「作者が明確な作為を忍ばせたのは、両親が発達障害らしく近親相姦で生まれた”世を憚る子”(祖母目線)」 とまで書いておいてみいちゃんは自分だと思えるならマジでどうかしてると思う。
“特定の相手を侮蔑する目的で「みいちゃん」という言葉を使うとしたら、それは読み手の人格かマンガの読み方が著しく歪んでいる” これはそう。作品がおかしいのではなく読者がおかしい
随分ゴン太実家の呼延灼で草。
蔑称で人を「みいちゃん」呼びするのってもちろん使う人が悪いんだけど、描かれ方が関係ないわけない。映画ジョーカーのときは生きづらさを抱えた自認ジョーカーがいたが自認みいちゃんはいない
露悪的ではなく現実の戯画化ですよね。みいちゃんは純度100%の女の子、ほとんど天使。第36話の作劇は神がかっていた。#「市民ケーン」「フォレストガンプ」「カポーティ」「冬の旅」やアメリカンニューシネマ思い出す
エヴァが世に出てきたころ「よくこんな空っぽの作品で自分語りをするものだ」という文章が驚くほど世間を席捲していたが、同じ空気を感じる文章。
“誰もが納得できるリアリティや高いクオリティを、全37話の尺で新人作家に求めるのは、かなり高い要求ではないだろうか” 手に負えないなら扱うな、という批判も元々ある。消費物にしたのは正しかったのだろうか。
良い感想だと感じた。見解に共感できる。
みいちゃんは負の要素の魔合体キメラだけど、それらの要素一つ一つ(あるいはみいちゃん以外の登場人物の負の部分)のどれかしらは多くの人の〈私〉に引っかかるところがある。だからこんなにも人気が出た気がする。
作者が侮蔑的な意味でみいちゃんみたいなのって使ってるのがバレてるので、歪んでるのは読者だって言ったところで、2週間遅れの感想だよ。
作品から読み取れること、理解できることが、自分のなかの図書館に取り込まれて自分から見える現実世界を形作っていく---俺が斬月だ
細部までよく読み込んでいて妥当な読解だと思ったが、大野さんだったか。気がつかなかった。
作品以外の場所から拾ってきた文脈を勝手に取り付けて、批判する理由を探しながらワーワー騒いでいた人が多いという印象。
いい批評だとは思うが、作者の言動は下記のような穏当なものではなかったと思う "一緒に飲んだ人々を「みいちゃんみたいなの」と形容した絵では、「能天気にワーワー騒ぐだけの人」という意味で使っており"
マジか。RIP。
「みいちゃん、お前だったのか…」大造じいさんはそう呟くと散弾銃を口にくわえ
作者によると、みいちゃんのモデルは軽度の知的障害を持った手帳持ち。あと作者は「手術して目が覚めたら一時的に頭みいちゃんになってた」「魚界のみいちゃん」「特殊学級!」などと言ってるが…
創作の中のキャラに対して「これ自分だ」って思ったことは無いけど人のそういう文章を読むのは好き/でも読み返してみると自分が読み違えてるのかな…「〈私〉そのものを生きているみいちゃん」とか。
過不足なく素晴らしい評。私には作品を排除しようとする連中の差別意識がひどく醜く思えたが、彼らもまた「少しずつ悪い」うちの一人に過ぎないのだろう(私もな)/ せめて〈私〉の意味を理解する努力くらいしようぜ
優れた作品は多くの人からこれは自分のことだと思わせるチカラがあると聞いたことがあったな
良きレビューだなぁ。私も(作者のそれまでの言動も含めて批判が起きるのは、まぁ致し方ないとして)作品自体に見るべきところが全くないとは思わない。最終回の終わらせ方はどうなのかなとは思う。
「物語は偶然性を取り入れながらも、基本的には必然に従って動いていくように設計されていると私は感じた」
まさか大野さんに刺さるとはなあ…。世の中いろいろだねえ。
何を表現したかよりどのように表現したかが批判の対象。私はこの作品は表現技法からも作者や周辺の言動からも批判を免れ得ないと思うし、批判を規制や排除に摩り替えて被害者ぶる論法はすごく卑怯だと思っている。
