そんな落とし込みの仕方するか?と思ったけど、するかもと思い直す。
「富野由悠季はクェス・パラヤを理解不能なキャラクターとして描いたのかも知れないけれど、川村万梨阿は、彼女を理解し共感できる人物像として演じようとした。その均衡がクェスというキャラクターの味わい深さに」
リアタイで月刊ニュータイプ読んでたから知ってた
1st、Z、ZZ、逆シャア「故郷から旅立った先に未来がある」→娘が海外留学→F91、V「家庭を大事に」→娘が海外移住→キンゲ、∀「故郷に戻ろう」→娘と協業→Gレコ「一度外の世界を見た上で自分で決めなさい」
この話がどこまで事実なのかは分からないけど、個人的なことを作劇に反映させる(それでかつ面白い)のはクリエーターの才能だし、恥ずかしげがないのがむしろカッコよく思える。素直じゃん
そして娘に口を利いてもらえない可哀想なパッパがエグザベ少尉か。
まるで庵野や鶴巻じゃないか
「イデオン・ライナー・ノート」はエッセイ風に妻と会話も書いてたけど、あるとき妻の妊娠を書いたら読者からお祝いが届いて「ごめんなさいフィクションです…妊娠はイデオンの伏線です」と白状してた富野ならあり得
リーンの翼完全版しらんかったんでハーフと同居ってなんやねんとおもったがそんなんあったんだな。F91のころ何歳だっけとおもって確認したら47歳くらい?本人も結構そういうこというしで信じてしまいそうにはなるが
アーサーかわいそうwww
娘さんの影響で生まれたキャラ、富野さんの創造力と家族愛が光りますわね!
出渕裕がインタビューでそんなこと言ってたね。あと小説の書き方下手すぎとか。
雑誌などで語られてることなんだ、へぇ
創作って実体験を伴う事がとても大事って本当に思う様になった。子育てや戦争を経験したものにしか書けない事ってあるよね・・・
知らなかった
富野といい庵野といい、作品をあたかも日記帳のように解釈する潮流苦手だわ。
未だに発音が「くえす」なのか「けす」なのかわからない。
お金を金庫から盗み銃をぶっ放すキャラがクソすぎた。
御大も仕事漬けで思春期の娘が分からなくなってるのお父さんって感じあるよな。御大の上の娘と同じ劇団にいてオーディション前に面識があった朴璐美みたく娘の影響は少しあるかも(https://ddnavi.com/article/d926579/a/)
アイキャッチ、だけじゃない
関係ないが白石冬美さんがコメントでミライさんとして家族を持てたのはよかったとコメントしているとこが書かれている。独身女性でも生きやすい世界にこの世界は少しづつなっていることをお伝えしたい。RIP
仮にこの通りだと解釈出来たらどれほど己を忠実に作品に投影出来る凄いクリエイターだと感じさせる。
あんまり作品から作家のプライベートを想像してどうこういうのってどうなんだろうねと思ったけど国語の授業でやってんな
自分の実際にあった要素は入れてるけど二人の娘がいるのにとか舐めたいとかの発言からするにそこまで明確に自分の境遇を落とし込んだコピー人物ではないだろう。これ信じて吹聴すると岡田斗司夫の尻尾な気がする。
Gレコのアイキャッチでダンスの振り付けしたのがお富さんのお嬢さん(次女)
クェスもマチュも、自分が思春期の時期に切れたナイフだったころを思い出せるところが好きなんだが、「だから無理」って人がいるのも分かる。マチュが三者面談でブチ切れしたとこが一番好き
じゃあカテジナはなんなんだよ
へぇ。 https://ichikawataiga.com/2021/11/05/9buchi/
ターンエーガンダムのロラン・セアックがガンダム主人公随一ぐらいに人間ができていて、女装してもめちゃくちゃかわいいの、微笑ましいよねwww
俺がガンダム関係で一番と言っていいくらい嫌いなキャラだw (次点はポケ戦のガキ)
そんなことより出渕はルーンマスカー完結してくれよ!!!!!
