"ニャアンはありえないほど最初から一貫してマジで何も考えてないし、なんかその場の勢いでそれまでにあった出来事を全部チャラにして忘れるし、なんか雰囲気でしか行動しない"...だから、ニャアンが好き。
総じて同意。「描かれてない 言ってはいる」は言い得てしかり。快楽ボタンを押してさえいれば主要キャラがただの舞台装置であっても受け入れられるという悲しい状況を理解できたのは悪い意味で収穫だったかも。
なにやら冒頭から激賞しているが…イラストレーター竹が女性であるために富野と庵野作品の伝統と格式ある美少女の陰毛描写がなされなかったとしたらスタッフ陣の中で最悪の人選の部類だと思う
"アニメ等を見ている時、「この作品の客層ではないんだな自分は」と思って文句を言わずに去ることはたくさんあるが このアニメは、間違いなく、私も客層の中にいられたはずだ というわけのわからん執着がある"
マチュもニャアンもおまけで、ガンダム、Zガンダムをもう一度カッコ良く描きたいのだと感じた
良い学校を卒業して進学してお勤めする未来が無い世界はこういうもので、社会が確かで平和だから違和感があるのかも
マチュは流されず自分の意志で前に進み、後悔はしない。対照的にニャアンは状況に流され続けて自覚無く大量殺人をやらかす。それでもマチュが全力でニャアンを肯定したのは画期的。その結果2人で同じEDに着地できた。
これに否定的な感想を述べると老害認定されるそうで。はい老害です。/話題になって評判も二分だけど良いという人も多いので、ガンダムというIPにとっては良かったと前向きに捉えようかと
くじアンのあのカットいいよな…わかる
https://papers.ssrn.com/sol3/Delivery.cfm/5319777.pdf?abstractid=5319777&mirid=1
ビギニングで満足してTV版視聴してなかった。劇場版の総集編でも待ってみようかな?
私より感度の高いよい言語化でした/多分私もあのキャラ達が織りなす人間関係の積み重ねが見たかったんだな。最初からニュータイプという装置でしかなかった
めっっっっちゃ共感しながら読んだ笑 とりあえず初代に対する解像度も低いよな。恋人が目の前で死んだとて宇宙の法則を歪めるレベルの発狂なんてしないですよ。崩れ落ちて泣く、でもこれが戦争なんだ、でしょ。
ゲラゲラ笑って楽しんでたけど本当はダメなのでは?と我々が不安になってた部分の言語化の試み。
各キャラの行動原理考えても結局ララァが干渉してくるから意味無いんじゃない?と思ってる
製作はその辺の事を全て分かっていながら、わざとそう描いているよなぁ。それがまた嫌らしい所。でも魅せられてしまい、文句を言いながら最後まで見てしまう。そして見終わった後も感想を書かずにはいられない…
それはそう。大きい話にしないといけなかったのかね?ガンダムだと抑制が効かなかったのか、そもそも効かなくなってるのか。
「王様ってなんで服着てないの?」って無邪気に言う子ども的な感想。「圧縮する」ことと「描く気がない」ことは個人的には違うものだと思っていて、まあ雑だったよね。オタクも甘く見られたもんだわ。
細部はかなり違うが、総論は似た感想。作り手の「オールドファンは、こういうこと仕込んどけば見るんだろ?」というポイントだけを楽しんでた。マチュアもシュウジもどうでもいいし、ニャアンとかは誰? という感じ
そうやって本気で笑ったり怒ったりできてるというだけで良いアニメなんじゃないかね。最後まで見てもずっと感情が虚無なままなアニメなんてマジでいっぱいあるし(客層じゃないアニメも去らずに最後まで見る者より)
ハッピーエンドで終わる俺Ζというのは同人でいっぱい見た
シャリア・ブルがシャアに襲いかかったあたりでまぁいいやって思えた。
熱心に作品を見ているのに、一つ一つゆっくりと説明しないと説明されてない事になるんだなあ。僕は映画とかマンガを見るときに、描いていないけど理解できるところ、想像できる余白がある事に面白さを感じるタイプ
ニャアンは逆にリアルというか碌に教育も受けず子供が少々足掻いたところでなんも意味なさない戦禍に翻弄されたガキなんてあんなもんかと。それでも毒ケーキ的な物へのアンテナは異様に高くてだから生き残れてる
