原則として「私マンガ」が描けないってのはそういえばそうすぎる
『よつばと!』も水木しげる、つげ義春フォロワーだと思う https://www.kcv.ne.jp/~sakura22/thinking/yotubato.html
知見がないのにネットの有名人というだけで影響力が出ちゃうの厄介だな。まともな評論活動の必要性を感じる。
いいまとめ ちなみにテイスト混ぜるの苦手、不安になる、面白くはある。急に写実的になるのは一部は好き、70年代のノリは苦手
いや、水木しげるやろって思ってたら二段目ですぐそうなってて草 精密なディテールとポップなキャラクターの絵作りなら鳥山もその系譜に入ると思う
うん。そうだよな。panpanyaの作品は大好きだが、その描き方が発明かと言うと、ちょっと違うと思う。車輪の再発明かも知れないけれど。それにしても引用される作品が陰鬱なものばかりなのは何故なんだw
発明と言えば大わらわ澄人
表現の文脈は違うけど表象的にはプンプンが分かりやすいかも
panpanyaさんの漫画大好きだが他の似たような表現をする作品を知らなかったのでこのブログでいろいろな例を見られてよかった
写真から起こすのが定着してるかしらんけど、近年はよく見かける気がする。海山田舎なんかが絡むヤツは特に。
冨樫が途中で急に写実っぽくするの効果的だなーと思う
「やけくそだ! がんばれ巨人軍!」赤塚不二夫
そもそも写真トレスという技法があったのでなァ
キャラがデフォルメされて風景を精密描写したら、どこからどこまでがキャラなのかという線引きが必要になるわな必然。風景化した対象は精密に描かざるをえないと。主観と客観の話とはまた違うような...?
水木しげるの漫画ってうろ覚えでおどろおどろしいイメージしかなかったけど、改めて見ると絵がものすごいなあ。
エッセイ漫画を考えるにあたっても重要な示唆を与えているとおもわれる記事
タイトルみてこないだオモコロで恐山が語ってたなと思ったらまさにそれ発祥の内容だった。
具体的な過去例と対比させた良い評論だった
水木しげるだよなと思って見てた。恐山さんは別に嫌いじゃないしこれでどうこうはないけど。
グヤバノ・ホリデーに限定して言うと、panpanyaワールドに慣れてきている状態で「グヤバノとかいう謎果物を作ってルポ風の漫画なんてさすがだな」って思わせるけど実在してる方がすごい。
おもしろい
有名人の雑語りに対してこれだけ適切な実例を出して指摘するのえらい。
panpanya、気になりつつまだちゃんと読んだことがない。古本市場にもまず出てこないし、少しばかりの試し読みではつかみきれず。サブカル系にありがちな1500円ぐらいの新刊を買って読んでみるしかないのだ。
アニメの視聴者が存在しない背景設定を生成しちゃうのと一緒だよね。仲間内でわいわいやってる分には楽しいんだけど、YouTubeみたいな形でおっびろげてしまうと何かと波風が立ってしまう。モンステラ・ホリデーも良き
鳩が写実からデフォルメに意図的に変化するという表現自体は他の例ともちょっと違うような…?とはいえそのルールが唯一と言われたらこういう反証になるのはわかる
どくもりが出てくると思わんかった。プンプンも完全にこれだなぁ。
同じ動画見てていやよくある手法じゃない?と思ったので可視化されて良かった。俺には具体的な例とともに言語化できない…素晴らしい記事だ。
楽園 Le Paradisの連載で前から面白いなあと思ってた。不思議世界を彷徨うという点ではKashimir先生のてるみなと重なる部分がある
類似手法をこうして並べてみると、デフォルメ/リアルの書き分けの度合いに作家性でるね
“虚構を現実世界の日常に紛れ込ませる” と言うよりは「現実世界に主観的な心象を重ね合わせる」のほうが合っている気がする。後半の「私マンガ」での表現との繋がりもしっくり来るし。
手塚治虫以外の漫画は無知な図書館勢の漫画好きだけど、これ系の画風の変化の表現は、手塚の「落盤」(1959)で既に行われている表現だよ https://tezukaosamu.net/jp/manga/557.html
たまに聞く名前だけど気になるなpanpanya…/漫画に限らずだけど写実とデフォルメの境目って作家性がでて好き
時系列は知らんが、有名作だとおやすみプンプンのイメージ。
いずれにしても、みんなpanpanyaのことが好きで、読もうよ、ってメッセージだけは共通していそう
面白い論考だった。アニメの場合、技術的な制約上、背景が精緻でキャラがシンプルになる。出発点はともかく現代の漫画は、逆輸入的にそういう表現に影響を受けている部分もあると思う。
途中で挙げられてたけど「リアルな背景とシンプルなキャラクター」と言われれば、私は『おやすみプンプン』が思い浮かんだ。『釣りキチ三平』も言われてみれば確かにだけど、あっちは結果的にというのも確かに。