富野作って登場人物の親子関係が極めて冷淡だったり、親なんて存在してないかのように描かれるのが特徴だったのが、Vくらいで「雪解け」となった。内部事情に興味ないおれのような視聴者にもそれが伝わってきたんよ
「そうならなかったのは、宇宙世紀という世界観で、ニュータイプ能力やモビルスーツといった、思春期の不安定性を際限なく拡張出来てしまう能力やテクノロジーの存在したからに過ぎないと思う」
自分が親になって子供との接し方が、子供の成長起因で変遷していくのはインパクトがあるからなあ。人間性で聖人レベルのロランが後で出てくるのも微笑ましい
イデオンで父親の悔しみを語り出したのも当時は意味が分からなかったが、富野監督ご本人の血が通ったセリフだったという
クェス・パラヤ13歳とフラウ・ボウ15歳で子供のウザさ(子供らしい面)の解像度が上がっているよね
父親〇させてると解釈がなおキツくなるので止めなさい
犬の人とかこんなアニメに人生捧げた人でも娘がいるのかと驚かされる
娘が世代だからとかではなく「そもそも思春期女子というのは、同世代男子にとってこれくらいエキセントリックだ」という話だと解釈してる。これはハサウェイに対するクェスに限らず、フォウやプルやカテジナもそう。
『ニュータイプ能力やモビルスーツといった、思春期の不安定性を際限なく拡張出来てしまう能力やテクノロジー』俺がまどかマギカ好きなのも、こういう感じの"仕掛け・設定"があるからだろうな〜。思春期の感情is最凶
逆に富野監督自身がネタにされたケースもあるぞ。俺が長谷川裕一先生本人の口から聞いた話だと、トビア・アロナクスが修理部品の為に数キロ歩いた逸話は、実際に富野監督がフランスでその距離歩いた実話が元ネタだ
娘が欲しい人生だった
まあネタなんだろうけど、作品が見たいのであって監督が見たい訳じゃないのでこういうのは微妙だな
マチュみたいな空っぽのキャラの話してる時にクェスの名前出すのってすごく微妙な感性。クェスとかハサウェイとかカツが嫌われたり馬鹿にされてるのがオタク世論だから仕方ないのかな?あとカテジナさんとか
前から思ってたことなんだけど、クリエイターとか声優とか裏側の人物を認識すればするほど作品のノイズにしかならないよね。
全裸で踊れるのが富野、全裸のフリしてパンツ履いているのが宮崎、と庵野が言っている。
エヴァの大人たちがダメとかなんとか言うのもいい加減辞めたら?大人だからって立派な人間な訳がない
じゃあ禿は娘のあそこを舐めようとしたの?
私、みんな知っていたな…
個人的な環境がいい形で昇華されているから御大はすごいのよ。後、新海氏とか。そうでない人の作品は……うん……まあ……某細田監督とか、ひるね姫とか……うん……
冒頭だけ読んで他のポスト、ブコメ見る前にブコメ/家庭的に不幸な悲しいお父さんはドバ総司令やドレイク等がいる…デギンもかな?/ドバについてはある意味予言的(娘さんが外国の方と結婚)
ひとんちの家庭の事情て盛り上がるな
どこまで本当かは眉唾ではあるのだけど、究極的に全ては私小説であるとしてもきちんと作品として仕上げる冨野監督と、私小説だとふんぞり返って作品として閉じれない庵野監督の違いを感じざるをえない
クェス右も左もわからんのにシャアに手籠めにされてめっちゃ被害者やんって思ってたけど、なんか視聴者からは嫌われがちキャラらしいよねー。そうかー。そう?
ララァ、ロラン、ラライアあたりは一連の系譜のような気がしてる
人生のところどころの心境を作品に反映できちゃうほど、長期的に作品に関わってるのがすごい
全部が私小説とまでは言えぬが、重要なのは、鉄仮面カロッゾのように我が子を支配できると思ってる高慢な親(=富野自身を投影っぽい存在)を悪役に描いてる事。絶対に「自分(&観客)の願望乙」の作品にはしない
富野作品の主人公の両親不倫しまくりなんだけど、(アムロ母、カミーユ両親、ショウ・ザマ父、伊佐未勇母)あれを実体験の反映だというのか、君は!
っていう話を愛子さまとしてたのかしら?
