『よつばと!』は「よつば(子供)と一緒にいると日常が楽しくなる、世界の見え方が変わる」という拡張現実、AR漫画。
『よつばと!』は2003年から月刊コミック電撃大王で連載されているマンガである。
主題ではないが、おれは勝手によつばの出自ととーちゃんの翻訳業は北欧系だと思っていた。なんでだろう?
よつばだけが非実在性を持っている。確かに。だから無敵。大筋は同意。しかし私はよつばの出身地はハワイじゃなくミクロネシアのどこかかなと思っていた。
ああ、よつばとの世界はあんなに平和そうだけれど、よつばがどこから来たのか、今までとーちゃんとよつばがどんな暮らしをしてきたのか、ぽっかり穴が空いているから「そのうち何かあるんじゃ」と思っていた
やんだはとーちゃんのいつ時代の同僚なんだってずっと思ってる。絶対同じ部署じゃなさそうなんだけど
これ、初出はもう15年前なのか。
とーちゃんと買い物に行ったのが入間のアウトレットモールをモデルにしていたので家は埼玉かなーと勝手に妄想してる。よつばワールドが怖いって言説はちょくちょく見かけるな
よつばみたいな人は極々稀に実在すると感じる。あまりの人間の素直な良さで周囲の倫理性を上げてしまいその人を含む空間で傷が起きない。異空間、聖的で長くここにいてはいけない感じ。自分的には『白痴』のジャンル
「あずまんが大王」好きなんで「よつばと!」も気になってるんだけどなぜかいまだに未読で。そろそろ意を決して読み始めようかな。
外国から連れてきたってことはパスポートはあるんだなあ、と思った記憶。テンションの高さから南米系かなーと勝手に思ってたな。
???いない風景は、実は実在しないんじゃなくて、存在しないとこんなにさみしいの伝統的表現では?。あと、よつばはドラえもんみたいな存在と思っていたのだが。助けてくれるのは秘密道具じゃなくて大人だけどな!
随分以前、友人にメールで「よつばと!ってファンタジーで登場人物は皆よつばの疑似家族だよね、とーちゃんはもちろんお父さん、ジャンボはお母さんでやんだは兄弟等々」と書いた。今でも大好きな漫画だが。
めも。
その漫画夜話見てた。よつばと!の世界はユートピアと言われていて納得したなあ。よつばだけが非実在とは自分は思わないなあ。登場人物みんないい人過ぎて。あと読者がよつば視点で世界を味わえるのがこの漫画
わかる「非実在よつば」というか、よつばの出自が明らかになるにつれて話の世界が足元から崩れる恐れを感じながら読んでる、今の所それはないけどばあちゃんが出てきた時とかちょっとドキドキしてた
そーかなぁ、よつばの世界がきらきらしてるのは、幼児時代の無垢さの拡張表現であって(例外はあるだろうけど)誰もがもっていて成長し失ったものを描きたい、という話だと思うけど。子供って面白いよね、って
始まってはや22年、あずまんが大王の大阪が登場して終わりを感じたな
よつばとエロ同人の非実在ふうかと非実在とーちゃん(小岩井)について論じて
シンプルに『リアルな描写が多いのにあまりにもリアル(辛いこと)が少ない』のでアンリアルな不幸や裏設定を警戒してしまう。ってのは、わかる。
自分で子育てして思うのは、よつばの家には透明お母さんがいる。幼児抱えて在宅業務、幼稚園保育園に行かない、家が綺麗、別の部屋からよつばが仕事中に乱入してくる。家事育児を任せていた父親の漫画の印象かなあ
大阪がいるということは、ちよちゃんもいる世界線なのだから、実在性とかあんまり考える必要ないんじゃないの
″よつばの国籍・戸籍はどうなっているのか、エトセトラ、エトセトラ″ここ気になって先に読み進めらんないんだよね。日本につれてきて大丈夫な人間なのか?何か犯罪に荷担してた可能性を考えてしまう
死後の世界と言うてた人もいたね。小さい子が見ても年寄りが見ても笑ってくれるまんが、嬉しい
まだ、やってるんだ。長寿漫画だね。
最近の発言はかなり大人びてきたよなと思う。ランドセルの話もそうだけど、だいぶ実年齢より上の賢さレベルの話をしている気がする
ユートピア(日常)が失われる怖さは感じた。AKIRAやチェンソーマンみたいに(日常を)揺さぶったり壊したり再生したりする作品にはしない作風であり作家だろうとは思ってる。親や出自の出ない出さない漫画って結構あるし。