発明じゃないとおもうけど、panpanyaと同じ味わいのある作家は居ない気がするんだよな。宮崎夏次系も好きです。
インターネット芸人で飯を食うという異常人生を送ろうとするのはやはりよくないな。最後には驚き屋やツルハシ売りになるダサい人生が待ってる
“水木の故郷である田舎町のリアルな風景の中に、デフォルメされたシンプルな妖怪の姿が配置することは、妖怪という非現実を、私たちの現実と地続きのものであるとビジュアルで訴えかけます。”
俺は背景がリアル寄りの背景が徐々に侵食されていくkashmirが好き(人物をリアルに描くことはないが)
AKIRAも背景の書き込みに対してキャラクターは漫画的なディフォルメされてるしな
paypay
背景素材に自キャラ置いたら当然にこうなるんよ。それだけ。
アナログで描いてるのかな、、デジタルだとリアルな背景のほうがむしろ描きやすいのでは
ふむふむ、panpanya…これは新しい爪とぎの予感…?違うか、にゃ?
そんなに書き込んでいない中のデフォルメとして、山水画は風景に対して人物はシンプル。慧可断臂図はシンプルすぎる白い衣も印象的。効果的な手法
恐山はわかったようなこと言っているだけで、知的水準や想像力が足りてない。水木しげるの偉大さ。
パンパン屋…
表現方法やテクニック自体は古くからある物でも、使い方に現代的な視点があるから新しく見えるんだろうな。
個人的には panpanya はここでも言及されてるけど具体性のある逆柱いみりなんだよなあ。
前景と背景の表現の差で言うと「前景はアクリル塗料単色ベタ塗りのキャラクター+背景はディテールの描き込まれた水彩画」という映像表現に我々はとても長い年月親しんできているはずなのだけれど。
panpanyaはいいぞおじさん「panpanyaは電子化されてない『足摺り水族館』が至高だぞ」
映像の世紀見てたら日本人て水木しげる先生が描くみたいな顔してるなとしみじみ思ったことがあって、それ以来水木先生は人物も写実なんじゃないかと思うようになった
四半世紀前に出版された夏目房之介の本で既に「釣りバカ日誌に驚く外国人」で言及されているのだが、知らないのか。https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784093873369
恐山の与太はどうでもいいがブコメの手塚治虫の落盤は圧巻だった 絵と演出をそのまま表現に落とし込んでいてここで長々語られている本質が集約されている 漫画神才気溢れすぎ
良記事。いち読者にとって唯一で発明であるということと、全体で見れば昔からよくある手法であるということは両立する。/ ルーツの話なら実写の中をアニメキャラが動き回る系の映像作品との関係もあるのかな?
意図してやってるやつと画力不足でそうなってるやつがありそうだ
いろんな漫画があって、みんな良い、刺激になる!
近年の漫画でこれは間違いなくこの作者の発明って言えるような表現って何かあるんだろうか。WEBが絡んでる漫画なら何かはありそうかな。
こういう表現いいなあ、知らなかった。なんかガロっぽいね、確かに
「陰鬱なものばかりなのは何故なんだw」← 水木の時代も現在も同じく世界は劇画タッチの残酷なリアリズムであり、自分はそこを漂う滑稽な存在、ということではないか(適当)
この類の(といっても、ありきたりといいたいわけではない)表現好きなんだよな。なにか、個人的な感性に響くのだろう。発明じゃなくても、面白ければ大正解だ
恐山にも届いてた。”なるほど!!!確かに動画での言及の仕方は粗かったな(なのでぜひ読んでください)。 ” https://x.com/d_d_osorezan/status/1955495165172519207
水木しげると浅野いにおだなーだと思ったらそのまま書いてて満足。
わかる。「任天堂のマリオ64はオープンワールドの先駆者」とかね。褒めたいのはわかるが雑な整理で大袈裟に褒めない方がいい。事実に反する持ち上げ方は却って反感を抱かれるだけ。
水木しげるの漫画原作読んだことない人、結構いると思う/昔は記号化された手塚的漫画とリアル調の劇画が分かれてたんだな。ある意味両者の折衷案として出てきたのが大友克洋のリアルな描写でこれが現在の主流と理解
panpanyaの漫画表現についてはここで紹介されているようなつげ義春や水木しげるの影響下であることから少しずれてきたあたりからが好きです。最新作とても好き
古屋兎丸のパレポリが色々な表現で描かれてるよ。リアルの中にデフォルメとか、逆にデフォルメされたキャラが立体感のある描かれ方されてたり、騙し絵みたいなのがあったり。
漫画も映画や音楽なみに古典掘るの簡単になれー!!
