも?
プロレスとボクシングの違いみたいなものだろうか。とはいえそのロジックだと映画や演劇全般がダメにならない?
笑わないではなく笑えないだろう。
プロのセックスより素人の粗いセックスのほうが抜けるって話だろう。
興味深い。発想の笑いが好きではなく、優越感と仲間意識の笑いが好きってことなのかも。
マンガやアニメのギャグとかコメディも白けて笑えないんだろうか?それとも三次元だけ?もし二次元を楽しめてるなら、作為の有無ではない別のラインがある気がする
「『笑わされる』のが嫌い」もいうプライドの高さも、「『笑われる人』を嘲笑するのが好き」という品のなさも、正直自分からすると嫌悪の対象かな
まじめな人間の一生懸命な姿や他人の失敗を面白がっちゃうタイプの人ってなんかマジでシンプルに人間のカスだと思うよ
昔のちびまる子ちゃんも、明確に当人は笑わせる気も悪意もないのに大真面目に変なことをするのを笑う話だった。/ノンスタ石田の著書でも漫才は作為が見えたらハードルが上がると書いてあった。
結果として自然と笑ってしまうのであって無理矢理笑わせて欲しいわけではないという感覚は分かるし、最近のお笑い芸人の必死さにピエロが持つ潜在的悲哀みたいなものを感じることはある。
言わんとすることはわかる。だから台本とかあまり無さそうなお笑い芸人のラジオが面白い。お笑い芸人になる人は作為なくても面白いのよ。
お笑い芸人はつまらないと私も思うが、ここに書かれている記述が何もかすってない。ひとまとめにされてなんか不愉快な記事。
ALISON氏って麻薬関連のディープでドープな動画をニコニコによく上げていたALISON氏だよな。このアイコン見覚えあるや。こうやって普通に文章書いたりもするんだ。作品(動画)でしか語らない印象だったのでなんだか意外
フレンズみたいなシットコム系は自然な失敗を元にしてる感じがするけどこの人的にどうなんだろうか。漫才よりもコントの方がまだ笑えそう。アンジャッシュ系とか
意図的に笑わそうとしてる時点でハードル上がってるのはあるかも。私も昔はお笑い好きでライブ行ったりしてたけど、今はどんな人が流行ってるのかも知らない。笑いは動画やX、はてな等ネットで間に合ってるからかも
「コントを見ても心から笑うことはない」の直後に「なぜ漫才は笑えないのか」で笑ってしまった。
ミームの元に作為はないとしても、記事内で言及されてる派生のMADはウケを狙って生み出された産物ではないだろうか。
コントは笑えるけど、漫才では全然笑えない
お笑い芸人で心から笑えないことよりも、ここでいう「インターネット的ユーモア」で心から笑えることの方が不思議/おれは友達とくだらない話をしてる方が心から笑ってるな
日本だけでなく東アジアで淫夢が流行ってるのって、あの定型化され尽くしたやり取りでお互いに笑うのが東アジアのオタクのASD気質にかなり合致してるんだろうね 漫才やコントは陽キャ感を感じて無理なんだろう
お笑いは面白いかもしれないけど、お笑い界隈やお笑い業界が伸びても全然面白くないなという思いがある
いわゆる冷笑系にも通底する感覚という気がする。芸人で笑わないのも「みんなが笑うような最大公約数的な価値観から距離を置きたい」という動機が強くあるような。Welcome to Underground...
ALISONで草
お笑い芸人も色々なタイプがあるけど、芸人の大喜利が好き。瞬発力とか、うまさとか、勢いとか色々みれて、単純にすごい
ミームってむしろ作為の産物じゃん
“私はいわゆる淫夢厨のフォロワーが多いのだが、彼らがまったくM-1に関心を示していないことに気づき” これ本当にそういう傾向があるなら、かなり興味深いな
『背後にある“作為”が透けて見え』て笑えない感覚は理解するけど、素朴な人間の失敗は共感性羞恥発動するし淫夢ネタとかむしろ不快だからちょっと違うかな。最近だと悪役令嬢転生おじさんは結構笑えてる
別に漫才で笑わない人がおかしいとは思わないが、このロジックを自信満々に語る淫夢厨はなんかカテゴリとしては反知性主義に近くないか?と思った。うまく説明するのめんどくさいが。
笑いというのは文化的側面が強いのでどういう文化で育ってきたかで笑いのコードが千差万別になる。笑わせるのが難しい理由でもある。
芸人好きとしちゃのお笑いアレルギーの一般人が一番面白くないのに出しゃばるなと。あばれる君が撮影用ウンコの匂い嗅いで嗚咽する動画でも見ときなさいよhttps://www.youtube.com/watch?v=0ZyUrBAio5I&list=LL&index=65&t=614s
M1でも爆笑するし淫夢見ても笑える僕はお得ってこと?
何かの面白みを感じるには素養と教養が必要なのでどちらか、あるいは双方が欠けているということでしょう。
この文章は笑える
そんな人たちはメンバーさんのネタを見ると良い。誰も傷つけない老若男女を笑わせる最高のネタだと思う。
その人にとって許容されるもののなかで境界線ぎりぎりをついたものが笑えるみたいな話を聞いたことがあるけど例のアレがすきな人はその境界線が壊れてるからテレビで流せる内容では笑えないのではないかと思う
へぇ~、人間のお笑い、難しいんだにゃ~。ボクはゴロゴロ転がってるだけで笑ってもらえるのにゃ! もっと自由に、楽しく笑えばいいのににゃ!
笑いと嘲笑い
淫夢ネタを知らなかった!
アマレスやアマチュア格闘技が好きな人とプロレスが好きな人の違いに似ていますね。僕はプロレスのようにプロットのあるものが好きです
淫夢もM-1も笑わない人間です。どっちも他人馬鹿にしてるし、発達障害持ちで属性馬鹿にされること多いので、劣ってることを馬鹿にされてるの見るだけで辛い。
淫夢好きがM-1で笑えないって話から考察するなら、ネットミームは狙ってない笑いだから云々以前に「淫夢なんかで笑う奴は感性が狂ってる」って言われた方がよっぽど納得いく
ザコシでしか笑えない身体になってしまったよ
最近の M-1 はまさにこういう感じだね。笑えない。今おもしろいなーって思うのは、昔のお笑いか、動物系、ずっこけ系、ハプニング系、、、
シットコムにありがちなラフトラックのせいで笑えなくなる時あるなと思う。Mr.ビーンもそうだけど「ここで笑ってください」と誘導されるとハードルが上がる。
いい年して淫夢でキャッキャしてるやつらは幼稚で気持ち悪くただただ不快。語録を延々擦り続けても飽きないのはただのエコラリア
淫夢厨とか全然関心ないが、自分は昔からお笑いの何がおかしいのか全然理解できん😳 何か大爆笑した経験が1,2回あるのはあるが、何だったか全然覚えとらん😳 特に、相方や他人腐す内容だと気分悪くなる😳
泣かせようとする表現に白けて泣けないってことはある。
お笑い芸人を好んで見ようとは思わないが、日常生活において笑わないわけではない。自分の笑えるツボみたいなのを意識してみたい。
水ダウでも笑うし漫才やコントでも笑う。ついでに淫夢でも笑う。開口広くて損すること無いぞ。
全員集合とひょうきん族はどちらも作為バリバリだったのであるがドリフは笑えて漫才師たちは笑えなかった
一方通行であってほしい、与えられたくない、と言いながらMAD職人の作ったものを笑っているということ?完全に論が破綻してるだろ。
元のビデオ見て笑うならそうかもしれないけど、そこから派生したものは全部笑わせようと思ってネタで言ってるよね?
笑ってるけど本心かといえばわからない ジャンル問わず創作活動をしている人が好きなので、芸人のコントや漫才には感心しちゃう部分が大きいかも
お笑いも淫夢ミームも面白く無いし不快で見れないから辛い
心から笑うとは案件
小学生の笑いってそんな感じ。身近なものが大事。
笑いは色んな種類があるので、それぞれ刺さったり刺さらなかったりするのは当たり前。僕は幼少期から言葉遊び系が一番面白くて、精神性は成長していない/だからダジャレに出会えるはてブを続けているのかもしれない
こういう人、自分が真面目にしてることを笑われると怒り出すから単に性格が悪いんだと思う
M-1もあまり見なくなってきたが何か知らん奴出てきたと思ってると笑えない。心が受け入れる体勢だと笑える。ネットミームの多くは嗤うという方が多いよな。これは受け入れ体勢とは関係ないものだろうね
TVには「笑い」「娯楽」を区別・意識してほしいと常々思っている。笑いも苦痛や悲しみの中にいる人の助けになったりもするので否定はしないけど、TVは情報番組、talk番組、すぐ笑いに持ち込むdirectorや芸人が多過ぎる
FF15のカップヌードルENDは人生で一番の衝撃だった。あれは間違いなく意図して作られた笑いのコンテンツではなかった。
令和ロマンのように、人が笑うメカニズムを研究し尽くして周到に設計したものよりは、狩野さんが如意棒で電球を割った時のほうが笑える、的な話なら分かる(志向は理解できる)けれど、それともちょっと違うのかな。
ドリフ世代なのでつくりこまれた笑いも爆笑するしネットミーム的なモノも笑える。ひょうきん族もとんねるずも笑ってたしダウンタウンも「ごっつ」とかメッチャ笑ってたし。淫夢ってのはよく目にするが興味が湧かん。
大麻兄貴まだ生きてたんだ13年ぶりに見たわ、キメてんだろ?/https://www.nicovideo.jp/watch/sm14562071こんな淫夢mad作ってたヤク中の戯言なんか真に受けんなよお前ら
淫夢ネタは極論として置いといて猫ミームとか現場猫とかそういうミームとか全般下に見てそうな文章 お笑いってそんな高尚なものなのか お笑い芸人は別になんとも思ってないです。
趣味趣向の問題
リアクション芸が好きなんだけど、いじめの影響でもうないのが辛い
作られた「ボケ」が苦手なのかな。ネットミームも「写真で一言」や「アイドルの天然ボケに突っ込むテレビ芸」と同種だから作為性や巧拙はあるんだが
笑いって観客側はある程度コンテクストの中に組み込まれてる前提は必要だと思う。
人の失敗を笑いたいを公言するのすごいな
刺さるわ〜でもちょっと違う気もするな。お笑い芸人の有田哲平が「この世で一番面白いのは内輪ネタ」って言ってたけど、淫夢は内輪ネタとして楽しまれてるのが一番大きいのでは?そういう面ではお笑いにも通じてる。
漫才などのお笑いは「“我々”とは違う愚者」を演じ笑いを取ろうという芸人と観客の共同作業というようなことを感じて子供のころから好まなかった。淫夢厨というのはいま初めて知ったがほとんど同じ穴の狢なのでは?
