読者だけじゃなくて作者もキャラの生死にメンタルが揺れる事はよくあるらしい。シグルイ最終回後の山口貴由先生とか
人物が死ぬ間際に過去話や走馬灯をねっとり描いたり、大切な人と会話などが出来て笑顔とか。そういう描写は"人物の掘り下げ"ではなく、読者に対する"言い訳"、あるいは想像する余地を奪う呪いの類だと個人的には。
私もキャラクターが生かされてるかどうかより、活かされてるかどうかの方がよほど大事だと思う。ただ、推しのキャラの生死の方が物語全体の価値より上の人も多くいるとは思うし、それも楽しみ方のひとつだとは思う。
死からの蘇生も死後の世界もない作品における死は退場に等しいからでしょ。好きなキャラの活躍が見られなくなると、そら嫌じゃないの?自分は歴オタだから推しの死因どころか時期もようわからんかったりするけどなw
鬼滅や呪術みたいに死後の世界の存在を描いてる作品ならまぁそこまでショックは受けんでも…というか熱狂的なファンのショックを和らげるために描いてる感もある
これはわかるんだよな。物語を終わってから振り返った時に、適切に死んだキャラというのは確かに存在するし、好きなキャラが死んでもそこに物語的意義があれば、何となく生きてるより良い
もう少し多くの作品の、その登場人物たちの生死を読んでからにしたらと。例えが呪術漫画一つしか出てこないのはどうかと思う。
富野みたいにさくっと死なせるのって中々難しい
ジャンプ編集者が言うには「毎週、会いたくなるキャラ」ってのを大切にしているらしい。毎週会いたいと思ってた人が、死んで会えなくなったら嫌だろ?
死んで出番はないので、後腐れ無いように成仏エンドですに見えないこともない。
その先の時間軸ではもうこのキャラの絡みは無いんだ、って結構残念だと思うんだが
要は生き様ってコトでしょ。北斗の拳のアインは最高にカッコ良い死に方したよ。
この手の話題が出る度、頭の中で漫画『吼えろペン』富士鷹ジュビロによる数々の名(迷?)言が……笑ってしまうけどあれが読者へ向けた書き手からの黒いラブレターなんだろうねえ……
キャラの物語としての扱いが大事なのは当然として、それはそれとして好きなキャラの死は悲しむのも正しいと思ったり/意味ある死を迎えても行き過ぎたファンの熱量で生き返るのは御愛嬌として…009…
ストーリーなんて殆どテンプレなんだから、キャラクターが如何に表現されてるかが重要。
連載の早い段階で死んじゃうとその先グッズ展開なくなっちゃったりするからね
作者の納得と読者の納得は異なる場合もあるが、気に入らなければ二次創作なり、オマージュで一次創作も出来るのが、二次創作に寛容+表現の自由が担保された日本の良いところだと思う。
あーん!スト様が
話逸れるけど、教師が親友(体)じゃなくてラスボスと戦ったのは合理的だけど作劇上納得し難いと思ったな。
残念なのもわかるし、人が死んだら悲しいのは当たり前なんだから物語を駆動させるために軽々しく死なすなというのもわかりつつ、それでもキャラは死んでいいのだ…(いやだ〜
どっちにしてもキャラが主体になってるの面白いな / ぱっと思いついたのは惑星のさみだれの東雲半月とシドニアの騎士の星白閑だけど、死んでからのほうが存在感がある感じはします
物語全体として良く機能しているのであれば死も良い塩梅となるとは思う。でも、キャラ愛とか推しとかそっち方面に傾倒していると死活問題なんじゃないかな?
死して名をあげたキャラ、かっちゃん、煉獄さん、キルヒアイス、その他その他
ラブコメ漫画であまり者同士でくっつく展開クソほど嫌いってのに通ずるところない?ちょっと違うか…
???「だいじょうぶだ、ドラゴンボールで生きかえれる」
物語として意義のある死に文句をつける気にはならないんだけど、好きなキャラの場合生きてるifを見てみたくなることはあるかな。そういう気持ちが例えば学パロを生んだりするのだろう
呪術廻戦は死後の世界が確実にあるからいいよ。でも、他の作品の死後は無かもしれない。キャラを舞台装置の一つとして認識してるなら問題ないけど、人格そのものに愛着がある場合、それが消滅するのは辛いでしょ?
