部活の後輩が「自分はセンスがないから」と言い訳するのを「大丈夫!センスは磨ける!磨こう!」と励ましていたけど、内心では(でもキミにはたぶん無理ぽ…)と思ってた。
2歳で立ち漕ぎぶらんこしてる奴もいる
小学生で天才だったやつは予後悪い事も少なくないよ。ピークをいつに持っていくかが重要だと思う。受験で燃え尽きて大学サボり倒す場合もあるし。
センスの差も当然あるけど、コツコツと集中力をもって続けられるかの差も大きい。世界クラスの超一流でもなければ後者の方が大事かも。
小学生あたりだと良い先生に当たってセンスの差をあっさり覆すような成長を見せることも多々あるので、指導者次第だよなー…
どういうわけか20年もすれば平準化されて全員何者でもない一般的市民になってるからそう騒ぐことでもない
小学校の意味がわかっていない……小学校は選別の場ではなく底上げの場……いや実質的に軍事教練の下地ですからねあれは
社会人やってると自分らがセンスとか言ってるのが見当違いなコトを指してる場面によく出会う。
逆の例もたくさん見てきたけどね。大人が感じた限界を突破しまくる児童とか。継続することの強みとか。勝手に大人が決めた限界など気にしない方が良いよ。
小学生くらいだと今後いくらでも化ける。センスの差とか言ってる教員がアホ
低学年どころか小学生全般に早熟かどうかの違いも大きいけどね。中学受験のトップが大学受験までにまったく普通未満になるのも、その逆もあるので。
センスを持ち出すのは指導者の技量不足
勉強し始めの要領の良さと学力の到達点の高さはまた別だからな。運動でももちろん当てはまるが。
id:anmin7 ネタで言ってるのかしらんけど、もし小学校の体育を「軍事教練の下地」とか本気で思ってるなら、参政党支持者を笑えんレベルの陰謀論者だと自覚したほうが良いぞ。
いわゆる神童は人より成長のピークが早いだけ、って例がほとんどでは。そうさせないためには着実な自己研鑽こそが必要だけど、センスを「放っておいても勝手に成長する」と定義してるなら、そういう教授は無理そう
まぁ、大人にも絶望的な奴いるけどな。
竹馬、逆立ちできんかったなあ…今でも出来んけど…w
この「センス」というのが、小学校に上がるまでに考える癖を付けてるか否かといった、初動の差だったりする。適切なタイミングで適切なスイッチを押してもらえた子供は格段に伸びる。小学校に入ってからでも遅くない
それはセンスってか小学校に入る前まで何してきたかでしょ。単に他の子より早熟なだけなのをセンスあるで片付けると途中で潰れちゃうよ
娘が5歳のときテニスに興味持ったので10回ぐらいレッスンした。あるとき娘の友だちが「私もやってみたい!」と参加したら30分ぐらいでもう娘より上手くなった。これが天性の才能ってやつかーと思った。
センスを発達してない前頭葉の制御無しでできる天性の動き。だとするならそれはそう。ちゃんと前頭葉の制御が効くようになってからの能力とは別物で発達がある程度できてから急に全てがかみ合う大器晩成タイプもいる
その "センス" とやらがあっても、出る杭を打つ同調圧力の世の中ではなあ。
IQとか(運動系はMQ)知らんのかな?境界や知的性能(逆側にメンサとか)は訓練でどうにかならんよ。無論一定の社会性適応は身体に覚えさせる事は可能(逆にメンサに入る様な人は毎日遊んでも高IQのまま)
いろんな習い事をさせたらいいのよ。その競技の才能が子供になかったら別の競技へ。体育系でも文科系でも子供の才能が光る種目が1つはあるだろう
それを踏まえてどう教えるかが教育なんだよね。「分かっている」とは思うけど。
小4から5くらいまで運動はマラソン以外はほぼダメだったけど成長期に入って球技以外はクラス上位に行ったよ。才能はないのでそれより上をとなればかなり練習が必要だったと思うけど。
子育てを真面目にトライアンドエラーしてきた人は分かると思うんですが。ただ発達の差があるだけ。突如覚醒する子もいるし、ガンガン追い抜かれていく子もいる。親はそれを具に検知して適切に導く必要がある。
んなの自分が当事者として小学生やってたら普通に分かることだと思うが まぁ俺のおじさんがなにやっても器用で軽く上級に行くがモチベが続かず何も出来なかったのを見てるから良いことばかりじゃないのは理解してる
囲碁とか将棋が顕著で、向いてる子は半年で初段とか行く。通常は数年かかったりすることも多々あるのに
そんな視点で子供を見る人は、小学生を教えないで欲しいなぁ…
小学校の勉強におけるセンス?全くピンと来ないのでもう少し詳しく説明して欲しい。用語として合ってるかも含めて。
こうやって「センス=天賦」イメージが固定されていく。
大人だって同じ
なんやかんやセンスの差はあると思うけどなぁ。「人間の基礎能力に個体差はない」なんてただの気休めでしょ
大人になって思うのは、こういう浅はかな考えの大人が子供の才能潰してるんだとよくわかる。10代までの能力差って個別の環境面や成長の度合いの差も大きい。それをセンスで片付ける大人の軽薄さは反吐が出そうだよ。
自分は小学校くらいまでならやや出来る方ぐらいだったと思うが大人になって低迷しまくってる というかこんなの割と誰でもわかることでもあるんでは…浅くないか話が…
大きくなったら運動得意になる人だっているし続けてみるのが大事じゃないかな?