笑いのツボが違うって話だった。自分はショーレースの時に審査員視点で見るクセがついてしまって面白いと思っても中々笑えなくなってしまった。
主流のものが笑えないのは残念でしたね。後、お笑い全般に興味が薄い人もたくさんいるからね。
難しいことを考えずに面白ければ笑えばいいのに。理由なんかいらないでしょ。人の目を気にしすぎだと思う。
この指摘は本質を突いている。コントは言うまでもなく演技だし、漫才も演技なのだ(ナイツ塙やノンスタ石田も著書で書いている)。いかに演技に見せないかが漫才の技術なので、前提に酔えなければ笑えるわけがない
ネットミームに汚染されている層がテレビ見てないってだけでは。お笑い芸人のネタでもネットでバズったら面白がって使うと思うよ。「生きとったんかワレ」とかガキ使だけど好んで使うでしょ?
根っ子は「フィクションを楽しめない人たち」の話に近いのかなと思った
ホラー映画を、内容ではなく演出方法に着目して見るとあまり怖くない、と言われているみたいなものかな
M-1て最初はともかく段々権威になってきて、プロのお笑いに序列をつけるってさ…的な感じはしている。お笑いはリラックスしたものであってほしい。その意味で市井の人の方が“面白い”のはわかる
お笑いはメリトクラシーだからね。高い能力を誇示する大会で笑うのかということ
笑いは心の平衡が崩れた時に起こるものなので、心の平衡が崩れるネタは十人十色だわのう。
内輪受けは、下品で眉を顰められるような内容であるほど蜜の味でしょうね、という感想/あの手の彼らの一部がアノンに親和性が高そうなのがなんでかなと思ってたが「不謹慎な内輪受け」でくくると理解が深まる
淫夢の原典でしか笑わないってこと?たまげた原理主義者だなあ…
お笑いで笑わないのとは関係ない気もする。
コントも漫才も一緒くたにしたような雑記事。
キメねこの人だ
共感性羞恥がどっちで働くかみたいな話で淫夢ネタで盛り上がってるオタク見てる時に俺は恥ずかしくなるのでいろいろ人それぞれ。
芸としての笑い話は、客の側も笑う意気込みを持って聞いていて、独特な関係性よね。日常のハプニングとして現れる面白さとは確かに別物かもしれない
それでも私は素人モノAVが大好きです
陽キャの笑いだから。ネットミームも馴れ合いが進むほど陽キャに寄っていく。
それ「冷笑主義」って名前ついてるぞ。
「作為を感じると楽しめない」というのはまぁ分かる。スターウォーズやハリーポッターが楽しめない人に近い気がする。空想力・共感力・不要な情報のフィルタリング能力などが関係ありそう。面白いテーマ。
スポーツとか「他人を応援する気持ちが解らない」と言ってる人が他の分野で推し活してたとかありそうな話だし、結局お笑い自体が嫌いなだけじゃないんか?自分も嫌いな芸人では笑えないし
錦鯉・長谷川の漫才中の天然ボケが一番面白いよ。計算されてない笑い。イロモネアとか最高だった。 https://tver.jp/episodes/epu1j1bvo1
ユーモアって、多かれ少なかれウケを狙って発するものだと思うのだが。。。 ウケ狙いじゃないなら天然ボケでは?
面白いと思うのが少なくてあんまり見ないな。笑わせてるっつーかおどけてるだけでお笑い要素を感じない
トランプ関係で自分が爆笑できるネタがいろいろ思いつくけど、テレビで放映できる感じはしないなー
以前から言ってるが、笑いには優越感、他人を嘲笑える強者としての連帯感を示す「共犯者の笑い」と、脳の回路がバグることで緩む「知性の笑い」がある。筆者の笑いは前者に偏っており、これは差別憎悪の笑いでもある
「与えられるものではなく、こちらから能動的に“見いだす”べきもの」というのはアイドルの「かわいい」とかにも感じるな。今はかわいいが供給元から過剰供給されすぎていて逆に醒める。こちらから見出したい。
それでしか笑えないは怖いことだな。そういう人も多い…ってことですね?としたら、この時代が嫌いだな。1つの意見把握。■漫才は作品だ。漫才は構えの前提ぶっ壊す作業実際大事。あと最近の漫才は嘲笑系多い。無理
「笑わされる」=内面の常識や価値観を揺さぶらされるのがイヤって保守的心情よね。むしろ自分の内面が安全であることの「快」を「おもしろい」と感じてる。でも自分の常識が壊されるのが楽しいって人もいる。
「捻り」が無ければ、心底から笑えないっての。
アスペなだけでは/淫夢厨はテレビ見てないか、見てると言わないだけでは
自分もこの感覚がよく分かる。淫夢厨ではないが通底するものがあるというか、嘲笑的というか裏笑いみたいなのでしか心から笑えないんだよな。テレビのお笑いは上手いな〜、とはなるが笑いはしない。
フィクションで強く感情移入せず引いた目で見る人居るという話の類いかな。意図しないものを笑うことがいじめ的な笑いにつながってるというのは、なるほど興味深い意見だと思う
昔からお笑い芸人を楽しいと思えたことがなくて苦痛でさえあったがその背景までは考えたことないなー。落語とかは好きなんだけど、謎
M1はなー。笑いに権威付けをしようとしている、演者側もそこにプライドを見出している時点で、そうじゃないだろと思ってしまう。笑いに限らずやりたくてやってる以上の余計なものはなくていい。
「芸人で笑ったことない」とか言いながらネットミームに走るやつはひねくれてるだけだよ。「初カキコ…ども…」のやつと精神性の根っこは同じ。作為で冷めるんならMADが一番冷める筈だもの。逆張りしたいだけなのよ。
素人の持つ破壊力を評価していた欽ちゃんに誰も言及していない。時代の移り変わりを感じる。
M1は好きだけど実際ただのメリトクラシー鑑賞会で、爆笑しながらすごく冷めた変な感情で見てる事はある。
お笑い芸人はこっちも最初から笑いたいと思って見てるから日常で偶然生まれた笑いとは別物でしょう。人は驚いた時も笑うので。ただ状況により笑ったら失礼かどうか瞬時に判断できない人はやばいと思う。
「漫才師って実はたまたま現場に来た二人が偶然話してるだけ」という思い込みをすれば笑えるんだよな。あと、全笑いは人類しか分からない内輪ネタで、視野が狭い人が内輪じゃないと思うだけ。もっと狭窄で愚かになれ
淫夢もコマンドーも元は製作サイドが真面目になってたものをネットの片隅で弄って遊んでたのがミームにまでなったもんだろ。ネットで遊ぶだけの玩具で良いのに、8/10の野獣の日で撮影地まで行くアホ共は最悪だよ
創作よりドキュメンタリーが面白いんだけど近いものはあるかもしれない
お笑い芸人で笑わないって言ってる人、鳥居みゆきなんかは好きだったりしないかな。僕はそう
落語・漫談は好きなんだけど、漫才などのお笑いや、ネットのミームみたいなのも、全体的にあんまりツボらないんだよな。傾向の違いみたいなのは気になる。きらら系の漫画は好きだし、たぶん日常に近いネタが好き。
何が面白いのかわからない率が高いが、単に親しんでないからだと思っている。アメリカンジョークで笑えるか
コメディアンが舞台上で周到に作り上げるその場限りで差別で笑う共犯的な空気というものはあるが、その代わりにインターネットの内輪の空気を内面化して差別で笑っているという感じに見える。節操ないのは嫌い。
予断が入ってるだけ。
たくまざるユーモア、偶然生まれた笑いが好きなのはわかる。オレはそれはそれこれはこれでネタも好き。淫夢は知らん/バラエティや教養番組にやたらとお笑い芸人を出してくるのはイヤ。食傷して久しい。
淫夢はゲイを見下し笑うイメージしかない。お笑いのKYな発言や行動、ギクシャクとした動きや、感覚のズレを笑うモノは理解ができないし、面白くない。上手く出来ない事を笑うのも辛い。私は笑われる側だと思っている
どっちでもクソほど笑ってる私は最強。おもろいもんはおもろい。
ダウンタウン松本もおじいちゃんとか犬みたいなの(作為の無い)が好きだと言ってたな
ネットミームになってる時点で作為の塊だろ
お笑いの笑いって芸術作品だなとは思う。 / 最近の笑いでツボったのは「はい確かに敷金1年分受け取りました」「はいはい1年分ね」「すみません1ヶ月……」「ふふふ1年www」 / 大別したら人の失敗ではあるんだけど
淫夢本編はクッキー☆が関連付けられる様に演技や展開のヤバさが真面目なのに過剰なのが本質であり、問題だらけのコンテンツだがゲイ蔑視と違うニュアンスもある。マンガだとへうげものがこれを丁寧にやってた。
ご長寿早押しクイズみたいな、素人が真面目にやる設計や想定されてないお笑いが発掘されて伝統や形式化するのあるよな。
相互理解とか言わずに、片方を面白がる才能が無いだけ。何かを面白がれる才能は無限に有ったほうがいい
笑わない芸人?滑稽極まりない、自己陶酔の塊なのだ。観客を無視した内輪の冗談、つまらない自己満足劇なのだ。
ホモではないがホモソなのでは?
