初恋の女性が忘れられなくて今でも自分のことを好きでいて欲しいと思っていた作者に共感できるかどうかで刺さるかどうかが変わります。言の葉の庭あたりで作者も吹っ切れたようです。
"どこにも行けない、なにもない、見る限り延々と同じ景色が続く。 都会はそんなことが全くなく、地図がなくてもある程度道がわかるほど刺激的です"
“電車賃高い”そりゃ地方衰退させたい自民党とそれに共感した公明党が地方公共交通を衰退させ、使いにくくしていたからじゃないか(´・_・`)
新海誠が長野の小海町出身であることは少なからず影響してると思う
おもろい観点やね。南関東だけで日本の人口の約3割居るんだから。刺さらせたいなら、ちかさと南関東の話で十分やな。「翔んで埼玉」が興行的に間違いない証左。
自転車を使えるだけ恵まれてるだろ
瀬戸内沿岸の地方都市だと、国道2号線、山陽道、山陽本線、山陽新幹線、眼の前の海を船が行き来し、東に行けば大阪に東京、西に行けば韓国や中国。国際ニュースに地元は絡むし、寂れても閉塞感はないかなあ
「小さい町の良いところは、ここではないどこかに行きたいと思わせてくれることだ」って誰かが言ってたな。
新海誠特有の陶酔感というか根暗でネチャアとしたじめっぽさが受け付けなかったかな? 初期作品は全般的に。
生まれ育った土地が創作物の作風に影響してくるというのは結構あると思うなあ
刺さる以前にあのラストが……
主人公は別れた後も好きでいて欲しいと初恋に囚われている一方で相手はとっくに過去のものとして先に進んでいるという話。主人公の気持ちもわからなくないがそこまで囚われるのはキモさあるよなという新海誠初期作品
昔から刺さるのは童貞だけって言われてたやろ。閉塞感という視点はおもろいが
高校生になってコレは厳しいな→"田舎は本当にこれ 車がなければどこにもいけないから、親の世界が自分の世界""地方都市の閉塞感 電車賃高いし自分の街からどこにも行けない""転校""自転車で行ける範囲が世界のすべて"
私は田舎で育ったので早い段階から東京に行って帰るチャレンジをしていた(楽しかった)。が、子供は手軽に東京に出れるので、そもそも飢えてない(このギャップに少し驚いた事がある)
だよなぁ、オラ東京だ行ぐだの精神で勉強頑張った、はず(道産子) クラスの大半は東京怖いって札幌どまりなのが理解出来なかった(公務員系か家継ぐ以外で地元に残る術は無い)
主題ってそんなところにあったっけ?
その解釈も足りない気がする。それなら東京に出れた貴樹はその時点でハッピーなはず。空間的距離(桜花抄)、精神的距離(コスモナウト)、時間的距離(秒速5センチメートル)、全ての距離に関する物語だと思う。
チェッカーズ世代。彼らは「なにもないこの街を飛び出して都会へ」を夢見る歌が多かったので、すごく影響された田舎民。10代自立精神ってだけじゃなくまじで地理要因あるね
東京の貴樹が栃木の明里に電車で会いに行く際の描写は閉塞感MAXだった印象があるけど、どうだっただろう。物理的な距離だけではなく切れかかってる関係の描写だが、明里が駅で待ってたのが貴樹にとってのその後の不幸
都会育ちの人が、田舎のノスタルジーな側面だけを取り出して、ウォッシュした作品多いよね
俺も新入社員研修が秋田の工場で、持っていた自転車で行ける範囲の狭さに絶望した。電車もあったけど、不便な上せいぜいけるのは秋田市…車のない高校生以下は必然的に閉塞状態に…
昔々当時の彼氏に観せられた時「映像はキレイかもしれないけどねぇ」「昔好きだった女をいつまでも想っていてもねぇ」と自分の感想を率直に言った。今思えば「今の彼女である私に向き合えよ」とも言えば良かったか。
都会近くでも郊外の方は似たようなもの。バスは来ない駅は遠い
高速バスで仙台行ってたりしてたけどな。行きたい人は行ってたよ。
車に対する思いも都会の人にはわからないからネットの意見になってるんだろうなと。車がないとどこにも行けない世界での車は親からの独立とかいろんな象徴になってる。
新海さんがエロゲ(はるのあしおとOP)時代から新宿駅擦り倒してるのも、長野からたどり着いた時に都会として新宿のインパクトが大きかったんだろうな、と秒速5センチ見た当時思った
毎回言うが新海キーワードは「脳内彼女」や。秒速は遠恋で彼女を脳内エミュしすぎて実際に会ったら「あれリアルって脳内彼女より可愛くないんじゃね」と気づき懊悩の果てリアルから逃げる話。
田舎の汽車(電車じゃないよ)は10分で10km以上の距離を動くが、都内はせいぜい10分で5kmしか進まない。だから都内で一駅程度歩くのは余裕だが、田舎だと「一駅歩くだと?」になるみたいな距離感の違いもある
お前ら子供の頃の両毛線なんか大冒険だろ?わかったら童心呼び起こして両毛線乗れ。
そら街中なら、中学受験の過酷な生活(or金が無くて公立に置いてけぼりの話)と、狭い住居にメディアにあるような住宅設備ができない生活と、満員電車の痴漢被害のほうが刺さるからな。世界が違うんだから仕方ない
自分の街(徒歩4~10分内)に全部有れば,他に行く必要等無いぞ. 電車や他の乗り物が必要な環境の者には自分がそうなる迄分からぬ感覚であろう.(丁度,はてな民が「車不便」と言うが車民はそう思わぬ様に,乗り物民が「乗り物
中学高校のときは郊外だったけど、学校以外に電車乗ってどこか行かないし、それで閉塞感もなかったので実感としては全くわからん/いろいろ忙しかったので、そういうことを考えてるのは暇だからじゃねえかとおもう
初恋の女性を忘れられないまではいいのだけど、自分に好意を持った女性を蔑ろにしてしまうのはちょっと…。まぁ高校の時は好意に気づかなった可能性もある…のか?
