さるまん「エスパー漫画は忍者漫画!」 / 伝奇的異能バトルはさらに元ネタの山田風太郎も忘れてはならない
"「ジョジョの奇妙な冒険は日本で初めて能力バトルを取り入れた、言わば現代のバトルもの漫画の祖にあたる作品なんだ!」 "それはひどい例として、異能バトルは講談とかまで遡るのではないか。忍法十番勝負読みたい。
異能バトルは、山田風太郎の忍法帖モノを漫画に落とし込んだ感はあるので、先生がやらんでも誰かはやっていたような…でも大好きよ、横山先生。
つまりウラジーミル・ナボコフのいなかった世界にはロリコン(という単語)は無かった可能性が……!
むしろ山風の評価低すぎ。天才やぞ/忍者に関しては夏目房之介が(覚書程度で)まとめてるhttps://blogs.itmedia.co.jp/natsume/2010/10/post-bc5a.html
ショタコンってそうだったんだ…
横山光輝が描かなければ石ノ森章太郎が描いてたんじゃないかな(三国志以外は)
はじめに描いた人がいなければその概念自体がなかったというのは疑問で、他ジャンルからの影響でいずれ現れてたよねとしか。実際の業界挙げての妨害の事実はよく分からなかった。
異能バトルものは小説では古くは「水滸伝」とか日本でも「里見八犬伝」とかがあるね。魔法少女も漫画では「ひみつのアッコちゃん」が先。横山光輝は手塚治虫と肩を並べる影響力のある巨匠である事は間違いないが。
ただ手塚治虫が横山光輝を妨害した、というのは相当に眉唾。横山、スピリッツでも連載してたし。コミックトムは手塚もブッダやってたし。
巨大ロボットはギリシャ神話くらいからあるんじゃない?
そういうとこ気にしない横山先生が好き
1930年代のブラジルに『Audaz』という漫画があって、巨大ロボットが戦ってるらしいよ。1930年代は巨大ロボットブームで、当時のSFパルプ作品にはちょいちょい出てきていたとAIが言ってる。
魔法少女はアメコミの"サブリナ"のほうが先じゃないかな。あとショタは手塚治虫でしょ。アトムなんてそっち趣味の造形で、お尻マシンガンまであるし。異能バトルもアメコミのほうが早いんじゃないかな。
横山光輝と山田風太郎って同時期に忍者もの書いてたからどっちが古いとかよくわからぬ!!!!!!!!
雑語りすることで詳しい人が教えてくれるインターネット仕草
偉大さ強調したいのはわかるが、忍者・異能バトルも魔女もロボも、先行する小説や実写の存在ガン無視ではSFや伝奇や歴史ファンから袋叩きもいた仕方なしかな……。
横山光輝は漫画界の巨匠、彼の影響はお月さまのように光輝いていますわね。
横山先生は偉大だった。ということで一つ
その誰かがいないから我々の世界ではなかった何かがあるのかもしれない
奥さまは魔女オマージュじゃないの
じゃあ「正史・異能バトル」の歴史を、だれかこう……、長文でものしてくれませんかね。AIでもまだそこまではできまい。
ジャンルの創始者議論で、ある先行者の存在を論じるとき、別の先行者が突然持ち上げられて無効化のために使われるの好き。自分はこれとは別に、本家が跡形もなく消滅し、別の人が本家を名乗る事案が大好物。
ショタコンは太陽の使者の際に命名されてるので、発祥の経緯的にはなければないでトリコン(トリトン・コンプレックス)になってただろう/横山光輝の偉大さに影響ある話ではないが
竹取物語がなかったら日本に物語はなかった、みたいな主張だな
「げえっ、関羽」「そんなものはない」「甘寧一番乗り」「待てあわてるな これは孔明の罠だ」「だまらっしゃい」「なぜそれをもっと早くいわぬ」など横山光輝版の三国志は名言も多いよね
横山光輝は大衆性にとてつもなく価値がある。オリジナリティや先駆性は、そこまではないかと。大好きだが。