幼い時に赤いうさぎT買って幼稚園でようやく着れるようになりよつばと同じだねって初めて読んだ漫画はよつばとだった娘も今やNetflixでどんな動画も見れる中学生になったからよつばとの結末も受け止められそうだよなぁ
なんだろう、かなりずっと前に読んだことある記事の気がする。
自分はよつばちゃんの出身は勝手にカリブの島あたりかと思ってた 翻訳業のとーちゃんとも親和性高そうだし 中南米感もあるけれど島じゃないしなあ よつばちゃんももうすぐ小学校かと思うと凄くびっくりする
実際のところ、愛嬌のある5歳児との暮らしはなんだかんだよつばとに近かったりする。お隣に住んでる美人3姉妹の方がよほど非実在的だと言えるくらいには。
「僕たちのこの世界が本当は「きらきら」していないことを、否応なく証明する」怖さ。BSマンガ夜話はよくも悪くも漫画評論の叩き台になってるから全テキストを公刊しておくべきだと思う。権利処理が難しそうだけど。
現実の世界もフィクションの世界でもそんなに素性がハッキリしていないとダメなのかな?と思った。
困ったことに文字コード指定がされていないのか、iPhoneからだと何も読めない。。。
理想のこども。AIARで半実体化まったなしか
よつばと!が大好きなので 興味深い考察として読んだ 怖い感じわかるよ あと最新巻で絵柄すごい変わってたよね
ここでも背景の書き込みの話がある。
https://www.google.com/search?q=%E3%81%84%E3%81%A1%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%8B&oq=itikaraka&gs_lcrp=EgZjaHJvbWUqCQgBEAAYBBiABDIGCAAQRRg5MgkIARAAGAQYgAQyCQgCEAAYBBiABDIJCAMQABgEGIAEMgkIBBAAGAQYgAQyCQgFEAAYBBiABDIJCAYQABgEGIAEMgkIBxAAGAQYgAQyCQgIEAAYBBiABDIJCAkQABgEGIAE0gEJMTA4MjZqMGoxqAIAsAIA&sourceid
あんまり平穏に描かれるとあの世とこの世の間の世界っぽく感じる問題ってのはある。特に00年代はそういう作品たくさん出てたからね
“よつばが「四葉のクローバー」を摘んでくるみたいに、とーちゃんがよつばを拾ってきた、というだけのことである。まるで幸運とか幸福をたまたま拾ってしまった、というように。”
さらにここから絵柄も変わってる
名前だけ知ってて読んでないんだけど、スゴい熱量の文章やん…。
鳩羽つぐは消えちゃったな
長期連載に伴ってリアリティラインが高くなっていき、初期の奔放な設定が問題になるの、よくある現象ではある。/初登場時のやんだは割と意地悪で、「やさしくない世界!?」と思ったのだが、その後やさしくなった。
これこそが昔ながらの考察だよね、作家が考えさせるために用意したギミックを解くんじゃなく、単にあまり細かく設定されていない余白を想像して埋めていく
そこそこのとこで終わらせてたら伝説になってたと思う。今や展覧会やるほどのビジネスになってしまって終わるに終われない感じが見ていられない。今や、よつばらしい言動を無理して書いてる感じ。
よつばと!ってそんな昔からやってんのか。そういえばマンガ夜話でやってたな。一回止まってから読んでないわ。独特の面白さがあるけど連載が止まると忘れちゃうね。
お姫様になる回で成長をいきなり感じた。ランドセルの回は泣いた。最近いきなり成長を感じるのよね…
子供からすると親の仕事なんて曖昧なもんだし、世の中は遊びと驚きに満ちている。むしろよつばこそ実在、おさるのジョージに近い
よつばと!が電書になるって話はどうなってんやろ?よつばは、子にも自分にも孫にも投影できる「子供」の象徴だから非実在ってそうかもしれないがいまさらメタ展開はしないだろうしする必要はないよなと思ってる。
子供のいない人の感想・考察って感じだ。小さい子供がいると本当によつばみたいなことをしてて微笑ましい。作者の子供への解像度の高さと愛情しか感じない。保育園や幼稚園に行かないのは確かにリアルではないけど。
いろいろ言ってるがつまりは、よつばとはほのぼの世界のために省略されたリアリティがあるという話なんじゃない?5歳児は社会性がありまだ女世界に触れてない、描きやすいタイミング
よつばとってなんであんな休載ばっかなの?