歴史物だと現代から見れば全員死んでるけどネタバレやめてくださいとはネタ的に言われることがある
バトル漫画ならキャラクターの生死は展開的に受け入れられても、今の時代に「タッチ」みたいなことをやったら炎上必至…というか当時でも大炎上したんだっけ
でもエース殺すかよー
今後出てくるキャラとの絡みもなく、この先の人生の色々なエピソードは消え、老いた姿になるのも否定され、喜怒哀楽は更新されず、過去の人になり、全ての可能性が完全に潰されたのが悲しいんだ。未来が見たいんだよ
好きなキャラが作者や開発側に愛されてなかったり無関心だとジャンルごと嫌になったり悲しくなるのはとてもわかる。でもキャラの死も悲しいよ
連載中の漫画で好きなキャラが死んだらもう回想シーンでしか登場予定がないのが確定するから嫌だな。私は好きなキャラが未来でも活躍してくれるのが見たい…
扱いの話でいうなら、一般的には死んでるより生きている方が露出も多いしエピソードも増えるし扱いは良くなる傾向にあるのでは。壮大に死に際を描いてもらったのなら別だけども。
退場理由も不明なまま登場しなくなるキャラよりは数段マシだね。
スピンオフや二次創作も含めて楽しむ派なので、好きなキャラが死んじゃうとその後の姿を見られなかったり、過去編とかで出てきてもいずれ死ぬんだよなって思って冷める。
レオパルドン・・
最初にこれから死ぬもしくはもう死んでることを明記して、もう二度と戻れない一緒に過ごす最後の夏(なぜか必ず夏)を印象的に描く作品も多いよ。「あの花」とか「みいちゃんと山田さん」とか。
最終決戦で死ぬのと連載途中で退場するのとでは違うよね
In the long run, we are all dead.
重要なキャラクターを強い余韻を残して退場させられる語り手は恐ろしく強い(フローヴァ編ずっと引きずってます)。逆に、オリジナルアニメなどで"続編" に目がくらんでしっかり退場させられないの後味が悪いなど
個人的には、ジークアクスの終盤の展開、ニャアンは生存したけど、扱いは死ぬよりアレなんじゃないかと感じたりはした。煉獄さんは死んだけど、死してなお物語に影響を与え続けている。じゃあ、という。
さらっとネタバレするな。まだ読んでないんよ!
仮面ライダーオーズの火野映司は死亡した上に扱いも悪く(10周年記念映画の冒頭時点で既に瀕死)非常に残念。本編ラストで消滅した相棒アンクは映画で復活した途端に独り取り残される扱いの悪さで本当に不憫
よりによって死んだ直後に回想シーンで登場した挙げ句死体までリサイクルされたやつのことを例に出すなw
死に方にもよる。例えば、主人公の成長のため、あるいは物語を盛り上げるために無駄に殺されたとしか思えない死に方の場合は冷める。
推しが死ぬのは友だちが死んでしまうのと同等には悲しいのでは。/リヴァイ兵長が死に時を逸してボロボロになっても生き延びた展開わりと好き。
都合とか、そうしてみたかったってのが透けて見えるのが最悪。風夏を許すことはない。死なない版をアニメでやった事は輪をかけて最悪であった。
ドラゴンボールにお願いしたらすぐ生き返るしな。
アニとか釘崎とか序盤で退場してラストで生存判明とかやられるより、最終的に死んだとしても連載中に見せ場をもらってる方が嬉しい。リヴァイみたいにキャラ人気で殺せなくなるのも嫌だな。物語的な役割も薄くて。
主軸の物語との切り離し、好きなキャラか過去のものになること。キャラクターの完成と、作品の物語としての完成、それと読者が求めたい側面など、繋がりは在るが一致していない事は多い
志々雄真実は最後までカッコよかったな。方治の破顔と涙がいいんだよ。
いや「拘っているのが誰か?」の主語が抜けてるから、こんなにも判りにくい文章になってるのか。こう言う現実でも死をゲーム的にいくらでも復活ザオリク出来るお気持ち表明なんですね。