オットセイ(*´∀`)
横山光輝の凄さは読者の期待に応えて何でも描けることだと思うの。巨大ロボ、魔法少女、異能バトル、歴史、氏の趣味の範囲ならギャンブルも描けたはず。
横山光輝の存在感が減ったのは、三国志の電書が特定プラットフォームのみとかだったのもありそうな。Kindle解禁になったの今年でしょ。プラットフォームを絞るとディズニー映画みたく、存在感減ってく
BLはたぶんショタコン関係ねぇんだよな。仮託するとこからはじまるから
手塚のアグレッシブさenergyは同じ話を聞く度に偉人だなと感嘆させられる。周りの人は大変だろうが//ニュートンがいなくても別の人が数年で微分法を確立してただろ、と書きにきたら、似たような事が既に書いてあった
山風は吉川英治、白井喬二の影響を語ってて、それで戦前の伝奇小説の元は読本や歌舞伎の自来也、飛加藤でしょう。/司馬遼「梟の城」、山風「甲賀忍法帖」が1958年、白土「忍者武芸帳」が59年、突然の忍者ブーム。
不遇とは全然思わないな。ただオリジナリティという評価軸だと褒めにくい人ではある。その点『バビル2世』はオリジナリティ高い気がする。ショタコンがトリコンになっていた可能性はかなりあるよね確かに。
“適正に評価されているとは言い難い” 原因は記号化されたキャラの絵だと思うよ。
電話の発明みたいにタッチの差ではないが必要条件がアンロックされてれば誰かは到達するもの
日本の漫画家って後進のことをあまり考えないよね 普通なら功成り名を遂げた人が次に考えるのは後進の育成や業界全体のことだと思うが
横山作品は同時代の漫画と比べて、戦術や戦略があるのが素晴らしいんだよな。超能力バトルでもちゃんと戦術で勝つ。
どうせ誰かが描いてただろうから、まあそんな事は無いとしか思わないけど、三国志を少しでも好きになれたのは横山さんとその漫画勧めてくれた友達のお陰なのでそこは感謝してる。
横山光輝がすごい人なのはそうなのだが、異能バトルは忍者もの(それこそ山田風太郎など)で発展しただろうし、三国志は吉川英治の小説『三国志』が横山の三国志の30年前にはあったので、かなり偏った史観だと思う
言いたいことは解るけど極端なんだよ
他国の歴史大河なのにどの小学校の図書室にあるから偉大すぎるんだろうなとは思ってきてる
手塚横山は週チャンでずっと同時連載してたし、絶筆の「ルードウィヒ・B」もコミックトムで「項羽と劉邦」と同時連載じゃん、「業界的な妨害」なんて本当にあったのか??
パシリムもアイアンジャイアントも生まれなかったと思うとね
横山光輝の漫画は分かりやすさと読みやすが抜きん出いてスラスラと頭に入ってくるんだよな。だから舐められて評価が下がってしまうのかもしれないけど
『三国志』の日本での一般伝達率に関しては、間違いなく半端ない貢献度はあるだろうけど、他に関しては色々と疑問符が。ただ漫画家としての名前よりも、色々と描いた作品名の方が挙がり易いタイプの大先生だろうか。
不遇って事は無い気がするけどなあ。手塚治虫に匹敵するレベルでマンガも大ヒット連発、アニメ化も大ヒット連発。
伊賀の影丸「七つの影法師の巻」は現在のジョジョ、ワンピースや呪術廻戦etcの能力者同士のチーム戦の元祖ではと思っているのだがどうだろうね。
ピースが欠けてたとしても、それを埋めるような人材が現れてたんじゃないかな。手塚御大が漫画家を挫折してたしても、小松左京が漫画家を続けて手塚がいたであろう位置に立つ時間線もあったかもしれないし。
水滸伝も横山光輝描いてる。
山田風太郎等既に散々ブコメで突っ込まれていた。功績の割に評価が低いよね、という話には同意。評論的な語りに乗せにくい漫画家は過小評価されがちな印象がある。川崎のぼるとかも漫画史的にもっと評価されていい。