いまはばーちゃんも小春子も登場してるので、その辺を考慮して語り直しが必要。最新刊だとあずまんが大王の人気キャラが登場します。 ばーちゃんが遊びに来た話で、帰りのタクシーから見つめてる顔が身につまされる
うがった 読み方を するのは やめろ
平和すぎて怖いなーと思うけどな。
よつばとは作者さんが子育て中、こどもがいることで見える優しい世界を描いたようなイメージ。お子さんいたかわからんが。あとよつばの出自がハワイや東南アジアのイメージないな。ヨーロッパにも島あるし。
作者はそんなこと考えていない、と分かってて論じるのであれば、これはよつばと!に対する考察ではなくてよつばと!から受ける自分自身への考察だよね。よつばと!を読んでこう感じてしまうんだ自分は、という
キュイイ!!
よつばの住んでるあじさい町は埼玉県だったはず。代々木公園に池袋経由で行く回の描写から推測
あの話…今や子供に道を聞くのは非常識とか、一人で遊びに行かせてはならない、とかそのへんの論考かと思った(それをあとで書こうと思ってたから)
年中~年長特有の、体力ついてきて好奇心爆発してだんだん社会性がでてくる時期を丁寧に描いている印象だけど。よその子にひたすら長期継続的に付き合う子供(隣人三姉妹)の方がファンタジーではある。
言動の変化は単に周辺の影響で、前の環境が超うるさくて今の環境はそうでもないってことでは。
関西オレンジの同人の元ネタとしての価値が20%くらいを占めていると思う
われわれは「よつばのいる世界」を見てるというよりは、「よつばかが見てる世界」を見てるような気がする。よつばの目から見た世界。背景がよる緻密になってたのも、よつばにはそう見えてきたから(少々強引)
よつばの世界は2003年なのでスマホ(iPhoneの登場は2007)が存在してないんだよね。YouTube(2005登場)もなし。そこが引っかかって現代日本ではない感覚がある。まあそれでも面白いのだが。
よつばと12巻の最後のセリフ「今日はなにしてあそぶ?」が怖いっていう人が一定いる現象もある
イマジナリーよつば
この前ランドセル買ってたけど、小学校入学とともに終わっちゃうのかな……
んな訳ねーだろwの一言で蹴られる事をよくもまあこんだけ長々と書けたもんだなあ…
自分で子供を育てた経験があったり子供と関わりの多い人がよつばを現実の子供の一面として受け取っているのに対して、子供と関わりの少ない人のほうが実際にはこんな子供はいないものとして受け取っている。面白い。
誰かが言ってたことだけど、よつばと!はよつばから見た世界なんだよね。よつばが認識できない嫌味は存在できないし、親から叱られた思い出は残る。受け取り方一つで世界はいくらでもきらきらと輝く。
恐怖の源泉はマンガの根源的な持つ終わらなさ、だと思う。よつばとに限らず時間は経過せず成長せず同じ舞台にいる安心感。日常系。そんなものありもしないのに。そして解像度だけが変わる。読み手と主人公のシンクロ
よつばの成長につれて見える世界が現実味と広がりを増し、魔法は失われて無敵の子供から普通の子になって行く。それでも子供は愛されるべき存在で、世界は美しい。凄いことを描いてる漫画だよ。
キャンプ後の「きょうは何して遊ぶ?」のコマがめっちゃ怖かったの覚えてる。それはともかく、隣の女子高生と仲良くなるおっさんの方が非実在的ではある。