アンパンマンに死んでほしく無い
連載漫画をコミュニケーションツールとして見た場合、推しキャラの引退はそのコミュニティで居場所を失う(ごっこ遊びの担当的な)事も意味するので、そりゃ生死は重要。頻繁に回想され情報追加されるならその限りでは
俺の中ではアムロはモブにやられた男
フィクションなら死んでも何度でも出てこれますからね 男塾を履修してください
まどマギのマミさんとエデンの3巻くらいに酷い死に方をした女の子を思い出した。完全に読者には主要人物だと思わせてからの死は「劇的に見せるために死んだ!?」と作品への没頭を阻害する。マミさんは違う世界線
殺し合いしてる作品なら、主役以外はもっとドライに死んでいい気がする。サイコロステーキ先輩みたいに。残された主役級キャラの感情を大きく描くならわかるけど……。
一歩と宮田は生きていると言えるのか。
わかる必要はないし、そういう人がいることも理解できているし、あとは余計な干渉をしなければお互い平和そう
現実の死は無慈悲だし意味などもないのだが、だからこそ創作では死を描くのが難しいというか、物語の奴隷になっていない死を見つけるほうが難しい。殺さなくて良い(無理に生かすではなく)物語なら殺さないほうが好み
ラスアス2絶許
生きてる戸愚呂兄や奴隷商人痴皇よりも、死んだ戸愚呂弟や雷禅の方が良い扱いだったって話?
そんなん、現実世界でも人の生死に拘る人と拘らない人が居るんだから、ましてや作品世界なんて捉え方は色々だろ。理解できないならしなくてもいいんじゃね?
作品じゃなくてキャラが好きな人達なんでしょ
キャプテン・ハーロック「例え父と志は違っても、それを乗り越えて、若者が未来を作るのだ。親から子へ、子からまたその子へ血は流れ、永遠に続いてゆく。それが本当の永遠の命だと、俺は信じる」
別にラスボス戦で散るのはいいんだけど、序盤中盤で死なれるときついかな。生きてたらどういう反応してたかな…と妄想しながら見ることになる。
キャラクターが持ってる物語のエネルギーってのがあって、それが尽きると大した役割がないモブみたいな扱いになりがちで、それがリヴァイみたいな「死に損なった」状態だと思うが稀に名脇役として花咲くやつもいる
あの地球人のように?・・・・ クリリンのことか・・・ クリリンのことか───────っ!!!!!
確かに虎杖の扱いバチクソに悪いもんなぁ
理解できないなら理解できないで良いんじゃね。重要なのはそういう意見もあるって認める事で
恋愛物で最終的に誰とくっつくかばかりに気にして読んでる連中も理解できない。そんなの作者の都合でどうとでもできる
生死には拘りは無いけど死の間際に死んだはずの親が出てきて許されたり、生まれ変わって結ばれましたーみたいなのは好きじゃない。生を軽んじているように感じる。無常な死に救いが欲しい気持ちはわかるけど。
皆、ライナーが好きなんだよ。ライナーというか、ライナーみたいな扱いというか。というか、ライナー言うほどひどい扱いでもなかったよな
https://x.com/FRIEREN_PR/status/1869351914389020742
その通りなんやけど、それでもキャラの生死に拘る気持ちを読者に起こさせるのが作者の腕。
生死にこだわらないのに扱いをこだわるってなんだよ、総合的に見なよ。「優遇されてる」とか「ファンサービス」みたいな発想も理解できないわ。
死に方でなく生き方。砂ぼうずはよい。
デスノートでLがめっちゃ好きだったので、死んでしまったときはかなり落ち込んだ記憶 L生きのびたverの続きも読みたいよ
俺が漫画家になったら、死んで騒がれるほどの人気キャラが出てきたら死んだ方がマシな状態で生かしておいてあげることにしよう
キャラの生死に拘る気持ちが全く理解できないんだよなあ 重要なのは生死じ..