センス無いな〜と思っても、時間が経つと、努力を活かして別のことやったり、いい感じのポジションにつくので全く問題ないし、努力は無駄にならない(別の何かに変換される)
すみません、運動センスないやつです。体育の時間ずっと苦手でした。放っておいてください(嫌な記憶が沢山よみがえってきた)
体育で何かを教わった覚えがそもそもあまりない 筋トレと柔軟とジョギングだけやってたらいい時間にすればいいのでは
小学生の指導をセンス云々で片付ける指導者に指導の「センス」はあるんですかね
センス、で雑にくくるのには賛同できない。初見でいきなりできる人はつまづいた人が乗り越えるためのコツがわからない。教え方の問題で解決することは多々ある。
良いセンスだ
4月生まれと3月生まれは、差があると思うよ。特に小さい頃はなおさらね。
センスなんてふんわりした表現しなくても、人間の能力にはかなりの個人差が有り、小学生の頃はそれがむしろはっきりしやすい時期かと
むしろただの早熟が光って見える低年齢(ジャンルによっては高校くらいまでを含もう)の方が生まれつきの差っぽいのは大きく見えるんでないの。
小さい頃「不器用」と言われ続けていたが大人になってコツを知らないだけという事に気づいて大抵のことは自分で調べたりしてできるようになり子供の可能性を否定するような事を言うのはやめようと思った。
十で神童、十五で才子、二十歳過ぎれば只の人 とは昔から言う
小学生の頃はけん玉がまったくできなかったが、大人になってからやってみると簡単にできた。子どもの頃にできなくても悲観することはない。無理矢理やらせるのは親や教師の達成感のため。
教育現場の残酷な真実。低学年で既に「詰み」が見えるのはきつい。努力教の信者が発狂しそうなスレだけど、これが現実だよなあ
「十で神童、十五で才子、二十歳過ぎれば只(ただ)の人」という諺もありまして才能やセンスの差はあるかもですがそのリードを広げ続けることは以外とできないものです。
できるできないは、色んな要因あるので能力あってもやる気無いだけとかもある。そもそも低学年に取っては抽象的な数字操作なんかは虚無感が強い。
まぁ残念ながらある。みんな同じだけ努力しても大谷にはなれない。でもみんなで大谷になる必要もない。ある程度できるようになったらいい
能力には個人差があるという当たり前のことしか言ってないのだが。だからどうすべきみたいな話こそが重要なのにその話がないのか。
走ると一口に言っても複雑な体の動きを統合しないといけない。家庭環境とか普段の遊び、肉体の成長度合が子供によって全然違って、その影響が大きい。これをセンスって言っちゃうのは嘘だし罪だと思うんだよな。
申しあげにくいですが,教えていらっしゃるこの方の「センス」とやらが欠如している気がしました。学齢が低いほど教育の影響を受けていないから,理解の仕方に個性が残ってる。その違いを理解して教えないとね。
Mii @Drmiidrdr またこいつかよ。差別主義者でお馴染みの自称医師じゃん。教える側のセンスの問題を故意にスルーしてるな。
教える仕事しないと分からないと思ってるとかセンス無さすぎだろ。教師とかなのかと思ったら精神科医なのか。優生思想的な事も語ってるみたいだし、差別が好きなんかね。
戦後教育の価値を全否定する物言いだー。Fラン大に進むような子は農業や介護に回すのが公のためとか気軽に言いそう。安倍が教育自治の憲法たる教育基本法を改正したの、教員の思想にジワジワ効いてるのでは…
途中から運動能力伸びる人もいるんだなあ
センスとか独自の言葉を使うと誤解を生むが境界知能や未診断の知的障害や協調運動障害だって混じってるんだからみんなやれば出来ると思い込んで訓練させるほうが残酷なこともあるだろ
才能のあるヒトって、五感から入る情報を脳みそ経由で思い通りに手足や口から難なく発する。器用さや目の良さ、音感やフィジカルなど資質を磨いて繰り返し訓練や道具を選ぶ事で結果に繋げられたらセンスあると思う。
飲み込みの差はあるのはわかるけど、限界があるなんて、よく無責任に言えるよな。
私はみいちゃん的な感じで教師に馬鹿にされてたし親が宗教狂いで友達いなくてだいぶ積んでたけど、大人になって働いたら30で年収1000万、資産も働かないでいいぐらいある。発達障害治るケースもある。
だから何だ?知ってるわ。
子供の頃は平凡だった子がプロスポーツ選手になる話なんて珍しくないでしょ
だから出来ない子を出来るように粉骨砕身して導くのが楽しいんじゃあないか。出来る子はほっとけばいいんだよ
観測期間が分からないな…サッカークラブなんかだと小学校の中学年か高学年で突然上手くなる子が居たりしたなー。低学年はぼんやりしてる子だった(自分の子じゃないけど面白い変化だった)最後はキャプテンだったよ
運動についてはセンスより身体能力よな。高校生くらいまでは身体能力だけでなんとかなっちゃう。あとセンスある子も努力しなかったらセンスない子に中学くらいでかなわなくなるよね