ふふ、いい感想じゃないか
よつばとは巻を重ねてだんだん幼児生活リアリティを出してきた。最初の巻は車の助手席でシートベルトしてなかったり、よつばが吹っ飛んでくるくる回転して着地したり、かなりギャグ漫画時空になってる
しかし、アニメ化しねえな、あれは。
本筋と関係ないけど、途中のよつばが四つ葉のクローバー持ってるカット見て「この不可思議な髪型と髪色は四つ葉のクローバーをモチーフにしてるのか!」と初めて気づいた。全然気づいてなかった。
よつばとガチ勢ってだいたいこんなイメージ
サンタがいる世界観をずっと維持させ続けるような怖さ
ファンロードに載ってたリミックスタイム(すんぢ)のオマージュ漫画なので、最終回か最終巻のおまけ漫画で数年後の様子が描かれるの1票。
単行本9巻まで、ということは10巻の出た2010年11月以前に書かれた考察。筆者は今の展開をどう思ってるかしら/2011年に引っ越して、最初の方の巻が行方不明なままなんだよな。読み返したいな。
ばーちゃんがiPhoneを持ち出したあたりで時間設定を吹っ切ったのよ。…という記事を以前描きました。 https://www.secret-base.org/entry/yotsubato14
おお、すごいレビューだ。よつばと!はまだ紙で買ってた時代の漫画で途中までしか読んでないんだよなあ。電子で描い直すか悩むな……
非実在よつば
『よつばと!』は「よつば(子供)と一緒にいると日常が楽しくなる、世界の見え方が変わる」という拡張現実、AR漫画。
『よつばと!』は2003年から月刊コミック電撃大王で連載されているマンガである。
主題ではないが、おれは勝手によつばの出自ととーちゃんの翻訳業は北欧系だと思っていた。なんでだろう?
よつばだけが非実在性を持っている。確かに。だから無敵。大筋は同意。しかし私はよつばの出身地はハワイじゃなくミクロネシアのどこかかなと思っていた。
ああ、よつばとの世界はあんなに平和そうだけれど、よつばがどこから来たのか、今までとーちゃんとよつばがどんな暮らしをしてきたのか、ぽっかり穴が空いているから「そのうち何かあるんじゃ」と思っていた
やんだはとーちゃんのいつ時代の同僚なんだってずっと思ってる。絶対同じ部署じゃなさそうなんだけど
これ、初出はもう15年前なのか。
とーちゃんと買い物に行ったのが入間のアウトレットモールをモデルにしていたので家は埼玉かなーと勝手に妄想してる。よつばワールドが怖いって言説はちょくちょく見かけるな
よつばみたいな人は極々稀に実在すると感じる。あまりの人間の素直な良さで周囲の倫理性を上げてしまいその人を含む空間で傷が起きない。異空間、聖的で長くここにいてはいけない感じ。自分的には『白痴』のジャンル
「あずまんが大王」好きなんで「よつばと!」も気になってるんだけどなぜかいまだに未読で。そろそろ意を決して読み始めようかな。
外国から連れてきたってことはパスポートはあるんだなあ、と思った記憶。テンションの高さから南米系かなーと勝手に思ってたな。
???いない風景は、実は実在しないんじゃなくて、存在しないとこんなにさみしいの伝統的表現では?。あと、よつばはドラえもんみたいな存在と思っていたのだが。助けてくれるのは秘密道具じゃなくて大人だけどな!