読者だけじゃなくて作者もキャラの生死にメンタルが揺れる事はよくあるらしい。シグルイ最終回後の山口貴由先生とか
人物が死ぬ間際に過去話や走馬灯をねっとり描いたり、大切な人と会話などが出来て笑顔とか。そういう描写は"人物の掘り下げ"ではなく、読者に対する"言い訳"、あるいは想像する余地を奪う呪いの類だと個人的には。
私もキャラクターが生かされてるかどうかより、活かされてるかどうかの方がよほど大事だと思う。ただ、推しのキャラの生死の方が物語全体の価値より上の人も多くいるとは思うし、それも楽しみ方のひとつだとは思う。
死からの蘇生も死後の世界もない作品における死は退場に等しいからでしょ。好きなキャラの活躍が見られなくなると、そら嫌じゃないの?自分は歴オタだから推しの死因どころか時期もようわからんかったりするけどなw
鬼滅や呪術みたいに死後の世界の存在を描いてる作品ならまぁそこまでショックは受けんでも…というか熱狂的なファンのショックを和らげるために描いてる感もある
これはわかるんだよな。物語を終わってから振り返った時に、適切に死んだキャラというのは確かに存在するし、好きなキャラが死んでもそこに物語的意義があれば、何となく生きてるより良い
もう少し多くの作品の、その登場人物たちの生死を読んでからにしたらと。例えが呪術漫画一つしか出てこないのはどうかと思う。
富野みたいにさくっと死なせるのって中々難しい
ジャンプ編集者が言うには「毎週、会いたくなるキャラ」ってのを大切にしているらしい。毎週会いたいと思ってた人が、死んで会えなくなったら嫌だろ?
死んで出番はないので、後腐れ無いように成仏エンドですに見えないこともない。
その先の時間軸ではもうこのキャラの絡みは無いんだ、って結構残念だと思うんだが
要は生き様ってコトでしょ。北斗の拳のアインは最高にカッコ良い死に方したよ。
この手の話題が出る度、頭の中で漫画『吼えろペン』富士鷹ジュビロによる数々の名(迷?)言が……笑ってしまうけどあれが読者へ向けた書き手からの黒いラブレターなんだろうねえ……
キャラの物語としての扱いが大事なのは当然として、それはそれとして好きなキャラの死は悲しむのも正しいと思ったり/意味ある死を迎えても行き過ぎたファンの熱量で生き返るのは御愛嬌として…009…
ストーリーなんて殆どテンプレなんだから、キャラクターが如何に表現されてるかが重要。
連載の早い段階で死んじゃうとその先グッズ展開なくなっちゃったりするからね
作者の納得と読者の納得は異なる場合もあるが、気に入らなければ二次創作なり、オマージュで一次創作も出来るのが、二次創作に寛容+表現の自由が担保された日本の良いところだと思う。
あーん!スト様が
話逸れるけど、教師が親友(体)じゃなくてラスボスと戦ったのは合理的だけど作劇上納得し難いと思ったな。
残念なのもわかるし、人が死んだら悲しいのは当たり前なんだから物語を駆動させるために軽々しく死なすなというのもわかりつつ、それでもキャラは死んでいいのだ…(いやだ〜
どっちにしてもキャラが主体になってるの面白いな / ぱっと思いついたのは惑星のさみだれの東雲半月とシドニアの騎士の星白閑だけど、死んでからのほうが存在感がある感じはします
物語全体として良く機能しているのであれば死も良い塩梅となるとは思う。でも、キャラ愛とか推しとかそっち方面に傾倒していると死活問題なんじゃないかな?
死して名をあげたキャラ、かっちゃん、煉獄さん、キルヒアイス、その他その他
ラブコメ漫画であまり者同士でくっつく展開クソほど嫌いってのに通ずるところない?ちょっと違うか…
???「だいじょうぶだ、ドラゴンボールで生きかえれる」
物語として意義のある死に文句をつける気にはならないんだけど、好きなキャラの場合生きてるifを見てみたくなることはあるかな。そういう気持ちが例えば学パロを生んだりするのだろう
呪術廻戦は死後の世界が確実にあるからいいよ。でも、他の作品の死後は無かもしれない。キャラを舞台装置の一つとして認識してるなら問題ないけど、人格そのものに愛着がある場合、それが消滅するのは辛いでしょ?