作為性があると笑えないのは普遍的で、どこに作為性を感じるかが違うんだと思う。日常会話が少ない人は、流暢に漫談を交わしているだけでも不自然で作為性を感じる。逆にMAD動画を見ない人はMAD編集に作為性を感じる。
五代目小さんの226感あるから賞レースのお笑いはなんか違うな派/寄席行け寄席に
他人を笑わせようと周到に用意し舞台に立つ、その時点で背後にある“作為”が透けて見えシラけてしまい心から笑うことができない>ワイも茶番に見えてしまったら笑えない派
淫夢が云々は別として、お笑いが面白くないと思う理由としては共感できる。工業製品化エンタメだと感じるし、採点競技化してるから尚更。芸人のトークは面白いと感じることは多い。
むかしは漫才もコントも大好きだったけどM-1みたいのが始まってからまったく見たいと思わなくなった
自分、お笑いが苦手でたぶん観客含め集団が笑ってるのが恐怖に感じるみたい。普通のトークでみんながちょっと笑うのは好きなんだけどね
自分はそもそも会話に頼った笑いが理解できない。小説や漫画なら素直に笑えるんだが、人が言葉としてガーッと喋られても脳が処理できないので「凄くうるさい人」という認識しか残らない。TV番組の大半がそう。
>淫夢厨の大半は、本記事で説明したような「笑わせようとする意図の無さ」を面白がっている。もちろん、真面目な人を笑うことはイジメ的であり、不快感情を向けられるのも当然で、それゆえに社会的立場のある個人・
だからこそそれでも笑わせられる人は凄いってこと。そういう人減ってるかもしれないけど。フット後藤のマジ歌とかどうしても笑っちゃうもん。
要は笑いのセンスがないということか。センスがないのであれば無理して見なくてもいいのでは。
水曜日のダウンタウンのドッキリ系企画とかにも繋がるけど、つまり他人のセックスを笑う的なデリカシーの無さに振り切った笑いだよね。そりゃ好きと表明しただけでろくでもない奴扱いされる
「笑わせる意図がないものから笑いを見出した人の笑い」を楽しむ人なので本質的にコントと何ら変わらんのでは?笑いを見出す人には一定の才能はあると思うが。
ネットで見かける笑いは予測してないところに急に降ってくるから笑えることが多いけど(緩急的なやつ)お笑いみたいに「笑わせますよ!」って感じのフリがあるとハードルが上がってしまって中々笑えない...
あー最近だとなんかの大臣が「書いてない!書いてない!」って言ってる法律名そのものに書いたったのとかかな。あれ、おもしろかったよね
M1やR1芸人はおもろないけど、陰夢もおもろないし、陰夢で笑ってる人間はもっと寒いんだよ。なんなら、さだまさしとか南こうせつ、谷村新司の方がおもろいんだよ。
淫夢ネタで笑ってることを諭されると非常に不機嫌になる人がネットには多いが、そりゃ人生の半分以上を同じネタで笑ってるんだから自分の人生を否定されたようなものなんだものなと気の毒になる
淫夢みたいなのってまさに平成テレビお笑いのコアだったと思うけどね。外国語できるとお笑い観が多層になっていいよ。日本のお笑い文化は色々と変わっている。おそらくお笑いの本質ではないところで。
読もう!「神と使い捨てカイロ」
西の漫才が東のコントをテレビから駆逐したので今の「お笑い」を憎んでいる話かと思ったら違った。(なお賞レース以外の漫才は普通に笑います)
淫夢といってもALISONはそうとう過去の人だし 単に高齢化でM1見てないだけでは
拭き残しの多い窓から覗いた見解であると思う。
コントで笑ったことはあるけど漫才のフォーマットで笑った事がない。なのでM1では全く盛り上がらない
自分は苦味を美味いと感じないんだけど、そういうのと大差ない話なんじゃないかなあ。ただ自分は良いと思わない、だけで高尚な理由が最初からあったのかなあ。
商業BL読まない腐女子が狙った萌えにはハマれないというのと似たような感覚 最近の腐女子は好みに合えば出自は問わず楽しむほうが主流だけどね
人の特性ならしゃーないけど、演劇とか舞台とか音楽とか映画とか何も楽しめないのは辛そうやな
笑いたいけどわからんので"作為"や"偶然の失敗"系の何がどうだから笑えるのか?教えてほしく解説求めるけど機序の説明を理解できた例しがない。芸に関心することはわかる。でも笑うか?わからん
マインドと雰囲気があれば、居酒屋の馬鹿話や転がる箸でも笑える。笑うためにお笑い芸人を見る人と、何が面白いんだと思って眺める人とでは閾値が違うのは当然。作為性というより作り手と張り合っているのでは。
「私はいわゆる淫夢厨のフォロワーが多いのだが」解散。
天然物と養殖物
20年来のジャルジャルファンだがお笑い基本嫌い。漫才(特にツッコミ)は笑い所を押し付けてくる感じが、バラエティは大袈裟でホモソ的な身内感が寒い。淫夢の肝は馴れ合いと見下しでバラエティをもっと低俗にした物
言いたいことはわかる。自分は両方笑ってしまう
ギャグ漫画とかどうなんだろ
俺はM1みたいな賞になると笑えないおじさん。芸人の涙や想いとかいらんのです…。
笑えないものは笑えない。10~20年前のお笑いは笑えたが、近ごろのお笑いはちっとも面白くない、何なら不快感を覚えるネタが昔よりも増えた気がする
自分なりの閾値を超えた作為を感じると、(広義の)感動できないという話ではないかなあ。それなら誰でもそう
笑いも多様になったな。
痴漢プレイでは満足できない真性の痴漢みたいな感じか
私は大喜利的な笑いが好き。
「俺は好きじゃない」と言うだけでこの長さ/好き嫌い・快不快に理由なんぞ無い。こう言う馬鹿どもは、理論武装して何とかして自分の気に入らない物を貶したいだけだろう。そもそもつまらんと思う物を何故観る?
そもそもここ3-40年の日本人、いわゆる『お笑い(それもある種の「演技」じみたユーモア感覚』でしかコミュニケーションとれなくなってる。それがとうとう行き詰まりまできただけ(完全に自業自得
お笑いで笑うのって結構知識とか能力とか必要だからね(それが偉いというわけではなく)単にマンガ読むのが好きか漫画あまり面白く感じないとかそういう差だよね
落語はどうかな?漫才もそうだけど、テーマは人間の滑稽さなんだよね。そこを見れば笑えるよ。
所謂お笑いより何気ない風刺とか、言ってしまうとブリティッシュジョークみたいなのが好きなんだよな。性格悪い自覚はある。あと、ただの笑いより新しい知識を得られた時の方が「面白く」感じる。
私は淫夢も好きじゃないけど、お笑いも昔から苦手。「どうしてこうなった」的な笑いが好きすぎる。これって多分ネットで育ってるからだなとは思う
面白さの根幹にあるのは「なるほどね」だと思う。“こちらから能動的に“見いだす”べき” なんて小癪なこと言っているけど、要は自分が見下せないと笑えないって事でしょ?
それぞれ好きなもので笑えるって最高じゃん。いい時代だな〜。こんな時代は続かなそうな気がするので今のうちに楽しんでおこう
んー、笑うって難しいよね
私は吉本が作り出した笑いもネットで生えてくる笑いもアメリカのド直球差別ジョークもユダヤ人ジョークも好きですが、高価なツボ割っちゃう系のやつとかは笑えないかもですね
本文に関係ないけど、ユーモラスに振る舞う選択肢としてお笑い芸人をマネするか下ネタを言うかしかない小学生のままみたいな大人もまあまあ多いと思う。
笑うというより(ミーム元の得体の知れなさを)笑い飛ばす、って感覚に近いと思う。
この人が腹抱えて笑う物って、他の人から見たら何が面白いのか分からんのだろうな。めんどくせぇオタクと同じじゃね?|ワイはM-1も淫夢ネタも楽しく消費してる。頭の中は常に空っぽで、細かい事はあまり気にしない。
こんなもんで相互理解なんて不要だし、いちいち表明すんなとすら思う。自分の好きなものを勝手に楽しんでいれば良い。
これが笑えるかは微妙だけど、お笑い芸人は基本的に笑えない。最近だと松本人志の件とかあったし、テレビも見ないので、お笑いが好きな人とは付き合えない。笑えるのが当たり前と思ってる人は友達も無理。
本文にもある通り淫夢を笑うのはマイノリティーイジメになるから良くないんだが、それはそうとトップコメは書いてあることを無視して自説と結び付けてる。
人は慣れるとつまらなくなる。年齢や経験によって笑えるものが変わっていく。ただそれだけのこと。あんまり断言すると後で恥ずかしくなるよん
これは逆で、お笑い芸人がそういう人たちを笑わせないようにしてるんだよ。淫夢厨がM-1で笑わないんじゃなくて、M-1が淫夢厨を笑わせないようにしてるの。そういう人を選ぶ大会なんだよあれは。
国民的スポーツと云われてる野球を嫌いな人間もいるように、万人に好かれるモノなぞ存在しないと理解するのが自他の境界線を知る第一歩。必要なのは相互理解ではなく、自他は異なるものという当たり前の認知。
草で逮捕され人権侵害コンテンツで盛り上がってる人間としてドクズがあんだって?お前は他人のことを言える立場でも無ければ見下せる立場ではない
ホラーも用意されたお話じゃ全然意味ないよな
笑えるネタとジョークは通じる範囲が狭いほどダークに笑える、と思ってます
同じ理由でホラー映画然としたホラー映画も怖くない。笑いでもホラーでも「不意打ち」して欲しい…
お笑い芸人とひとことでいっても芸種や個性など色んなタイプがいる。お笑いというジャンルも内輪ノリの一種である。かつてテレビのお笑いバラエティは最大公約数の内輪ノリだった。それだけ
コレって、オールドメディアの作為に惑わされない!!ネットでの本当の生の声はコレだ!!という兵庫県の知事選で起きたノリに近い気がするのだが大丈夫なのだろうか……
笑いってのは文脈の逸脱だと何かで読んだことがあり、自分はその説をとっている。ある意味で漫才やコントも酷く文脈的で文脈に乗らなければ逸脱もなく、笑いは取れないということではないか?