随分以前、友人にメールで「よつばと!ってファンタジーで登場人物は皆よつばの疑似家族だよね、とーちゃんはもちろんお父さん、ジャンボはお母さんでやんだは兄弟等々」と書いた。今でも大好きな漫画だが。
めも。
その漫画夜話見てた。よつばと!の世界はユートピアと言われていて納得したなあ。よつばだけが非実在とは自分は思わないなあ。登場人物みんないい人過ぎて。あと読者がよつば視点で世界を味わえるのがこの漫画
わかる「非実在よつば」というか、よつばの出自が明らかになるにつれて話の世界が足元から崩れる恐れを感じながら読んでる、今の所それはないけどばあちゃんが出てきた時とかちょっとドキドキしてた
そーかなぁ、よつばの世界がきらきらしてるのは、幼児時代の無垢さの拡張表現であって(例外はあるだろうけど)誰もがもっていて成長し失ったものを描きたい、という話だと思うけど。子供って面白いよね、って
始まってはや22年、あずまんが大王の大阪が登場して終わりを感じたな
よつばとエロ同人の非実在ふうかと非実在とーちゃん(小岩井)について論じて
シンプルに『リアルな描写が多いのにあまりにもリアル(辛いこと)が少ない』のでアンリアルな不幸や裏設定を警戒してしまう。ってのは、わかる。
自分で子育てして思うのは、よつばの家には透明お母さんがいる。幼児抱えて在宅業務、幼稚園保育園に行かない、家が綺麗、別の部屋からよつばが仕事中に乱入してくる。家事育児を任せていた父親の漫画の印象かなあ
大阪がいるということは、ちよちゃんもいる世界線なのだから、実在性とかあんまり考える必要ないんじゃないの
″よつばの国籍・戸籍はどうなっているのか、エトセトラ、エトセトラ″ここ気になって先に読み進めらんないんだよね。日本につれてきて大丈夫な人間なのか?何か犯罪に荷担してた可能性を考えてしまう
死後の世界と言うてた人もいたね。小さい子が見ても年寄りが見ても笑ってくれるまんが、嬉しい
まだ、やってるんだ。長寿漫画だね。
最近の発言はかなり大人びてきたよなと思う。ランドセルの話もそうだけど、だいぶ実年齢より上の賢さレベルの話をしている気がする
ユートピア(日常)が失われる怖さは感じた。AKIRAやチェンソーマンみたいに(日常を)揺さぶったり壊したり再生したりする作品にはしない作風であり作家だろうとは思ってる。親や出自の出ない出さない漫画って結構あるし。
幼い時に赤いうさぎT買って幼稚園でようやく着れるようになりよつばと同じだねって初めて読んだ漫画はよつばとだった娘も今やNetflixでどんな動画も見れる中学生になったからよつばとの結末も受け止められそうだよなぁ
なんだろう、かなりずっと前に読んだことある記事の気がする。
自分はよつばちゃんの出身は勝手にカリブの島あたりかと思ってた 翻訳業のとーちゃんとも親和性高そうだし 中南米感もあるけれど島じゃないしなあ よつばちゃんももうすぐ小学校かと思うと凄くびっくりする
実際のところ、愛嬌のある5歳児との暮らしはなんだかんだよつばとに近かったりする。お隣に住んでる美人3姉妹の方がよほど非実在的だと言えるくらいには。
「僕たちのこの世界が本当は「きらきら」していないことを、否応なく証明する」怖さ。BSマンガ夜話はよくも悪くも漫画評論の叩き台になってるから全テキストを公刊しておくべきだと思う。権利処理が難しそうだけど。
現実の世界もフィクションの世界でもそんなに素性がハッキリしていないとダメなのかな?と思った。
困ったことに文字コード指定がされていないのか、iPhoneからだと何も読めない。。。
理想のこども。AIARで半実体化まったなしか
よつばと!が大好きなので 興味深い考察として読んだ 怖い感じわかるよ あと最新巻で絵柄すごい変わってたよね
ここでも背景の書き込みの話がある。