パソコンを使った手法としては山本直樹が結構前からやってたが、それはまたベクトルが違うのかもなぁ
漫画に限らず「面白かった」を大袈裟に語りすぎるのもな、という。作者の意図と離れたことを言い過ぎるのはよくない。楽しくなっちゃう気持ちはわかるが
面白そうな漫画がいっぱい〜
どれもいいな。読んでみよう。
素晴らしい!
贔屓の引き倒し、ってね。凄い才能見つけてはしゃぐのは簡単だけど、冷静な論評は難しいからこそ冷静で無いと。
発明と呼べるレベルではなくむしろよく見る表現手法であることを考えると、恐山、実は水木しげるやつげ義春を読んだことがなかった説まであるな…もしくは褒めすぎたか
オブジェクトに対する視線が路上観察学っぽい。作者は人物より物体に関心があるのでは。最新刊収録の「行掛り」「動物の分際」「つくもごみ」は最高です。エモです。だんだん作風に社会性が増してきてるように思う。
普通にティアティアした絵だよね。コミティア行ったらこういう感じのいっぱいあるよ!
おもしろーい、読んでみたくなった。/なんでもそうだけど検証が必要なことを断定しちゃう人って信用できない気がする。オモコロは全員ミュートにしているけど。
この前読み返した、藤子不二雄Aの「まんが道」もこの手法だった。
あまり自信を持って言えないけど、田河水泡あるいはそれ以前までさかのぼれるんじゃないかと思う。昔の漫画家って洋画家くずれが多いから。あと笠辺哲「フライングガール」がおすすめです。
もっと言うと仏教画や大和絵、浮世絵やシュルレアリズムでも擦られてる手法なんで発明は言い過ぎよね。
動画見てきた、発明という評価が大袈裟なのは同意で「表現」や「技法」の一種かなと。ただ表紙の質感に触れてくれていたのは流石、私も魚社会のカバー外した時に青魚?の鱗のようなデザインと触り心地に感動したなぁ
″「リアルな背景とシンプルなキャラクターの対比という手法」の日本漫画における最初の発明者は水木しげると言っても差し支えない″マジかよ、panpanya最悪だな。先人の発明なのに、自分の発明であるかのように振る舞
乳首残像は奥浩哉の発明。
鬼太郎の青年編みたいなマンガあるのか 面白そう
どっちかっていうとデフォルメのレベルと言うより画風としてあえて馴染ませないところが特徴だと思う
おやすみプンプンは意図的すぎた例かね
恐山さんの方も日記でアンサーを出していて、面白かった https://note.com/d_v_osorezan/n/n1b76d2bd629d
恐山氏は意外とエンタメやコンテンツに対する解像度低いよね。「え、それ知らないの?」みたいなことを何度か思った記憶。
表現って純粋な技術とは違って再発明しても表現者によって色合いやコンテキスト、印象が十人十色で面白いよね なので少なくともざんちの中ではpanpanyaは唯一無二だったんだろう
元動画も漫画も読んでないのに、棍棒手にいれてウキウキで叩いてるのブクマカって感じだ
「panpanyaは「街」をよく描き、水木は「自然」をよく描きました。」これは時代の違いが大きいと思う。水木が住んだ東京都調布市だって60年前は田畑や雑木林が多い町だったんだから。
なんちゅうか、オモコロで漫画紹介結構やってると思うからあんまりメジャーな作家だせなかった感 / 水木しげるの「わたしの日々」は画力も中身もすごいからみんな読んでほしい
これはアニメだと普通なんだよな。リアルな背景とデフォルメされたキャラクター
panpanyaの漫画表現は発明なのか? - 村 村
原則として「私マンガ」が描けないってのはそういえばそうすぎる
『よつばと!』も水木しげる、つげ義春フォロワーだと思う https://www.kcv.ne.jp/~sakura22/thinking/yotubato.html
知見がないのにネットの有名人というだけで影響力が出ちゃうの厄介だな。まともな評論活動の必要性を感じる。
いいまとめ ちなみにテイスト混ぜるの苦手、不安になる、面白くはある。急に写実的になるのは一部は好き、70年代のノリは苦手
いや、水木しげるやろって思ってたら二段目ですぐそうなってて草 精密なディテールとポップなキャラクターの絵作りなら鳥山もその系譜に入ると思う
うん。そうだよな。panpanyaの作品は大好きだが、その描き方が発明かと言うと、ちょっと違うと思う。車輪の再発明かも知れないけれど。それにしても引用される作品が陰鬱なものばかりなのは何故なんだw
