至言。インスタントな冷笑が頭に浮かぶ時、往々にして対象の背景をよく知らない。自戒せねば……。 “解像度が上がった対象に対して、人は冷笑しづらい。その内情やバックヤードを想像してしまうから。”
冷笑は精神の防衛本能だけど、行き着く先は虚無だからな。手を動かして何か作るのが一番の処方箋ってのは納得
冷笑ややれやれ系の青春時代を送ると人生で一番熱量があって失敗もできる時期を棒に振ることになる。オタクもそうだ。ニヒリズムや斜に構えた人間は物語では面白いが実在すると誰からも愛されない
昔はニヒリズムって言われてたしいつだってバランスを取るようにどちらか一方に振れる事なんかねえよ
それがまさに積極的ニヒリズムってやつじゃあないのかい
「黒歴史も立派な歴史なのだ」いい言葉だ。 後につながったから、言えるセリフであるから、うまく自分語りすることで、どうにかして自分にとっていい歴史だと、ふりかえれると良いね。中二病は大事なプロセス。
逆に聞きたいんだけどオタクが冷笑的じゃない時代ってあったの?w
まぁ一応いつもの https://b.hatena.ne.jp/entry/345092308/comment/rag_en 。事実上の「奴等はなぜ(我々と違って)まともなんだ」しか言えてないやつ。なんつーか、この『「行動」してる奴の方が偉い』的な歪んだ信念、なんなんやろ。
冷笑、懐疑、越境、相対主義。一方が決めつけ、規範化、専門、科学主義。ある日AIが後者をがんがん電撃してきたから、いやでも俺たちは前者に追いやられているという感想
冷笑はキョン全盛期の2000年代の方が強かった印象
三国陣やおうみ仕草やにゃるら仕草を見ればわかるが冷笑は恥じるべき文化なので捨てるべきなので持ち上げるような文化でも保護する様なものでも無いし冷笑系冷笑をいい年したおっさんおばさんおっさんも自覚するんだ
冷笑・皮肉用の拠点も、創作を称賛するポジティブな発信源もどっちも持ってるし、どっちが"文化"にとって正解とかはないよね / どっちが"自分の人生"にプラスになるかというと後者には違いないが
冷笑系の人達、自分の観測範囲では自己肯定感が低そう。固定ハンドルに「うんこ」的ワードを入れる人が多い印象。
オタクの原点に戻って自分のみで楽しむ。知り合いはクローズドで。
冷笑っていうかどいつもこいつも「上手いこと言ってお手軽にその場のヒーローヒロインになりたがってる」って感じ。
オタク文化とネット文化の関係は、ヘヴィメタルとパンクロックの関係に似ている気がする(技巧の洗練・フィクショナルな題材 対 本能的勢い・現実の鬱憤に寄せた題材、両者は時に対立して時に融合する)
非当事者性と冷笑趣味は相性が悪い / 塩素系洗剤と酸性洗剤みたいな感じ、混ぜるな危険
冷笑って他者に対して精神的優位性を誇示するアグレッションが目的化しやすいからダメなんだよな。そういう意味では自分を棚に上げる冷笑ほど醜いものはない。ちゃんとニヒリズムを突き詰めて醜い自意識を縮退させろ
視界に入れないのが一番。
冷笑に情熱を注いでる人も多く、それはそれで立派な冷笑オタクだから誇ってけ~。冷笑と熱血でもっと戦え!冷笑に抗ううちに冷笑を嘲笑う冷笑系になってましたと𝕏にお気持ちを表明して消え去れ!そして転生しろ!