https://www.google.com/search?q=%E3%81%84%E3%81%A1%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%8B&oq=itikaraka&gs_lcrp=EgZjaHJvbWUqCQgBEAAYBBiABDIGCAAQRRg5MgkIARAAGAQYgAQyCQgCEAAYBBiABDIJCAMQABgEGIAEMgkIBBAAGAQYgAQyCQgFEAAYBBiABDIJCAYQABgEGIAEMgkIBxAAGAQYgAQyCQgIEAAYBBiABDIJCAkQABgEGIAE0gEJMTA4MjZqMGoxqAIAsAIA&sourceid
あんまり平穏に描かれるとあの世とこの世の間の世界っぽく感じる問題ってのはある。特に00年代はそういう作品たくさん出てたからね
“よつばが「四葉のクローバー」を摘んでくるみたいに、とーちゃんがよつばを拾ってきた、というだけのことである。まるで幸運とか幸福をたまたま拾ってしまった、というように。”
さらにここから絵柄も変わってる
名前だけ知ってて読んでないんだけど、スゴい熱量の文章やん…。
鳩羽つぐは消えちゃったな
長期連載に伴ってリアリティラインが高くなっていき、初期の奔放な設定が問題になるの、よくある現象ではある。/初登場時のやんだは割と意地悪で、「やさしくない世界!?」と思ったのだが、その後やさしくなった。
これこそが昔ながらの考察だよね、作家が考えさせるために用意したギミックを解くんじゃなく、単にあまり細かく設定されていない余白を想像して埋めていく
そこそこのとこで終わらせてたら伝説になってたと思う。今や展覧会やるほどのビジネスになってしまって終わるに終われない感じが見ていられない。今や、よつばらしい言動を無理して書いてる感じ。
よつばと!ってそんな昔からやってんのか。そういえばマンガ夜話でやってたな。一回止まってから読んでないわ。独特の面白さがあるけど連載が止まると忘れちゃうね。
お姫様になる回で成長をいきなり感じた。ランドセルの回は泣いた。最近いきなり成長を感じるのよね…
子供からすると親の仕事なんて曖昧なもんだし、世の中は遊びと驚きに満ちている。むしろよつばこそ実在、おさるのジョージに近い
よつばと!が電書になるって話はどうなってんやろ?よつばは、子にも自分にも孫にも投影できる「子供」の象徴だから非実在ってそうかもしれないがいまさらメタ展開はしないだろうしする必要はないよなと思ってる。
子供のいない人の感想・考察って感じだ。小さい子供がいると本当によつばみたいなことをしてて微笑ましい。作者の子供への解像度の高さと愛情しか感じない。保育園や幼稚園に行かないのは確かにリアルではないけど。
いろいろ言ってるがつまりは、よつばとはほのぼの世界のために省略されたリアリティがあるという話なんじゃない?5歳児は社会性がありまだ女世界に触れてない、描きやすいタイミング
よつばとってなんであんな休載ばっかなの?
いまはばーちゃんも小春子も登場してるので、その辺を考慮して語り直しが必要。最新刊だとあずまんが大王の人気キャラが登場します。 ばーちゃんが遊びに来た話で、帰りのタクシーから見つめてる顔が身につまされる
うがった 読み方を するのは やめろ
平和すぎて怖いなーと思うけどな。
よつばとは作者さんが子育て中、こどもがいることで見える優しい世界を描いたようなイメージ。お子さんいたかわからんが。あとよつばの出自がハワイや東南アジアのイメージないな。ヨーロッパにも島あるし。
作者はそんなこと考えていない、と分かってて論じるのであれば、これはよつばと!に対する考察ではなくてよつばと!から受ける自分自身への考察だよね。よつばと!を読んでこう感じてしまうんだ自分は、という
キュイイ!!