つまり封神演義も無かったわけだな!と言いたいところだが横山先生がコミックトムで殷周伝説連載してたのジャンプの封神演義とほぼ同時期だったような記憶。
むしろ魔法少女もので赤塚不二夫のひみつのアッコちゃんがあまり評価されていないのが気になる1962年にりぼんで始まってるから元祖とまつられても良さそうなのに
三国志に関しては、吉川英治→光栄→横山光輝・その他、の人も多そうだけど。私はそう。
『チェイサー』でも鉄人28号は脇役だったかな。とはいえ手塚治虫もだいぶダメな時期があったようなので、いくらでも名を残す機会はあったはずだが。/大谷が凄すぎて並の日本人メジャーリーガーが忘れられる的なあれか
あ、ビートルズがいない世界線にビートルズの楽曲を知ってる男がいる映画の横山光輝版があるといいかもしれないね。「チェイサー」みたいなマンガもあるにはあるけど。
1981年「ふぁんろーど★くりにっく」での応答がショタの語源とされるが、『少年愛好』そのものはそれ以前からあるわけで横山光輝がいなければイニビのKは別の人物の名前をつけていた気はする。
AKIRAは「鉄人28号」からかなり影響受けてる
横光が生まれる前には忍者物の映画は存在していたので、持ち上げる前に認識に問題無いよねと確認する癖はつけておいた方が良い。
わたしも三国志は吉川英治からでまだ横山光輝版読んでないんでいつか大人読みしたいとは思う。
横山光輝がいなければ十傑走りは無かった。
数年遅れるとかテンプレやお約束がちょっと変わるとかはあったかもしれないがジャンルごとなくなるなんてそうないわな。
鉄人のアイデアはスゲーよなぁ/『補足しておきます。手塚さんは自分が受賞者でないほぼすべての賞に反対されておられました。』ワロタ
大げさ過ぎやし他のクリエイターを冒涜しすぎ。
「奥様は魔女」という洋ドラがございましてね、と/ショタコンに関してはロリコンの対義語を問われてこの言葉を考えた「イニシャルビスケットのK」氏の功績では?(横山氏の偉業を否定するものではない)
偉業を称えたい気持ちはわかるが嫌な表現だな。フランケンシュタインとB29がモチーフということは本人も公言されているし、後世には多くの人に忘れられた赤本マンガからも影響を受けているのは間違いない。
「彼の影響はお月さまのように光輝いていますわね。」太陽じゃないってところが他のツッコミブコメに合わせているみたいw光輝で光輝いているってのも掛けているのか
こういうのを俗に「贔屓の引き倒し」といいます。
ある程度真実であろうことは認めるが、ソースもないオタクの戯言を信じるオタクは壺とか買わされないよう注意した方がいいよ
ゼロイチの話にするから叩かれちゃうので、イチヒャクの話にしよう
異能バトルは横山光輝が開拓しなくても誰かが開拓しますよ。なぜなら忍法帖ブームがあるから。で、忍法帖は水滸伝がベースなんですよ。日本人水滸伝大好き過ぎて江戸時代の時点で翻案ものがたくさんありますからね
それでも業績に相応しい評価は受けたと思うよ。
やぶにらみの暴君、奥様は魔女、甲賀忍法帖、吉川英治のコミカライズ
ゴッドマーズは多分横山光輝抜きでも成立する
忍者×異能バトルを語る上で必要不可欠なのは山田風太郎だろ。これは先行ジャンルの先人にも、この後の現代に至るまでの各作家への努力にもリスペクトがなさすぎるよ。
そんなことも無いとは思うが、横山光輝が空前絶後の天才であることに疑いはない。
忍者に関してだけは白土三平がいるやん。そして巨大ロボ系と超能力バトル系が存在しなければ半分人外のヒーロー(石ノ森章太郎)と宇宙物メカSF(松本零士)がガンダムやジョジョに替わる隆盛ジャンルになった可能性
ショタコンまで!?横山先生がいなかったら、ボクの癒やしが無かったかもしれないにゃ!