"淫夢厨"の話。はてなーと同じタイプかな。他人を馬鹿にしたり見下してるときだけ笑うタイプ。
昔はM-1等も見てたけど、「第七世代」とか言い出した頃から(もうちょっと前かも?)お笑い芸人に対する興味が遠のいたって人も、そこそこいる気がする。
どちららが子供に見せられるか?と言ったらM-1だし、どちらが仲間内で盛り上がれるか?と言ったらこっちかな。どっちの笑いでも笑える豊かさが有ればいい。「そっちは笑えないアピール」は最もナンセンス&偉そう。
ここまでではないけど笑わせようと思って作られたものであまり笑えないタチなので言いたい事は分かる。だからこそお笑い芸人は本当に尊敬してる
最近の漫才はM-1とか、ハイコンテクスト化しちゃってる感じが面白くない。「審査員や解ってる人」にむけてやってる感が、解ってない自分にはキツイ。嫁さんの実家行った時に観て、付き合いで笑うのがここ数年の習慣
M-1みたいに純粋なお笑いはなんか理屈っぽくなってきて、最近は苦手だな。ドッキリやモノマネみたいなシンプルなやつの方が笑えるようになってきた。
作為的な笑いは遠慮なく笑えるけどそうでないものは「笑っていいのかどうか」のラインが常に揺れ動くのでその微妙な迷いと緊張感がまた良いのかもしれない。
うーん、シンプルに身内で楽しめるおもちゃにできるかどうかな気がする。漫才やお笑いのお約束って演者側で完成させてしまってるからおもちゃにしづらいんだよなぁ。あと「草」とか言いながら笑ってないでしょ。
あんま関係ないところだけどお笑い批評の落語化ってところわかるなあ
「ネット民」なんて、すでにデジタルネイティブ(インターネットのほうが社会の中心になった現在)以前の遺物なのに、「俺たちはーなんとかでー」と主張せずにはいられないところに、人生の悲しみがある
違うよ。全然違うよ。ただ面白くないからだよ。
チャップリンとかミスタービーンとかに対してはどう思うんだろう
淫夢は笑わないけど、言ってることは分かる。奇跡(絶妙なタイミングで奇跡的な一瞬が成立する)みたいなのは確かにネット的笑いという感じではある。しかし貶める笑いはどうにかならないかな…
淫夢ネタも素人ネットミームもなんならゆっくり劇場も嫌いな人もいる(私)。そう言うことは別に他人に伝える必要はないから心に留めたまま只々M-1観て笑ってるよ。
俺は笑いの多くの部分が「"一般的"からのズレ」「差別」であることを認識しているので、それが創作・ネタであることで安心して笑える。日常ではそうはいかない
淫夢ってよくネットで面白がってるコメント見かけるけど謎だったんだよな。ゲイに興味ない大半の人は面白がるも何もそもそも見ない気がするんだが。それで同性愛者を嘲笑ってるってことだったの?
「ネット民」は主語が大き過ぎるな。「M-1を見るネット民」も相当多いだろ。
「笑いは差別」なんじゃなくて、「差別的な嘲笑しかできない非人間的な奴ら」が淫夢厨なんじゃないのかな。差別的でない笑いのほうがジャンルは広いのよ
M1も見なけりゃソレも見ない俺の勝ちってコトで良い?
よい視点だ
肩の力抜いて見るのが楽しいのに客に肩の力入れさせようとする賞レースが俺は死ぬほど嫌いなだけでお笑いは嫌いじゃないからちょい違うな
流石にくくりが広すぎて論が雑雑ゥと思った。
他の勢力、文化へのマウント的嘲笑かな。文化的衝突の先端。しかも、同じ場に居たら笑えみたいな同調圧力が強い傾向に思うので、それはそれで気持ちが悪いな。と思ったり。
能動的笑いにはより普遍性があるが、受動的笑いはその人のセンス等に強く依存する
用意されたユーモアは私の想定の範囲内に留まり意外性を感じないってことかな
「サスペンスドラマを見るのが嫌い。本物のスナッフフィルムが見たい」と言ってること変わらんがな。自分は逆に緻密な計算で作られた笑いが好きだよ。他者をあざ笑う差別からの脱却を目指す意志があるのなら特に
「笑いものにする」のが好きな人たち
お笑い芸人で笑わない人たち|ALISON
淫夢ネタで笑うくらいならバラエティ番組で笑ってたほうがまだマシ
自分もお笑い芸人のコンテンツはほぼ見ない。大声で大袈裟に話す人が苦手で、多くのお笑い芸人からその傾向を感じ取ってしまうからかもしれない。
私は逆に、ネットで賑わす淫夢ネタが1ミリたりとも面白く感じないので……当然ながら育ってる土壌が違えばお笑いへの感性が異なるのも、むべなき事かと
相互理解のためというならもう少し詳しく。お笑い以外の創作物、ドラマや映画、演劇、小説にも、作為の通りには感情移入できないということだろうか。音楽も絵画も創作物だが、それも駄目なのだろうか。
ALISONは脳の快楽回路が焼き切れているからでは。
お笑い芸人=テレビ、と一面的な捉え方になっている。売れっ子の芸人でも単独ライブ等では「これで笑っていいのかな?」と思いながら笑ってしまう共犯者になった気持ちになるネタをやっている人もいるので。
淫夢は面白いが淫夢ネタはつまらないということなら理解できなくもない。ミーム化した淫夢ネタなんて漫才よりよっぽど予定調和で作為的な内輪ネタだろう。
これのポジティブ?なパターンだと、昔のテレビでやってたホームビデオのハプニング集みたいなやつが該当するのかな
道化、笑われる、笑わせる
M-1(や他の類似コンテスト)も淫夢も興味ないです。でも映画館では声をあげて笑うことはあります
拙者は…自身が「笑わせるのは好きだが、笑われるのは嫌い」なので、逆に "笑わせる意図がない人" のことを見て心の底から笑うことはできないタイプの忍者。笑っちゃ悪いのかも…が常にチラつく。十人十色にんにん
音楽ライブのMCでオチの瞬間にドラムが鳴るとお笑いバラエティの笑い声SEを思い出して笑いが引っ込みそうになる そもそも台本ありきだろうし
ALISONをはてブで見る日が来るとは。ヤクやめれてる?
人それぞれ。
M-1とかって、女・子供向けと思う。そして、淫夢は淫夢厨(男・おっさん)が笑うように制作されている。起源は露悪的なコンテンツかもしれないけど、今は内輪乗りの世界だと思いますね。
フリップ芸みたいないかにも準備しました臭が高まると面白くなくなるのはある
漫才はライブで見て以降笑えるようになったかな。
日本のお笑いは低俗すぎるからな。アメリカのお笑いも低俗なものはあるけど、スマートなものもかなりある。日本のお笑いは9.9割が低俗。一発ギャグとかその最たる例だわな。
そんな難しい話より、単純に面白くないから見ないかなー 意味不明なネタは「それどういう意味なの?」と考えてしまう
コントや漫才みたいな「用意されたもの」って声の調子が明らかに会話と違うのでその時点で白ける。ラジオやポッドキャストのトークしか聞かない。そこでの会話が面白い芸人というのは本当に限られる。
しゅんき氏かと思ったら別人だった
維新憎ければ吉本まで憎し、吉本憎ければお笑い芸人まで憎し。この風潮を広めて行きたい。
供給過多で、好き嫌いとか関係なく、芸人自体を見たい気分にならない
自分の笑いのツボと時代がズレてるだけ
見いだして能動的に笑うのは皆チャップリンの昔からやっているのでは?ひょうきん族→大泉洋とマスコミでもニッチになってきた。今は推しのvtuberや淫夢厨とどんどんニッチになり外からは全く面白くなく感じたりする
話芸におけるツッコミは、作られたボケへの解説であり、観衆の心の声の(より高度な)代弁によって面白さを増すが、特にボケてない人を嗤うのは、演者としては本意ではないだろうな… とは思う。
妻もお笑い番組で笑ってるのを一度も見たことない(というか見るのも子供達に連れられて)けど、別にこの人の考察には全然当てはまりません。
“作後の喝采などどうでもよいという姿勢がハッキリしてるほうが笑える”この辺は企業がウケ狙いで往年の匿名掲示板ネタ出してくるとシラケる空気に通じるものがあるのかな
意図せずかつ他人を見下げる例しか出てないけど、例えば赤ちゃんがガラガラを振って音が出るのに気づいて何度も振るみたいなのはどうなんだろう?でも幼稚園のおゆうぎ会で一生懸命な子供を笑ったらダメだよね
最近のお笑いタレントは、私もですがよく知らないから笑えないんじゃないでしょうか。そのネットミームは古典芸能みたいなもので、長年熟成されて、キャラやお約束ネタが確立しているから面白いんだと思います。
はてブにもお笑い芸人を敵視してるタイプが多いけど「世俗なユーモアを解さないオレカッケー」感が溢れていてキショいんよな。実際はNot for meができない愚か者でしかないのにね。
M-1は初回から全てリアルタイムで見ていて普段劇場にも通い毎週楽しみにしているバラエティ番組が何本もある俺は確かに作為性のあるものが好きで、映画とかも俳優や監督・脚本家を事前に調べた方が楽しめるな
馬鹿にした笑いだろうから、昔のテレビとは相性良いよね。働くおっさんとかさ。まあ差別的というか、嘲笑でしょう。インターネット的とかいってるけど、古い感覚だと思う。
単にテレビ見てないからじゃないかな?