発明と言えば大わらわ澄人
表現の文脈は違うけど表象的にはプンプンが分かりやすいかも
panpanyaさんの漫画大好きだが他の似たような表現をする作品を知らなかったのでこのブログでいろいろな例を見られてよかった
写真から起こすのが定着してるかしらんけど、近年はよく見かける気がする。海山田舎なんかが絡むヤツは特に。
冨樫が途中で急に写実っぽくするの効果的だなーと思う
「やけくそだ! がんばれ巨人軍!」赤塚不二夫
そもそも写真トレスという技法があったのでなァ
キャラがデフォルメされて風景を精密描写したら、どこからどこまでがキャラなのかという線引きが必要になるわな必然。風景化した対象は精密に描かざるをえないと。主観と客観の話とはまた違うような...?
水木しげるの漫画ってうろ覚えでおどろおどろしいイメージしかなかったけど、改めて見ると絵がものすごいなあ。
エッセイ漫画を考えるにあたっても重要な示唆を与えているとおもわれる記事
タイトルみてこないだオモコロで恐山が語ってたなと思ったらまさにそれ発祥の内容だった。
具体的な過去例と対比させた良い評論だった
水木しげるだよなと思って見てた。恐山さんは別に嫌いじゃないしこれでどうこうはないけど。
グヤバノ・ホリデーに限定して言うと、panpanyaワールドに慣れてきている状態で「グヤバノとかいう謎果物を作ってルポ風の漫画なんてさすがだな」って思わせるけど実在してる方がすごい。
おもしろい
有名人の雑語りに対してこれだけ適切な実例を出して指摘するのえらい。
panpanya、気になりつつまだちゃんと読んだことがない。古本市場にもまず出てこないし、少しばかりの試し読みではつかみきれず。サブカル系にありがちな1500円ぐらいの新刊を買って読んでみるしかないのだ。
アニメの視聴者が存在しない背景設定を生成しちゃうのと一緒だよね。仲間内でわいわいやってる分には楽しいんだけど、YouTubeみたいな形でおっびろげてしまうと何かと波風が立ってしまう。モンステラ・ホリデーも良き
鳩が写実からデフォルメに意図的に変化するという表現自体は他の例ともちょっと違うような…?とはいえそのルールが唯一と言われたらこういう反証になるのはわかる
どくもりが出てくると思わんかった。プンプンも完全にこれだなぁ。
同じ動画見てていやよくある手法じゃない?と思ったので可視化されて良かった。俺には具体的な例とともに言語化できない…素晴らしい記事だ。
楽園 Le Paradisの連載で前から面白いなあと思ってた。不思議世界を彷徨うという点ではKashimir先生のてるみなと重なる部分がある
類似手法をこうして並べてみると、デフォルメ/リアルの書き分けの度合いに作家性でるね
“虚構を現実世界の日常に紛れ込ませる” と言うよりは「現実世界に主観的な心象を重ね合わせる」のほうが合っている気がする。後半の「私マンガ」での表現との繋がりもしっくり来るし。
手塚治虫以外の漫画は無知な図書館勢の漫画好きだけど、これ系の画風の変化の表現は、手塚の「落盤」(1959)で既に行われている表現だよ https://tezukaosamu.net/jp/manga/557.html
たまに聞く名前だけど気になるなpanpanya…/漫画に限らずだけど写実とデフォルメの境目って作家性がでて好き
時系列は知らんが、有名作だとおやすみプンプンのイメージ。
いずれにしても、みんなpanpanyaのことが好きで、読もうよ、ってメッセージだけは共通していそう
面白い論考だった。アニメの場合、技術的な制約上、背景が精緻でキャラがシンプルになる。出発点はともかく現代の漫画は、逆輸入的にそういう表現に影響を受けている部分もあると思う。
途中で挙げられてたけど「リアルな背景とシンプルなキャラクター」と言われれば、私は『おやすみプンプン』が思い浮かんだ。『釣りキチ三平』も言われてみれば確かにだけど、あっちは結果的にというのも確かに。
発明じゃないとおもうけど、panpanyaと同じ味わいのある作家は居ない気がするんだよな。宮崎夏次系も好きです。
インターネット芸人で飯を食うという異常人生を送ろうとするのはやはりよくないな。最後には驚き屋やツルハシ売りになるダサい人生が待ってる