見させられている映像と作品内で流れている時間、その中にいる人物のことを考えられない人は如何にもこういう感想になりそうな駄文。少しは能動的に脳みそを働かせましょう。他人に関心がないんだね、きもちわるい
これだけ誰かの欲望に素直を答える形で作られたという意味では面白かったけどね。マチュとニャアンについては何処かで誰かがちゃんと供養してあげてほしいが。
「毎週楽しみにしてたけど評価はしてないんだよね」ってこないだめんどくさい発言してしまったので概ね同意。学校で人気ある先輩が先生のモノマネでウケてるのを見てた気分なんだよな。
ジークアクスはガンダム正史を原作かつ劇中劇にしたメタアニメ、そして初のソーシャルアニメ、見る側を巻き込んで成立する現代アート作品だと思っている。ふつーのアニメを期待したら確かに期待外れだろう
ニャアンはまともな教育受けてないだろうし、容姿(とNT能力)に恵まれただけの幼女だから……
“キラキラ空間で会話した後、ロボットちょっと出して、またキラキラ空間で会話して、ロボットちょっと出して、またキラキラ空間で会話する”笑った。非常にわかる。マチュ達かわいそでキレそうだし勿体無いアニメや
今思えばマチュの「よくわかんないけど、なんかわかった!」は今後こういうノリで行くのでよろしくという事前確認だったのかもしれない。
家族皆死んで一人で宇宙に放り出されて迫害されながら糊口を凌ぐ少女に”何も考えてない”と私は言えない。持っていた全てを自由のために惜しげもなく捨てられるマチュを(良くも悪くも)ホンモノと思う気持ちもわかる
ライブ感で作ってったらこうなっちゃったテヘッ、ならまだわかるけど完パケだからある意味すごい
"ガンダムが言っているお兄さんはもう本当にそれを言うだけの機械すぎてキャラですらなかった"
もうどうなってもいいやと、1話から示唆されていたよな。
動物化だなー
オタクは記号的な描写を並べると勝手に妄想で考察したり補完したりしてSNSで発信して楽しんでくれる。それをうまくハックした作品だと思うけど、それだけだった。/決して良い余白ではない
子供の頃から、キャラは「世界観を構成する駒」くらいにしか考えてなかったので、こういうキャラの魅力から入っていく人の言うことはピンと来ない(むしろ少数派として疎外感を感じてた黒歴史が思い出される…)
シュウジは言い訳できないしニャアンについては同意なんだけど、マチュは勢いがあって意思はあるけどあんまり考えれてはいないみたいな奴だと思ったなあ。まあ俺が雰囲気に流されただけかも
作る側は内容はめちゃくちゃだけど、絵と雰囲気でもっていけると考えてる。それを楽しめる人と楽しめない人がいて、前者ならまあいいんじゃないの。自分は後者だけど。
キシリアとの対峙でニャアンが自分の言葉を持てるようになるんじゃないかと思ってたから、あのバズーカはだいぶ許してない
感想の疾走感も含め面白く読んだ/初代ガンダムは戦争にまつわるあれこれを語り切ったこと(圧縮済)で名作になり、ジークアクスは語り切らずキラキラで語ったことで名作として商業的に成功した…とは言い切れないか。
ニャアンはその生い立ちから何も考えてないような行動を取らざるを得ないんやろって思ってる。
1年間かけて1stやΖが歩んできた軌跡を12話で詰め込んだらほぼキャラクターが主体的に物語に干渉する余幅がなくなり、全員ガンダムっていう舞台装置の一部になっちゃった感
感情で動くことの肯定(アマテは追われる身なので全肯定ではないんだろうけど)っていうのが実にスタジオカラーが作る深夜アニメだったな、っていう。
だから単なるSNS消費アニメだよ。騒いでたのが楽しかった人には良い娯楽だったんじゃないですかね。
概ね同意だが結構楽しめた勢。エヴァにしてもそうだけど視聴者が「アニメ」に対し余りに高潔な昇華を求めすぎているのかも、というのは思った。ガンダムは1stがオーパーツすぎてその向きがより強いのだろうなと
作品単体で見るもんじゃなくてSNS連動型(ファンアートや二次創作で補完されることが前提)のコト消費コンテンツで、そこにビタビタに最適化したから「描かなくても大丈夫」「むしろ描かない」という判断になった?