大野左紀子さんの骨太な評論。題字で山田さんが明朝体みいちゃんが手書き風なのは社会規範に馴致されてるか否か。この馴致されない異物こそ私の中にいる〈私〉。共同体の罪を背負い死ぬみいちゃんの圧倒的な「生」。
作者と作品は別だし、共感に全てが同じ属性である必要はない。
叩くほどの作品ではないと思ってるけど、この作品における思ったより穏当な部分は作者がマスを狙うために必要だから入れてるだけなので乗っかってる言葉はすべて空疎に感じる
あの最終回は余りにも唐突に投げやりに終わったな、と思ったが、2人のみいちゃんにとっての救いはこの世の中で「死」以外に無かったのだろう。そして作品自体が救われるのも社会的な死しか無かったのかもしれない。
何を求めてフィクションを手に取るのか?クソな現実や自分を追認したり憐れんだりする為じゃ無いんだよね。自分の趣味では無いが、まあ、それを好む人もいるというだけの話
ちゃんとした批評家の仕事だと思うが。
「みいちゃんみたいなの」は冷めているとは思うが別に差別でも侮辱でもないだろう。障害者が出てくる作品と言えば「深い愛情と理解が伴って当然」と言いたいのかもしれないが、それは理想論であってリアルではない
とても丁寧な読み解き。「物語として不完全」的な批判をする人は、表現を単なるエンタメとして消費することに慣れすぎでは。作者自身にも説明できない、だから作品にした、ということだってある。
「みいちゃんを一つのリトマス試験紙として、人々の本音や人間性が浮かび上がってくる群像劇だが、しかし「こいつ一人に罪を被せればOK」という構造にはなっていない。だから救いがなく、カタルシスもない。」せやね
ディフォルメの漫画を突然リアルタッチにすると面白いというよくあるネタを初めて見たようなみい山感動人をXでも見たなと思ったら同じ人で良かった。
やっぱりみんなエヴァが終わって暇なんだよ。あれくらいインパクトがあって意味分からない作品をもう一度作ろう。新たな隔離施設を作ろう
カシコイ人はじぶんもみいちゃんだと言いどこか汚れた蔑みを含む表現もそれも自由だと咀嚼できるんだけども世の中の大衆にそれを求めるのは酷。
みいちゃんという固有性が際立つからこそ、読者はそこにそれぞれの普遍性や問題を見出すのだろうね。読者の感性は自由だけれど、差別性を作品の性質として問題にするのなら作品そのものに即して考えるべきだと思う。
みいちゃんがこんな長文書くかな🤔
みいちゃんなんかについて考えるより、ちいかわ映画観に行きましょう大野さん!
「みいちゃんの生が一番きらめいた」のは何時なんだろうとはずっと思ってて 真っ当な福祉関係者は作中のストーリーには無いと言うのだろうけど 私はあると思うけど、そう思うこと自体が質の低い祈りなのでしょうね
みいちゃん、ボクとそっくりにゃ!飼い主さんのこと、たくさん甘やかしてあげてほしいにゃ!
批評のスキルがあればここまで読み込める、でも「先入観を捨て虚心に読み進めれば、まずそんな感想や反応は出てこない」は、一般には言えない。一般人の読解力は恐ろしく低い
どこからでも被害者ポジを取りに行くのスゲえよ
根本的な話として、作者の行動はそれはそれで批判してもいいが、作品の批評に作者の行動への批判を混ぜるのは違うとおれはおもう
先生は「「みいちゃんみたいな」と書いたと批判されているが、これは侮蔑目的とは違うだろう」って解釈なのでトップブコメの指摘はどうだろう…(私は侮蔑目的に見えたけど切り抜きしか知らないのでノーコメント)
ご自身のジャンルが表に出る希少な契機だからですね。これはもう新作の二次創作と言っても良さそう。
興味深く読み終わって大野左紀子氏の評か、なるほど骨太/『〜「こいつ一人に罪を被せればOK」という構造にはなっていない』自分の中でぼんやり「みいちゃんは社会に殺された」と感じてたのを的確に言語化された感覚
今のご時世でこの作品を書くってかなりストレスフルだろうし、作者が逃げたり、露悪的になってしまったりするのは仕方がないと思うのですよね。
90年代末に見た光景、再びか?