「横山光輝がいない世界には巨大ロボ、魔法少女、異能バトル、三国志系も無かった」「…あと『ショタコン』もな」
さるまん「エスパー漫画は忍者漫画!」 / 伝奇的異能バトルはさらに元ネタの山田風太郎も忘れてはならない
"「ジョジョの奇妙な冒険は日本で初めて能力バトルを取り入れた、言わば現代のバトルもの漫画の祖にあたる作品なんだ!」 "それはひどい例として、異能バトルは講談とかまで遡るのではないか。忍法十番勝負読みたい。
異能バトルは、山田風太郎の忍法帖モノを漫画に落とし込んだ感はあるので、先生がやらんでも誰かはやっていたような…でも大好きよ、横山先生。
つまりウラジーミル・ナボコフのいなかった世界にはロリコン(という単語)は無かった可能性が……!
むしろ山風の評価低すぎ。天才やぞ/忍者に関しては夏目房之介が(覚書程度で)まとめてるhttps://blogs.itmedia.co.jp/natsume/2010/10/post-bc5a.html
ショタコンってそうだったんだ…
横山光輝が描かなければ石ノ森章太郎が描いてたんじゃないかな(三国志以外は)
はじめに描いた人がいなければその概念自体がなかったというのは疑問で、他ジャンルからの影響でいずれ現れてたよねとしか。実際の業界挙げての妨害の事実はよく分からなかった。
異能バトルものは小説では古くは「水滸伝」とか日本でも「里見八犬伝」とかがあるね。魔法少女も漫画では「ひみつのアッコちゃん」が先。横山光輝は手塚治虫と肩を並べる影響力のある巨匠である事は間違いないが。
ただ手塚治虫が横山光輝を妨害した、というのは相当に眉唾。横山、スピリッツでも連載してたし。コミックトムは手塚もブッダやってたし。
巨大ロボットはギリシャ神話くらいからあるんじゃない?
そういうとこ気にしない横山先生が好き
1930年代のブラジルに『Audaz』という漫画があって、巨大ロボットが戦ってるらしいよ。1930年代は巨大ロボットブームで、当時のSFパルプ作品にはちょいちょい出てきていたとAIが言ってる。
魔法少女はアメコミの"サブリナ"のほうが先じゃないかな。あとショタは手塚治虫でしょ。アトムなんてそっち趣味の造形で、お尻マシンガンまであるし。異能バトルもアメコミのほうが早いんじゃないかな。
横山光輝と山田風太郎って同時期に忍者もの書いてたからどっちが古いとかよくわからぬ!!!!!!!!
雑語りすることで詳しい人が教えてくれるインターネット仕草
偉大さ強調したいのはわかるが、忍者・異能バトルも魔女もロボも、先行する小説や実写の存在ガン無視ではSFや伝奇や歴史ファンから袋叩きもいた仕方なしかな……。
横山光輝は漫画界の巨匠、彼の影響はお月さまのように光輝いていますわね。
横山先生は偉大だった。ということで一つ
その誰かがいないから我々の世界ではなかった何かがあるのかもしれない
奥さまは魔女オマージュじゃないの
じゃあ「正史・異能バトル」の歴史を、だれかこう……、長文でものしてくれませんかね。AIでもまだそこまではできまい。
ジャンルの創始者議論で、ある先行者の存在を論じるとき、別の先行者が突然持ち上げられて無効化のために使われるの好き。自分はこれとは別に、本家が跡形もなく消滅し、別の人が本家を名乗る事案が大好物。
ショタコンは太陽の使者の際に命名されてるので、発祥の経緯的にはなければないでトリコン(トリトン・コンプレックス)になってただろう/横山光輝の偉大さに影響ある話ではないが
竹取物語がなかったら日本に物語はなかった、みたいな主張だな
「げえっ、関羽」「そんなものはない」「甘寧一番乗り」「待てあわてるな これは孔明の罠だ」「だまらっしゃい」「なぜそれをもっと早くいわぬ」など横山光輝版の三国志は名言も多いよね