衒学的な仄めかしばかり喜ぶオタクとファスト映画世代に向けてんだからそりゃそうというか、時代性でしょ。むしろ余白(描かれなかったシーン)を感じさせてくれる良心的な作り方をしてると思う。面白かったよ
あのさー、君等普段さんざ「物語なんかいらねー」みたいなムーブしてるくせに、ノレないと「物語の欠如ガー」みたいなこと言い出すのか、という読後感。
余白で色々想像できる方が好きだけどな。とはいえ、大体頭空っぽで見て、考察で補完するスタイルだけど。
ニャアンの状況に流され続けてるとこだけは一貫してるよなー。一方マチュは衝動だけで動いてるんたけど、内心が描かれないので衝動がよくわからんのよね。ニューシネマ的ジュブナイルなんでしょう、あれは
これもよくわかる。だから中途で視聴態度を変えなければならなかった。ジークアクスは何が素晴らしいのか・特長はなんなのか、に沿った視聴態度に切り替えていなかったら似た気持ちになってたと思う。
新作ガンダムという触れ込みに1stという秘伝のタレを入れた、というか漬け込んだんだけど、タレが濃すぎて新規キャラが薄くなってしまったという感覚はある。
アマプラの低評価が答えの一つだと思うわ。俺は毎週楽しんだけど見返したくはないし星4つけるほどではないと思う
ビジュアルと音楽に過去作の引用を組み合わせて最短最速で脳のスイッチ連打してくる技巧は唸るしかなくね?
いっそのこと新キャラなんて投入せずに最初から最後まで過去キャラだけでやればとは思った
各々別の何かを観ているんでしょうね。それは良いのですが「ワタクシ基準で読み解けない物は駄作なので滅べ」みたいな「傲慢お客ムーブ」と「感想や論評」を峻別せず騒ぐ老害はマジ迷惑だなって今回強く思った。
「これは美味しいカレーです」と言われるだけで美味しく感じる人なら楽しめるが、味や香りを求める人には楽しめない。各キャラの状況は説明されてるから分かってるけど、それにふさわしい味や香りが感じられない。
俺は4話位までで見るの止めちゃったんだけど、マチュ・ニャアン・シュウジのメイン三人のキャラがどうにも掴めず魅力も感じなかったからなんで、ここでぶちまけられてる不満はわかる気がするな。
ファーストをベースに新作作るとなって、アニメ業界であれ以上のもの作れる人って居るのかな?と思う。原典+新キャラはやっぱ難しいよな→マチュがめっちゃヘイト食らってたのが最後回復したのはよかった。OPは同感。
文句言いながら見るやつって心底嫌いなんだよな 時間を無駄にしているだけだし 一生そんな人生なの?って感じ 反吐が出る
いつか来るかもしれない嬉しいドッキリのためにつまんねー映像をダラダラ見続けては瞬間ごとに大騒ぎするのパチンコと変わらないなーなどと。/「オリキャラ」が舞台装置にしかなってなかったよね。
わかる
庵野というか元ガイナックスの連中はひたすら「これはわざとやってるんですよ」と言い訳しながらゴミを量産してる。それをしたり顔で評価する信者どもが調子に乗らせてる/シナリオラインが滅茶苦茶で話になってない
設定やら感情は敢えて説明しない、それやると必ず旧作キャラに喰われてしまうからという考察を見かけて納得感はあった。勢いだけで押し潰したのが正解なんかもしれん
ジークアクス感想 - kokamumo’s blog
"ニャアンはありえないほど最初から一貫してマジで何も考えてないし、なんかその場の勢いでそれまでにあった出来事を全部チャラにして忘れるし、なんか雰囲気でしか行動しない"...だから、ニャアンが好き。
総じて同意。「描かれてない 言ってはいる」は言い得てしかり。快楽ボタンを押してさえいれば主要キャラがただの舞台装置であっても受け入れられるという悲しい状況を理解できたのは悪い意味で収穫だったかも。
なにやら冒頭から激賞しているが…イラストレーター竹が女性であるために富野と庵野作品の伝統と格式ある美少女の陰毛描写がなされなかったとしたらスタッフ陣の中で最悪の人選の部類だと思う