笑いとは意外性であって、自分の予測していた展開とずれが生じる(かつそれが不快でない)ときに起きるものだと思っている。テレビでやっている「お笑い」は自分の想像を超えるほどの展開にはならないので面白くない。
関係ないけど Mr. Bean 見てると「本当に知恵が足りなくて奇矯な振る舞いをする人を笑えるか」ということを考えたりはする(そう思うとローワン・アトキンソンを笑うことこそが倫理なのかもしれない云々)
最近のお笑い芸人は面白いのおらんから笑えないというのはわかるが、笑点で笑えるならソッチ側だろ。用意されてるじゃん
たけしが言うところの「笑われるのではなく笑わせろ」がまさしくこういう話で、プロの芸人はミーム的に消費されたら負けなのよね
M-1とか今のお笑い文脈が上がり過ぎてる感じがして、サンドイッチマンが優勝した時それが下がるかと思ったけどそんなことはなくて、やっぱり皆、頭が良いお笑いやりたいんだろうな
昨日もR1番組内で「おもろいとすごいが両方ぐわーっと伸びてきて、後半すごいが勝ったので、点数が低くなった」って感じに言ってて、「??????」となった。 落語を求めつつ落語じゃダメってことらしい。難解。
淫夢ネタもお笑い芸人もさっぱり笑えない。感性がドリフで止まってるが、人それぞれだと思ってはいる。お笑い芸人の話題が必須と言われると困る。
お笑い評論家が大量にいると、漫才もコントも見る気をなくす。「本来くだらない」はずのお笑いはテキストで分析評論されて「権威化、天才化」されると非常につまらなくなる。さらにグランプリで競技化もしてる
お笑いはプロの作り物で普通に笑うけど、格闘系はプロスポーツよりネットにある素人喧嘩動画の方が好き。
面白さの性質に意図的とそうでないのがあるのはわかるけど、そこの好みが“生来の傾向”かというと、そうでも無いかと。お笑いもハマるにはそれなりに触れてコンテクスト得る必要がある。別にハマらなくて良いけど。
「⚪︎⚪︎のよさがわからない」系の言説って、相互理解の必要性があるだろうか。「好きじゃない人間がいる」ことを発信することで好きな人向けのコンテンツを規制したい?ツイフェミみたいじゃないか。
「人気の〇〇、おれはぜんぜんおもしろいと思えない」とわざわざ声高らかに言う人は、それを言う自分が高尚だと思ってるフシがある。自分の感性が鈍くなっている可能性については考えもしないのだろう。
“笑わせようとした瞬間にそれは笑えなくなる”これは漫才師側もそう思っていて、ネタがネタに見えないようにするのが話芸でしょ。M-1はM-1に最適化された漫才の形というだけ。
いいなー 羨ましい
そのわりには寒い芸人のパクリアニメのパクリドラマのパクリみたいな動画が大半じゃん。淫夢というフィルターを通さないと笑えない(そんな俺って特別感あるよね)ってだけ
薬物で麻痺してんじゃないの
芸歴浅いと笑わせようと焦って力む。すると笑いは起きづらくなる。「笑わない人」はわずかの力みでも笑えなくなるのかもしれない。
私自身の感じ方で言うと「作為の有無」よりも、笑いの中に「共感/一体感の押し付け」が混じる物だと笑えない。個人の「くすりとする感情」はあくまで個人の感じ方が起点になる物だと思う。
わかる。意図したギャグアニメよりチャージマン研のほうが笑える人も多いのでは。
自分はこの人に近い。芸人で1番面白いのはザコシとくっきーで、「シュシュっとご苦労さん」だけめっちゃ面白い。令和ロマン、さや香は「人前にお出しできる笑い」という感じ
アフィブログが「いかがでしたか?」と問うてくる違和感に近いのかもと思った
やっぱ笑いには雰囲気が大切で、前提としてそれを共有してないと笑えない。
淫夢自体はおもしろいと思わないけどそれが中国全土まで広がってるような状態が興味深い
冒頭だけ読んで、まぁそういう人もいるよね。と思ってブコメ見たら淫夢は面白い。みたいな話らしくてびっくりした。
本来は人がライブで演じているから、一度現場で観たらまた印象が違うかも?
プロレスとボクシングの違いみたいなものだろうか。とはいえそのロジックだと映画や演劇全般がダメにならない?
笑わないではなく笑えないだろう。
プロのセックスより素人の粗いセックスのほうが抜けるって話だろう。
興味深い。発想の笑いが好きではなく、優越感と仲間意識の笑いが好きってことなのかも。
マンガやアニメのギャグとかコメディも白けて笑えないんだろうか?それとも三次元だけ?もし二次元を楽しめてるなら、作為の有無ではない別のラインがある気がする
「『笑わされる』のが嫌い」もいうプライドの高さも、「『笑われる人』を嘲笑するのが好き」という品のなさも、正直自分からすると嫌悪の対象かな
まじめな人間の一生懸命な姿や他人の失敗を面白がっちゃうタイプの人ってなんかマジでシンプルに人間のカスだと思うよ
昔のちびまる子ちゃんも、明確に当人は笑わせる気も悪意もないのに大真面目に変なことをするのを笑う話だった。/ノンスタ石田の著書でも漫才は作為が見えたらハードルが上がると書いてあった。
結果として自然と笑ってしまうのであって無理矢理笑わせて欲しいわけではないという感覚は分かるし、最近のお笑い芸人の必死さにピエロが持つ潜在的悲哀みたいなものを感じることはある。
言わんとすることはわかる。だから台本とかあまり無さそうなお笑い芸人のラジオが面白い。お笑い芸人になる人は作為なくても面白いのよ。
お笑い芸人はつまらないと私も思うが、ここに書かれている記述が何もかすってない。ひとまとめにされてなんか不愉快な記事。
ALISON氏って麻薬関連のディープでドープな動画をニコニコによく上げていたALISON氏だよな。このアイコン見覚えあるや。こうやって普通に文章書いたりもするんだ。作品(動画)でしか語らない印象だったのでなんだか意外
フレンズみたいなシットコム系は自然な失敗を元にしてる感じがするけどこの人的にどうなんだろうか。漫才よりもコントの方がまだ笑えそう。アンジャッシュ系とか
意図的に笑わそうとしてる時点でハードル上がってるのはあるかも。私も昔はお笑い好きでライブ行ったりしてたけど、今はどんな人が流行ってるのかも知らない。笑いは動画やX、はてな等ネットで間に合ってるからかも
「コントを見ても心から笑うことはない」の直後に「なぜ漫才は笑えないのか」で笑ってしまった。
ミームの元に作為はないとしても、記事内で言及されてる派生のMADはウケを狙って生み出された産物ではないだろうか。
コントは笑えるけど、漫才では全然笑えない
お笑い芸人で心から笑えないことよりも、ここでいう「インターネット的ユーモア」で心から笑えることの方が不思議/おれは友達とくだらない話をしてる方が心から笑ってるな
日本だけでなく東アジアで淫夢が流行ってるのって、あの定型化され尽くしたやり取りでお互いに笑うのが東アジアのオタクのASD気質にかなり合致してるんだろうね 漫才やコントは陽キャ感を感じて無理なんだろう
お笑いは面白いかもしれないけど、お笑い界隈やお笑い業界が伸びても全然面白くないなという思いがある
いわゆる冷笑系にも通底する感覚という気がする。芸人で笑わないのも「みんなが笑うような最大公約数的な価値観から距離を置きたい」という動機が強くあるような。Welcome to Underground...
ALISONで草
お笑い芸人も色々なタイプがあるけど、芸人の大喜利が好き。瞬発力とか、うまさとか、勢いとか色々みれて、単純にすごい
ミームってむしろ作為の産物じゃん
“私はいわゆる淫夢厨のフォロワーが多いのだが、彼らがまったくM-1に関心を示していないことに気づき” これ本当にそういう傾向があるなら、かなり興味深いな
『背後にある“作為”が透けて見え』て笑えない感覚は理解するけど、素朴な人間の失敗は共感性羞恥発動するし淫夢ネタとかむしろ不快だからちょっと違うかな。最近だと悪役令嬢転生おじさんは結構笑えてる
別に漫才で笑わない人がおかしいとは思わないが、このロジックを自信満々に語る淫夢厨はなんかカテゴリとしては反知性主義に近くないか?と思った。うまく説明するのめんどくさいが。
笑いというのは文化的側面が強いのでどういう文化で育ってきたかで笑いのコードが千差万別になる。笑わせるのが難しい理由でもある。
芸人好きとしちゃのお笑いアレルギーの一般人が一番面白くないのに出しゃばるなと。あばれる君が撮影用ウンコの匂い嗅いで嗚咽する動画でも見ときなさいよhttps://www.youtube.com/watch?v=0ZyUrBAio5I&list=LL&index=65&t=614s
M1でも爆笑するし淫夢見ても笑える僕はお得ってこと?