そう解釈するとそうなのかもしれないけど、一部の細田守監督作品のように私生活をまるごと投影してる感じもしないのが絶妙なバランスよなぁ
クェスって自分がほしいものを欲しいと言える真っ直ぐな子だと思うけどな。シャアが受け止めてくれると信じて宇宙服なしでコクピットから飛び出すのスゴいと思う
ガンダムのキャラの持って回った面倒くさい言い回しの台詞は、富野御大自身が普段からああいう喋り方しているから説w。
「富野由悠季の実の娘が絶賛思春期だった頃に生み出されたキャラがクェス・パラヤです」というツイートからガノタが過去作品のキャラになぞらえて富野御大のことを語りだす
そんな落とし込みの仕方するか?と思ったけど、するかもと思い直す。
「富野由悠季はクェス・パラヤを理解不能なキャラクターとして描いたのかも知れないけれど、川村万梨阿は、彼女を理解し共感できる人物像として演じようとした。その均衡がクェスというキャラクターの味わい深さに」
リアタイで月刊ニュータイプ読んでたから知ってた
1st、Z、ZZ、逆シャア「故郷から旅立った先に未来がある」→娘が海外留学→F91、V「家庭を大事に」→娘が海外移住→キンゲ、∀「故郷に戻ろう」→娘と協業→Gレコ「一度外の世界を見た上で自分で決めなさい」
この話がどこまで事実なのかは分からないけど、個人的なことを作劇に反映させる(それでかつ面白い)のはクリエーターの才能だし、恥ずかしげがないのがむしろカッコよく思える。素直じゃん
そして娘に口を利いてもらえない可哀想なパッパがエグザベ少尉か。
まるで庵野や鶴巻じゃないか
「イデオン・ライナー・ノート」はエッセイ風に妻と会話も書いてたけど、あるとき妻の妊娠を書いたら読者からお祝いが届いて「ごめんなさいフィクションです…妊娠はイデオンの伏線です」と白状してた富野ならあり得
リーンの翼完全版しらんかったんでハーフと同居ってなんやねんとおもったがそんなんあったんだな。F91のころ何歳だっけとおもって確認したら47歳くらい?本人も結構そういうこというしで信じてしまいそうにはなるが
アーサーかわいそうwww
娘さんの影響で生まれたキャラ、富野さんの創造力と家族愛が光りますわね!
出渕裕がインタビューでそんなこと言ってたね。あと小説の書き方下手すぎとか。
雑誌などで語られてることなんだ、へぇ
創作って実体験を伴う事がとても大事って本当に思う様になった。子育てや戦争を経験したものにしか書けない事ってあるよね・・・
知らなかった
富野といい庵野といい、作品をあたかも日記帳のように解釈する潮流苦手だわ。
未だに発音が「くえす」なのか「けす」なのかわからない。
お金を金庫から盗み銃をぶっ放すキャラがクソすぎた。
御大も仕事漬けで思春期の娘が分からなくなってるのお父さんって感じあるよな。御大の上の娘と同じ劇団にいてオーディション前に面識があった朴璐美みたく娘の影響は少しあるかも(https://ddnavi.com/article/d926579/a/)
アイキャッチ、だけじゃない
関係ないが白石冬美さんがコメントでミライさんとして家族を持てたのはよかったとコメントしているとこが書かれている。独身女性でも生きやすい世界にこの世界は少しづつなっていることをお伝えしたい。RIP
仮にこの通りだと解釈出来たらどれほど己を忠実に作品に投影出来る凄いクリエイターだと感じさせる。
あんまり作品から作家のプライベートを想像してどうこういうのってどうなんだろうねと思ったけど国語の授業でやってんな
自分の実際にあった要素は入れてるけど二人の娘がいるのにとか舐めたいとかの発言からするにそこまで明確に自分の境遇を落とし込んだコピー人物ではないだろう。これ信じて吹聴すると岡田斗司夫の尻尾な気がする。
Gレコのアイキャッチでダンスの振り付けしたのがお富さんのお嬢さん(次女)
クェスもマチュも、自分が思春期の時期に切れたナイフだったころを思い出せるところが好きなんだが、「だから無理」って人がいるのも分かる。マチュが三者面談でブチ切れしたとこが一番好き
じゃあカテジナはなんなんだよ
へぇ。 https://ichikawataiga.com/2021/11/05/9buchi/
ターンエーガンダムのロラン・セアックがガンダム主人公随一ぐらいに人間ができていて、女装してもめちゃくちゃかわいいの、微笑ましいよねwww
俺がガンダム関係で一番と言っていいくらい嫌いなキャラだw (次点はポケ戦のガキ)
そんなことより出渕はルーンマスカー完結してくれよ!!!!!