発達ばらばらな子供らのニーズに合わせて適宜助言する教師、滅茶苦茶つまずいている子供に対して根気強く試行錯誤する教師、「普通」の子しか見えてない教師と色々いるが、あれはどこまでセンスの問題なのだろうか。
体育が苦手だったけど、跳び箱もマット運動も短距離も鉄棒も家の中や公園で夜な夜な練習した。短距離は4年生、5年生のときにリレーの選手にもなった。
そんなの当たり前。今更何言ってんだよ。
「センスの差が出てくる」と観察結果を述べているだけで、だから放っておくとかどうでもいいなんて言っていないのに、えらい言われようだな
大谷をセンスで語るみたいな感じ?そんなことよりもっと個性を見てあげて欲しいな。
結局小6になっても逆上り出来なかったわ。一生できない
最初に習得するときの要領が悪かったからといって、時間をかけても習得できないとか、その後発展させていけないというわけでもないわよね。特に小学校低学年とかだと発達の差は顕著。当たり前か
この人は確実に教育業界には向いていない。
あとから伸びるタイプもいるのは事実だが、全ての子供が伸びるわけでは無い。混同しないようにね。センスやフィジカルの差は当たり前にある。生物だから個体差あると言う当然の事実
低学年からオリンピック選手養成所の落ちこぼれとして4〜5年過ごしたおかげで、その後のスポーツ人生は安泰だったが、中年になり、実は先天的にはセンスゼロだった可能性を実感してる。センスは書き換えられる。
運動できない小学生だったけど、考えて体を動かすということを全く理解してなかったんだよね。大人になって、感覚で足を上げるとか手を挙げるとかじゃなくて、理屈っぽく考えたら、上達の兆しが見えた。そういう差。
美術だと天才的な子がクラスに一人いるだけで全体的な能力が底上げされる傾向があると聞くけどな
…たぶん、幼稚園・保育園で働いてる人は「小学校入学前から差がある」って言うのでは。毎年3月、来年度入学生について聞きに行くとそんな感じだ。そもそも、3歳児検診で「発達の遅れ」を指摘される子もいるし…。
小学校の頃に勉強に関して落ちこぼれだった同級生が、中学入ってからめっちゃ伸びて学年トップくらいになってたことがあって、環境要因の大きさを見せつけられたことはある。幼い頃のセンスだけでは決まらないよ。
大人相手なら才能ないってハッキリ伝えるが、子供相手だと難しいな。
センスとか言っちゃうのは教育の怠慢の証左では?
算数とか絶対に周囲に負けない感覚あった。塾行ってる奴について行って体験授業受け即座に内容理解。塾の誰よりも早く解いてスカウトされるとか
小学生しか教えたことがなく、その後の成長を知らない人って感じ
生得的な差があることは否定しないが、成長マインドセットに関する研究とか見ると後天的に伸ばせると信じて養育する方が成績の伸びが良いんだし、せめて親やら教育者ならそういう態度でやってほしいですね
差はあるが発達の違いというだけ。幼稚園や小学校の頃は絶対に勉強や運動で敵わないやつたくさんおったけど、今では自分より高学歴なやつは数える程しかいない。
体育の科目の差は可視化されるのに、筆記テストの点は公開されないのは、うんち勉強できた余としては不公平であったと大人になってから思った。 高校受験まで周りの学力って分からないものな(´Д`)めう
"だからと言って、その乖離は埋められないかというと違うんですけどね""確かに差はあるけど、後から伸びる子もたくさんいますよ"
「そんな視点の人は教えないで欲しい」の理屈がわからん。現実を認めた上で個々に向いた指導をする必要があるって話じゃないんか
ちょっと教えたらぐんぐん伸びる子が好きと公言する学校の先生なんて居ないよね。塾や習い事のコーチなのかな
同級生にLDの子がいたので「あとで伸びる」とか悠長にしないでほしいと思う。
プロレベルを目指すのでなければ、ある程度は努力でいくと思う。どちらかというと差があるのは、GRIT力ではないか。みんな自己肯定感という言葉が好きだけど、自己効力感という方が適切な場合が多いよな、って思う
小学生を育てた人には分かる話だけど、低学年の頃からちょっとでも周りと違うともう絶望的なくらい問題児扱いされるんですよ。別にそこまでの教育は求めてないけどそれで個人のセンスを決めてつけてくれるなよ。
事実を述べてるのにそれを曲解したり俺俺解釈してるコメントって…
同じ人間なんだから同じ事できるはず、できるやつと何が違うのか、完全に真似をするにはどうすればいいか。出来るやつを観察して真似して教えて貰う。能力が低いって思ってるなら他人の2倍3倍努力する
小学生を教えていると「え? ここでつまずいてたの⁉︎ 」と思うことがよくある。思わぬところでつまずいてる。教える側の想像力やセンスが問われる年頃。
多様性と共生ってそういうことでしょう?何を今更としか思えない
いろんな教科があるのは適性があるかもしれないものを発見するためにあるのだと思うが勉強で一括りにして運動でセンスがあるかないかとか、マジ害悪な思想だよな。初めから頭が悪い人間がいるかのような言い分だ。
でも、コツコツやって体で覚える人の方が最高到達点は上だったりするからな。
