どうしてもアサクリを批判しようとする人が✖にはいるんだなあ。
このロリコンどもめ!
id:y-mat2006 「差別・偏見に基づく罪は、永久的に追求し断罪すべき」というのが日本リベラルの教えのはず。ちなみに「被害者が差別と感じれば差別」という技も、リベラルが主張していたはず。だから彼らは差別主義者。
まぁ鳥山とかも勝手にウルトラマンやらゴジラ出して、後に修正してるからな そういう時代っちゃ時代 今だったら無理だろうな つーかアサクリ批判を批判する人は未だ一つのファクターで捉えてて雑い
繰り返すが「文化の盗用」という概念自体がかなりポンコツなので、その前提に沿ってダブスタがあるかないか悩んだりする前に、この前提自体を取っ払うのが吉。
文化の盗用か、創造の賜物か。歴史は常に両者の狭間で揺れ動きますの。
あの時代はどの作家もあんなもんだった
妖怪でもなんでもない文楽人形がモデルの油すましのキャラデザを妖怪大戦争がパクったが、水木は訴えない。それによって古くからある伝承感を演出するための戦略なのだ説、好き。/コナキジジの元ネタの話も笑った。
アサクリはDEIや文化の盗用の概念を承知の上でわざわざやってるので。"歴史的背景"が違うじゃん。
アサクリはゲーム起動すると真っ先に色んな思想持つ人が作ってますよって宣言してる割に偏った思想が透けて見えるからツッコミ食らってんのよ
水木しげる展とか行ってないんだろうなあ。ものすごい数の資料(古い時代の)と習作、そこから生まれた妖怪まで丁寧な研究がされていて小学生でもわかりやすく、近年森ビルでは一番好きな展示だった。
水木しげるは妖怪を世界中から集め、容姿イメージがない時に創作もした。書籍から書き写したモノも多くある。今は有名なアマビエもそれだ。それが悪いかと言うと難しい。水木しげるによって知られるようになった妖怪
アサクリの件、ネトウヨがwoke化しているようにしか見えないんだよな。
水木しげる氏は元ネタがわかりやすいのでまだいい方で某氏のこども向け妖怪事典などは出典や元ネタがわかりづらくて妖怪界隈に混乱を……(小声)
何となく、ご本人に指摘したとしても一笑に付されそうな気はする。「あ、盗作ですよ」って笑
アサクリは弥助が最強の侍であることは史実って大嘘をついてるのとか史実のはずの日本の描写が雑で出鱈目なのが叩かれてるだけで、他のゲームの日本モチーフの国とか侍のキャラとかいても問題になってないのでは。
アサクリ憎けりゃ水木しげるも憎い
“「目=気球」”こわンゴ!
アサクリが批判されてるのは、現代だからなのと、相手の国の人もプレイする前提の作品だからかな?/書いてます→アサシンクリード・シャドウズ「神社の祭壇破壊」についてhttps://yuhka-uno.hatenablog.com/entry/2025/03/04/191006
水木しげる展、そのまままるっとコピペ拝借系の妖怪たちの説明に「尊敬の気持ちから」などと書いてあって笑ってしまったわ ネットもなく、元ネタを「探してくる、引いてくる」ことに今より価値がある時代だった
「文化の盗用」ってアサクリシャドウズ以外でしっくりくる使用例が見当たらんな。
あれだけ大成功した人に対して「アーティストの方が向いている」ってすごいな。
じゃあなんですか、南方妖怪チンポも先生のでっちあげだとでも言うんですか
水木しげるワールド=日本の昔からの妖怪ワールドだと認識してしまった我々が拙いだけで、商業活動として作った水木しげるへのその批判は違うと思う。ただ剽窃云々は細かくわからないが。ウルトラマンの怪獣たちは
これを引用というのは無理がありそう。オマージュというより素材流用してるって感じだからパクリいわれてもしゃーないかも
神社やモスク、教会内で大暴れできるゲームがあったとして、そんなもんは創作者の自由。/ただしそれらを配慮し、保護されるものとそうでないもの分けたなら、そりゃその背景にある意図は問われるでしょうね。
妖怪チンポは水木しげるのオリジナルなので安心してください
昔は今より世界が広かったので、それを「見つけ出した」という水木の功績はあるにしても、それを材料として無断で好き放題に加工するのは許されるべきか?という問題はある。後世の我々は功罪を切り分ける必要がある
なんでもアサクリに繋げてしまうアサクリ脳の人たち…
ロラン・バルト『作者の死』を上梓してから50年以上経つが、作者というものは哲学的に存在しない。発信元のプロフィールでは同人作家が多いようだが、本を作る前に教養を身につけるべきでは。
文化の盗用って概念がいつから流行りだしたのか知らないけど、そもそも文化の所有者って誰なんだということがずっと疑問。
インターネット世論は水木しげる好きすぎ司馬遼太郎嫌いすぎ問題。水木しげるは漫画にそんなに執着なかったかもという指摘は面白い。
パクリ、という雑な概念の功罪
日本の着物をアレンジしてきている外国人に文句言う着物警察にどれだけの価値があるか、ってのと同じよ。なんで赤の他人のお前の趣味に合わせなきゃいかんのかと
なんだこれ。アサシンクリードを批判するために水木しげるを引き合いに出したら混乱した、という話か? 別々に論じればいいだけなのでは?
