全部前提レベルの基本的な指摘。突っ込みどころが多すぎてほとんどが放置されていたので有難い
非難側は些末なとこに文句言いたいだけなので一貫性が皆無。何より視聴者や原作者が愛した作品で、スタッフを殴る棒としてそれらの人々を使う態度。完全にアンフェ志向がアニメ愛より優先。
“そういう描写が売りの作品ならいい”原作者が必要としてそれを売りとして入れてる作品ですよね(´・_・`)売りでない不要なシーンなら入れないですね。単に脚本家が排除しただけですね。トランプの排除と本質は同じ
一脚本家にそこまでの決定権がないのは同意。タイバニは西田脚本がシリーズ構成なので単発回で共同で出ただけの吉田脚本が触る部分は極めて少ない。最終判断は監督。チェンソーマンを見れば監督次第って分かるよね。
メディアを変えるならブラックジャックも加山雄三にする必要がある
https://note.com/shukaron/n/nf96e974d1177 の簡潔でクリティカルな批判を見た後だと、的外れな批判をあげつらって反論したり、作品の出来不出来に話をすり替えたり、責任を分散しようとしたりされても、小手先だな~って感想。
一般論として、「成功した面は自分の手柄、非難される面は他人の責任」は矛盾しているのでそんな理屈は難しいのだが、ひとつのテクニックとして「話を長くして前半と後半の矛盾を目立たなくする」というのはある
一般論で殺された原作者浮かばれないな
栗下善行氏は以前から創作を毀損する行動が多かったけど更に酷くなってる。/「ぼざろ」の騒動は作り手内、受け手内で争いはなく、ファン以外の層がお気持ちで炎上させに来ていて不愉快極まりない。
メディアで物語を変えるのも脚本家に権限がないのも当たり前だが、いちスタッフの立場でさも自分のイデオロギーにより改変を主導したかのごとく振る舞い作品に余計な色をつけたのは問題
脚本家の主要役割は確かに場面の文字・セリフ等が中心なのでビジュアルや演出まで全て吉田氏の責任かのようにされていたのは疑問だった。セクシー田中さんの件が今でも大きくネットの意見に影響してるんだな。
バランスの取れた論考で、非常に納得感があった。別ブコメにある朱夏論氏の記事に対しても、しっかり反論になってると思う。まぁ、いつまで経っても議論は噛み合わないのだろうけども。
変に理屈をこね回して「最終的な決定権はないから責任は無い」と言う考え方は危険。ナチスの犯罪も、命じられた奴は無罪というような物。庇うなら正面切って「そもそも悪い事してないのだから問題ない」だけで良い。
栗下氏ほんとろくでもないというか…。
"吉田氏は変えた部分を「ノイズ」と表現して" 言葉の選び方の問題じゃないかな。吉田氏の次回作以降「何をノイズとして捨てたのか?」という目で見られる。彼女ではなく制作陣が決めてもノイズが注目されてしまう
本丸は「俺の好きなものに文句言いやがって」という、極めて原始的で幼稚な思考が火種なんで、理性的に問題を取り扱うのがバカバカしい。ラディフェミな人等もそうだけど、譲歩する余地が互いにない議論は無意味
原作から変更された点がある事が批判されてるワケではなく、原作の特定描写をノイズと称した事、その理由として加害・搾取と論じた事が批判されてるのに、その事実から目を背けるためにわら人形批判を続ける人たち。
ほんそれ。オーディブル聴いてても、朗読だったら、この地の文は冗長なだけだから要らないよねとかあるもん。まあ90年代迄のメディアミックス同時進行世代なので、その後の人は価値観違うんだろうなとは思ってる。
ノイズという言葉の選択に問題があるのと、家風呂に水着で入るキャラ設定を加えるぐらいなら、カメラワークで工夫するとか、描写しない選択もあったのではという話。
総論は同意だが、その上で自分は件のレポートを読んで「ノイズ」よりも「覇権」のほうが気になった。覇権って表現、なんか視聴者が搾取されてるみたいに聞こえるよね
ついに脚本家が正しくて自殺する原作者はバカと結論を出せたな。主張は認めないがフェアネスは認めよう
原作の表現をアニメにおいて変えることに文句はない。ただ特定の思想を背景に、水着を着せるという乱暴な改変にしたことについては大いに文句があるし、これを些末だというのは同意できない。
擁護派も批判派も憶測に憶測で反論してておもんなくなってきた。で、くりした氏は何がしたいんだ?海外勢に向けて付け火しても得票にはつながらないと思うけど‥活動家インフルエンサーに転職するのかな
変える必要があるってことについて、鬼滅の刃がエログロそのまんまどころか、むしろ表現強めて全年齢向けで覇権取ってる時点で、説得力ないんだが。
ほんの1シーンの水着の有無で降板・着衣が必要なら作品のクライマックスで勝者を変更した花田十輝は死罪相当だよなぁと思ったり。これも明確な意志の元に行われた仕事なので
いや、ちゃんと契約すればいいだけのこと。 契約の問題
脚本家の権限の大きさ(監督・コンテ・演出の権限の大きさ)の話は作品によって例外もあるけど、単純に考えたら脚本家の権限の大きさは小さめというのは当然の話だし、だからと言って「じゃあ語るな」は違う
今回は一般論の話じゃないと思います!