歴史物だと現代から見れば全員死んでるけどネタバレやめてくださいとはネタ的に言われることがある
バトル漫画ならキャラクターの生死は展開的に受け入れられても、今の時代に「タッチ」みたいなことをやったら炎上必至…というか当時でも大炎上したんだっけ
でもエース殺すかよー
今後出てくるキャラとの絡みもなく、この先の人生の色々なエピソードは消え、老いた姿になるのも否定され、喜怒哀楽は更新されず、過去の人になり、全ての可能性が完全に潰されたのが悲しいんだ。未来が見たいんだよ
好きなキャラが作者や開発側に愛されてなかったり無関心だとジャンルごと嫌になったり悲しくなるのはとてもわかる。でもキャラの死も悲しいよ
連載中の漫画で好きなキャラが死んだらもう回想シーンでしか登場予定がないのが確定するから嫌だな。私は好きなキャラが未来でも活躍してくれるのが見たい…
扱いの話でいうなら、一般的には死んでるより生きている方が露出も多いしエピソードも増えるし扱いは良くなる傾向にあるのでは。壮大に死に際を描いてもらったのなら別だけども。
退場理由も不明なまま登場しなくなるキャラよりは数段マシだね。
スピンオフや二次創作も含めて楽しむ派なので、好きなキャラが死んじゃうとその後の姿を見られなかったり、過去編とかで出てきてもいずれ死ぬんだよなって思って冷める。
レオパルドン・・
最初にこれから死ぬもしくはもう死んでることを明記して、もう二度と戻れない一緒に過ごす最後の夏(なぜか必ず夏)を印象的に描く作品も多いよ。「あの花」とか「みいちゃんと山田さん」とか。
最終決戦で死ぬのと連載途中で退場するのとでは違うよね
In the long run, we are all dead.
重要なキャラクターを強い余韻を残して退場させられる語り手は恐ろしく強い(フローヴァ編ずっと引きずってます)。逆に、オリジナルアニメなどで"続編" に目がくらんでしっかり退場させられないの後味が悪いなど
個人的には、ジークアクスの終盤の展開、ニャアンは生存したけど、扱いは死ぬよりアレなんじゃないかと感じたりはした。煉獄さんは死んだけど、死してなお物語に影響を与え続けている。じゃあ、という。
さらっとネタバレするな。まだ読んでないんよ!
仮面ライダーオーズの火野映司は死亡した上に扱いも悪く(10周年記念映画の冒頭時点で既に瀕死)非常に残念。本編ラストで消滅した相棒アンクは映画で復活した途端に独り取り残される扱いの悪さで本当に不憫
よりによって死んだ直後に回想シーンで登場した挙げ句死体までリサイクルされたやつのことを例に出すなw
死に方にもよる。例えば、主人公の成長のため、あるいは物語を盛り上げるために無駄に殺されたとしか思えない死に方の場合は冷める。
推しが死ぬのは友だちが死んでしまうのと同等には悲しいのでは。/リヴァイ兵長が死に時を逸してボロボロになっても生き延びた展開わりと好き。
都合とか、そうしてみたかったってのが透けて見えるのが最悪。風夏を許すことはない。死なない版をアニメでやった事は輪をかけて最悪であった。
ドラゴンボールにお願いしたらすぐ生き返るしな。
アニとか釘崎とか序盤で退場してラストで生存判明とかやられるより、最終的に死んだとしても連載中に見せ場をもらってる方が嬉しい。リヴァイみたいにキャラ人気で殺せなくなるのも嫌だな。物語的な役割も薄くて。
主軸の物語との切り離し、好きなキャラか過去のものになること。キャラクターの完成と、作品の物語としての完成、それと読者が求めたい側面など、繋がりは在るが一致していない事は多い
志々雄真実は最後までカッコよかったな。方治の破顔と涙がいいんだよ。
いや「拘っているのが誰か?」の主語が抜けてるから、こんなにも判りにくい文章になってるのか。こう言う現実でも死をゲーム的にいくらでも復活ザオリク出来るお気持ち表明なんですね。