みいちゃんは〈私〉だ ───『みいちゃんと山田さん』を読んで - ohnosakiko’s blog
「作者が明確な作為を忍ばせたのは、両親が発達障害らしく近親相姦で生まれた”世を憚る子”(祖母目線)」 とまで書いておいてみいちゃんは自分だと思えるならマジでどうかしてると思う。
“特定の相手を侮蔑する目的で「みいちゃん」という言葉を使うとしたら、それは読み手の人格かマンガの読み方が著しく歪んでいる” これはそう。作品がおかしいのではなく読者がおかしい
随分ゴン太実家の呼延灼で草。
蔑称で人を「みいちゃん」呼びするのってもちろん使う人が悪いんだけど、描かれ方が関係ないわけない。映画ジョーカーのときは生きづらさを抱えた自認ジョーカーがいたが自認みいちゃんはいない
露悪的ではなく現実の戯画化ですよね。みいちゃんは純度100%の女の子、ほとんど天使。第36話の作劇は神がかっていた。#「市民ケーン」「フォレストガンプ」「カポーティ」「冬の旅」やアメリカンニューシネマ思い出す
エヴァが世に出てきたころ「よくこんな空っぽの作品で自分語りをするものだ」という文章が驚くほど世間を席捲していたが、同じ空気を感じる文章。
“誰もが納得できるリアリティや高いクオリティを、全37話の尺で新人作家に求めるのは、かなり高い要求ではないだろうか” 手に負えないなら扱うな、という批判も元々ある。消費物にしたのは正しかったのだろうか。
良い感想だと感じた。見解に共感できる。
みいちゃんは負の要素の魔合体キメラだけど、それらの要素一つ一つ(あるいはみいちゃん以外の登場人物の負の部分)のどれかしらは多くの人の〈私〉に引っかかるところがある。だからこんなにも人気が出た気がする。
作者が侮蔑的な意味でみいちゃんみたいなのって使ってるのがバレてるので、歪んでるのは読者だって言ったところで、2週間遅れの感想だよ。
作品から読み取れること、理解できることが、自分のなかの図書館に取り込まれて自分から見える現実世界を形作っていく---俺が斬月だ
細部までよく読み込んでいて妥当な読解だと思ったが、大野さんだったか。気がつかなかった。
作品以外の場所から拾ってきた文脈を勝手に取り付けて、批判する理由を探しながらワーワー騒いでいた人が多いという印象。
いい批評だとは思うが、作者の言動は下記のような穏当なものではなかったと思う "一緒に飲んだ人々を「みいちゃんみたいなの」と形容した絵では、「能天気にワーワー騒ぐだけの人」という意味で使っており"
マジか。RIP。
「みいちゃん、お前だったのか…」大造じいさんはそう呟くと散弾銃を口にくわえ
作者によると、みいちゃんのモデルは軽度の知的障害を持った手帳持ち。あと作者は「手術して目が覚めたら一時的に頭みいちゃんになってた」「魚界のみいちゃん」「特殊学級!」などと言ってるが…
創作の中のキャラに対して「これ自分だ」って思ったことは無いけど人のそういう文章を読むのは好き/でも読み返してみると自分が読み違えてるのかな…「〈私〉そのものを生きているみいちゃん」とか。
過不足なく素晴らしい評。私には作品を排除しようとする連中の差別意識がひどく醜く思えたが、彼らもまた「少しずつ悪い」うちの一人に過ぎないのだろう(私もな)/ せめて〈私〉の意味を理解する努力くらいしようぜ
優れた作品は多くの人からこれは自分のことだと思わせるチカラがあると聞いたことがあったな
良きレビューだなぁ。私も(作者のそれまでの言動も含めて批判が起きるのは、まぁ致し方ないとして)作品自体に見るべきところが全くないとは思わない。最終回の終わらせ方はどうなのかなとは思う。
「物語は偶然性を取り入れながらも、基本的には必然に従って動いていくように設計されていると私は感じた」
まさか大野さんに刺さるとはなあ…。世の中いろいろだねえ。
何を表現したかよりどのように表現したかが批判の対象。私はこの作品は表現技法からも作者や周辺の言動からも批判を免れ得ないと思うし、批判を規制や排除に摩り替えて被害者ぶる論法はすごく卑怯だと思っている。