まず、『文化の盗用』とかいう意味不明な概念は無視。それを言い出したら日本人は漢字もカタカナも平仮名も使えない。次に、引用,盗作,剽窃,パブリックドメインかを切り分けないと。
著作権というか他人の著作物の扱いについて、昔は大らかで今は厳格になったというそれだけの話で、それ以上でも以下でもない。時代背景を無視した表現への批判は偏に無知の産物。
歴史や伝承を扱うとき、解釈違いは起きる。また、そもそもパクリの境界自体、暗黙の了解でのみ形成されている。過去の作品についても、時代的背景を理解しつつも、現代的価値観で批判すべきだと思う。
他国へ侵略し収奪することは1920年以前は「歴史上のエピソード。弱い方が悪い」 1920年から2020年までは「侵略はいけない。人道に対する罪」となり 2020年以降は「長い物には巻かれろや」になった。パクリもそんな感じ。
アサクリ弥助騒動の本質は、そういう話じゃないので…。/あとまぁ、昭和の頃は今よりも海外が「遠かった」だろう事は考慮すべき。パラレル概念が無かった昭和のライダーとか、次回作では大抵海外遠征してたり。
正方形の畳、天守閣の屋根に曲者用出入り口、囲炉裏に埋まる羽釜等のトンチキ日本を描きながら、日本以外の国に向かって「封建時代の日本を忠実に再現」「伝説の侍弥助」と大ボラ吹くのを止めればいいだけなんだよな
水木しげる、そこかしこに滲む身も蓋もない諦観や倫理の雑さ加減が「カオスからやってきた魔物が人のふりしている」ように思えて好きだった。剽窃改変を知った時も意外には感じず、好意は変わらなかった。
昔の創作物を今言いだすと正直きりが無い一面がある。一生この手の文句で戦い続ける覚悟は無い。空ヤカンみたいにこの件だけ怒るのも…/姑獲鳥でその絵をイメージせん人多いやろ。普通に石燕や。月岡芳年は作者推し
権利者が訴えているならともかく、第三者が「パクリ」というレッテルを貼り、私的制裁を焚き付ける行為はみっともないことである。どうして「パクリ」のレッテルが知財関連の法律の想定超えた批判になるのだろうか?
もちろん世界中の珍妙でおどろおどろしいものの資料や知識を収集していたからこそだけど、それはそれで種明かしもなしで『こんなキャラデザを発想できる水木先生すげぇ!!』ってなるのは元ネタの作者は腹立つわな
これ言い出すと明治期の文豪がヨーロッパの原著に触れずに勝手ローカライズした文学作品がゴマンとあるわけで、過去にさかのぼっての追求はあまり意味がないと個人的には思うんだよな
“@hakoiribox 著作権や商標権があるわけもない古美術品の神像やお面そっくりの絵を描いて特に出典も示さずこれは日本の○○地方に伝わる妖怪ですと書くの、何が悪いかといえば別に何も悪くはないですからね。”
水木御大の(良い意味での)功績は否定できないけど、すごい数の資料と丁寧な研究があればやったことが正当化されるってマジ!?
