路傍のフジイがあのシーンになったら、撃退できるんかな
脚本の人そこまで考えてないと思うよ
またエヴァの話してる
水槽の綾波シリーズでいかがわしいことしてたんだろ。
人海戦術ワロタw
その他大勢の代表格のような扱いちゃうこ。しらんけど。
面白いな、1人だけビビってるから…なぞを呼ぶってこと
バタイユ的にいえば、愛するものと一つになり自他の境界が失われることは、人にとって究極の歓喜であるとともに究極の恐怖(AT)。青葉シゲルと他の二人との対比は、レイとアスカのどちらも選べないシンジの写し絵。
青葉だけキャラの掘り下げしてなかったから仕方なく、かな
目を閉じて拒絶してるから、幻じゃない真実って描写だと思ってたけどいろんな考え方があるのな
“ゲル”
救済に見せかけた悍ましさの演出でしょ
ATフィールド=心の壁をどうやって開放させるかというシーンなので、「北風と太陽」よろしく、想い人の幻影で自ら心を開かせるか、恐怖の物量で心を壊すかという手段の違いだと思ってる。
ゲイだから、って説があったな。エヴァのコアになってるのも女性だし(eveだからか)そもレイが男性の姿で迎えに来る描写がなかったんよな。じゃあノーマル女性には誰がってなると母親が出てくんのかな
昨日見てきた、そういえば漫画もちゃんと読んでないな(積んでた)、読むか
マヤやマコトは憧れの人の姿が迎えに来て、嬉しそうに補完されるけど、シゲルは本気で怯えてて、補完計画のエグさを見せてくれたよね。別にひとつになりたい他者がいない人間には厭なもんだよな、人類補完計画。
青葉シゲル、お迎えレイの特等席ですわね!彼のATフィールド、心のバリアが強すぎますの。
言われてみれば不思議だけど、想い人がいなかったとか、作中では出てこなかったので出さなかったとかなのかも。
おかずにした数だけお迎えが来た説
ゲンドウの元にやって来るのはあれだけ求めたユイではなく、エヴァなのが哀しい。もはや彼の愛は執着と成り果て・・・/青葉シゲルは強制補完ですね
「あ、シゲルの恋人作るの忘れてたわ」
エヴァよくわからん。内容がどうのじゃなくて、どういう作品があるのかがわからん。多すぎる。
この説、好き!〉「3レイがギターに変身できないから仕方なく」「それでギターがお迎えに来るネタ絵も好き」
アンソロのやつ見たい
わあいエヴァの謎本、あかりエヴァの謎本だいすきー
笑ってしまった > レイがギターに変身できないから仕方なく
彼だけそういった思い人に関する設定がなく、制作スタッフの苦肉の策だと思っている。名前のある主要メンバーなので、彼だけ補完シーンを省くわけにはいかなかっただろうし。
アニメのこのシーンのせいで、当時の俺のオタク友達内でシゲルは変態扱いされてたな。懐かしい。まだネットが発達してないので、中高生くらいのオタクは学校のリアルオタ友相手に各自で考察を披露し合ってた時代だ
見に行ったけどステッカーなんてくれなかったんだけど・・・/外伝の何かでこの人の掘り下げやってたような気がするんだがだいぶ記憶薄れてるな
「実はこれが補完の真実の姿でありシゲルだけ見えててマコトたちのは幻だった説」第一印象はそんな感じだったなぁ。これといった想い人がいないとこうなる、みたいな
効かないから大量の綾波が来た、みたいな解釈が全然理解できない。1綾波で1補完みたいなあれじゃないでしょw
ギターがたくさん押し寄せてきてもそれはそれで怖いよな
「自分の全てを誰かに認めて、受け入れて欲しい」って思える相手が1人もいなかったんだろって解釈してる。
旧エヴァのポスターは相変わらず良いな
さすがにエヴァ擦りすぎやでw。そういや御大級作品がすっかり無くなってもうたなあ。世界で何周擦れるやろかなクールジャパンな世界線になってもうたか。南無。
他がチョロすぎて大量に余ったのを折角だからと全投入してみた説はどうか。
考えてみりゃ、「誰か自分のことを受け入れて欲しい」と思いつつ「自分のことを受け入れて欲しい特定の人物」がいない人はそこそこいる可能性があるわな。
新劇エヴァもロクに出番ないし、庵野監督は青葉シゲルに本当に無関心なんだろう/ギター好きな明るい一面もあり、エヴァで唯一病んでないまともな人だと思ってたけど……ただ出番がないだけか
他の人は「ひとつになりたい」相手がいたけどシゲルにはいなかった、という解釈で良いなら、シゲルの好感度があがるな。
公開当時に映画館で観たが、あのシーンは小学生ながらにさすがにちょっと笑った記憶あるw 青葉シゲルかわいそうだろとw
