書きました。私はただ悲しいんだ。
面白い記事でした。普段目に触れることのない漫画ばかりでした。
『みい山』(=フィクションだけど、作者の身近な人をモデルに云々)・ツムママ𝕏漫画(="皆の身近なお話をマンガに"した"セミフィクション")の話を前置きに、高嶋あがさ氏のエッセイ漫画の新旧変遷について。
"ツイッターの漫画は読みにくいのですが、最終話から全部遡って読むといいです"
“島伸司脚本とか山田悠介、ケータイ小説の世界”
他人の不幸や無能さを叩いてスカッとするざまぁコンテンツの消費構造についての考察、身も蓋もないが真理だな
男性向けのエロ釣りと同じでインプレッションが露骨に変わる(真偽不明)らしいからなあ
内容どうこうではなく「形式」の問題。デジタル化と共に「漫画とは何か」が決定的に変わった。旧来とは異なり漫画は「どれだけそのひとコマを切り取ってミーム(お気づきになりましたか)に使えるか」の勝負になった
“おれたちゃピエロなんだよ”もっと露悪コンテンツに溢れて、無間地獄の中で一滴の光のような漫画に出会いたい
密味の不幸はドバ過剰。不幸話は読み手にいってい反作用の痛みを伴うくらいでいい。復讐は成就しないほうがいいし(成就スカットザマァが一番おもんない)、破滅の運命(かのように)進むほうが好きだな~性癖性癖
文章へいい感じに感情が乗っているように思えた。好き。
あー、まあ、みい山の人も元Xの漫画描きだな。
『おれの愚痴を聞いてくれてありがとう』:(笑)。
タヒ体写真ブームとか村崎百郎が持て囃されたりとかと同じで「20年代後半に流行ったよねえ」といつかはなるんだろうとは思う。けれども「こんなのが軽いノリで消費されるのは嫌だ」と声を上げる人が今いることは重要
「牛乳買ってきて」と言ったら豆乳を買い〜/嫁にピザ用チーズを頼まれるも生春巻きを購入して帰宅した某プロ野球選手より全然マシだからヘーキヘーキ
紹介されてる他の漫画を読んでないのに悲哀はよく分かる
こういう漫画を読みたがる人たちってどういう心理でわざわざ読むんだろうね。自分より下、自分よりも不幸な人がいると思って安心したいという心理なのだろうか。
「漫画がうまい」←これはそう思う。シゲオとかキモいオッサンを出して読者の琴線に触れるのがめちゃくちゃ上手い。伊達にダイアナでバズってない//不幸を喜ぶコンテンツって「ウシジマ」や「ナニワ金融道」とか?
今の時代だと、野島伸司脚本とか叩かれるよなぁ
みい山には功罪あるが、功がデカいんだよな。"みいちゃん" が蔑称に使われるって、じゃあ0点連発する子供を "のび太" 呼ばわりしたら悪いのは作品かって話で、そういうアホを引きずり出せたってだけでもな。
その高嶋さんもネタの料理スキルが高いって事では | つむママ的なコンテンツは一時期目にしてたけど流石に卒業した | 結局締めの一節になるのはそう とはいえ私はバズり方に対するメリデメの点で批判的立場
「他にもあるからこれだけ批判するな」は単なる論理のすり替えなんだけどね。たぶんのこの人は他人の不幸コンテンツが好きだから無くなると困るんだろう。
なんとなく「ざまぁ」的なコンテンツの話をしてるのかなと思うけど、個人的にはみい山はざまぁではないと思うが、ざまぁと思ってる人は多いのかもしれない。
目につく所に出てるから隠せと言われるので草の根分けてやらないなら黙れと関連作品を並べるのは、草の根の二次創作活動を炙り出すみたい。隠れてるのに列挙してみせ人目に晒すスタンスそのものが言われてるのに。
某悪役令嬢もので最後のざまぁ描写が過激すぎてドン引きしたことを思い出した。思えば対象の無能描写もすごかったな
Xで話題になって書籍化するパターンとして出来上がっちゃってるんでしょうねぇ。編集側も含めて。Xに流れてくるマンガの広告も、エロ釣り系かざまぁ系か、みたいなことになってますし。
色々盛り込みすぎていて個人的にはあまり入ってこなかった。
個人的にはもし『ちーちゃんはちょっと足りない』が2026年に新連載されていたら、本当に炎上しなかったのか?と思う。
雉も鳴かずばで鳴く雉を大量放出することで撃たれる率を下げるスタイル。下がったのは「着弾した特定の雉」一匹の確率だけで「撃ち放題、当て放題」になってる。護りたかったのはその一匹だけだったのかしら。
ケータイ小説「ガッシ!ボッカ!アタシは死んだ…」確かに言われてみればこのコピペがまんま出てきてるわ。
読んでなかったし興味もなかったけど、こうしていっちょがみして高説垂れ流すために読む人も結構いるんだね。
