子育て中の親を不安にさせて自分の商売に取り込む輩は昔からずっといる
この解釈には同意しないが、それはそれとして「道徳の教科書で取り上げられると解釈の余地が無くなる(テキスト自体は"考えさせる"書き方だが教室では往々にして正解が定められてしまう)」ことへの憤りはわかる。
のび太からすると「ダメなもんはしょうがないだろ」だけれど「まあ確かにサボってるしな」という負い目があるから「ぼくにこんなに期待して…」となっているのでは
この話自体はグロテスク。では、自分の親に話を聞いた結果、昭和の価値観から大きくアップデートされて、自分に寄り添ってくれる親だった。という対比で完成しそうには思う。
安倍政権の成果で、道徳に評価が付くようになったの知ってる?道徳の時間から特別の教科道徳にして、数値ではないけど評価される。ちょっとディストピアっぽい。
多分、“パターナリズム”の理解が間違ってる。というか、「道徳」こそが正にパターナリズムの最たる例なので。
ピグマリオン効果もあるから期待=抑圧という決め付けもいかがなものかと
「親のパターナリズムへの皮肉」を「親の(略)批判」と読んでしまい反発しちゃうんだろうが、「(例示の)パターナリズムへの皮肉」やろと。また「皮肉」は糾弾でも存在否定でもないし、反論にある喜劇をも内包する。
パターナリズム云々は曲解っぽいけど、教科書がオチを削って感動ポルノ化してるのは確かに最悪
マスコミに切り貼りされて、意味が逆になってしまったという風刺画があるが、このテキストはまさにそれ。都合の悪いコマを脱落させて、描かれているが厳密には意味が違う注釈を添えて読者をミスリードしていく。
生まれてくる子の将来を夢想する普遍的な親心を描いた作品です。パターナリズムも皮肉も批判もありません。実際のび太はそうした生き方を押し付けられてもいません。どいつもこいつも変な読み方をしないでください。
ドラえもん「日本が負けるの。(笑)」
中身はとにかく『家族の良さ』なんてことを言うから出生率が下がるんじゃないの。対等なパートナーを目指す教育をしたほうが、よほど家族を持ちたいと思う人は増えるんじゃないかな。
パターナリズムは強者が弱者の意思を無視して干渉すること。のび太に直接「思いやりがあって、勇かんで、明るく男らしくなれ!」と強要したならパターナリズムだが、願っているだけだからパターナリズムではない。
マンガとして面白いところを全カットして道徳の教材とは。むしろ、オチでなぜのび太の両親は急に勉強しだしたのび太を心配しているのか、を考えさせた方が道徳的な気がする。
藤子先生の人そこまで考えてないと思うよ/ドラえもんが誰向けにいつの時代に書かれたかを考えれば、この読み方は後年のコジツケールであることは見えてくる。でもまあ酒も卵を産むし。
どちらの読み方も、親と子双方向の信頼関係や愛情が前提にあるのを無視して、機械的な解釈に単純化し過ぎではないだろうか。人間関係の機微は、そんなシンプルに抽象化できるものでないと思うが。
発端の投稿でグロテスクと言われてるのは親子の情ではなく道徳の教科書だよね。過大な期待を茶化してはいるけど、"強烈な"皮肉とは自分は読まないかな。にわかに無茶するのび太と、体を壊すと心配する親の対比が面白
難しい言葉で見当違いのことを言う。これがバカの見本です。ドラえもんは小学生にもわかる言葉で本質的なことを描いている。
ひねくれすぎ。勝手に解釈を決めつけるのがキモい。
時代が全然違うので、、
ドラえもんの原作のエピソードに皮肉が込められてない方が珍しいと思う
頭悪い奴ってナニをどう読むかわからんのでこええなぁ。
この話のキモはのび太がふたりの会話に割って入る部分なので肝心なのはオチでもない。パターナリズムへの皮肉とやらでもない。親の期待に過去から干渉しようとする子供というSF話。
「ドラえもん」が世界一の漫画であることは論を俟たないですが、道徳の教科書には「まんが道」もいいと思うよ。“漫賀道雄は、日上なぐりつけてやりたい! と思った!”
書いていないことを読み取るんじゃないって塾の先生から言われたことがある。
道徳の授業の裏テーマって、コミュ力向上じゃないの?周りに合わせて「はっとさせられました」とか言っておくのが正解
青バッジ…散っ!