確か、怯えていたのはこの人だけよね?このシーンは当時だいぶ胸に来たなぁ。単純に、一つになりたい、自分を受け入れて欲しい相手がいない者にとっては、何も嬉しくないことだという描写だと思ってたわ。
ただただ親しい人が居ないだけだろ。
男は迎えにきてないんだよね。ゲイだったのかも…
シンジくんが預けられていたのがミサトさんじゃなくてシゲルさんだったらもうちょい幸せだった説
直近のおかず(人数は抜いた数)かと思ってたわ
青葉さんはセガサターン版エヴァでシンジ達がバンド組む時にとてもいいお兄ちゃんとしてまともな演奏できるまで先生として付き合ってくれた真のギター愛好家なんだよ…綾波もギター担いでこいよ…
個として完成され補完を超越した青葉シゲルが最後シンジとアスカを迎えに行くのは名シーンでしたね……
シンエヴァのパンフで子安さんのコメント、特にあんまないっすねみたいな感じでシゲルの扱いマジ空気だったんだなーって
シン冬月が気合で補完を耐えていた描写を見たので補完に耐えるのは脱糞を堪えるようなものなんだと思っている。シゲルは怖かったので脱糞したようなものだと考えるとつじつまも合う(あわない)
仮にギターになったとしてもそれはそれで怖い画になりそうだね...。
シゲルのお相手と言ったらサトシでしょ
「日向→ミサト、冬月→ユイ、マヤ→リツコとみな想い人に姿を変えてくるからまだ恐怖心が薄らいでいるだけ」リツコなんだと思った。ひとつになる設定ってキリスト教?なるたる。も、そんな終わりだった気がする。
生きることにそれほど苦痛ではなく、他者と一つになる必要性を感じてなかった人が無理矢理、補完計画に巻き込まれた、多くの一般人被害者事例の描写かなぁ。
心象風景か実空間かの違いかと思ってた。
愛って呪術や狂気が孕むし(僕は○にましぇん!や阿部貞、子を守る為なら○ねる等)、その具現化なんだろうと思った。憑かれてる人には甘美だが、他者には恐怖や悪夢だろう。
ギターに変身できなかった説好き
ほー、今は笑えるって反応なのか。当時「心から愛する人がいない者の末路はこうも寒々しい」と受け取って、薄情者の自分は…と凹んだものだった(若さ)
たんにレイに何かしら偏愛だった(覗きとかやってたとか)のかと思ってた
エヴァの補完シーン、なぜ青葉シゲルだけ「お迎えレイ」がたくさん来ていたのか→持ち前のATフィールドが強力だった説、想い人がいなかった説などが飛び交う
路傍のフジイがあのシーンになったら、撃退できるんかな
脚本の人そこまで考えてないと思うよ
またエヴァの話してる
水槽の綾波シリーズでいかがわしいことしてたんだろ。
人海戦術ワロタw
その他大勢の代表格のような扱いちゃうこ。しらんけど。
面白いな、1人だけビビってるから…なぞを呼ぶってこと
バタイユ的にいえば、愛するものと一つになり自他の境界が失われることは、人にとって究極の歓喜であるとともに究極の恐怖(AT)。青葉シゲルと他の二人との対比は、レイとアスカのどちらも選べないシンジの写し絵。
青葉だけキャラの掘り下げしてなかったから仕方なく、かな
目を閉じて拒絶してるから、幻じゃない真実って描写だと思ってたけどいろんな考え方があるのな
“ゲル”
救済に見せかけた悍ましさの演出でしょ
ATフィールド=心の壁をどうやって開放させるかというシーンなので、「北風と太陽」よろしく、想い人の幻影で自ら心を開かせるか、恐怖の物量で心を壊すかという手段の違いだと思ってる。
ゲイだから、って説があったな。エヴァのコアになってるのも女性だし(eveだからか)そもレイが男性の姿で迎えに来る描写がなかったんよな。じゃあノーマル女性には誰がってなると母親が出てくんのかな
昨日見てきた、そういえば漫画もちゃんと読んでないな(積んでた)、読むか
マヤやマコトは憧れの人の姿が迎えに来て、嬉しそうに補完されるけど、シゲルは本気で怯えてて、補完計画のエグさを見せてくれたよね。別にひとつになりたい他者がいない人間には厭なもんだよな、人類補完計画。
青葉シゲル、お迎えレイの特等席ですわね!彼のATフィールド、心のバリアが強すぎますの。
言われてみれば不思議だけど、想い人がいなかったとか、作中では出てこなかったので出さなかったとかなのかも。
おかずにした数だけお迎えが来た説
ゲンドウの元にやって来るのはあれだけ求めたユイではなく、エヴァなのが哀しい。もはや彼の愛は執着と成り果て・・・/青葉シゲルは強制補完ですね
「あ、シゲルの恋人作るの忘れてたわ」
エヴァよくわからん。内容がどうのじゃなくて、どういう作品があるのかがわからん。多すぎる。