素材の味を活かすも殺すも職人の腕次第ではあるが、腕の良し悪しと、そもそも素材を料理することの良し悪しを同じテーブルで語ることからして無理がある。「素材の臭みをとります」に「素材が臭いだと?」は難癖だよ
なんか良く分からん騒動だと思っている。原作者が怒るならまだましも。
ダンダダンの騒動でもYOSHIKI、紀藤弁護士に食って掛かった栗下善行、知念実希人らは要監視リスト行きだな。
本来ならアニメの改変と政治思想は関係ないはずなんだが、批判派と擁護派で政治思想が分かれてる傾向がある気がするのは気のせいだろうか
インタビュー読んでも「あってはならない表現」とは言ってないのに「ほかのアニメ作品では容認されてるじゃないか」という反論(?)が後を絶たない。/ 今回もネカマなりすましフェミ偽旗青式の信者が大多数なんだな
はてブでしか注目されない無名の論客。他のメディアに合わせて物語を変えてみたら?
はぁ!?メディアによって物語を変える必要性を判断できるのは著作人格権を持つ原作者であって、物語を借りて自メディアで使う側の権利じゃないよ。なぜ今更セクシー田中さん問題を歪曲しようとしてるんだろ!?
原作・原作者・原作ファンを性的搾取だのなんだの侮辱してるのが問題だって何度も言われてるのになんでそれについて反論しないんだ?
はまじあき(原作者)、毎回脚本と打ち合わせしてたのか熱量すごい 原作にない最終話の脚本はやっぱり素晴らしかったし、日常系への最大限のリスペクトだった 水着のまま扇風機にあたった方が分かりやすいのは確かに
タイトルの時点でまったく賛同できない。物語を変えるならタイトルを変えるべき。アイデンティティの収奪はもう止めようとアップデートしたのではなかったか。
やっぱし「否定してない」って方向で擁護にするんだなぁ。「過激なものは未成年に見せるな」と発言してることも「乳揺れは息子に見せられない」的な発言も載せずに、さもそれが売りならOKって言ってるかのようにな。
原作にとっては良くても、メディアが変わったらノイズになる事も当然あるでしょ。もちろん、作品をその作品たらしている部分じゃない部分で。なのに自分がノイズだと言われたと思ってる面倒な消費者が多いこと
実写もアニメも共同作業だし、発端となった記事中でもそらを前提とした発言内容ではあったんだけど。特にラストの件はほとんど話題になっていないのはなんだかな。
『セクシー田中さん』の原作は、地上波TVドラマを好むタイプが抱きがちな世界観にチクチクと嫌味を刺していくところが作品の肝なのに、ドラマ版ではお客様に媚びて「本質的なトゲ」を抜いてしまったのが問題だった…
頑張って長文書いてるけど、最初から批判されてる点を間違えてますよ
相変わらずのアクロバティックリテラシー。てか、記事タイトルの指摘はむしろ吉田氏に対してこそすべきでしょ。自分はかなり初期にツッコミ入れてるけど https://b.hatena.ne.jp/entry/4776149481192569985/comment/rag_en 。
これが仮に「未成年の入浴シーンがある男向けアニメは児童ポルノだ💢全裸をスク水に変更?むしろキモイだろ💢」っていうフェミ側からの付け火だったら、法華狼自身も含め、両陣営の大勢が真逆の立場を取っていた筈よ
こういう話なるとわしそんな権限ないからって全員がいうんだよな
この脚本家の人はほとんど悪くないと思う。実際無駄なエロはノイズでいらん。
一般論として、『セクシー田中さん』のようにメディアを変えるなら物語も変える必要があるし、『ぼっち・ざ・ろっく』もふくめて脚本家に映像に意見する権利はあっても物語を決定できる権限はない - 法華狼の日記
全部前提レベルの基本的な指摘。突っ込みどころが多すぎてほとんどが放置されていたので有難い
非難側は些末なとこに文句言いたいだけなので一貫性が皆無。何より視聴者や原作者が愛した作品で、スタッフを殴る棒としてそれらの人々を使う態度。完全にアンフェ志向がアニメ愛より優先。
“そういう描写が売りの作品ならいい”原作者が必要としてそれを売りとして入れてる作品ですよね(´・_・`)売りでない不要なシーンなら入れないですね。単に脚本家が排除しただけですね。トランプの排除と本質は同じ
一脚本家にそこまでの決定権がないのは同意。タイバニは西田脚本がシリーズ構成なので単発回で共同で出ただけの吉田脚本が触る部分は極めて少ない。最終判断は監督。チェンソーマンを見れば監督次第って分かるよね。