小学受験やれば、幼稚園時点で人生が決まってることが分かるよ。積極的な発言、集中力、世界への興味、お友達への気遣い、年中で既に仕上がってる子らが都心にはいる。
音楽は別にそんなきょうだい差なかったな国語は明確にあった
なんで教育者の能力不足と考えないのだろう。多様性に溢れる現代では、環境の差を教育で乗り越えさせるなんて教師が相当優秀でなければ困難だよ。
冬生まれで、ずっとチビでかけっこ遅くていやだったわ…… センスちゃう、単に成長が遅いんよぉ…………個体のばらつきを認めてその上で指導してくれぇ…
発達の凸凹って、知能面だけではなく運動機能もそうなのだけれどあまり理解されてないなぁ・・・。体を制御するのは脳です。診断がつかない人も当然、発達は個人差があります。
だから図画工作とか家庭科とか美術とか技術とか数学とか「社会に出たら使わない」と言われるものでも色々学んで何が自分に合ってるか理解するのは大切だと思うんだよね。
某サッカーユースに入るときは両親、ジジババの身長を求められる。これが意味あるのか問題。
センスで片付けるのはさすがに言語化能力無さすぎて、それに教わる子も可哀想だなとしか…。
ないことはないだろうけども、それで自分の教えるセンスの無さを誤魔化さないでほしいね。 センスなんてほとんどの人がないけどどうやって頑張り続けるかを教えるのが初等教育だと思う
小学生じゃないけど、中学生の塾講師のときに数学(算数)が全くダメだった子の成績を伸ばした、そういう生徒が複数います。運動も体育の授業で基本的な動作を教えない、教師の怠慢が生徒の苦手意識を形作るのよね。
個人差があるなんてガキの頃に自分でわかるやろ?
発達の速さにも個人差があって、ある年齢ではどう教えてもダメだったのが、1年後にはスラスラわかったりするので、その時点での飲み込みの早さだけでその子の全てを分かった気になってはいけないと思う。
小学生の勉強や運動ができないだけで絶望することは何もないでしょ。
統計もなく、教えた人にしか分からないことは 蓋然性が低い。俺も塾講師の経験あるから言いたいことは分かる。でも ツイ主の思い込みでない証拠がない。
小学校は運動をまともに教えないからな。センス以外で差がつかないことだろう。
教師が骨の髄まで集団主義に煮詰まってる事が実によくわかる。子供を競争主義的視点からしか見ない。
幼少期にそれを理解するのが前提で、それでも個の違いや指導のやりがいに感じ入る人が教師という職を選ぶんじゃないのか…?
センスよりも、どう教えても自分が正しいはずだって聞き入れなかったり、自分ルール勝手に作ってしまったり、バツつけられても本当は…みたいな言い訳するタイプはやり辛い。どうしたらいいんだろ。
そこで自分の教え方のバリエーションを疑えるのが大人。
自分は高機能な自閉症なので、これはセンスという言葉が相応しいでしょうね。高校で数学で苦労したことはないけど国語・社会系科目は壊滅的。時代が能力の凸凹に寛容になり自分の子が羨ましい。悩みも多いけどね。
高い能力を見出されてしまうとその能力を中心に人生が決まって狭い選択肢に追い込まれるのを、助ける大人に教える仕事をしてもらいたいもの。
できる子とできない子がいる それは別に小学生だろうと大人だろうとなんも変わらん
こういうのをセンスで片付けてしまうのがダメなんだよ。本当は体の動かし方(思ってるようにも動かせてない)だったり、基礎以前の部分をちゃんと埋めてあげる必要がある。球技もしかりだぞ
その年令は単純に発達段階でしょ。これをみてセンスがないとかいって子供をつぶすんだろうな
向き不向きは確実にあるよな。「成長の度合いが」「環境が」「基礎練習が」というのはガチでできない子供を追い詰めて潰してしまう考え方。どれだけやってもできない子はいるんだよ。本人の資質の問題で
センスでしか差がつかないのは教え方が悪い定期 なんなら教えてるとは言わない定期
発達の差wこいつらが教育したら運動音痴とか撲滅できるんだろうなあw
発達やら基礎やら原因はともかくとして、結果として小学生で既にかなり大きな差があることだけは確かだろうね。
マシュマロテスト
周囲が適切に対応すれば解決できると他責思考がちらほら居る…
優生学的思考。ちなみに、名将のようなリーダーシップの素養は第二次大戦後の米国で盛んに研究されたが、結果として分かったのは環境影響が強く画一的な素養はないという事だけだったのはよく知っての通り。
勉強の不出来はある程度隠せるが(晒す教師もいるが)運動オンチは必ず周囲の晒し者になるのが恥ずかしいのよね。小学校だと運動できる奴の方が発言力も高いし
小学生を経験をした人には分かる話だが、先生の教え方にも絶望的なくらいセンスの差がある。
小学生を教える仕事をした人には分かる話だが、低学年の頃からもう絶望的なくらいセンスの差が出てくる… 勉強に限らず、なんなら運動の方がより分かりやすい
部活の後輩が「自分はセンスがないから」と言い訳するのを「大丈夫!センスは磨ける!磨こう!」と励ましていたけど、内心では(でもキミにはたぶん無理ぽ…)と思ってた。
2歳で立ち漕ぎぶらんこしてる奴もいる