横山光輝は大衆性にとてつもなく価値がある。オリジナリティや先駆性は、そこまではないかと。大好きだが。
オットセイ(*´∀`)
横山光輝の凄さは読者の期待に応えて何でも描けることだと思うの。巨大ロボ、魔法少女、異能バトル、歴史、氏の趣味の範囲ならギャンブルも描けたはず。
横山光輝の存在感が減ったのは、三国志の電書が特定プラットフォームのみとかだったのもありそうな。Kindle解禁になったの今年でしょ。プラットフォームを絞るとディズニー映画みたく、存在感減ってく
BLはたぶんショタコン関係ねぇんだよな。仮託するとこからはじまるから
手塚のアグレッシブさenergyは同じ話を聞く度に偉人だなと感嘆させられる。周りの人は大変だろうが//ニュートンがいなくても別の人が数年で微分法を確立してただろ、と書きにきたら、似たような事が既に書いてあった
山風は吉川英治、白井喬二の影響を語ってて、それで戦前の伝奇小説の元は読本や歌舞伎の自来也、飛加藤でしょう。/司馬遼「梟の城」、山風「甲賀忍法帖」が1958年、白土「忍者武芸帳」が59年、突然の忍者ブーム。
不遇とは全然思わないな。ただオリジナリティという評価軸だと褒めにくい人ではある。その点『バビル2世』はオリジナリティ高い気がする。ショタコンがトリコンになっていた可能性はかなりあるよね確かに。
“適正に評価されているとは言い難い” 原因は記号化されたキャラの絵だと思うよ。
電話の発明みたいにタッチの差ではないが必要条件がアンロックされてれば誰かは到達するもの
日本の漫画家って後進のことをあまり考えないよね 普通なら功成り名を遂げた人が次に考えるのは後進の育成や業界全体のことだと思うが
横山作品は同時代の漫画と比べて、戦術や戦略があるのが素晴らしいんだよな。超能力バトルでもちゃんと戦術で勝つ。
どうせ誰かが描いてただろうから、まあそんな事は無いとしか思わないけど、三国志を少しでも好きになれたのは横山さんとその漫画勧めてくれた友達のお陰なのでそこは感謝してる。
横山光輝がすごい人なのはそうなのだが、異能バトルは忍者もの(それこそ山田風太郎など)で発展しただろうし、三国志は吉川英治の小説『三国志』が横山の三国志の30年前にはあったので、かなり偏った史観だと思う
言いたいことは解るけど極端なんだよ
他国の歴史大河なのにどの小学校の図書室にあるから偉大すぎるんだろうなとは思ってきてる
手塚横山は週チャンでずっと同時連載してたし、絶筆の「ルードウィヒ・B」もコミックトムで「項羽と劉邦」と同時連載じゃん、「業界的な妨害」なんて本当にあったのか??
パシリムもアイアンジャイアントも生まれなかったと思うとね
横山光輝の漫画は分かりやすさと読みやすが抜きん出いてスラスラと頭に入ってくるんだよな。だから舐められて評価が下がってしまうのかもしれないけど
『三国志』の日本での一般伝達率に関しては、間違いなく半端ない貢献度はあるだろうけど、他に関しては色々と疑問符が。ただ漫画家としての名前よりも、色々と描いた作品名の方が挙がり易いタイプの大先生だろうか。
不遇って事は無い気がするけどなあ。手塚治虫に匹敵するレベルでマンガも大ヒット連発、アニメ化も大ヒット連発。
伊賀の影丸「七つの影法師の巻」は現在のジョジョ、ワンピースや呪術廻戦etcの能力者同士のチーム戦の元祖ではと思っているのだがどうだろうね。
ピースが欠けてたとしても、それを埋めるような人材が現れてたんじゃないかな。手塚御大が漫画家を挫折してたしても、小松左京が漫画家を続けて手塚がいたであろう位置に立つ時間線もあったかもしれないし。
水滸伝も横山光輝描いてる。
山田風太郎等既に散々ブコメで突っ込まれていた。功績の割に評価が低いよね、という話には同意。評論的な語りに乗せにくい漫画家は過小評価されがちな印象がある。川崎のぼるとかも漫画史的にもっと評価されていい。