何かの面白みを感じるには素養と教養が必要なのでどちらか、あるいは双方が欠けているということでしょう。
この文章は笑える
そんな人たちはメンバーさんのネタを見ると良い。誰も傷つけない老若男女を笑わせる最高のネタだと思う。
その人にとって許容されるもののなかで境界線ぎりぎりをついたものが笑えるみたいな話を聞いたことがあるけど例のアレがすきな人はその境界線が壊れてるからテレビで流せる内容では笑えないのではないかと思う
へぇ~、人間のお笑い、難しいんだにゃ~。ボクはゴロゴロ転がってるだけで笑ってもらえるのにゃ! もっと自由に、楽しく笑えばいいのににゃ!
笑いと嘲笑い
淫夢ネタを知らなかった!
アマレスやアマチュア格闘技が好きな人とプロレスが好きな人の違いに似ていますね。僕はプロレスのようにプロットのあるものが好きです
淫夢もM-1も笑わない人間です。どっちも他人馬鹿にしてるし、発達障害持ちで属性馬鹿にされること多いので、劣ってることを馬鹿にされてるの見るだけで辛い。
淫夢好きがM-1で笑えないって話から考察するなら、ネットミームは狙ってない笑いだから云々以前に「淫夢なんかで笑う奴は感性が狂ってる」って言われた方がよっぽど納得いく
ザコシでしか笑えない身体になってしまったよ
最近の M-1 はまさにこういう感じだね。笑えない。今おもしろいなーって思うのは、昔のお笑いか、動物系、ずっこけ系、ハプニング系、、、
シットコムにありがちなラフトラックのせいで笑えなくなる時あるなと思う。Mr.ビーンもそうだけど「ここで笑ってください」と誘導されるとハードルが上がる。
いい年して淫夢でキャッキャしてるやつらは幼稚で気持ち悪くただただ不快。語録を延々擦り続けても飽きないのはただのエコラリア
淫夢厨とか全然関心ないが、自分は昔からお笑いの何がおかしいのか全然理解できん😳 何か大爆笑した経験が1,2回あるのはあるが、何だったか全然覚えとらん😳 特に、相方や他人腐す内容だと気分悪くなる😳
泣かせようとする表現に白けて泣けないってことはある。
お笑い芸人を好んで見ようとは思わないが、日常生活において笑わないわけではない。自分の笑えるツボみたいなのを意識してみたい。
水ダウでも笑うし漫才やコントでも笑う。ついでに淫夢でも笑う。開口広くて損すること無いぞ。
全員集合とひょうきん族はどちらも作為バリバリだったのであるがドリフは笑えて漫才師たちは笑えなかった
一方通行であってほしい、与えられたくない、と言いながらMAD職人の作ったものを笑っているということ?完全に論が破綻してるだろ。
元のビデオ見て笑うならそうかもしれないけど、そこから派生したものは全部笑わせようと思ってネタで言ってるよね?
笑ってるけど本心かといえばわからない ジャンル問わず創作活動をしている人が好きなので、芸人のコントや漫才には感心しちゃう部分が大きいかも
お笑いも淫夢ミームも面白く無いし不快で見れないから辛い
心から笑うとは案件
小学生の笑いってそんな感じ。身近なものが大事。
笑いは色んな種類があるので、それぞれ刺さったり刺さらなかったりするのは当たり前。僕は幼少期から言葉遊び系が一番面白くて、精神性は成長していない/だからダジャレに出会えるはてブを続けているのかもしれない
こういう人、自分が真面目にしてることを笑われると怒り出すから単に性格が悪いんだと思う
M-1もあまり見なくなってきたが何か知らん奴出てきたと思ってると笑えない。心が受け入れる体勢だと笑える。ネットミームの多くは嗤うという方が多いよな。これは受け入れ体勢とは関係ないものだろうね
TVには「笑い」「娯楽」を区別・意識してほしいと常々思っている。笑いも苦痛や悲しみの中にいる人の助けになったりもするので否定はしないけど、TVは情報番組、talk番組、すぐ笑いに持ち込むdirectorや芸人が多過ぎる
FF15のカップヌードルENDは人生で一番の衝撃だった。あれは間違いなく意図して作られた笑いのコンテンツではなかった。
令和ロマンのように、人が笑うメカニズムを研究し尽くして周到に設計したものよりは、狩野さんが如意棒で電球を割った時のほうが笑える、的な話なら分かる(志向は理解できる)けれど、それともちょっと違うのかな。
ドリフ世代なのでつくりこまれた笑いも爆笑するしネットミーム的なモノも笑える。ひょうきん族もとんねるずも笑ってたしダウンタウンも「ごっつ」とかメッチャ笑ってたし。淫夢ってのはよく目にするが興味が湧かん。
大麻兄貴まだ生きてたんだ13年ぶりに見たわ、キメてんだろ?/https://www.nicovideo.jp/watch/sm14562071こんな淫夢mad作ってたヤク中の戯言なんか真に受けんなよお前ら
淫夢ネタは極論として置いといて猫ミームとか現場猫とかそういうミームとか全般下に見てそうな文章 お笑いってそんな高尚なものなのか お笑い芸人は別になんとも思ってないです。
趣味趣向の問題
リアクション芸が好きなんだけど、いじめの影響でもうないのが辛い
作られた「ボケ」が苦手なのかな。ネットミームも「写真で一言」や「アイドルの天然ボケに突っ込むテレビ芸」と同種だから作為性や巧拙はあるんだが
笑いって観客側はある程度コンテクストの中に組み込まれてる前提は必要だと思う。
人の失敗を笑いたいを公言するのすごいな
刺さるわ〜でもちょっと違う気もするな。お笑い芸人の有田哲平が「この世で一番面白いのは内輪ネタ」って言ってたけど、淫夢は内輪ネタとして楽しまれてるのが一番大きいのでは?そういう面ではお笑いにも通じてる。
漫才などのお笑いは「“我々”とは違う愚者」を演じ笑いを取ろうという芸人と観客の共同作業というようなことを感じて子供のころから好まなかった。淫夢厨というのはいま初めて知ったがほとんど同じ穴の狢なのでは?
笑いのツボが違うって話だった。自分はショーレースの時に審査員視点で見るクセがついてしまって面白いと思っても中々笑えなくなってしまった。
主流のものが笑えないのは残念でしたね。後、お笑い全般に興味が薄い人もたくさんいるからね。
難しいことを考えずに面白ければ笑えばいいのに。理由なんかいらないでしょ。人の目を気にしすぎだと思う。
この指摘は本質を突いている。コントは言うまでもなく演技だし、漫才も演技なのだ(ナイツ塙やノンスタ石田も著書で書いている)。いかに演技に見せないかが漫才の技術なので、前提に酔えなければ笑えるわけがない
ネットミームに汚染されている層がテレビ見てないってだけでは。お笑い芸人のネタでもネットでバズったら面白がって使うと思うよ。「生きとったんかワレ」とかガキ使だけど好んで使うでしょ?
根っ子は「フィクションを楽しめない人たち」の話に近いのかなと思った
ホラー映画を、内容ではなく演出方法に着目して見るとあまり怖くない、と言われているみたいなものかな
M-1て最初はともかく段々権威になってきて、プロのお笑いに序列をつけるってさ…的な感じはしている。お笑いはリラックスしたものであってほしい。その意味で市井の人の方が“面白い”のはわかる
お笑いはメリトクラシーだからね。高い能力を誇示する大会で笑うのかということ
笑いは心の平衡が崩れた時に起こるものなので、心の平衡が崩れるネタは十人十色だわのう。
内輪受けは、下品で眉を顰められるような内容であるほど蜜の味でしょうね、という感想/あの手の彼らの一部がアノンに親和性が高そうなのがなんでかなと思ってたが「不謹慎な内輪受け」でくくると理解が深まる
淫夢の原典でしか笑わないってこと?たまげた原理主義者だなあ…
お笑いで笑わないのとは関係ない気もする。
コントも漫才も一緒くたにしたような雑記事。
キメねこの人だ
共感性羞恥がどっちで働くかみたいな話で淫夢ネタで盛り上がってるオタク見てる時に俺は恥ずかしくなるのでいろいろ人それぞれ。
芸としての笑い話は、客の側も笑う意気込みを持って聞いていて、独特な関係性よね。日常のハプニングとして現れる面白さとは確かに別物かもしれない
それでも私は素人モノAVが大好きです
陽キャの笑いだから。ネットミームも馴れ合いが進むほど陽キャに寄っていく。
それ「冷笑主義」って名前ついてるぞ。
「作為を感じると楽しめない」というのはまぁ分かる。スターウォーズやハリーポッターが楽しめない人に近い気がする。空想力・共感力・不要な情報のフィルタリング能力などが関係ありそう。面白いテーマ。
スポーツとか「他人を応援する気持ちが解らない」と言ってる人が他の分野で推し活してたとかありそうな話だし、結局お笑い自体が嫌いなだけじゃないんか?自分も嫌いな芸人では笑えないし
錦鯉・長谷川の漫才中の天然ボケが一番面白いよ。計算されてない笑い。イロモネアとか最高だった。 https://tver.jp/episodes/epu1j1bvo1
ユーモアって、多かれ少なかれウケを狙って発するものだと思うのだが。。。 ウケ狙いじゃないなら天然ボケでは?