大野左紀子さんの骨太な評論。題字で山田さんが明朝体みいちゃんが手書き風なのは社会規範に馴致されてるか否か。この馴致されない異物こそ私の中にいる〈私〉。共同体の罪を背負い死ぬみいちゃんの圧倒的な「生」。
作者と作品は別だし、共感に全てが同じ属性である必要はない。
叩くほどの作品ではないと思ってるけど、この作品における思ったより穏当な部分は作者がマスを狙うために必要だから入れてるだけなので乗っかってる言葉はすべて空疎に感じる
あの最終回は余りにも唐突に投げやりに終わったな、と思ったが、2人のみいちゃんにとっての救いはこの世の中で「死」以外に無かったのだろう。そして作品自体が救われるのも社会的な死しか無かったのかもしれない。
何を求めてフィクションを手に取るのか?クソな現実や自分を追認したり憐れんだりする為じゃ無いんだよね。自分の趣味では無いが、まあ、それを好む人もいるというだけの話
ちゃんとした批評家の仕事だと思うが。
「みいちゃんみたいなの」は冷めているとは思うが別に差別でも侮辱でもないだろう。障害者が出てくる作品と言えば「深い愛情と理解が伴って当然」と言いたいのかもしれないが、それは理想論であってリアルではない
とても丁寧な読み解き。「物語として不完全」的な批判をする人は、表現を単なるエンタメとして消費することに慣れすぎでは。作者自身にも説明できない、だから作品にした、ということだってある。
「みいちゃんを一つのリトマス試験紙として、人々の本音や人間性が浮かび上がってくる群像劇だが、しかし「こいつ一人に罪を被せればOK」という構造にはなっていない。だから救いがなく、カタルシスもない。」せやね
ディフォルメの漫画を突然リアルタッチにすると面白いというよくあるネタを初めて見たようなみい山感動人をXでも見たなと思ったら同じ人で良かった。
やっぱりみんなエヴァが終わって暇なんだよ。あれくらいインパクトがあって意味分からない作品をもう一度作ろう。新たな隔離施設を作ろう
カシコイ人はじぶんもみいちゃんだと言いどこか汚れた蔑みを含む表現もそれも自由だと咀嚼できるんだけども世の中の大衆にそれを求めるのは酷。
みいちゃんという固有性が際立つからこそ、読者はそこにそれぞれの普遍性や問題を見出すのだろうね。読者の感性は自由だけれど、差別性を作品の性質として問題にするのなら作品そのものに即して考えるべきだと思う。
みいちゃんがこんな長文書くかな🤔
みいちゃんなんかについて考えるより、ちいかわ映画観に行きましょう大野さん!
「みいちゃんの生が一番きらめいた」のは何時なんだろうとはずっと思ってて 真っ当な福祉関係者は作中のストーリーには無いと言うのだろうけど 私はあると思うけど、そう思うこと自体が質の低い祈りなのでしょうね
みいちゃん、ボクとそっくりにゃ!飼い主さんのこと、たくさん甘やかしてあげてほしいにゃ!
批評のスキルがあればここまで読み込める、でも「先入観を捨て虚心に読み進めれば、まずそんな感想や反応は出てこない」は、一般には言えない。一般人の読解力は恐ろしく低い
どこからでも被害者ポジを取りに行くのスゲえよ
根本的な話として、作者の行動はそれはそれで批判してもいいが、作品の批評に作者の行動への批判を混ぜるのは違うとおれはおもう
先生は「「みいちゃんみたいな」と書いたと批判されているが、これは侮蔑目的とは違うだろう」って解釈なのでトップブコメの指摘はどうだろう…(私は侮蔑目的に見えたけど切り抜きしか知らないのでノーコメント)
ご自身のジャンルが表に出る希少な契機だからですね。これはもう新作の二次創作と言っても良さそう。
興味深く読み終わって大野左紀子氏の評か、なるほど骨太/『〜「こいつ一人に罪を被せればOK」という構造にはなっていない』自分の中でぼんやり「みいちゃんは社会に殺された」と感じてたのを的確に言語化された感覚
今のご時世でこの作品を書くってかなりストレスフルだろうし、作者が逃げたり、露悪的になってしまったりするのは仕方がないと思うのですよね。
90年代末に見た光景、再びか?