“水木の故郷である田舎町のリアルな風景の中に、デフォルメされたシンプルな妖怪の姿が配置することは、妖怪という非現実を、私たちの現実と地続きのものであるとビジュアルで訴えかけます。”
俺は背景がリアル寄りの背景が徐々に侵食されていくkashmirが好き(人物をリアルに描くことはないが)
AKIRAも背景の書き込みに対してキャラクターは漫画的なディフォルメされてるしな
paypay
背景素材に自キャラ置いたら当然にこうなるんよ。それだけ。
アナログで描いてるのかな、、デジタルだとリアルな背景のほうがむしろ描きやすいのでは
ふむふむ、panpanya…これは新しい爪とぎの予感…?違うか、にゃ?
そんなに書き込んでいない中のデフォルメとして、山水画は風景に対して人物はシンプル。慧可断臂図はシンプルすぎる白い衣も印象的。効果的な手法
恐山はわかったようなこと言っているだけで、知的水準や想像力が足りてない。水木しげるの偉大さ。
パンパン屋…
表現方法やテクニック自体は古くからある物でも、使い方に現代的な視点があるから新しく見えるんだろうな。
個人的には panpanya はここでも言及されてるけど具体性のある逆柱いみりなんだよなあ。
前景と背景の表現の差で言うと「前景はアクリル塗料単色ベタ塗りのキャラクター+背景はディテールの描き込まれた水彩画」という映像表現に我々はとても長い年月親しんできているはずなのだけれど。
panpanyaはいいぞおじさん「panpanyaは電子化されてない『足摺り水族館』が至高だぞ」
映像の世紀見てたら日本人て水木しげる先生が描くみたいな顔してるなとしみじみ思ったことがあって、それ以来水木先生は人物も写実なんじゃないかと思うようになった
四半世紀前に出版された夏目房之介の本で既に「釣りバカ日誌に驚く外国人」で言及されているのだが、知らないのか。https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784093873369
恐山の与太はどうでもいいがブコメの手塚治虫の落盤は圧巻だった 絵と演出をそのまま表現に落とし込んでいてここで長々語られている本質が集約されている 漫画神才気溢れすぎ
良記事。いち読者にとって唯一で発明であるということと、全体で見れば昔からよくある手法であるということは両立する。/ ルーツの話なら実写の中をアニメキャラが動き回る系の映像作品との関係もあるのかな?
意図してやってるやつと画力不足でそうなってるやつがありそうだ
いろんな漫画があって、みんな良い、刺激になる!
近年の漫画でこれは間違いなくこの作者の発明って言えるような表現って何かあるんだろうか。WEBが絡んでる漫画なら何かはありそうかな。
こういう表現いいなあ、知らなかった。なんかガロっぽいね、確かに
「陰鬱なものばかりなのは何故なんだw」← 水木の時代も現在も同じく世界は劇画タッチの残酷なリアリズムであり、自分はそこを漂う滑稽な存在、ということではないか(適当)
この類の(といっても、ありきたりといいたいわけではない)表現好きなんだよな。なにか、個人的な感性に響くのだろう。発明じゃなくても、面白ければ大正解だ
恐山にも届いてた。”なるほど!!!確かに動画での言及の仕方は粗かったな(なのでぜひ読んでください)。 ” https://x.com/d_d_osorezan/status/1955495165172519207
水木しげると浅野いにおだなーだと思ったらそのまま書いてて満足。
わかる。「任天堂のマリオ64はオープンワールドの先駆者」とかね。褒めたいのはわかるが雑な整理で大袈裟に褒めない方がいい。事実に反する持ち上げ方は却って反感を抱かれるだけ。
水木しげるの漫画原作読んだことない人、結構いると思う/昔は記号化された手塚的漫画とリアル調の劇画が分かれてたんだな。ある意味両者の折衷案として出てきたのが大友克洋のリアルな描写でこれが現在の主流と理解
panpanyaの漫画表現についてはここで紹介されているようなつげ義春や水木しげるの影響下であることから少しずれてきたあたりからが好きです。最新作とても好き
古屋兎丸のパレポリが色々な表現で描かれてるよ。リアルの中にデフォルメとか、逆にデフォルメされたキャラが立体感のある描かれ方されてたり、騙し絵みたいなのがあったり。
漫画も映画や音楽なみに古典掘るの簡単になれー!!