道徳とドラえもんの相性の悪さよ
パターナリズムへの皮肉と書いた方も、道徳の教科書も、どちらも読み方を強要しててキモい。
昭和にパターナリズム概念がそもそもないので皮肉も何も
もうだいぶ前から、親は子どもの将来を担保できる時代ではなくなっている。自分が正しいと思っていることも子どもの代では悪に変わっている。親が子供にできることは、せめて不幸にならないように配慮するくらい。
エンタメを道徳の教材にしようなどとおこがましいとは思わんかね。 / それはそれとして、近年のヒット作は「何か成せなくても生まれきただけで素晴らしい」に近い考えは多い(呪術廻戦や進撃の巨人は概ねこれ)
曲解も解釈なので議論の余地はある。解釈は色々で良い。道徳の教科書は「意図的な切り取り罪」を犯しておりグロい。どうせなら漫画全部を載せてから解釈を問う形にした方が良い。僅か10頁ですよこの話。すごいよね。
他人の作品を改変して道徳教育に使うことの道徳性、はいつ学べるんだろうね
ほっときゃいいじゃない…教科書にまでケチつけに行かなくても…と、思わなくもない。国語の古典小説一部切り抜きで作者本人激怒なんてザラだよ…藤子不二雄プロの人なのかな?
そこまで確固とした考えで描かれてないと思うけど解釈が権威で固定化されていく。世の中の古典教典の解釈もそうやって成立していったのは多いんだろうな
面白い考察ですが、作者の方に確認は取ったのでしょうか。
こういった偏った切り抜きに対して結論を急がず思考する事が道徳教育なのでは?
OkOk、一旦落ち着こう
まぁオチを削ると少しメッセージが変わる気はする
Twitterはバカ発見器という事例がまた一つ(笑)ひねくれたモノの見方を発信することは表現の自由で守られている。だがこんなひねくれた人物が教育者を自称するのは世も末だと思わざるをえない。
ドラえもんは親子の欠点や衝突を描いても「でも家族の情は素敵」に落ち着く話が多く、作品全体は家族関係を強く肯定してるのにな。パターナリズムの弊害描写は普段のママの過剰な説教でやってて、これは美談回だよ。
こういう作品解釈の話に作者の意図に関する議論が混入するのは教育が足りていない。道徳を教える前に批評史・批評理論を教えるべき
最後のコマのドラえもんの感情だけはどうしてもわからない
この教科書の引用の仕方は、コマの抜粋で大分読みを限定してるから嫌かも。この引用だと「社会のために役立つ人間に」なんて台詞が無批判に読める。本来、そうでなくてものび太はいいやつだから意味があるんじゃ。
頭いい感じでスゴい長文ぶっこんでるけどものすごくズレてる人だなぁという感想しかない
どの辺がパターナリズムなのかさっぱり分からんのだが
感じたように好きに解釈すればいいし、解釈のバリエーションが多いことも良いことと思うけど、解釈が合わなかったり、感じとれないことを「マトモに読めない」とか「グロテスク」呼ばわりするのはいかがなものか。
“そのせつなさ。ドラえもんは、そこで何が起こっているのかを分かっているから、しんどい顔をしている。”ここは明確に間違っている。どう見ても呆れ顔。
教材として一部分に切り取られた題材の原典を最後までみせたげようなどと思った 教科書をナナメによむ視点もあわせて ね
道徳の教科化は撤廃してもらいたい
この話を読んで「親のパターナリズムへの強烈な皮肉」とか言い出す奴、単に家庭環境に問題があって自他境界か曖昧なやべー奴でしょ/道徳の教科書にする事の是非はともかく、やっぱ塾の経営者とかやばい奴だらけだな
なんのこっちゃ。道徳の教科書の解釈の方が合ってるでしょどう考えても。道徳の題材としての引用範囲も適切で間違ってないでしょ。曲解は解釈の余地に入らないよ。
そんな訳ねえだろガハハ、で済む妄言だけど、ドラえもんを道徳の教科書に使うのもそれはそれで狂ってる。
まあ解釈は自由ですけど、パターナリズムって言葉を覚えたてなのかな?ってぐらい全然自分の解釈からは外れてますね
そもそも厳しく叱られて「本当の子どもじゃないんだ」みたいに言い出す回でしょこれ。親の期待と愛情を知って極端な猛勉強に走るというオチで、皮肉どうこうの話じゃない。
世の中を見る目にあらかじめ強いバイアスのかかっている人。ドラえもんに普遍的な教訓を読み取り道徳の教材にするのも間違っているが、時代を超えた風刺を読み取るのも態々そこでやることではない。