"アニメ等を見ている時、「この作品の客層ではないんだな自分は」と思って文句を言わずに去ることはたくさんあるが このアニメは、間違いなく、私も客層の中にいられたはずだ というわけのわからん執着がある"
マチュもニャアンもおまけで、ガンダム、Zガンダムをもう一度カッコ良く描きたいのだと感じた
良い学校を卒業して進学してお勤めする未来が無い世界はこういうもので、社会が確かで平和だから違和感があるのかも
マチュは流されず自分の意志で前に進み、後悔はしない。対照的にニャアンは状況に流され続けて自覚無く大量殺人をやらかす。それでもマチュが全力でニャアンを肯定したのは画期的。その結果2人で同じEDに着地できた。
これに否定的な感想を述べると老害認定されるそうで。はい老害です。/話題になって評判も二分だけど良いという人も多いので、ガンダムというIPにとっては良かったと前向きに捉えようかと
くじアンのあのカットいいよな…わかる
https://papers.ssrn.com/sol3/Delivery.cfm/5319777.pdf?abstractid=5319777&mirid=1
ビギニングで満足してTV版視聴してなかった。劇場版の総集編でも待ってみようかな?
私より感度の高いよい言語化でした/多分私もあのキャラ達が織りなす人間関係の積み重ねが見たかったんだな。最初からニュータイプという装置でしかなかった
めっっっっちゃ共感しながら読んだ笑 とりあえず初代に対する解像度も低いよな。恋人が目の前で死んだとて宇宙の法則を歪めるレベルの発狂なんてしないですよ。崩れ落ちて泣く、でもこれが戦争なんだ、でしょ。
ゲラゲラ笑って楽しんでたけど本当はダメなのでは?と我々が不安になってた部分の言語化の試み。
各キャラの行動原理考えても結局ララァが干渉してくるから意味無いんじゃない?と思ってる
製作はその辺の事を全て分かっていながら、わざとそう描いているよなぁ。それがまた嫌らしい所。でも魅せられてしまい、文句を言いながら最後まで見てしまう。そして見終わった後も感想を書かずにはいられない…
それはそう。大きい話にしないといけなかったのかね?ガンダムだと抑制が効かなかったのか、そもそも効かなくなってるのか。
「王様ってなんで服着てないの?」って無邪気に言う子ども的な感想。「圧縮する」ことと「描く気がない」ことは個人的には違うものだと思っていて、まあ雑だったよね。オタクも甘く見られたもんだわ。
細部はかなり違うが、総論は似た感想。作り手の「オールドファンは、こういうこと仕込んどけば見るんだろ?」というポイントだけを楽しんでた。マチュアもシュウジもどうでもいいし、ニャアンとかは誰? という感じ
そうやって本気で笑ったり怒ったりできてるというだけで良いアニメなんじゃないかね。最後まで見てもずっと感情が虚無なままなアニメなんてマジでいっぱいあるし(客層じゃないアニメも去らずに最後まで見る者より)
ハッピーエンドで終わる俺Ζというのは同人でいっぱい見た
シャリア・ブルがシャアに襲いかかったあたりでまぁいいやって思えた。
熱心に作品を見ているのに、一つ一つゆっくりと説明しないと説明されてない事になるんだなあ。僕は映画とかマンガを見るときに、描いていないけど理解できるところ、想像できる余白がある事に面白さを感じるタイプ
ニャアンは逆にリアルというか碌に教育も受けず子供が少々足掻いたところでなんも意味なさない戦禍に翻弄されたガキなんてあんなもんかと。それでも毒ケーキ的な物へのアンテナは異様に高くてだから生き残れてる
見させられている映像と作品内で流れている時間、その中にいる人物のことを考えられない人は如何にもこういう感想になりそうな駄文。少しは能動的に脳みそを働かせましょう。他人に関心がないんだね、きもちわるい