水木しげるの「功罪」とは?他作品引用(パクリ?)、元ネタ改変、文化の盗用……~「アサクリ」との比較論も
どうしてもアサクリを批判しようとする人が✖にはいるんだなあ。
このロリコンどもめ!
id:y-mat2006 「差別・偏見に基づく罪は、永久的に追求し断罪すべき」というのが日本リベラルの教えのはず。ちなみに「被害者が差別と感じれば差別」という技も、リベラルが主張していたはず。だから彼らは差別主義者。
まぁ鳥山とかも勝手にウルトラマンやらゴジラ出して、後に修正してるからな そういう時代っちゃ時代 今だったら無理だろうな つーかアサクリ批判を批判する人は未だ一つのファクターで捉えてて雑い
繰り返すが「文化の盗用」という概念自体がかなりポンコツなので、その前提に沿ってダブスタがあるかないか悩んだりする前に、この前提自体を取っ払うのが吉。
文化の盗用か、創造の賜物か。歴史は常に両者の狭間で揺れ動きますの。
あの時代はどの作家もあんなもんだった
妖怪でもなんでもない文楽人形がモデルの油すましのキャラデザを妖怪大戦争がパクったが、水木は訴えない。それによって古くからある伝承感を演出するための戦略なのだ説、好き。/コナキジジの元ネタの話も笑った。
アサクリはDEIや文化の盗用の概念を承知の上でわざわざやってるので。"歴史的背景"が違うじゃん。
アサクリはゲーム起動すると真っ先に色んな思想持つ人が作ってますよって宣言してる割に偏った思想が透けて見えるからツッコミ食らってんのよ
水木しげる展とか行ってないんだろうなあ。ものすごい数の資料(古い時代の)と習作、そこから生まれた妖怪まで丁寧な研究がされていて小学生でもわかりやすく、近年森ビルでは一番好きな展示だった。
水木しげるは妖怪を世界中から集め、容姿イメージがない時に創作もした。書籍から書き写したモノも多くある。今は有名なアマビエもそれだ。それが悪いかと言うと難しい。水木しげるによって知られるようになった妖怪
アサクリの件、ネトウヨがwoke化しているようにしか見えないんだよな。
水木しげる氏は元ネタがわかりやすいのでまだいい方で某氏のこども向け妖怪事典などは出典や元ネタがわかりづらくて妖怪界隈に混乱を……(小声)
何となく、ご本人に指摘したとしても一笑に付されそうな気はする。「あ、盗作ですよ」って笑
アサクリは弥助が最強の侍であることは史実って大嘘をついてるのとか史実のはずの日本の描写が雑で出鱈目なのが叩かれてるだけで、他のゲームの日本モチーフの国とか侍のキャラとかいても問題になってないのでは。
アサクリ憎けりゃ水木しげるも憎い
“「目=気球」”こわンゴ!
アサクリが批判されてるのは、現代だからなのと、相手の国の人もプレイする前提の作品だからかな?/書いてます→アサシンクリード・シャドウズ「神社の祭壇破壊」についてhttps://yuhka-uno.hatenablog.com/entry/2025/03/04/191006
水木しげる展、そのまままるっとコピペ拝借系の妖怪たちの説明に「尊敬の気持ちから」などと書いてあって笑ってしまったわ ネットもなく、元ネタを「探してくる、引いてくる」ことに今より価値がある時代だった
「文化の盗用」ってアサクリシャドウズ以外でしっくりくる使用例が見当たらんな。
あれだけ大成功した人に対して「アーティストの方が向いている」ってすごいな。
じゃあなんですか、南方妖怪チンポも先生のでっちあげだとでも言うんですか
水木しげるワールド=日本の昔からの妖怪ワールドだと認識してしまった我々が拙いだけで、商業活動として作った水木しげるへのその批判は違うと思う。ただ剽窃云々は細かくわからないが。ウルトラマンの怪獣たちは
これを引用というのは無理がありそう。オマージュというより素材流用してるって感じだからパクリいわれてもしゃーないかも
神社やモスク、教会内で大暴れできるゲームがあったとして、そんなもんは創作者の自由。/ただしそれらを配慮し、保護されるものとそうでないもの分けたなら、そりゃその背景にある意図は問われるでしょうね。
妖怪チンポは水木しげるのオリジナルなので安心してください
昔は今より世界が広かったので、それを「見つけ出した」という水木の功績はあるにしても、それを材料として無断で好き放題に加工するのは許されるべきか?という問題はある。後世の我々は功罪を切り分ける必要がある
なんでもアサクリに繋げてしまうアサクリ脳の人たち…
ロラン・バルト『作者の死』を上梓してから50年以上経つが、作者というものは哲学的に存在しない。発信元のプロフィールでは同人作家が多いようだが、本を作る前に教養を身につけるべきでは。
文化の盗用って概念がいつから流行りだしたのか知らないけど、そもそも文化の所有者って誰なんだということがずっと疑問。
インターネット世論は水木しげる好きすぎ司馬遼太郎嫌いすぎ問題。水木しげるは漫画にそんなに執着なかったかもという指摘は面白い。
パクリ、という雑な概念の功罪
日本の着物をアレンジしてきている外国人に文句言う着物警察にどれだけの価値があるか、ってのと同じよ。なんで赤の他人のお前の趣味に合わせなきゃいかんのかと
なんだこれ。アサシンクリードを批判するために水木しげるを引き合いに出したら混乱した、という話か? 別々に論じればいいだけなのでは?