ドラえもんの「ぼくの生まれた日」はもともと親のパターナリズムへの強烈な皮肉として読める?道徳の教科書に登場するエピソードの解釈が議論に
子育て中の親を不安にさせて自分の商売に取り込む輩は昔からずっといる
この解釈には同意しないが、それはそれとして「道徳の教科書で取り上げられると解釈の余地が無くなる(テキスト自体は"考えさせる"書き方だが教室では往々にして正解が定められてしまう)」ことへの憤りはわかる。
のび太からすると「ダメなもんはしょうがないだろ」だけれど「まあ確かにサボってるしな」という負い目があるから「ぼくにこんなに期待して…」となっているのでは
この話自体はグロテスク。では、自分の親に話を聞いた結果、昭和の価値観から大きくアップデートされて、自分に寄り添ってくれる親だった。という対比で完成しそうには思う。
安倍政権の成果で、道徳に評価が付くようになったの知ってる?道徳の時間から特別の教科道徳にして、数値ではないけど評価される。ちょっとディストピアっぽい。
多分、“パターナリズム”の理解が間違ってる。というか、「道徳」こそが正にパターナリズムの最たる例なので。
ピグマリオン効果もあるから期待=抑圧という決め付けもいかがなものかと
「親のパターナリズムへの皮肉」を「親の(略)批判」と読んでしまい反発しちゃうんだろうが、「(例示の)パターナリズムへの皮肉」やろと。また「皮肉」は糾弾でも存在否定でもないし、反論にある喜劇をも内包する。
パターナリズム云々は曲解っぽいけど、教科書がオチを削って感動ポルノ化してるのは確かに最悪
マスコミに切り貼りされて、意味が逆になってしまったという風刺画があるが、このテキストはまさにそれ。都合の悪いコマを脱落させて、描かれているが厳密には意味が違う注釈を添えて読者をミスリードしていく。
生まれてくる子の将来を夢想する普遍的な親心を描いた作品です。パターナリズムも皮肉も批判もありません。実際のび太はそうした生き方を押し付けられてもいません。どいつもこいつも変な読み方をしないでください。
ドラえもん「日本が負けるの。(笑)」
中身はとにかく『家族の良さ』なんてことを言うから出生率が下がるんじゃないの。対等なパートナーを目指す教育をしたほうが、よほど家族を持ちたいと思う人は増えるんじゃないかな。
パターナリズムは強者が弱者の意思を無視して干渉すること。のび太に直接「思いやりがあって、勇かんで、明るく男らしくなれ!」と強要したならパターナリズムだが、願っているだけだからパターナリズムではない。
マンガとして面白いところを全カットして道徳の教材とは。むしろ、オチでなぜのび太の両親は急に勉強しだしたのび太を心配しているのか、を考えさせた方が道徳的な気がする。
藤子先生の人そこまで考えてないと思うよ/ドラえもんが誰向けにいつの時代に書かれたかを考えれば、この読み方は後年のコジツケールであることは見えてくる。でもまあ酒も卵を産むし。
どちらの読み方も、親と子双方向の信頼関係や愛情が前提にあるのを無視して、機械的な解釈に単純化し過ぎではないだろうか。人間関係の機微は、そんなシンプルに抽象化できるものでないと思うが。
発端の投稿でグロテスクと言われてるのは親子の情ではなく道徳の教科書だよね。過大な期待を茶化してはいるけど、"強烈な"皮肉とは自分は読まないかな。にわかに無茶するのび太と、体を壊すと心配する親の対比が面白
難しい言葉で見当違いのことを言う。これがバカの見本です。ドラえもんは小学生にもわかる言葉で本質的なことを描いている。
ひねくれすぎ。勝手に解釈を決めつけるのがキモい。
時代が全然違うので、、
ドラえもんの原作のエピソードに皮肉が込められてない方が珍しいと思う
頭悪い奴ってナニをどう読むかわからんのでこええなぁ。
この話のキモはのび太がふたりの会話に割って入る部分なので肝心なのはオチでもない。パターナリズムへの皮肉とやらでもない。親の期待に過去から干渉しようとする子供というSF話。
「ドラえもん」が世界一の漫画であることは論を俟たないですが、道徳の教科書には「まんが道」もいいと思うよ。“漫賀道雄は、日上なぐりつけてやりたい! と思った!”
書いていないことを読み取るんじゃないって塾の先生から言われたことがある。
道徳の授業の裏テーマって、コミュ力向上じゃないの?周りに合わせて「はっとさせられました」とか言っておくのが正解
青バッジ…散っ!