これだけ誰かの欲望に素直を答える形で作られたという意味では面白かったけどね。マチュとニャアンについては何処かで誰かがちゃんと供養してあげてほしいが。
「毎週楽しみにしてたけど評価はしてないんだよね」ってこないだめんどくさい発言してしまったので概ね同意。学校で人気ある先輩が先生のモノマネでウケてるのを見てた気分なんだよな。
ジークアクスはガンダム正史を原作かつ劇中劇にしたメタアニメ、そして初のソーシャルアニメ、見る側を巻き込んで成立する現代アート作品だと思っている。ふつーのアニメを期待したら確かに期待外れだろう
ニャアンはまともな教育受けてないだろうし、容姿(とNT能力)に恵まれただけの幼女だから……
“キラキラ空間で会話した後、ロボットちょっと出して、またキラキラ空間で会話して、ロボットちょっと出して、またキラキラ空間で会話する”笑った。非常にわかる。マチュ達かわいそでキレそうだし勿体無いアニメや
今思えばマチュの「よくわかんないけど、なんかわかった!」は今後こういうノリで行くのでよろしくという事前確認だったのかもしれない。
家族皆死んで一人で宇宙に放り出されて迫害されながら糊口を凌ぐ少女に”何も考えてない”と私は言えない。持っていた全てを自由のために惜しげもなく捨てられるマチュを(良くも悪くも)ホンモノと思う気持ちもわかる
ライブ感で作ってったらこうなっちゃったテヘッ、ならまだわかるけど完パケだからある意味すごい
"ガンダムが言っているお兄さんはもう本当にそれを言うだけの機械すぎてキャラですらなかった"
もうどうなってもいいやと、1話から示唆されていたよな。
動物化だなー
オタクは記号的な描写を並べると勝手に妄想で考察したり補完したりしてSNSで発信して楽しんでくれる。それをうまくハックした作品だと思うけど、それだけだった。/決して良い余白ではない
子供の頃から、キャラは「世界観を構成する駒」くらいにしか考えてなかったので、こういうキャラの魅力から入っていく人の言うことはピンと来ない(むしろ少数派として疎外感を感じてた黒歴史が思い出される…)
シュウジは言い訳できないしニャアンについては同意なんだけど、マチュは勢いがあって意思はあるけどあんまり考えれてはいないみたいな奴だと思ったなあ。まあ俺が雰囲気に流されただけかも
作る側は内容はめちゃくちゃだけど、絵と雰囲気でもっていけると考えてる。それを楽しめる人と楽しめない人がいて、前者ならまあいいんじゃないの。自分は後者だけど。
キシリアとの対峙でニャアンが自分の言葉を持てるようになるんじゃないかと思ってたから、あのバズーカはだいぶ許してない
感想の疾走感も含め面白く読んだ/初代ガンダムは戦争にまつわるあれこれを語り切ったこと(圧縮済)で名作になり、ジークアクスは語り切らずキラキラで語ったことで名作として商業的に成功した…とは言い切れないか。
ニャアンはその生い立ちから何も考えてないような行動を取らざるを得ないんやろって思ってる。
1年間かけて1stやΖが歩んできた軌跡を12話で詰め込んだらほぼキャラクターが主体的に物語に干渉する余幅がなくなり、全員ガンダムっていう舞台装置の一部になっちゃった感
感情で動くことの肯定(アマテは追われる身なので全肯定ではないんだろうけど)っていうのが実にスタジオカラーが作る深夜アニメだったな、っていう。
だから単なるSNS消費アニメだよ。騒いでたのが楽しかった人には良い娯楽だったんじゃないですかね。
概ね同意だが結構楽しめた勢。エヴァにしてもそうだけど視聴者が「アニメ」に対し余りに高潔な昇華を求めすぎているのかも、というのは思った。ガンダムは1stがオーパーツすぎてその向きがより強いのだろうなと
作品単体で見るもんじゃなくてSNS連動型(ファンアートや二次創作で補完されることが前提)のコト消費コンテンツで、そこにビタビタに最適化したから「描かなくても大丈夫」「むしろ描かない」という判断になった?