よつばの住んでるあじさい町は埼玉県だったはず。代々木公園に池袋経由で行く回の描写から推測
あの話…今や子供に道を聞くのは非常識とか、一人で遊びに行かせてはならない、とかそのへんの論考かと思った(それをあとで書こうと思ってたから)
年中~年長特有の、体力ついてきて好奇心爆発してだんだん社会性がでてくる時期を丁寧に描いている印象だけど。よその子にひたすら長期継続的に付き合う子供(隣人三姉妹)の方がファンタジーではある。
言動の変化は単に周辺の影響で、前の環境が超うるさくて今の環境はそうでもないってことでは。
関西オレンジの同人の元ネタとしての価値が20%くらいを占めていると思う
われわれは「よつばのいる世界」を見てるというよりは、「よつばかが見てる世界」を見てるような気がする。よつばの目から見た世界。背景がよる緻密になってたのも、よつばにはそう見えてきたから(少々強引)
よつばの世界は2003年なのでスマホ(iPhoneの登場は2007)が存在してないんだよね。YouTube(2005登場)もなし。そこが引っかかって現代日本ではない感覚がある。まあそれでも面白いのだが。
よつばと12巻の最後のセリフ「今日はなにしてあそぶ?」が怖いっていう人が一定いる現象もある
イマジナリーよつば
この前ランドセル買ってたけど、小学校入学とともに終わっちゃうのかな……
んな訳ねーだろwの一言で蹴られる事をよくもまあこんだけ長々と書けたもんだなあ…
自分で子供を育てた経験があったり子供と関わりの多い人がよつばを現実の子供の一面として受け取っているのに対して、子供と関わりの少ない人のほうが実際にはこんな子供はいないものとして受け取っている。面白い。
誰かが言ってたことだけど、よつばと!はよつばから見た世界なんだよね。よつばが認識できない嫌味は存在できないし、親から叱られた思い出は残る。受け取り方一つで世界はいくらでもきらきらと輝く。
恐怖の源泉はマンガの根源的な持つ終わらなさ、だと思う。よつばとに限らず時間は経過せず成長せず同じ舞台にいる安心感。日常系。そんなものありもしないのに。そして解像度だけが変わる。読み手と主人公のシンクロ
よつばの成長につれて見える世界が現実味と広がりを増し、魔法は失われて無敵の子供から普通の子になって行く。それでも子供は愛されるべき存在で、世界は美しい。凄いことを描いてる漫画だよ。
キャンプ後の「きょうは何して遊ぶ?」のコマがめっちゃ怖かったの覚えてる。それはともかく、隣の女子高生と仲良くなるおっさんの方が非実在的ではある。
ふふ、いい感想じゃないか
よつばとは巻を重ねてだんだん幼児生活リアリティを出してきた。最初の巻は車の助手席でシートベルトしてなかったり、よつばが吹っ飛んでくるくる回転して着地したり、かなりギャグ漫画時空になってる
しかし、アニメ化しねえな、あれは。
本筋と関係ないけど、途中のよつばが四つ葉のクローバー持ってるカット見て「この不可思議な髪型と髪色は四つ葉のクローバーをモチーフにしてるのか!」と初めて気づいた。全然気づいてなかった。
よつばとガチ勢ってだいたいこんなイメージ
サンタがいる世界観をずっと維持させ続けるような怖さ
ファンロードに載ってたリミックスタイム(すんぢ)のオマージュ漫画なので、最終回か最終巻のおまけ漫画で数年後の様子が描かれるの1票。
単行本9巻まで、ということは10巻の出た2010年11月以前に書かれた考察。筆者は今の展開をどう思ってるかしら/2011年に引っ越して、最初の方の巻が行方不明なままなんだよな。読み返したいな。
ばーちゃんがiPhoneを持ち出したあたりで時間設定を吹っ切ったのよ。…という記事を以前描きました。 https://www.secret-base.org/entry/yotsubato14
おお、すごいレビューだ。よつばと!はまだ紙で買ってた時代の漫画で途中までしか読んでないんだよなあ。電子で描い直すか悩むな……