「手を動かして何かできる方がずっといい」が分かる人と分からない人で天と地ほどの差があるし、分かれる自分にアホみたいに憧れられないと分かる人になれなくて、分からないならもう手おくれなのよね。残酷だよ。
「冷笑」という侮蔑用語が生まれただけでも十分!冷笑はダサいという認識を根付かせるのだ。松本人志、ちびまる子ちゃん、ひろゆきの台頭以来30年続いてきた冷笑礼賛の歴史に終止符を打つときが来た
ちゃんと追ってたわけじゃないので断言できんが、お花畑の戦争反対・ポリコレ思考を冷笑された左翼が急にダサいダサいって騒ぎだしたのが波及したイメージだな。元々は愛国心ダサイよねって冷笑的態度取ってたのに
冷笑的な態度を取る人が昔より増えたって感覚はあんまないんだよな。むしろ冷笑でもなんでもないように見える正面からの批判ポストに「冷笑ですか?」みたいなリプがつくようになったことのほうが気になる
好きな物がひとつもない人間がインターネットでは最強になる。もちろん、それは哀れなことなのだが、本人にその見立ては通じない。黙ってブロック・ミュートするしかないだろう。
ツッコミと思えば冷笑は楽しい。どうやってそれに共感しないか、は結構シリアスな問題である。
冷笑とやれやれは結構違う気がしなくもない。やれやれはバカにしてる感があまり感じられない。
戦後民主主義時代の価値観が急激に自壊しつつある時代に旧来の価値観に希望が持てないのも当然では。我々には絶望的なまでに市場しか存在しない。神に救いを求めることも出来ない。国家や左翼は言うまでもない。
60年安保後のシラケ世代がどうしたって?/やりたいことをやれ。興味のあることに邁進しろ。世間の評価など鼻で笑え。オタクとはそういう生き方のことだ
なぜお前らは自分たちの選択や態度が間違っていたことに気づいてしまうのか。はてなで仲間たちといれば永遠に自分たちは正解を選んだと信じられるはずなのに
『精神的な健康を維持するには、自意識をどう保つかという観点は非常に重要だ』:「イチゴ白書」とか「しらけ」とか「新人類」「無気力」「政治離れ」みたいなのじゃなくて、これの話なのでしょうね。
僕も最近プラモに色塗る様になって、手を動かしている間は楽しいのだけれども、一個も完成しないのがなんかつらい。/婚活レポで話にならない男の報告見た時、いつも俺だ、って思う。
スカすなよ
冷笑を仮想敵にしておくのが安牌ムーブになってそろそろ皆それにも飽きてきた今にどう抗うか
積極的にミュートやブロックを活用して脳に優しいタイムラインを作れば良い。ガチで。その手のやつに脳の貴重なリソースを使うのがもったいない。
うおw https://x.com/negima_363/status/1982725328180232642
冷笑に当たるのか、はよくわからないけど、自分の中のややこしい問題や課題を創作という行為に落とし込めると、取り扱いやすくなるみたいなことを思ったことある。
1980~90年代の冷笑系相対主義は自分自身をも冷笑する自虐ギャグが入ってたけど、2ch全盛期以降、他者を見下して優越感を得ることが目的化した印象。「オマエモナー」だけでなく「オレモナー」がない
個別に批判するのは分かるけど特定の態度一般を否定するの全然分からない、SNSのやり過ぎじゃないですか
パッションに対するカウンターで冷笑が来てそのカウンターでパッションが来るならそのうちまた冷笑のターン来そう。
時代というより、若者が罹りやすい病気みたいなもんじゃないの昔から
むしろ推し活全盛の時代になにいってるのかわからん どっちがどっちの反動なのかもよくわからない
下手くそだとしても何か作ってる方が楽しく生きられる。自分を冷笑し出すと本当に何もできなくなる。尾田栄一郎や藤本タツキ以外漫画描いても意味ないみたいな極端な思想になる。バカらしいよ。
冷笑時代に、オタクはどう抗うか|すくみづ
至言。インスタントな冷笑が頭に浮かぶ時、往々にして対象の背景をよく知らない。自戒せねば……。 “解像度が上がった対象に対して、人は冷笑しづらい。その内情やバックヤードを想像してしまうから。”
冷笑は精神の防衛本能だけど、行き着く先は虚無だからな。手を動かして何か作るのが一番の処方箋ってのは納得
冷笑ややれやれ系の青春時代を送ると人生で一番熱量があって失敗もできる時期を棒に振ることになる。オタクもそうだ。ニヒリズムや斜に構えた人間は物語では面白いが実在すると誰からも愛されない
昔はニヒリズムって言われてたしいつだってバランスを取るようにどちらか一方に振れる事なんかねえよ
それがまさに積極的ニヒリズムってやつじゃあないのかい
「黒歴史も立派な歴史なのだ」いい言葉だ。 後につながったから、言えるセリフであるから、うまく自分語りすることで、どうにかして自分にとっていい歴史だと、ふりかえれると良いね。中二病は大事なプロセス。
逆に聞きたいんだけどオタクが冷笑的じゃない時代ってあったの?w
まぁ一応いつもの https://b.hatena.ne.jp/entry/345092308/comment/rag_en 。事実上の「奴等はなぜ(我々と違って)まともなんだ」しか言えてないやつ。なんつーか、この『「行動」してる奴の方が偉い』的な歪んだ信念、なんなんやろ。
冷笑、懐疑、越境、相対主義。一方が決めつけ、規範化、専門、科学主義。ある日AIが後者をがんがん電撃してきたから、いやでも俺たちは前者に追いやられているという感想
冷笑はキョン全盛期の2000年代の方が強かった印象
三国陣やおうみ仕草やにゃるら仕草を見ればわかるが冷笑は恥じるべき文化なので捨てるべきなので持ち上げるような文化でも保護する様なものでも無いし冷笑系冷笑をいい年したおっさんおばさんおっさんも自覚するんだ
冷笑・皮肉用の拠点も、創作を称賛するポジティブな発信源もどっちも持ってるし、どっちが"文化"にとって正解とかはないよね / どっちが"自分の人生"にプラスになるかというと後者には違いないが
冷笑系の人達、自分の観測範囲では自己肯定感が低そう。固定ハンドルに「うんこ」的ワードを入れる人が多い印象。
オタクの原点に戻って自分のみで楽しむ。知り合いはクローズドで。
冷笑っていうかどいつもこいつも「上手いこと言ってお手軽にその場のヒーローヒロインになりたがってる」って感じ。
オタク文化とネット文化の関係は、ヘヴィメタルとパンクロックの関係に似ている気がする(技巧の洗練・フィクショナルな題材 対 本能的勢い・現実の鬱憤に寄せた題材、両者は時に対立して時に融合する)
非当事者性と冷笑趣味は相性が悪い / 塩素系洗剤と酸性洗剤みたいな感じ、混ぜるな危険
冷笑って他者に対して精神的優位性を誇示するアグレッションが目的化しやすいからダメなんだよな。そういう意味では自分を棚に上げる冷笑ほど醜いものはない。ちゃんとニヒリズムを突き詰めて醜い自意識を縮退させろ
視界に入れないのが一番。
冷笑に情熱を注いでる人も多く、それはそれで立派な冷笑オタクだから誇ってけ~。冷笑と熱血でもっと戦え!冷笑に抗ううちに冷笑を嘲笑う冷笑系になってましたと𝕏にお気持ちを表明して消え去れ!そして転生しろ!