小学生で天才だったやつは予後悪い事も少なくないよ。ピークをいつに持っていくかが重要だと思う。受験で燃え尽きて大学サボり倒す場合もあるし。
センスの差も当然あるけど、コツコツと集中力をもって続けられるかの差も大きい。世界クラスの超一流でもなければ後者の方が大事かも。
小学生あたりだと良い先生に当たってセンスの差をあっさり覆すような成長を見せることも多々あるので、指導者次第だよなー…
どういうわけか20年もすれば平準化されて全員何者でもない一般的市民になってるからそう騒ぐことでもない
小学校の意味がわかっていない……小学校は選別の場ではなく底上げの場……いや実質的に軍事教練の下地ですからねあれは
社会人やってると自分らがセンスとか言ってるのが見当違いなコトを指してる場面によく出会う。
逆の例もたくさん見てきたけどね。大人が感じた限界を突破しまくる児童とか。継続することの強みとか。勝手に大人が決めた限界など気にしない方が良いよ。
小学生くらいだと今後いくらでも化ける。センスの差とか言ってる教員がアホ
低学年どころか小学生全般に早熟かどうかの違いも大きいけどね。中学受験のトップが大学受験までにまったく普通未満になるのも、その逆もあるので。
センスを持ち出すのは指導者の技量不足
勉強し始めの要領の良さと学力の到達点の高さはまた別だからな。運動でももちろん当てはまるが。
id:anmin7 ネタで言ってるのかしらんけど、もし小学校の体育を「軍事教練の下地」とか本気で思ってるなら、参政党支持者を笑えんレベルの陰謀論者だと自覚したほうが良いぞ。
いわゆる神童は人より成長のピークが早いだけ、って例がほとんどでは。そうさせないためには着実な自己研鑽こそが必要だけど、センスを「放っておいても勝手に成長する」と定義してるなら、そういう教授は無理そう
まぁ、大人にも絶望的な奴いるけどな。
竹馬、逆立ちできんかったなあ…今でも出来んけど…w
この「センス」というのが、小学校に上がるまでに考える癖を付けてるか否かといった、初動の差だったりする。適切なタイミングで適切なスイッチを押してもらえた子供は格段に伸びる。小学校に入ってからでも遅くない
それはセンスってか小学校に入る前まで何してきたかでしょ。単に他の子より早熟なだけなのをセンスあるで片付けると途中で潰れちゃうよ
娘が5歳のときテニスに興味持ったので10回ぐらいレッスンした。あるとき娘の友だちが「私もやってみたい!」と参加したら30分ぐらいでもう娘より上手くなった。これが天性の才能ってやつかーと思った。
センスを発達してない前頭葉の制御無しでできる天性の動き。だとするならそれはそう。ちゃんと前頭葉の制御が効くようになってからの能力とは別物で発達がある程度できてから急に全てがかみ合う大器晩成タイプもいる
その "センス" とやらがあっても、出る杭を打つ同調圧力の世の中ではなあ。
IQとか(運動系はMQ)知らんのかな?境界や知的性能(逆側にメンサとか)は訓練でどうにかならんよ。無論一定の社会性適応は身体に覚えさせる事は可能(逆にメンサに入る様な人は毎日遊んでも高IQのまま)
いろんな習い事をさせたらいいのよ。その競技の才能が子供になかったら別の競技へ。体育系でも文科系でも子供の才能が光る種目が1つはあるだろう
それを踏まえてどう教えるかが教育なんだよね。「分かっている」とは思うけど。
小4から5くらいまで運動はマラソン以外はほぼダメだったけど成長期に入って球技以外はクラス上位に行ったよ。才能はないのでそれより上をとなればかなり練習が必要だったと思うけど。
子育てを真面目にトライアンドエラーしてきた人は分かると思うんですが。ただ発達の差があるだけ。突如覚醒する子もいるし、ガンガン追い抜かれていく子もいる。親はそれを具に検知して適切に導く必要がある。
んなの自分が当事者として小学生やってたら普通に分かることだと思うが まぁ俺のおじさんがなにやっても器用で軽く上級に行くがモチベが続かず何も出来なかったのを見てるから良いことばかりじゃないのは理解してる
囲碁とか将棋が顕著で、向いてる子は半年で初段とか行く。通常は数年かかったりすることも多々あるのに
そんな視点で子供を見る人は、小学生を教えないで欲しいなぁ…
小学校の勉強におけるセンス?全くピンと来ないのでもう少し詳しく説明して欲しい。用語として合ってるかも含めて。
こうやって「センス=天賦」イメージが固定されていく。
大人だって同じ
なんやかんやセンスの差はあると思うけどなぁ。「人間の基礎能力に個体差はない」なんてただの気休めでしょ
大人になって思うのは、こういう浅はかな考えの大人が子供の才能潰してるんだとよくわかる。10代までの能力差って個別の環境面や成長の度合いの差も大きい。それをセンスで片付ける大人の軽薄さは反吐が出そうだよ。
自分は小学校くらいまでならやや出来る方ぐらいだったと思うが大人になって低迷しまくってる というかこんなの割と誰でもわかることでもあるんでは…浅くないか話が…
大きくなったら運動得意になる人だっているし続けてみるのが大事じゃないかな?