パソコンを使った手法としては山本直樹が結構前からやってたが、それはまたベクトルが違うのかもなぁ
漫画に限らず「面白かった」を大袈裟に語りすぎるのもな、という。作者の意図と離れたことを言い過ぎるのはよくない。楽しくなっちゃう気持ちはわかるが
面白そうな漫画がいっぱい〜
どれもいいな。読んでみよう。
素晴らしい!
贔屓の引き倒し、ってね。凄い才能見つけてはしゃぐのは簡単だけど、冷静な論評は難しいからこそ冷静で無いと。
発明と呼べるレベルではなくむしろよく見る表現手法であることを考えると、恐山、実は水木しげるやつげ義春を読んだことがなかった説まであるな…もしくは褒めすぎたか
オブジェクトに対する視線が路上観察学っぽい。作者は人物より物体に関心があるのでは。最新刊収録の「行掛り」「動物の分際」「つくもごみ」は最高です。エモです。だんだん作風に社会性が増してきてるように思う。
普通にティアティアした絵だよね。コミティア行ったらこういう感じのいっぱいあるよ!
おもしろーい、読んでみたくなった。/なんでもそうだけど検証が必要なことを断定しちゃう人って信用できない気がする。オモコロは全員ミュートにしているけど。
この前読み返した、藤子不二雄Aの「まんが道」もこの手法だった。
あまり自信を持って言えないけど、田河水泡あるいはそれ以前までさかのぼれるんじゃないかと思う。昔の漫画家って洋画家くずれが多いから。あと笠辺哲「フライングガール」がおすすめです。
もっと言うと仏教画や大和絵、浮世絵やシュルレアリズムでも擦られてる手法なんで発明は言い過ぎよね。
動画見てきた、発明という評価が大袈裟なのは同意で「表現」や「技法」の一種かなと。ただ表紙の質感に触れてくれていたのは流石、私も魚社会のカバー外した時に青魚?の鱗のようなデザインと触り心地に感動したなぁ
″「リアルな背景とシンプルなキャラクターの対比という手法」の日本漫画における最初の発明者は水木しげると言っても差し支えない″マジかよ、panpanya最悪だな。先人の発明なのに、自分の発明であるかのように振る舞
乳首残像は奥浩哉の発明。
鬼太郎の青年編みたいなマンガあるのか 面白そう
どっちかっていうとデフォルメのレベルと言うより画風としてあえて馴染ませないところが特徴だと思う
おやすみプンプンは意図的すぎた例かね
恐山さんの方も日記でアンサーを出していて、面白かった https://note.com/d_v_osorezan/n/n1b76d2bd629d
恐山氏は意外とエンタメやコンテンツに対する解像度低いよね。「え、それ知らないの?」みたいなことを何度か思った記憶。
表現って純粋な技術とは違って再発明しても表現者によって色合いやコンテキスト、印象が十人十色で面白いよね なので少なくともざんちの中ではpanpanyaは唯一無二だったんだろう
元動画も漫画も読んでないのに、棍棒手にいれてウキウキで叩いてるのブクマカって感じだ
「panpanyaは「街」をよく描き、水木は「自然」をよく描きました。」これは時代の違いが大きいと思う。水木が住んだ東京都調布市だって60年前は田畑や雑木林が多い町だったんだから。
なんちゅうか、オモコロで漫画紹介結構やってると思うからあんまりメジャーな作家だせなかった感 / 水木しげるの「わたしの日々」は画力も中身もすごいからみんな読んでほしい
これはアニメだと普通なんだよな。リアルな背景とデフォルメされたキャラクター