メディアを変えるならブラックジャックも加山雄三にする必要がある
https://note.com/shukaron/n/nf96e974d1177 の簡潔でクリティカルな批判を見た後だと、的外れな批判をあげつらって反論したり、作品の出来不出来に話をすり替えたり、責任を分散しようとしたりされても、小手先だな~って感想。
一般論として、「成功した面は自分の手柄、非難される面は他人の責任」は矛盾しているのでそんな理屈は難しいのだが、ひとつのテクニックとして「話を長くして前半と後半の矛盾を目立たなくする」というのはある
一般論で殺された原作者浮かばれないな
栗下善行氏は以前から創作を毀損する行動が多かったけど更に酷くなってる。/「ぼざろ」の騒動は作り手内、受け手内で争いはなく、ファン以外の層がお気持ちで炎上させに来ていて不愉快極まりない。
メディアで物語を変えるのも脚本家に権限がないのも当たり前だが、いちスタッフの立場でさも自分のイデオロギーにより改変を主導したかのごとく振る舞い作品に余計な色をつけたのは問題
脚本家の主要役割は確かに場面の文字・セリフ等が中心なのでビジュアルや演出まで全て吉田氏の責任かのようにされていたのは疑問だった。セクシー田中さんの件が今でも大きくネットの意見に影響してるんだな。
バランスの取れた論考で、非常に納得感があった。別ブコメにある朱夏論氏の記事に対しても、しっかり反論になってると思う。まぁ、いつまで経っても議論は噛み合わないのだろうけども。
変に理屈をこね回して「最終的な決定権はないから責任は無い」と言う考え方は危険。ナチスの犯罪も、命じられた奴は無罪というような物。庇うなら正面切って「そもそも悪い事してないのだから問題ない」だけで良い。
栗下氏ほんとろくでもないというか…。
"吉田氏は変えた部分を「ノイズ」と表現して" 言葉の選び方の問題じゃないかな。吉田氏の次回作以降「何をノイズとして捨てたのか?」という目で見られる。彼女ではなく制作陣が決めてもノイズが注目されてしまう
本丸は「俺の好きなものに文句言いやがって」という、極めて原始的で幼稚な思考が火種なんで、理性的に問題を取り扱うのがバカバカしい。ラディフェミな人等もそうだけど、譲歩する余地が互いにない議論は無意味
原作から変更された点がある事が批判されてるワケではなく、原作の特定描写をノイズと称した事、その理由として加害・搾取と論じた事が批判されてるのに、その事実から目を背けるためにわら人形批判を続ける人たち。
ほんそれ。オーディブル聴いてても、朗読だったら、この地の文は冗長なだけだから要らないよねとかあるもん。まあ90年代迄のメディアミックス同時進行世代なので、その後の人は価値観違うんだろうなとは思ってる。
ノイズという言葉の選択に問題があるのと、家風呂に水着で入るキャラ設定を加えるぐらいなら、カメラワークで工夫するとか、描写しない選択もあったのではという話。
総論は同意だが、その上で自分は件のレポートを読んで「ノイズ」よりも「覇権」のほうが気になった。覇権って表現、なんか視聴者が搾取されてるみたいに聞こえるよね
ついに脚本家が正しくて自殺する原作者はバカと結論を出せたな。主張は認めないがフェアネスは認めよう
原作の表現をアニメにおいて変えることに文句はない。ただ特定の思想を背景に、水着を着せるという乱暴な改変にしたことについては大いに文句があるし、これを些末だというのは同意できない。
擁護派も批判派も憶測に憶測で反論してておもんなくなってきた。で、くりした氏は何がしたいんだ?海外勢に向けて付け火しても得票にはつながらないと思うけど‥活動家インフルエンサーに転職するのかな
変える必要があるってことについて、鬼滅の刃がエログロそのまんまどころか、むしろ表現強めて全年齢向けで覇権取ってる時点で、説得力ないんだが。
ほんの1シーンの水着の有無で降板・着衣が必要なら作品のクライマックスで勝者を変更した花田十輝は死罪相当だよなぁと思ったり。これも明確な意志の元に行われた仕事なので
いや、ちゃんと契約すればいいだけのこと。 契約の問題
脚本家の権限の大きさ(監督・コンテ・演出の権限の大きさ)の話は作品によって例外もあるけど、単純に考えたら脚本家の権限の大きさは小さめというのは当然の話だし、だからと言って「じゃあ語るな」は違う
今回は一般論の話じゃないと思います!