みい山最終巻読んだので人の不幸を喜ぶコンテンツについて書く - あのにますトライバル
書きました。私はただ悲しいんだ。
面白い記事でした。普段目に触れることのない漫画ばかりでした。
『みい山』(=フィクションだけど、作者の身近な人をモデルに云々)・ツムママ𝕏漫画(="皆の身近なお話をマンガに"した"セミフィクション")の話を前置きに、高嶋あがさ氏のエッセイ漫画の新旧変遷について。
"ツイッターの漫画は読みにくいのですが、最終話から全部遡って読むといいです"
“島伸司脚本とか山田悠介、ケータイ小説の世界”
他人の不幸や無能さを叩いてスカッとするざまぁコンテンツの消費構造についての考察、身も蓋もないが真理だな
男性向けのエロ釣りと同じでインプレッションが露骨に変わる(真偽不明)らしいからなあ
内容どうこうではなく「形式」の問題。デジタル化と共に「漫画とは何か」が決定的に変わった。旧来とは異なり漫画は「どれだけそのひとコマを切り取ってミーム(お気づきになりましたか)に使えるか」の勝負になった
“おれたちゃピエロなんだよ”もっと露悪コンテンツに溢れて、無間地獄の中で一滴の光のような漫画に出会いたい
密味の不幸はドバ過剰。不幸話は読み手にいってい反作用の痛みを伴うくらいでいい。復讐は成就しないほうがいいし(成就スカットザマァが一番おもんない)、破滅の運命(かのように)進むほうが好きだな~性癖性癖
文章へいい感じに感情が乗っているように思えた。好き。
あー、まあ、みい山の人も元Xの漫画描きだな。
『おれの愚痴を聞いてくれてありがとう』:(笑)。
タヒ体写真ブームとか村崎百郎が持て囃されたりとかと同じで「20年代後半に流行ったよねえ」といつかはなるんだろうとは思う。けれども「こんなのが軽いノリで消費されるのは嫌だ」と声を上げる人が今いることは重要
「牛乳買ってきて」と言ったら豆乳を買い〜/嫁にピザ用チーズを頼まれるも生春巻きを購入して帰宅した某プロ野球選手より全然マシだからヘーキヘーキ
紹介されてる他の漫画を読んでないのに悲哀はよく分かる
こういう漫画を読みたがる人たちってどういう心理でわざわざ読むんだろうね。自分より下、自分よりも不幸な人がいると思って安心したいという心理なのだろうか。
「漫画がうまい」←これはそう思う。シゲオとかキモいオッサンを出して読者の琴線に触れるのがめちゃくちゃ上手い。伊達にダイアナでバズってない//不幸を喜ぶコンテンツって「ウシジマ」や「ナニワ金融道」とか?
今の時代だと、野島伸司脚本とか叩かれるよなぁ
みい山には功罪あるが、功がデカいんだよな。"みいちゃん" が蔑称に使われるって、じゃあ0点連発する子供を "のび太" 呼ばわりしたら悪いのは作品かって話で、そういうアホを引きずり出せたってだけでもな。
その高嶋さんもネタの料理スキルが高いって事では | つむママ的なコンテンツは一時期目にしてたけど流石に卒業した | 結局締めの一節になるのはそう とはいえ私はバズり方に対するメリデメの点で批判的立場
「他にもあるからこれだけ批判するな」は単なる論理のすり替えなんだけどね。たぶんのこの人は他人の不幸コンテンツが好きだから無くなると困るんだろう。
なんとなく「ざまぁ」的なコンテンツの話をしてるのかなと思うけど、個人的にはみい山はざまぁではないと思うが、ざまぁと思ってる人は多いのかもしれない。
目につく所に出てるから隠せと言われるので草の根分けてやらないなら黙れと関連作品を並べるのは、草の根の二次創作活動を炙り出すみたい。隠れてるのに列挙してみせ人目に晒すスタンスそのものが言われてるのに。
某悪役令嬢もので最後のざまぁ描写が過激すぎてドン引きしたことを思い出した。思えば対象の無能描写もすごかったな
Xで話題になって書籍化するパターンとして出来上がっちゃってるんでしょうねぇ。編集側も含めて。Xに流れてくるマンガの広告も、エロ釣り系かざまぁ系か、みたいなことになってますし。
色々盛り込みすぎていて個人的にはあまり入ってこなかった。
個人的にはもし『ちーちゃんはちょっと足りない』が2026年に新連載されていたら、本当に炎上しなかったのか?と思う。
雉も鳴かずばで鳴く雉を大量放出することで撃たれる率を下げるスタイル。下がったのは「着弾した特定の雉」一匹の確率だけで「撃ち放題、当て放題」になってる。護りたかったのはその一匹だけだったのかしら。
ケータイ小説「ガッシ!ボッカ!アタシは死んだ…」確かに言われてみればこのコピペがまんま出てきてるわ。
読んでなかったし興味もなかったけど、こうしていっちょがみして高説垂れ流すために読む人も結構いるんだね。