アンパンマンに死んでほしく無い
連載漫画をコミュニケーションツールとして見た場合、推しキャラの引退はそのコミュニティで居場所を失う(ごっこ遊びの担当的な)事も意味するので、そりゃ生死は重要。頻繁に回想され情報追加されるならその限りでは
俺の中ではアムロはモブにやられた男
フィクションなら死んでも何度でも出てこれますからね 男塾を履修してください
まどマギのマミさんとエデンの3巻くらいに酷い死に方をした女の子を思い出した。完全に読者には主要人物だと思わせてからの死は「劇的に見せるために死んだ!?」と作品への没頭を阻害する。マミさんは違う世界線
殺し合いしてる作品なら、主役以外はもっとドライに死んでいい気がする。サイコロステーキ先輩みたいに。残された主役級キャラの感情を大きく描くならわかるけど……。
一歩と宮田は生きていると言えるのか。
わかる必要はないし、そういう人がいることも理解できているし、あとは余計な干渉をしなければお互い平和そう
現実の死は無慈悲だし意味などもないのだが、だからこそ創作では死を描くのが難しいというか、物語の奴隷になっていない死を見つけるほうが難しい。殺さなくて良い(無理に生かすではなく)物語なら殺さないほうが好み
ラスアス2絶許
生きてる戸愚呂兄や奴隷商人痴皇よりも、死んだ戸愚呂弟や雷禅の方が良い扱いだったって話?
そんなん、現実世界でも人の生死に拘る人と拘らない人が居るんだから、ましてや作品世界なんて捉え方は色々だろ。理解できないならしなくてもいいんじゃね?
作品じゃなくてキャラが好きな人達なんでしょ
キャプテン・ハーロック「例え父と志は違っても、それを乗り越えて、若者が未来を作るのだ。親から子へ、子からまたその子へ血は流れ、永遠に続いてゆく。それが本当の永遠の命だと、俺は信じる」
別にラスボス戦で散るのはいいんだけど、序盤中盤で死なれるときついかな。生きてたらどういう反応してたかな…と妄想しながら見ることになる。
キャラクターが持ってる物語のエネルギーってのがあって、それが尽きると大した役割がないモブみたいな扱いになりがちで、それがリヴァイみたいな「死に損なった」状態だと思うが稀に名脇役として花咲くやつもいる
あの地球人のように?・・・・ クリリンのことか・・・ クリリンのことか───────っ!!!!!
確かに虎杖の扱いバチクソに悪いもんなぁ
理解できないなら理解できないで良いんじゃね。重要なのはそういう意見もあるって認める事で
恋愛物で最終的に誰とくっつくかばかりに気にして読んでる連中も理解できない。そんなの作者の都合でどうとでもできる
生死には拘りは無いけど死の間際に死んだはずの親が出てきて許されたり、生まれ変わって結ばれましたーみたいなのは好きじゃない。生を軽んじているように感じる。無常な死に救いが欲しい気持ちはわかるけど。
皆、ライナーが好きなんだよ。ライナーというか、ライナーみたいな扱いというか。というか、ライナー言うほどひどい扱いでもなかったよな
https://x.com/FRIEREN_PR/status/1869351914389020742
その通りなんやけど、それでもキャラの生死に拘る気持ちを読者に起こさせるのが作者の腕。
生死にこだわらないのに扱いをこだわるってなんだよ、総合的に見なよ。「優遇されてる」とか「ファンサービス」みたいな発想も理解できないわ。
死に方でなく生き方。砂ぼうずはよい。
デスノートでLがめっちゃ好きだったので、死んでしまったときはかなり落ち込んだ記憶 L生きのびたverの続きも読みたいよ
俺が漫画家になったら、死んで騒がれるほどの人気キャラが出てきたら死んだ方がマシな状態で生かしておいてあげることにしよう