「手を動かして何かできる方がずっといい」が分かる人と分からない人で天と地ほどの差があるし、分かれる自分にアホみたいに憧れられないと分かる人になれなくて、分からないならもう手おくれなのよね。残酷だよ。
「冷笑」という侮蔑用語が生まれただけでも十分!冷笑はダサいという認識を根付かせるのだ。松本人志、ちびまる子ちゃん、ひろゆきの台頭以来30年続いてきた冷笑礼賛の歴史に終止符を打つときが来た
ちゃんと追ってたわけじゃないので断言できんが、お花畑の戦争反対・ポリコレ思考を冷笑された左翼が急にダサいダサいって騒ぎだしたのが波及したイメージだな。元々は愛国心ダサイよねって冷笑的態度取ってたのに
冷笑的な態度を取る人が昔より増えたって感覚はあんまないんだよな。むしろ冷笑でもなんでもないように見える正面からの批判ポストに「冷笑ですか?」みたいなリプがつくようになったことのほうが気になる
好きな物がひとつもない人間がインターネットでは最強になる。もちろん、それは哀れなことなのだが、本人にその見立ては通じない。黙ってブロック・ミュートするしかないだろう。
ツッコミと思えば冷笑は楽しい。どうやってそれに共感しないか、は結構シリアスな問題である。
冷笑とやれやれは結構違う気がしなくもない。やれやれはバカにしてる感があまり感じられない。
戦後民主主義時代の価値観が急激に自壊しつつある時代に旧来の価値観に希望が持てないのも当然では。我々には絶望的なまでに市場しか存在しない。神に救いを求めることも出来ない。国家や左翼は言うまでもない。
60年安保後のシラケ世代がどうしたって?/やりたいことをやれ。興味のあることに邁進しろ。世間の評価など鼻で笑え。オタクとはそういう生き方のことだ
なぜお前らは自分たちの選択や態度が間違っていたことに気づいてしまうのか。はてなで仲間たちといれば永遠に自分たちは正解を選んだと信じられるはずなのに
『精神的な健康を維持するには、自意識をどう保つかという観点は非常に重要だ』:「イチゴ白書」とか「しらけ」とか「新人類」「無気力」「政治離れ」みたいなのじゃなくて、これの話なのでしょうね。
僕も最近プラモに色塗る様になって、手を動かしている間は楽しいのだけれども、一個も完成しないのがなんかつらい。/婚活レポで話にならない男の報告見た時、いつも俺だ、って思う。
スカすなよ
冷笑を仮想敵にしておくのが安牌ムーブになってそろそろ皆それにも飽きてきた今にどう抗うか
積極的にミュートやブロックを活用して脳に優しいタイムラインを作れば良い。ガチで。その手のやつに脳の貴重なリソースを使うのがもったいない。
うおw https://x.com/negima_363/status/1982725328180232642
冷笑に当たるのか、はよくわからないけど、自分の中のややこしい問題や課題を創作という行為に落とし込めると、取り扱いやすくなるみたいなことを思ったことある。
1980~90年代の冷笑系相対主義は自分自身をも冷笑する自虐ギャグが入ってたけど、2ch全盛期以降、他者を見下して優越感を得ることが目的化した印象。「オマエモナー」だけでなく「オレモナー」がない
個別に批判するのは分かるけど特定の態度一般を否定するの全然分からない、SNSのやり過ぎじゃないですか
パッションに対するカウンターで冷笑が来てそのカウンターでパッションが来るならそのうちまた冷笑のターン来そう。
時代というより、若者が罹りやすい病気みたいなもんじゃないの昔から
むしろ推し活全盛の時代になにいってるのかわからん どっちがどっちの反動なのかもよくわからない
下手くそだとしても何か作ってる方が楽しく生きられる。自分を冷笑し出すと本当に何もできなくなる。尾田栄一郎や藤本タツキ以外漫画描いても意味ないみたいな極端な思想になる。バカらしいよ。