つまり封神演義も無かったわけだな!と言いたいところだが横山先生がコミックトムで殷周伝説連載してたのジャンプの封神演義とほぼ同時期だったような記憶。
むしろ魔法少女もので赤塚不二夫のひみつのアッコちゃんがあまり評価されていないのが気になる1962年にりぼんで始まってるから元祖とまつられても良さそうなのに
三国志に関しては、吉川英治→光栄→横山光輝・その他、の人も多そうだけど。私はそう。
『チェイサー』でも鉄人28号は脇役だったかな。とはいえ手塚治虫もだいぶダメな時期があったようなので、いくらでも名を残す機会はあったはずだが。/大谷が凄すぎて並の日本人メジャーリーガーが忘れられる的なあれか
あ、ビートルズがいない世界線にビートルズの楽曲を知ってる男がいる映画の横山光輝版があるといいかもしれないね。「チェイサー」みたいなマンガもあるにはあるけど。
1981年「ふぁんろーど★くりにっく」での応答がショタの語源とされるが、『少年愛好』そのものはそれ以前からあるわけで横山光輝がいなければイニビのKは別の人物の名前をつけていた気はする。
AKIRAは「鉄人28号」からかなり影響受けてる
横光が生まれる前には忍者物の映画は存在していたので、持ち上げる前に認識に問題無いよねと確認する癖はつけておいた方が良い。
わたしも三国志は吉川英治からでまだ横山光輝版読んでないんでいつか大人読みしたいとは思う。
横山光輝がいなければ十傑走りは無かった。
数年遅れるとかテンプレやお約束がちょっと変わるとかはあったかもしれないがジャンルごとなくなるなんてそうないわな。
鉄人のアイデアはスゲーよなぁ/『補足しておきます。手塚さんは自分が受賞者でないほぼすべての賞に反対されておられました。』ワロタ
大げさ過ぎやし他のクリエイターを冒涜しすぎ。
「奥様は魔女」という洋ドラがございましてね、と/ショタコンに関してはロリコンの対義語を問われてこの言葉を考えた「イニシャルビスケットのK」氏の功績では?(横山氏の偉業を否定するものではない)
偉業を称えたい気持ちはわかるが嫌な表現だな。フランケンシュタインとB29がモチーフということは本人も公言されているし、後世には多くの人に忘れられた赤本マンガからも影響を受けているのは間違いない。
「彼の影響はお月さまのように光輝いていますわね。」太陽じゃないってところが他のツッコミブコメに合わせているみたいw光輝で光輝いているってのも掛けているのか
こういうのを俗に「贔屓の引き倒し」といいます。
ある程度真実であろうことは認めるが、ソースもないオタクの戯言を信じるオタクは壺とか買わされないよう注意した方がいいよ
ゼロイチの話にするから叩かれちゃうので、イチヒャクの話にしよう
異能バトルは横山光輝が開拓しなくても誰かが開拓しますよ。なぜなら忍法帖ブームがあるから。で、忍法帖は水滸伝がベースなんですよ。日本人水滸伝大好き過ぎて江戸時代の時点で翻案ものがたくさんありますからね
それでも業績に相応しい評価は受けたと思うよ。
やぶにらみの暴君、奥様は魔女、甲賀忍法帖、吉川英治のコミカライズ
ゴッドマーズは多分横山光輝抜きでも成立する
忍者×異能バトルを語る上で必要不可欠なのは山田風太郎だろ。これは先行ジャンルの先人にも、この後の現代に至るまでの各作家への努力にもリスペクトがなさすぎるよ。
そんなことも無いとは思うが、横山光輝が空前絶後の天才であることに疑いはない。
忍者に関してだけは白土三平がいるやん。そして巨大ロボ系と超能力バトル系が存在しなければ半分人外のヒーロー(石ノ森章太郎)と宇宙物メカSF(松本零士)がガンダムやジョジョに替わる隆盛ジャンルになった可能性
ショタコンまで!?横山先生がいなかったら、ボクの癒やしが無かったかもしれないにゃ!