面白いと思うのが少なくてあんまり見ないな。笑わせてるっつーかおどけてるだけでお笑い要素を感じない
トランプ関係で自分が爆笑できるネタがいろいろ思いつくけど、テレビで放映できる感じはしないなー
以前から言ってるが、笑いには優越感、他人を嘲笑える強者としての連帯感を示す「共犯者の笑い」と、脳の回路がバグることで緩む「知性の笑い」がある。筆者の笑いは前者に偏っており、これは差別憎悪の笑いでもある
「与えられるものではなく、こちらから能動的に“見いだす”べきもの」というのはアイドルの「かわいい」とかにも感じるな。今はかわいいが供給元から過剰供給されすぎていて逆に醒める。こちらから見出したい。
それでしか笑えないは怖いことだな。そういう人も多い…ってことですね?としたら、この時代が嫌いだな。1つの意見把握。■漫才は作品だ。漫才は構えの前提ぶっ壊す作業実際大事。あと最近の漫才は嘲笑系多い。無理
「笑わされる」=内面の常識や価値観を揺さぶらされるのがイヤって保守的心情よね。むしろ自分の内面が安全であることの「快」を「おもしろい」と感じてる。でも自分の常識が壊されるのが楽しいって人もいる。
「捻り」が無ければ、心底から笑えないっての。
アスペなだけでは/淫夢厨はテレビ見てないか、見てると言わないだけでは
自分もこの感覚がよく分かる。淫夢厨ではないが通底するものがあるというか、嘲笑的というか裏笑いみたいなのでしか心から笑えないんだよな。テレビのお笑いは上手いな〜、とはなるが笑いはしない。
フィクションで強く感情移入せず引いた目で見る人居るという話の類いかな。意図しないものを笑うことがいじめ的な笑いにつながってるというのは、なるほど興味深い意見だと思う
昔からお笑い芸人を楽しいと思えたことがなくて苦痛でさえあったがその背景までは考えたことないなー。落語とかは好きなんだけど、謎
M1はなー。笑いに権威付けをしようとしている、演者側もそこにプライドを見出している時点で、そうじゃないだろと思ってしまう。笑いに限らずやりたくてやってる以上の余計なものはなくていい。
「芸人で笑ったことない」とか言いながらネットミームに走るやつはひねくれてるだけだよ。「初カキコ…ども…」のやつと精神性の根っこは同じ。作為で冷めるんならMADが一番冷める筈だもの。逆張りしたいだけなのよ。
素人の持つ破壊力を評価していた欽ちゃんに誰も言及していない。時代の移り変わりを感じる。
M1は好きだけど実際ただのメリトクラシー鑑賞会で、爆笑しながらすごく冷めた変な感情で見てる事はある。
お笑い芸人はこっちも最初から笑いたいと思って見てるから日常で偶然生まれた笑いとは別物でしょう。人は驚いた時も笑うので。ただ状況により笑ったら失礼かどうか瞬時に判断できない人はやばいと思う。
「漫才師って実はたまたま現場に来た二人が偶然話してるだけ」という思い込みをすれば笑えるんだよな。あと、全笑いは人類しか分からない内輪ネタで、視野が狭い人が内輪じゃないと思うだけ。もっと狭窄で愚かになれ
淫夢もコマンドーも元は製作サイドが真面目になってたものをネットの片隅で弄って遊んでたのがミームにまでなったもんだろ。ネットで遊ぶだけの玩具で良いのに、8/10の野獣の日で撮影地まで行くアホ共は最悪だよ
創作よりドキュメンタリーが面白いんだけど近いものはあるかもしれない
お笑い芸人で笑わないって言ってる人、鳥居みゆきなんかは好きだったりしないかな。僕はそう
落語・漫談は好きなんだけど、漫才などのお笑いや、ネットのミームみたいなのも、全体的にあんまりツボらないんだよな。傾向の違いみたいなのは気になる。きらら系の漫画は好きだし、たぶん日常に近いネタが好き。
何が面白いのかわからない率が高いが、単に親しんでないからだと思っている。アメリカンジョークで笑えるか
コメディアンが舞台上で周到に作り上げるその場限りで差別で笑う共犯的な空気というものはあるが、その代わりにインターネットの内輪の空気を内面化して差別で笑っているという感じに見える。節操ないのは嫌い。
予断が入ってるだけ。
たくまざるユーモア、偶然生まれた笑いが好きなのはわかる。オレはそれはそれこれはこれでネタも好き。淫夢は知らん/バラエティや教養番組にやたらとお笑い芸人を出してくるのはイヤ。食傷して久しい。
淫夢はゲイを見下し笑うイメージしかない。お笑いのKYな発言や行動、ギクシャクとした動きや、感覚のズレを笑うモノは理解ができないし、面白くない。上手く出来ない事を笑うのも辛い。私は笑われる側だと思っている
どっちでもクソほど笑ってる私は最強。おもろいもんはおもろい。
ダウンタウン松本もおじいちゃんとか犬みたいなの(作為の無い)が好きだと言ってたな
ネットミームになってる時点で作為の塊だろ
お笑いの笑いって芸術作品だなとは思う。 / 最近の笑いでツボったのは「はい確かに敷金1年分受け取りました」「はいはい1年分ね」「すみません1ヶ月……」「ふふふ1年www」 / 大別したら人の失敗ではあるんだけど
淫夢本編はクッキー☆が関連付けられる様に演技や展開のヤバさが真面目なのに過剰なのが本質であり、問題だらけのコンテンツだがゲイ蔑視と違うニュアンスもある。マンガだとへうげものがこれを丁寧にやってた。
ご長寿早押しクイズみたいな、素人が真面目にやる設計や想定されてないお笑いが発掘されて伝統や形式化するのあるよな。
相互理解とか言わずに、片方を面白がる才能が無いだけ。何かを面白がれる才能は無限に有ったほうがいい
笑わない芸人?滑稽極まりない、自己陶酔の塊なのだ。観客を無視した内輪の冗談、つまらない自己満足劇なのだ。
ホモではないがホモソなのでは?
作為性があると笑えないのは普遍的で、どこに作為性を感じるかが違うんだと思う。日常会話が少ない人は、流暢に漫談を交わしているだけでも不自然で作為性を感じる。逆にMAD動画を見ない人はMAD編集に作為性を感じる。
五代目小さんの226感あるから賞レースのお笑いはなんか違うな派/寄席行け寄席に
他人を笑わせようと周到に用意し舞台に立つ、その時点で背後にある“作為”が透けて見えシラけてしまい心から笑うことができない>ワイも茶番に見えてしまったら笑えない派
淫夢が云々は別として、お笑いが面白くないと思う理由としては共感できる。工業製品化エンタメだと感じるし、採点競技化してるから尚更。芸人のトークは面白いと感じることは多い。
むかしは漫才もコントも大好きだったけどM-1みたいのが始まってからまったく見たいと思わなくなった
自分、お笑いが苦手でたぶん観客含め集団が笑ってるのが恐怖に感じるみたい。普通のトークでみんながちょっと笑うのは好きなんだけどね
自分はそもそも会話に頼った笑いが理解できない。小説や漫画なら素直に笑えるんだが、人が言葉としてガーッと喋られても脳が処理できないので「凄くうるさい人」という認識しか残らない。TV番組の大半がそう。
>淫夢厨の大半は、本記事で説明したような「笑わせようとする意図の無さ」を面白がっている。もちろん、真面目な人を笑うことはイジメ的であり、不快感情を向けられるのも当然で、それゆえに社会的立場のある個人・
だからこそそれでも笑わせられる人は凄いってこと。そういう人減ってるかもしれないけど。フット後藤のマジ歌とかどうしても笑っちゃうもん。
要は笑いのセンスがないということか。センスがないのであれば無理して見なくてもいいのでは。
水曜日のダウンタウンのドッキリ系企画とかにも繋がるけど、つまり他人のセックスを笑う的なデリカシーの無さに振り切った笑いだよね。そりゃ好きと表明しただけでろくでもない奴扱いされる
「笑わせる意図がないものから笑いを見出した人の笑い」を楽しむ人なので本質的にコントと何ら変わらんのでは?笑いを見出す人には一定の才能はあると思うが。
ネットで見かける笑いは予測してないところに急に降ってくるから笑えることが多いけど(緩急的なやつ)お笑いみたいに「笑わせますよ!」って感じのフリがあるとハードルが上がってしまって中々笑えない...
あー最近だとなんかの大臣が「書いてない!書いてない!」って言ってる法律名そのものに書いたったのとかかな。あれ、おもしろかったよね
M1やR1芸人はおもろないけど、陰夢もおもろないし、陰夢で笑ってる人間はもっと寒いんだよ。なんなら、さだまさしとか南こうせつ、谷村新司の方がおもろいんだよ。
淫夢ネタで笑ってることを諭されると非常に不機嫌になる人がネットには多いが、そりゃ人生の半分以上を同じネタで笑ってるんだから自分の人生を否定されたようなものなんだものなと気の毒になる
淫夢みたいなのってまさに平成テレビお笑いのコアだったと思うけどね。外国語できるとお笑い観が多層になっていいよ。日本のお笑い文化は色々と変わっている。おそらくお笑いの本質ではないところで。
読もう!「神と使い捨てカイロ」
西の漫才が東のコントをテレビから駆逐したので今の「お笑い」を憎んでいる話かと思ったら違った。(なお賞レース以外の漫才は普通に笑います)
淫夢といってもALISONはそうとう過去の人だし 単に高齢化でM1見てないだけでは
拭き残しの多い窓から覗いた見解であると思う。
コントで笑ったことはあるけど漫才のフォーマットで笑った事がない。なのでM1では全く盛り上がらない
自分は苦味を美味いと感じないんだけど、そういうのと大差ない話なんじゃないかなあ。ただ自分は良いと思わない、だけで高尚な理由が最初からあったのかなあ。
商業BL読まない腐女子が狙った萌えにはハマれないというのと似たような感覚 最近の腐女子は好みに合えば出自は問わず楽しむほうが主流だけどね
人の特性ならしゃーないけど、演劇とか舞台とか音楽とか映画とか何も楽しめないのは辛そうやな
笑いたいけどわからんので"作為"や"偶然の失敗"系の何がどうだから笑えるのか?教えてほしく解説求めるけど機序の説明を理解できた例しがない。芸に関心することはわかる。でも笑うか?わからん
マインドと雰囲気があれば、居酒屋の馬鹿話や転がる箸でも笑える。笑うためにお笑い芸人を見る人と、何が面白いんだと思って眺める人とでは閾値が違うのは当然。作為性というより作り手と張り合っているのでは。
「私はいわゆる淫夢厨のフォロワーが多いのだが」解散。
天然物と養殖物
20年来のジャルジャルファンだがお笑い基本嫌い。漫才(特にツッコミ)は笑い所を押し付けてくる感じが、バラエティは大袈裟でホモソ的な身内感が寒い。淫夢の肝は馴れ合いと見下しでバラエティをもっと低俗にした物
言いたいことはわかる。自分は両方笑ってしまう
ギャグ漫画とかどうなんだろ
俺はM1みたいな賞になると笑えないおじさん。芸人の涙や想いとかいらんのです…。
笑えないものは笑えない。10~20年前のお笑いは笑えたが、近ごろのお笑いはちっとも面白くない、何なら不快感を覚えるネタが昔よりも増えた気がする
自分なりの閾値を超えた作為を感じると、(広義の)感動できないという話ではないかなあ。それなら誰でもそう
笑いも多様になったな。
痴漢プレイでは満足できない真性の痴漢みたいな感じか
私は大喜利的な笑いが好き。
「俺は好きじゃない」と言うだけでこの長さ/好き嫌い・快不快に理由なんぞ無い。こう言う馬鹿どもは、理論武装して何とかして自分の気に入らない物を貶したいだけだろう。そもそもつまらんと思う物を何故観る?