素材の味を活かすも殺すも職人の腕次第ではあるが、腕の良し悪しと、そもそも素材を料理することの良し悪しを同じテーブルで語ることからして無理がある。「素材の臭みをとります」に「素材が臭いだと?」は難癖だよ
なんか良く分からん騒動だと思っている。原作者が怒るならまだましも。
ダンダダンの騒動でもYOSHIKI、紀藤弁護士に食って掛かった栗下善行、知念実希人らは要監視リスト行きだな。
本来ならアニメの改変と政治思想は関係ないはずなんだが、批判派と擁護派で政治思想が分かれてる傾向がある気がするのは気のせいだろうか
インタビュー読んでも「あってはならない表現」とは言ってないのに「ほかのアニメ作品では容認されてるじゃないか」という反論(?)が後を絶たない。/ 今回もネカマなりすましフェミ偽旗青式の信者が大多数なんだな
はてブでしか注目されない無名の論客。他のメディアに合わせて物語を変えてみたら?
はぁ!?メディアによって物語を変える必要性を判断できるのは著作人格権を持つ原作者であって、物語を借りて自メディアで使う側の権利じゃないよ。なぜ今更セクシー田中さん問題を歪曲しようとしてるんだろ!?
原作・原作者・原作ファンを性的搾取だのなんだの侮辱してるのが問題だって何度も言われてるのになんでそれについて反論しないんだ?
はまじあき(原作者)、毎回脚本と打ち合わせしてたのか熱量すごい 原作にない最終話の脚本はやっぱり素晴らしかったし、日常系への最大限のリスペクトだった 水着のまま扇風機にあたった方が分かりやすいのは確かに
タイトルの時点でまったく賛同できない。物語を変えるならタイトルを変えるべき。アイデンティティの収奪はもう止めようとアップデートしたのではなかったか。
やっぱし「否定してない」って方向で擁護にするんだなぁ。「過激なものは未成年に見せるな」と発言してることも「乳揺れは息子に見せられない」的な発言も載せずに、さもそれが売りならOKって言ってるかのようにな。
原作にとっては良くても、メディアが変わったらノイズになる事も当然あるでしょ。もちろん、作品をその作品たらしている部分じゃない部分で。なのに自分がノイズだと言われたと思ってる面倒な消費者が多いこと
実写もアニメも共同作業だし、発端となった記事中でもそらを前提とした発言内容ではあったんだけど。特にラストの件はほとんど話題になっていないのはなんだかな。
『セクシー田中さん』の原作は、地上波TVドラマを好むタイプが抱きがちな世界観にチクチクと嫌味を刺していくところが作品の肝なのに、ドラマ版ではお客様に媚びて「本質的なトゲ」を抜いてしまったのが問題だった…
頑張って長文書いてるけど、最初から批判されてる点を間違えてますよ
相変わらずのアクロバティックリテラシー。てか、記事タイトルの指摘はむしろ吉田氏に対してこそすべきでしょ。自分はかなり初期にツッコミ入れてるけど https://b.hatena.ne.jp/entry/4776149481192569985/comment/rag_en 。
これが仮に「未成年の入浴シーンがある男向けアニメは児童ポルノだ💢全裸をスク水に変更?むしろキモイだろ💢」っていうフェミ側からの付け火だったら、法華狼自身も含め、両陣営の大勢が真逆の立場を取っていた筈よ
こういう話なるとわしそんな権限ないからって全員がいうんだよな
この脚本家の人はほとんど悪くないと思う。実際無駄なエロはノイズでいらん。