センス無いな〜と思っても、時間が経つと、努力を活かして別のことやったり、いい感じのポジションにつくので全く問題ないし、努力は無駄にならない(別の何かに変換される)
すみません、運動センスないやつです。体育の時間ずっと苦手でした。放っておいてください(嫌な記憶が沢山よみがえってきた)
体育で何かを教わった覚えがそもそもあまりない 筋トレと柔軟とジョギングだけやってたらいい時間にすればいいのでは
小学生の指導をセンス云々で片付ける指導者に指導の「センス」はあるんですかね
センス、で雑にくくるのには賛同できない。初見でいきなりできる人はつまづいた人が乗り越えるためのコツがわからない。教え方の問題で解決することは多々ある。
良いセンスだ
4月生まれと3月生まれは、差があると思うよ。特に小さい頃はなおさらね。
センスなんてふんわりした表現しなくても、人間の能力にはかなりの個人差が有り、小学生の頃はそれがむしろはっきりしやすい時期かと
むしろただの早熟が光って見える低年齢(ジャンルによっては高校くらいまでを含もう)の方が生まれつきの差っぽいのは大きく見えるんでないの。
小さい頃「不器用」と言われ続けていたが大人になってコツを知らないだけという事に気づいて大抵のことは自分で調べたりしてできるようになり子供の可能性を否定するような事を言うのはやめようと思った。
十で神童、十五で才子、二十歳過ぎれば只の人 とは昔から言う
小学生の頃はけん玉がまったくできなかったが、大人になってからやってみると簡単にできた。子どもの頃にできなくても悲観することはない。無理矢理やらせるのは親や教師の達成感のため。
教育現場の残酷な真実。低学年で既に「詰み」が見えるのはきつい。努力教の信者が発狂しそうなスレだけど、これが現実だよなあ
「十で神童、十五で才子、二十歳過ぎれば只(ただ)の人」という諺もありまして才能やセンスの差はあるかもですがそのリードを広げ続けることは以外とできないものです。
できるできないは、色んな要因あるので能力あってもやる気無いだけとかもある。そもそも低学年に取っては抽象的な数字操作なんかは虚無感が強い。
まぁ残念ながらある。みんな同じだけ努力しても大谷にはなれない。でもみんなで大谷になる必要もない。ある程度できるようになったらいい
能力には個人差があるという当たり前のことしか言ってないのだが。だからどうすべきみたいな話こそが重要なのにその話がないのか。
走ると一口に言っても複雑な体の動きを統合しないといけない。家庭環境とか普段の遊び、肉体の成長度合が子供によって全然違って、その影響が大きい。これをセンスって言っちゃうのは嘘だし罪だと思うんだよな。
申しあげにくいですが,教えていらっしゃるこの方の「センス」とやらが欠如している気がしました。学齢が低いほど教育の影響を受けていないから,理解の仕方に個性が残ってる。その違いを理解して教えないとね。
Mii @Drmiidrdr またこいつかよ。差別主義者でお馴染みの自称医師じゃん。教える側のセンスの問題を故意にスルーしてるな。
教える仕事しないと分からないと思ってるとかセンス無さすぎだろ。教師とかなのかと思ったら精神科医なのか。優生思想的な事も語ってるみたいだし、差別が好きなんかね。
戦後教育の価値を全否定する物言いだー。Fラン大に進むような子は農業や介護に回すのが公のためとか気軽に言いそう。安倍が教育自治の憲法たる教育基本法を改正したの、教員の思想にジワジワ効いてるのでは…
途中から運動能力伸びる人もいるんだなあ
センスとか独自の言葉を使うと誤解を生むが境界知能や未診断の知的障害や協調運動障害だって混じってるんだからみんなやれば出来ると思い込んで訓練させるほうが残酷なこともあるだろ
才能のあるヒトって、五感から入る情報を脳みそ経由で思い通りに手足や口から難なく発する。器用さや目の良さ、音感やフィジカルなど資質を磨いて繰り返し訓練や道具を選ぶ事で結果に繋げられたらセンスあると思う。
飲み込みの差はあるのはわかるけど、限界があるなんて、よく無責任に言えるよな。
私はみいちゃん的な感じで教師に馬鹿にされてたし親が宗教狂いで友達いなくてだいぶ積んでたけど、大人になって働いたら30で年収1000万、資産も働かないでいいぐらいある。発達障害治るケースもある。
だから何だ?知ってるわ。
子供の頃は平凡だった子がプロスポーツ選手になる話なんて珍しくないでしょ
だから出来ない子を出来るように粉骨砕身して導くのが楽しいんじゃあないか。出来る子はほっとけばいいんだよ
観測期間が分からないな…サッカークラブなんかだと小学校の中学年か高学年で突然上手くなる子が居たりしたなー。低学年はぼんやりしてる子だった(自分の子じゃないけど面白い変化だった)最後はキャプテンだったよ
運動についてはセンスより身体能力よな。高校生くらいまでは身体能力だけでなんとかなっちゃう。あとセンスある子も努力しなかったらセンスない子に中学くらいでかなわなくなるよね