この説、好き!〉「3レイがギターに変身できないから仕方なく」「それでギターがお迎えに来るネタ絵も好き」
アンソロのやつ見たい
わあいエヴァの謎本、あかりエヴァの謎本だいすきー
笑ってしまった > レイがギターに変身できないから仕方なく
彼だけそういった思い人に関する設定がなく、制作スタッフの苦肉の策だと思っている。名前のある主要メンバーなので、彼だけ補完シーンを省くわけにはいかなかっただろうし。
アニメのこのシーンのせいで、当時の俺のオタク友達内でシゲルは変態扱いされてたな。懐かしい。まだネットが発達してないので、中高生くらいのオタクは学校のリアルオタ友相手に各自で考察を披露し合ってた時代だ
見に行ったけどステッカーなんてくれなかったんだけど・・・/外伝の何かでこの人の掘り下げやってたような気がするんだがだいぶ記憶薄れてるな
「実はこれが補完の真実の姿でありシゲルだけ見えててマコトたちのは幻だった説」第一印象はそんな感じだったなぁ。これといった想い人がいないとこうなる、みたいな
効かないから大量の綾波が来た、みたいな解釈が全然理解できない。1綾波で1補完みたいなあれじゃないでしょw
ギターがたくさん押し寄せてきてもそれはそれで怖いよな
「自分の全てを誰かに認めて、受け入れて欲しい」って思える相手が1人もいなかったんだろって解釈してる。
旧エヴァのポスターは相変わらず良いな
さすがにエヴァ擦りすぎやでw。そういや御大級作品がすっかり無くなってもうたなあ。世界で何周擦れるやろかなクールジャパンな世界線になってもうたか。南無。
他がチョロすぎて大量に余ったのを折角だからと全投入してみた説はどうか。
考えてみりゃ、「誰か自分のことを受け入れて欲しい」と思いつつ「自分のことを受け入れて欲しい特定の人物」がいない人はそこそこいる可能性があるわな。
新劇エヴァもロクに出番ないし、庵野監督は青葉シゲルに本当に無関心なんだろう/ギター好きな明るい一面もあり、エヴァで唯一病んでないまともな人だと思ってたけど……ただ出番がないだけか
他の人は「ひとつになりたい」相手がいたけどシゲルにはいなかった、という解釈で良いなら、シゲルの好感度があがるな。
公開当時に映画館で観たが、あのシーンは小学生ながらにさすがにちょっと笑った記憶あるw 青葉シゲルかわいそうだろとw
確か、怯えていたのはこの人だけよね?このシーンは当時だいぶ胸に来たなぁ。単純に、一つになりたい、自分を受け入れて欲しい相手がいない者にとっては、何も嬉しくないことだという描写だと思ってたわ。
ただただ親しい人が居ないだけだろ。
男は迎えにきてないんだよね。ゲイだったのかも…
シンジくんが預けられていたのがミサトさんじゃなくてシゲルさんだったらもうちょい幸せだった説
直近のおかず(人数は抜いた数)かと思ってたわ
青葉さんはセガサターン版エヴァでシンジ達がバンド組む時にとてもいいお兄ちゃんとしてまともな演奏できるまで先生として付き合ってくれた真のギター愛好家なんだよ…綾波もギター担いでこいよ…
個として完成され補完を超越した青葉シゲルが最後シンジとアスカを迎えに行くのは名シーンでしたね……
シンエヴァのパンフで子安さんのコメント、特にあんまないっすねみたいな感じでシゲルの扱いマジ空気だったんだなーって
シン冬月が気合で補完を耐えていた描写を見たので補完に耐えるのは脱糞を堪えるようなものなんだと思っている。シゲルは怖かったので脱糞したようなものだと考えるとつじつまも合う(あわない)
仮にギターになったとしてもそれはそれで怖い画になりそうだね...。
シゲルのお相手と言ったらサトシでしょ
「日向→ミサト、冬月→ユイ、マヤ→リツコとみな想い人に姿を変えてくるからまだ恐怖心が薄らいでいるだけ」リツコなんだと思った。ひとつになる設定ってキリスト教?なるたる。も、そんな終わりだった気がする。
生きることにそれほど苦痛ではなく、他者と一つになる必要性を感じてなかった人が無理矢理、補完計画に巻き込まれた、多くの一般人被害者事例の描写かなぁ。
心象風景か実空間かの違いかと思ってた。
愛って呪術や狂気が孕むし(僕は○にましぇん!や阿部貞、子を守る為なら○ねる等)、その具現化なんだろうと思った。憑かれてる人には甘美だが、他者には恐怖や悪夢だろう。
ギターに変身できなかった説好き
ほー、今は笑えるって反応なのか。当時「心から愛する人がいない者の末路はこうも寒々しい」と受け取って、薄情者の自分は…と凹んだものだった(若さ)
たんにレイに何かしら偏愛だった(覗きとかやってたとか)のかと思ってた