富野作って登場人物の親子関係が極めて冷淡だったり、親なんて存在してないかのように描かれるのが特徴だったのが、Vくらいで「雪解け」となった。内部事情に興味ないおれのような視聴者にもそれが伝わってきたんよ
「そうならなかったのは、宇宙世紀という世界観で、ニュータイプ能力やモビルスーツといった、思春期の不安定性を際限なく拡張出来てしまう能力やテクノロジーの存在したからに過ぎないと思う」
自分が親になって子供との接し方が、子供の成長起因で変遷していくのはインパクトがあるからなあ。人間性で聖人レベルのロランが後で出てくるのも微笑ましい
イデオンで父親の悔しみを語り出したのも当時は意味が分からなかったが、富野監督ご本人の血が通ったセリフだったという
クェス・パラヤ13歳とフラウ・ボウ15歳で子供のウザさ(子供らしい面)の解像度が上がっているよね
父親〇させてると解釈がなおキツくなるので止めなさい
犬の人とかこんなアニメに人生捧げた人でも娘がいるのかと驚かされる
娘が世代だからとかではなく「そもそも思春期女子というのは、同世代男子にとってこれくらいエキセントリックだ」という話だと解釈してる。これはハサウェイに対するクェスに限らず、フォウやプルやカテジナもそう。
『ニュータイプ能力やモビルスーツといった、思春期の不安定性を際限なく拡張出来てしまう能力やテクノロジー』俺がまどかマギカ好きなのも、こういう感じの"仕掛け・設定"があるからだろうな〜。思春期の感情is最凶
逆に富野監督自身がネタにされたケースもあるぞ。俺が長谷川裕一先生本人の口から聞いた話だと、トビア・アロナクスが修理部品の為に数キロ歩いた逸話は、実際に富野監督がフランスでその距離歩いた実話が元ネタだ
娘が欲しい人生だった
まあネタなんだろうけど、作品が見たいのであって監督が見たい訳じゃないのでこういうのは微妙だな
マチュみたいな空っぽのキャラの話してる時にクェスの名前出すのってすごく微妙な感性。クェスとかハサウェイとかカツが嫌われたり馬鹿にされてるのがオタク世論だから仕方ないのかな?あとカテジナさんとか
前から思ってたことなんだけど、クリエイターとか声優とか裏側の人物を認識すればするほど作品のノイズにしかならないよね。
全裸で踊れるのが富野、全裸のフリしてパンツ履いているのが宮崎、と庵野が言っている。
エヴァの大人たちがダメとかなんとか言うのもいい加減辞めたら?大人だからって立派な人間な訳がない
じゃあ禿は娘のあそこを舐めようとしたの?
私、みんな知っていたな…
個人的な環境がいい形で昇華されているから御大はすごいのよ。後、新海氏とか。そうでない人の作品は……うん……まあ……某細田監督とか、ひるね姫とか……うん……
冒頭だけ読んで他のポスト、ブコメ見る前にブコメ/家庭的に不幸な悲しいお父さんはドバ総司令やドレイク等がいる…デギンもかな?/ドバについてはある意味予言的(娘さんが外国の方と結婚)
ひとんちの家庭の事情て盛り上がるな
どこまで本当かは眉唾ではあるのだけど、究極的に全ては私小説であるとしてもきちんと作品として仕上げる冨野監督と、私小説だとふんぞり返って作品として閉じれない庵野監督の違いを感じざるをえない
クェス右も左もわからんのにシャアに手籠めにされてめっちゃ被害者やんって思ってたけど、なんか視聴者からは嫌われがちキャラらしいよねー。そうかー。そう?
ララァ、ロラン、ラライアあたりは一連の系譜のような気がしてる
人生のところどころの心境を作品に反映できちゃうほど、長期的に作品に関わってるのがすごい
全部が私小説とまでは言えぬが、重要なのは、鉄仮面カロッゾのように我が子を支配できると思ってる高慢な親(=富野自身を投影っぽい存在)を悪役に描いてる事。絶対に「自分(&観客)の願望乙」の作品にはしない
富野作品の主人公の両親不倫しまくりなんだけど、(アムロ母、カミーユ両親、ショウ・ザマ父、伊佐未勇母)あれを実体験の反映だというのか、君は!
っていう話を愛子さまとしてたのかしら?
そう解釈するとそうなのかもしれないけど、一部の細田守監督作品のように私生活をまるごと投影してる感じもしないのが絶妙なバランスよなぁ
クェスって自分がほしいものを欲しいと言える真っ直ぐな子だと思うけどな。シャアが受け止めてくれると信じて宇宙服なしでコクピットから飛び出すのスゴいと思う
ガンダムのキャラの持って回った面倒くさい言い回しの台詞は、富野御大自身が普段からああいう喋り方しているから説w。