発達ばらばらな子供らのニーズに合わせて適宜助言する教師、滅茶苦茶つまずいている子供に対して根気強く試行錯誤する教師、「普通」の子しか見えてない教師と色々いるが、あれはどこまでセンスの問題なのだろうか。
体育が苦手だったけど、跳び箱もマット運動も短距離も鉄棒も家の中や公園で夜な夜な練習した。短距離は4年生、5年生のときにリレーの選手にもなった。
そんなの当たり前。今更何言ってんだよ。
「センスの差が出てくる」と観察結果を述べているだけで、だから放っておくとかどうでもいいなんて言っていないのに、えらい言われようだな
大谷をセンスで語るみたいな感じ?そんなことよりもっと個性を見てあげて欲しいな。
結局小6になっても逆上り出来なかったわ。一生できない
最初に習得するときの要領が悪かったからといって、時間をかけても習得できないとか、その後発展させていけないというわけでもないわよね。特に小学校低学年とかだと発達の差は顕著。当たり前か
この人は確実に教育業界には向いていない。
あとから伸びるタイプもいるのは事実だが、全ての子供が伸びるわけでは無い。混同しないようにね。センスやフィジカルの差は当たり前にある。生物だから個体差あると言う当然の事実
低学年からオリンピック選手養成所の落ちこぼれとして4〜5年過ごしたおかげで、その後のスポーツ人生は安泰だったが、中年になり、実は先天的にはセンスゼロだった可能性を実感してる。センスは書き換えられる。
運動できない小学生だったけど、考えて体を動かすということを全く理解してなかったんだよね。大人になって、感覚で足を上げるとか手を挙げるとかじゃなくて、理屈っぽく考えたら、上達の兆しが見えた。そういう差。
美術だと天才的な子がクラスに一人いるだけで全体的な能力が底上げされる傾向があると聞くけどな
…たぶん、幼稚園・保育園で働いてる人は「小学校入学前から差がある」って言うのでは。毎年3月、来年度入学生について聞きに行くとそんな感じだ。そもそも、3歳児検診で「発達の遅れ」を指摘される子もいるし…。
小学校の頃に勉強に関して落ちこぼれだった同級生が、中学入ってからめっちゃ伸びて学年トップくらいになってたことがあって、環境要因の大きさを見せつけられたことはある。幼い頃のセンスだけでは決まらないよ。
大人相手なら才能ないってハッキリ伝えるが、子供相手だと難しいな。
センスとか言っちゃうのは教育の怠慢の証左では?
算数とか絶対に周囲に負けない感覚あった。塾行ってる奴について行って体験授業受け即座に内容理解。塾の誰よりも早く解いてスカウトされるとか
小学生しか教えたことがなく、その後の成長を知らない人って感じ
生得的な差があることは否定しないが、成長マインドセットに関する研究とか見ると後天的に伸ばせると信じて養育する方が成績の伸びが良いんだし、せめて親やら教育者ならそういう態度でやってほしいですね
差はあるが発達の違いというだけ。幼稚園や小学校の頃は絶対に勉強や運動で敵わないやつたくさんおったけど、今では自分より高学歴なやつは数える程しかいない。
体育の科目の差は可視化されるのに、筆記テストの点は公開されないのは、うんち勉強できた余としては不公平であったと大人になってから思った。 高校受験まで周りの学力って分からないものな(´Д`)めう
"だからと言って、その乖離は埋められないかというと違うんですけどね""確かに差はあるけど、後から伸びる子もたくさんいますよ"
「そんな視点の人は教えないで欲しい」の理屈がわからん。現実を認めた上で個々に向いた指導をする必要があるって話じゃないんか
ちょっと教えたらぐんぐん伸びる子が好きと公言する学校の先生なんて居ないよね。塾や習い事のコーチなのかな
同級生にLDの子がいたので「あとで伸びる」とか悠長にしないでほしいと思う。
プロレベルを目指すのでなければ、ある程度は努力でいくと思う。どちらかというと差があるのは、GRIT力ではないか。みんな自己肯定感という言葉が好きだけど、自己効力感という方が適切な場合が多いよな、って思う
小学生を育てた人には分かる話だけど、低学年の頃からちょっとでも周りと違うともう絶望的なくらい問題児扱いされるんですよ。別にそこまでの教育は求めてないけどそれで個人のセンスを決めてつけてくれるなよ。
事実を述べてるのにそれを曲解したり俺俺解釈してるコメントって…
同じ人間なんだから同じ事できるはず、できるやつと何が違うのか、完全に真似をするにはどうすればいいか。出来るやつを観察して真似して教えて貰う。能力が低いって思ってるなら他人の2倍3倍努力する
小学生を教えていると「え? ここでつまずいてたの⁉︎ 」と思うことがよくある。思わぬところでつまずいてる。教える側の想像力やセンスが問われる年頃。
多様性と共生ってそういうことでしょう?何を今更としか思えない