道徳とドラえもんの相性の悪さよ
パターナリズムへの皮肉と書いた方も、道徳の教科書も、どちらも読み方を強要しててキモい。
昭和にパターナリズム概念がそもそもないので皮肉も何も
もうだいぶ前から、親は子どもの将来を担保できる時代ではなくなっている。自分が正しいと思っていることも子どもの代では悪に変わっている。親が子供にできることは、せめて不幸にならないように配慮するくらい。
エンタメを道徳の教材にしようなどとおこがましいとは思わんかね。 / それはそれとして、近年のヒット作は「何か成せなくても生まれきただけで素晴らしい」に近い考えは多い(呪術廻戦や進撃の巨人は概ねこれ)
曲解も解釈なので議論の余地はある。解釈は色々で良い。道徳の教科書は「意図的な切り取り罪」を犯しておりグロい。どうせなら漫画全部を載せてから解釈を問う形にした方が良い。僅か10頁ですよこの話。すごいよね。
他人の作品を改変して道徳教育に使うことの道徳性、はいつ学べるんだろうね
ほっときゃいいじゃない…教科書にまでケチつけに行かなくても…と、思わなくもない。国語の古典小説一部切り抜きで作者本人激怒なんてザラだよ…藤子不二雄プロの人なのかな?
そこまで確固とした考えで描かれてないと思うけど解釈が権威で固定化されていく。世の中の古典教典の解釈もそうやって成立していったのは多いんだろうな
面白い考察ですが、作者の方に確認は取ったのでしょうか。
こういった偏った切り抜きに対して結論を急がず思考する事が道徳教育なのでは?
OkOk、一旦落ち着こう
まぁオチを削ると少しメッセージが変わる気はする
Twitterはバカ発見器という事例がまた一つ(笑)ひねくれたモノの見方を発信することは表現の自由で守られている。だがこんなひねくれた人物が教育者を自称するのは世も末だと思わざるをえない。
ドラえもんは親子の欠点や衝突を描いても「でも家族の情は素敵」に落ち着く話が多く、作品全体は家族関係を強く肯定してるのにな。パターナリズムの弊害描写は普段のママの過剰な説教でやってて、これは美談回だよ。
こういう作品解釈の話に作者の意図に関する議論が混入するのは教育が足りていない。道徳を教える前に批評史・批評理論を教えるべき
最後のコマのドラえもんの感情だけはどうしてもわからない
この教科書の引用の仕方は、コマの抜粋で大分読みを限定してるから嫌かも。この引用だと「社会のために役立つ人間に」なんて台詞が無批判に読める。本来、そうでなくてものび太はいいやつだから意味があるんじゃ。
頭いい感じでスゴい長文ぶっこんでるけどものすごくズレてる人だなぁという感想しかない
どの辺がパターナリズムなのかさっぱり分からんのだが
感じたように好きに解釈すればいいし、解釈のバリエーションが多いことも良いことと思うけど、解釈が合わなかったり、感じとれないことを「マトモに読めない」とか「グロテスク」呼ばわりするのはいかがなものか。
“そのせつなさ。ドラえもんは、そこで何が起こっているのかを分かっているから、しんどい顔をしている。”ここは明確に間違っている。どう見ても呆れ顔。
教材として一部分に切り取られた題材の原典を最後までみせたげようなどと思った 教科書をナナメによむ視点もあわせて ね
道徳の教科化は撤廃してもらいたい
この話を読んで「親のパターナリズムへの強烈な皮肉」とか言い出す奴、単に家庭環境に問題があって自他境界か曖昧なやべー奴でしょ/道徳の教科書にする事の是非はともかく、やっぱ塾の経営者とかやばい奴だらけだな
なんのこっちゃ。道徳の教科書の解釈の方が合ってるでしょどう考えても。道徳の題材としての引用範囲も適切で間違ってないでしょ。曲解は解釈の余地に入らないよ。
そんな訳ねえだろガハハ、で済む妄言だけど、ドラえもんを道徳の教科書に使うのもそれはそれで狂ってる。
まあ解釈は自由ですけど、パターナリズムって言葉を覚えたてなのかな?ってぐらい全然自分の解釈からは外れてますね
そもそも厳しく叱られて「本当の子どもじゃないんだ」みたいに言い出す回でしょこれ。親の期待と愛情を知って極端な猛勉強に走るというオチで、皮肉どうこうの話じゃない。
世の中を見る目にあらかじめ強いバイアスのかかっている人。ドラえもんに普遍的な教訓を読み取り道徳の教材にするのも間違っているが、時代を超えた風刺を読み取るのも態々そこでやることではない。