そもそもここ3-40年の日本人、いわゆる『お笑い(それもある種の「演技」じみたユーモア感覚』でしかコミュニケーションとれなくなってる。それがとうとう行き詰まりまできただけ(完全に自業自得
お笑いで笑うのって結構知識とか能力とか必要だからね(それが偉いというわけではなく)単にマンガ読むのが好きか漫画あまり面白く感じないとかそういう差だよね
落語はどうかな?漫才もそうだけど、テーマは人間の滑稽さなんだよね。そこを見れば笑えるよ。
所謂お笑いより何気ない風刺とか、言ってしまうとブリティッシュジョークみたいなのが好きなんだよな。性格悪い自覚はある。あと、ただの笑いより新しい知識を得られた時の方が「面白く」感じる。
私は淫夢も好きじゃないけど、お笑いも昔から苦手。「どうしてこうなった」的な笑いが好きすぎる。これって多分ネットで育ってるからだなとは思う
面白さの根幹にあるのは「なるほどね」だと思う。“こちらから能動的に“見いだす”べき” なんて小癪なこと言っているけど、要は自分が見下せないと笑えないって事でしょ?
それぞれ好きなもので笑えるって最高じゃん。いい時代だな〜。こんな時代は続かなそうな気がするので今のうちに楽しんでおこう
んー、笑うって難しいよね
私は吉本が作り出した笑いもネットで生えてくる笑いもアメリカのド直球差別ジョークもユダヤ人ジョークも好きですが、高価なツボ割っちゃう系のやつとかは笑えないかもですね
本文に関係ないけど、ユーモラスに振る舞う選択肢としてお笑い芸人をマネするか下ネタを言うかしかない小学生のままみたいな大人もまあまあ多いと思う。
笑うというより(ミーム元の得体の知れなさを)笑い飛ばす、って感覚に近いと思う。
この人が腹抱えて笑う物って、他の人から見たら何が面白いのか分からんのだろうな。めんどくせぇオタクと同じじゃね?|ワイはM-1も淫夢ネタも楽しく消費してる。頭の中は常に空っぽで、細かい事はあまり気にしない。
こんなもんで相互理解なんて不要だし、いちいち表明すんなとすら思う。自分の好きなものを勝手に楽しんでいれば良い。
これが笑えるかは微妙だけど、お笑い芸人は基本的に笑えない。最近だと松本人志の件とかあったし、テレビも見ないので、お笑いが好きな人とは付き合えない。笑えるのが当たり前と思ってる人は友達も無理。
本文にもある通り淫夢を笑うのはマイノリティーイジメになるから良くないんだが、それはそうとトップコメは書いてあることを無視して自説と結び付けてる。
人は慣れるとつまらなくなる。年齢や経験によって笑えるものが変わっていく。ただそれだけのこと。あんまり断言すると後で恥ずかしくなるよん
これは逆で、お笑い芸人がそういう人たちを笑わせないようにしてるんだよ。淫夢厨がM-1で笑わないんじゃなくて、M-1が淫夢厨を笑わせないようにしてるの。そういう人を選ぶ大会なんだよあれは。
国民的スポーツと云われてる野球を嫌いな人間もいるように、万人に好かれるモノなぞ存在しないと理解するのが自他の境界線を知る第一歩。必要なのは相互理解ではなく、自他は異なるものという当たり前の認知。
草で逮捕され人権侵害コンテンツで盛り上がってる人間としてドクズがあんだって?お前は他人のことを言える立場でも無ければ見下せる立場ではない
ホラーも用意されたお話じゃ全然意味ないよな
笑えるネタとジョークは通じる範囲が狭いほどダークに笑える、と思ってます
同じ理由でホラー映画然としたホラー映画も怖くない。笑いでもホラーでも「不意打ち」して欲しい…
お笑い芸人とひとことでいっても芸種や個性など色んなタイプがいる。お笑いというジャンルも内輪ノリの一種である。かつてテレビのお笑いバラエティは最大公約数の内輪ノリだった。それだけ
コレって、オールドメディアの作為に惑わされない!!ネットでの本当の生の声はコレだ!!という兵庫県の知事選で起きたノリに近い気がするのだが大丈夫なのだろうか……
笑いってのは文脈の逸脱だと何かで読んだことがあり、自分はその説をとっている。ある意味で漫才やコントも酷く文脈的で文脈に乗らなければ逸脱もなく、笑いは取れないということではないか?
"淫夢厨"の話。はてなーと同じタイプかな。他人を馬鹿にしたり見下してるときだけ笑うタイプ。
昔はM-1等も見てたけど、「第七世代」とか言い出した頃から(もうちょっと前かも?)お笑い芸人に対する興味が遠のいたって人も、そこそこいる気がする。
どちららが子供に見せられるか?と言ったらM-1だし、どちらが仲間内で盛り上がれるか?と言ったらこっちかな。どっちの笑いでも笑える豊かさが有ればいい。「そっちは笑えないアピール」は最もナンセンス&偉そう。
ここまでではないけど笑わせようと思って作られたものであまり笑えないタチなので言いたい事は分かる。だからこそお笑い芸人は本当に尊敬してる
最近の漫才はM-1とか、ハイコンテクスト化しちゃってる感じが面白くない。「審査員や解ってる人」にむけてやってる感が、解ってない自分にはキツイ。嫁さんの実家行った時に観て、付き合いで笑うのがここ数年の習慣
M-1みたいに純粋なお笑いはなんか理屈っぽくなってきて、最近は苦手だな。ドッキリやモノマネみたいなシンプルなやつの方が笑えるようになってきた。
作為的な笑いは遠慮なく笑えるけどそうでないものは「笑っていいのかどうか」のラインが常に揺れ動くのでその微妙な迷いと緊張感がまた良いのかもしれない。
うーん、シンプルに身内で楽しめるおもちゃにできるかどうかな気がする。漫才やお笑いのお約束って演者側で完成させてしまってるからおもちゃにしづらいんだよなぁ。あと「草」とか言いながら笑ってないでしょ。
あんま関係ないところだけどお笑い批評の落語化ってところわかるなあ
「ネット民」なんて、すでにデジタルネイティブ(インターネットのほうが社会の中心になった現在)以前の遺物なのに、「俺たちはーなんとかでー」と主張せずにはいられないところに、人生の悲しみがある
違うよ。全然違うよ。ただ面白くないからだよ。
チャップリンとかミスタービーンとかに対してはどう思うんだろう
淫夢は笑わないけど、言ってることは分かる。奇跡(絶妙なタイミングで奇跡的な一瞬が成立する)みたいなのは確かにネット的笑いという感じではある。しかし貶める笑いはどうにかならないかな…
淫夢ネタも素人ネットミームもなんならゆっくり劇場も嫌いな人もいる(私)。そう言うことは別に他人に伝える必要はないから心に留めたまま只々M-1観て笑ってるよ。
俺は笑いの多くの部分が「"一般的"からのズレ」「差別」であることを認識しているので、それが創作・ネタであることで安心して笑える。日常ではそうはいかない
淫夢ってよくネットで面白がってるコメント見かけるけど謎だったんだよな。ゲイに興味ない大半の人は面白がるも何もそもそも見ない気がするんだが。それで同性愛者を嘲笑ってるってことだったの?
「ネット民」は主語が大き過ぎるな。「M-1を見るネット民」も相当多いだろ。
「笑いは差別」なんじゃなくて、「差別的な嘲笑しかできない非人間的な奴ら」が淫夢厨なんじゃないのかな。差別的でない笑いのほうがジャンルは広いのよ
M1も見なけりゃソレも見ない俺の勝ちってコトで良い?
よい視点だ
肩の力抜いて見るのが楽しいのに客に肩の力入れさせようとする賞レースが俺は死ぬほど嫌いなだけでお笑いは嫌いじゃないからちょい違うな
流石にくくりが広すぎて論が雑雑ゥと思った。
他の勢力、文化へのマウント的嘲笑かな。文化的衝突の先端。しかも、同じ場に居たら笑えみたいな同調圧力が強い傾向に思うので、それはそれで気持ちが悪いな。と思ったり。
能動的笑いにはより普遍性があるが、受動的笑いはその人のセンス等に強く依存する
用意されたユーモアは私の想定の範囲内に留まり意外性を感じないってことかな
「サスペンスドラマを見るのが嫌い。本物のスナッフフィルムが見たい」と言ってること変わらんがな。自分は逆に緻密な計算で作られた笑いが好きだよ。他者をあざ笑う差別からの脱却を目指す意志があるのなら特に
「笑いものにする」のが好きな人たち