いろんな教科があるのは適性があるかもしれないものを発見するためにあるのだと思うが勉強で一括りにして運動でセンスがあるかないかとか、マジ害悪な思想だよな。初めから頭が悪い人間がいるかのような言い分だ。
でも、コツコツやって体で覚える人の方が最高到達点は上だったりするからな。
小学受験やれば、幼稚園時点で人生が決まってることが分かるよ。積極的な発言、集中力、世界への興味、お友達への気遣い、年中で既に仕上がってる子らが都心にはいる。
音楽は別にそんなきょうだい差なかったな国語は明確にあった
なんで教育者の能力不足と考えないのだろう。多様性に溢れる現代では、環境の差を教育で乗り越えさせるなんて教師が相当優秀でなければ困難だよ。
冬生まれで、ずっとチビでかけっこ遅くていやだったわ…… センスちゃう、単に成長が遅いんよぉ…………個体のばらつきを認めてその上で指導してくれぇ…
発達の凸凹って、知能面だけではなく運動機能もそうなのだけれどあまり理解されてないなぁ・・・。体を制御するのは脳です。診断がつかない人も当然、発達は個人差があります。
だから図画工作とか家庭科とか美術とか技術とか数学とか「社会に出たら使わない」と言われるものでも色々学んで何が自分に合ってるか理解するのは大切だと思うんだよね。
某サッカーユースに入るときは両親、ジジババの身長を求められる。これが意味あるのか問題。
センスで片付けるのはさすがに言語化能力無さすぎて、それに教わる子も可哀想だなとしか…。
ないことはないだろうけども、それで自分の教えるセンスの無さを誤魔化さないでほしいね。 センスなんてほとんどの人がないけどどうやって頑張り続けるかを教えるのが初等教育だと思う
小学生じゃないけど、中学生の塾講師のときに数学(算数)が全くダメだった子の成績を伸ばした、そういう生徒が複数います。運動も体育の授業で基本的な動作を教えない、教師の怠慢が生徒の苦手意識を形作るのよね。
個人差があるなんてガキの頃に自分でわかるやろ?
発達の速さにも個人差があって、ある年齢ではどう教えてもダメだったのが、1年後にはスラスラわかったりするので、その時点での飲み込みの早さだけでその子の全てを分かった気になってはいけないと思う。
小学生の勉強や運動ができないだけで絶望することは何もないでしょ。
統計もなく、教えた人にしか分からないことは 蓋然性が低い。俺も塾講師の経験あるから言いたいことは分かる。でも ツイ主の思い込みでない証拠がない。
小学校は運動をまともに教えないからな。センス以外で差がつかないことだろう。
教師が骨の髄まで集団主義に煮詰まってる事が実によくわかる。子供を競争主義的視点からしか見ない。
幼少期にそれを理解するのが前提で、それでも個の違いや指導のやりがいに感じ入る人が教師という職を選ぶんじゃないのか…?
センスよりも、どう教えても自分が正しいはずだって聞き入れなかったり、自分ルール勝手に作ってしまったり、バツつけられても本当は…みたいな言い訳するタイプはやり辛い。どうしたらいいんだろ。
そこで自分の教え方のバリエーションを疑えるのが大人。
自分は高機能な自閉症なので、これはセンスという言葉が相応しいでしょうね。高校で数学で苦労したことはないけど国語・社会系科目は壊滅的。時代が能力の凸凹に寛容になり自分の子が羨ましい。悩みも多いけどね。
高い能力を見出されてしまうとその能力を中心に人生が決まって狭い選択肢に追い込まれるのを、助ける大人に教える仕事をしてもらいたいもの。
できる子とできない子がいる それは別に小学生だろうと大人だろうとなんも変わらん
こういうのをセンスで片付けてしまうのがダメなんだよ。本当は体の動かし方(思ってるようにも動かせてない)だったり、基礎以前の部分をちゃんと埋めてあげる必要がある。球技もしかりだぞ
その年令は単純に発達段階でしょ。これをみてセンスがないとかいって子供をつぶすんだろうな
向き不向きは確実にあるよな。「成長の度合いが」「環境が」「基礎練習が」というのはガチでできない子供を追い詰めて潰してしまう考え方。どれだけやってもできない子はいるんだよ。本人の資質の問題で
センスでしか差がつかないのは教え方が悪い定期 なんなら教えてるとは言わない定期
発達の差wこいつらが教育したら運動音痴とか撲滅できるんだろうなあw
発達やら基礎やら原因はともかくとして、結果として小学生で既にかなり大きな差があることだけは確かだろうね。
マシュマロテスト
周囲が適切に対応すれば解決できると他責思考がちらほら居る…
優生学的思考。ちなみに、名将のようなリーダーシップの素養は第二次大戦後の米国で盛んに研究されたが、結果として分かったのは環境影響が強く画一的な素養はないという事だけだったのはよく知っての通り。
勉強の不出来はある程度隠せるが(晒す教師もいるが)運動オンチは必ず周囲の晒し者になるのが恥ずかしいのよね。小学校だと運動できる奴の方が発言力も高いし
小学生を経験をした人には分かる話だが、先生の教え方にも絶望的なくらいセンスの差がある。