まず、『文化の盗用』とかいう意味不明な概念は無視。それを言い出したら日本人は漢字もカタカナも平仮名も使えない。次に、引用,盗作,剽窃,パブリックドメインかを切り分けないと。
著作権というか他人の著作物の扱いについて、昔は大らかで今は厳格になったというそれだけの話で、それ以上でも以下でもない。時代背景を無視した表現への批判は偏に無知の産物。
歴史や伝承を扱うとき、解釈違いは起きる。また、そもそもパクリの境界自体、暗黙の了解でのみ形成されている。過去の作品についても、時代的背景を理解しつつも、現代的価値観で批判すべきだと思う。
他国へ侵略し収奪することは1920年以前は「歴史上のエピソード。弱い方が悪い」 1920年から2020年までは「侵略はいけない。人道に対する罪」となり 2020年以降は「長い物には巻かれろや」になった。パクリもそんな感じ。
アサクリ弥助騒動の本質は、そういう話じゃないので…。/あとまぁ、昭和の頃は今よりも海外が「遠かった」だろう事は考慮すべき。パラレル概念が無かった昭和のライダーとか、次回作では大抵海外遠征してたり。
正方形の畳、天守閣の屋根に曲者用出入り口、囲炉裏に埋まる羽釜等のトンチキ日本を描きながら、日本以外の国に向かって「封建時代の日本を忠実に再現」「伝説の侍弥助」と大ボラ吹くのを止めればいいだけなんだよな
水木しげる、そこかしこに滲む身も蓋もない諦観や倫理の雑さ加減が「カオスからやってきた魔物が人のふりしている」ように思えて好きだった。剽窃改変を知った時も意外には感じず、好意は変わらなかった。
昔の創作物を今言いだすと正直きりが無い一面がある。一生この手の文句で戦い続ける覚悟は無い。空ヤカンみたいにこの件だけ怒るのも…/姑獲鳥でその絵をイメージせん人多いやろ。普通に石燕や。月岡芳年は作者推し
権利者が訴えているならともかく、第三者が「パクリ」というレッテルを貼り、私的制裁を焚き付ける行為はみっともないことである。どうして「パクリ」のレッテルが知財関連の法律の想定超えた批判になるのだろうか?
もちろん世界中の珍妙でおどろおどろしいものの資料や知識を収集していたからこそだけど、それはそれで種明かしもなしで『こんなキャラデザを発想できる水木先生すげぇ!!』ってなるのは元ネタの作者は腹立つわな
これ言い出すと明治期の文豪がヨーロッパの原著に触れずに勝手ローカライズした文学作品がゴマンとあるわけで、過去にさかのぼっての追求はあまり意味がないと個人的には思うんだよな
“@hakoiribox 著作権や商標権があるわけもない古美術品の神像やお面そっくりの絵を描いて特に出典も示さずこれは日本の○○地方に伝わる妖怪ですと書くの、何が悪いかといえば別に何も悪くはないですからね。”
水木御大の(良い意味での)功績は否定できないけど、すごい数の資料と丁寧な研究があればやったことが正当化されるってマジ!?