衒学的な仄めかしばかり喜ぶオタクとファスト映画世代に向けてんだからそりゃそうというか、時代性でしょ。むしろ余白(描かれなかったシーン)を感じさせてくれる良心的な作り方をしてると思う。面白かったよ
あのさー、君等普段さんざ「物語なんかいらねー」みたいなムーブしてるくせに、ノレないと「物語の欠如ガー」みたいなこと言い出すのか、という読後感。
余白で色々想像できる方が好きだけどな。とはいえ、大体頭空っぽで見て、考察で補完するスタイルだけど。
ニャアンの状況に流され続けてるとこだけは一貫してるよなー。一方マチュは衝動だけで動いてるんたけど、内心が描かれないので衝動がよくわからんのよね。ニューシネマ的ジュブナイルなんでしょう、あれは
これもよくわかる。だから中途で視聴態度を変えなければならなかった。ジークアクスは何が素晴らしいのか・特長はなんなのか、に沿った視聴態度に切り替えていなかったら似た気持ちになってたと思う。
新作ガンダムという触れ込みに1stという秘伝のタレを入れた、というか漬け込んだんだけど、タレが濃すぎて新規キャラが薄くなってしまったという感覚はある。
アマプラの低評価が答えの一つだと思うわ。俺は毎週楽しんだけど見返したくはないし星4つけるほどではないと思う
ビジュアルと音楽に過去作の引用を組み合わせて最短最速で脳のスイッチ連打してくる技巧は唸るしかなくね?
いっそのこと新キャラなんて投入せずに最初から最後まで過去キャラだけでやればとは思った
各々別の何かを観ているんでしょうね。それは良いのですが「ワタクシ基準で読み解けない物は駄作なので滅べ」みたいな「傲慢お客ムーブ」と「感想や論評」を峻別せず騒ぐ老害はマジ迷惑だなって今回強く思った。
「これは美味しいカレーです」と言われるだけで美味しく感じる人なら楽しめるが、味や香りを求める人には楽しめない。各キャラの状況は説明されてるから分かってるけど、それにふさわしい味や香りが感じられない。
俺は4話位までで見るの止めちゃったんだけど、マチュ・ニャアン・シュウジのメイン三人のキャラがどうにも掴めず魅力も感じなかったからなんで、ここでぶちまけられてる不満はわかる気がするな。
ファーストをベースに新作作るとなって、アニメ業界であれ以上のもの作れる人って居るのかな?と思う。原典+新キャラはやっぱ難しいよな→マチュがめっちゃヘイト食らってたのが最後回復したのはよかった。OPは同感。
文句言いながら見るやつって心底嫌いなんだよな 時間を無駄にしているだけだし 一生そんな人生なの?って感じ 反吐が出る
いつか来るかもしれない嬉しいドッキリのためにつまんねー映像をダラダラ見続けては瞬間ごとに大騒ぎするのパチンコと変わらないなーなどと。/「オリキャラ」が舞台装置にしかなってなかったよね。
わかる
庵野というか元ガイナックスの連中はひたすら「これはわざとやってるんですよ」と言い訳しながらゴミを量産してる。それをしたり顔で評価する信者どもが調子に乗らせてる/シナリオラインが滅茶苦茶で話になってない
設定やら感情は敢えて説明しない、それやると必ず旧作キャラに喰われてしまうからという考察を見かけて納得感はあった。勢いだけで押し潰したのが正解なんかもしれん