山崎まさよしの曲がとてもいい歌なのに映画によってストーカーソングみたいな印象になってしまってアレ
仙台駅の時刻表のリンク先が東北本線なのはミスリーディングだと思う(クソリプ)
何処にも行けないというか、「何処に行っても知り合いが居て新しく会う奴も知り合いの知り合い」という閉塞感な気がする。行ってない場所行くべき場所は沢山あるんだけども。
アニメだけ履修したけど内容全部忘れた。種子島だけ覚えてる。なんか、執着が凄くて成仏しない怨霊じみた恋愛の話のような気がしてるけど、実写だとまた違うのかな。
星を追う子どもまでの新海誠は人を選ぶってだけだと思うけど
都会には都会の閉塞感があるの。本筋に共感することは1mmもないけどこの台詞だけは覚えてる。『僕はただ働き続け、気づけば日々弾力を失っていく心がひたすらつらかった』
西のはずれのわが町に来たことある人は多いと思うけど、住む身からするとどこに行くにも佐賀を通らないといけないんだぞ
高校生以下の話だろうけど「出ていけなくて不満」じゃなく「不満だから出ていきたい」でしょ、因果が逆。お前と実家、地元の不協和を地方のせいにするなよ。
表題作の刺さる刺さらないは置いといて、行きたい人は行ってたと言える土地が羨ましい。無理なもんは無理な場所もある。地元は中高生だけではその年代の子が欲しい服が買える場所には行けなかった。
基本バイク車がないと遠出できないよね
ファスト風土化により自分の街から出たはいいが大都市(圏)以外どこにいっても同じような街なのに自分は異邦人みたいな感覚はちょっと面白いので経験できる人はしてみても良いような気はする
小山駅なのに
あれってそういう話なん? 地方の閉塞感って電車賃どうのじゃなくて精神的なものだと思うけどな(周りの圧力とか、地元にいないの?なんで?わざわざ外にでるの?的な)
P4のラストが今生の別れみたいになってるのがピンと来なかったのはこの辺か
実写版は尺が長い分だけ女子側の描写解像度が高くて、むかし好きだった男に会いたい気持ちより三十になった自分をキラキラしてた頃の自分しか知らない男に見せたくない気持ちが勝ったんだろうってことは理解できた。
あのアニメは曲が流れると、え?桜木町だった??ってなるのが一番東京西側や神奈川県民に刺さらないポイントだと思う。
栃木は南東北
岩舟は群馬県じゃなく栃木県。/約束の時刻に野木駅で足止め食らうシーン、大人(あるいは財力がある)ならタクシーで岩舟まで飛ばせばすぐなのになあ…と、子どものつらさを感じた点がなんかえらく刺さった記憶。
https://intelligencestudies.utexas.edu/wp-content/uploads/ninja-forms/3/24-7-help-guide.pdf
本当の田舎は電車通っているとこまで辿り着けない
関東なら金銭的にも時間的にも割と気軽に東京行けるからね...。
アニメしか見てないけど、そんな話だっけ?ハッピーエンドにならない話としか覚えてない
秒速に対してそのコメントは何かズレてる感じはするがなあ。親の都合で転々としてるから閉塞感ってのは少なそう。
秒速30万キロメートルで刺さった
秒速はそんな話じゃなくてクネクネしてるところに感情移入してオギャーってなる話だろ
>閉塞感は関係なく刺さらない人もいる そうよな、そして「刺さる人」にはある種の呪いともなる作品なんだよな…。ええ、自分も。
電車も廃線になる地方出身だけど全く理解できなかった。東京の人にはこういうのが刺さるんかなーと思ってた。
ネットがあるから何処に住んでいても関係ないと言えるのは、仕事仲間程度の関係性だからという側面はある。/家族、友人、恋人とは互いに触れられる距離で直接会う価値がある。
説明されてわかる話なら映画見た時点でわかるのでは。創作の物語は全部そうかと。
もう忘れてしまったが、見返したいとは思わなかった、という記憶しかない(「君の名は。」より前の作品は、だいたいそう)。本当の田舎者にとっては、都会者が言う田舎が都会に見える。うちはクルマもなかったよ。
この反転で新海フィルタを通した可能性に満ちたキラッキラの新宿があるのかな。
秒速5センチメートルが刺さらなかった私と友達(共に関東出身)に、東北出身の友達が『自分の街からどこにも行けない地方都市の閉塞感って異常なんだよ!』と力説してきた
初恋の女性が忘れられなくて今でも自分のことを好きでいて欲しいと思っていた作者に共感できるかどうかで刺さるかどうかが変わります。言の葉の庭あたりで作者も吹っ切れたようです。
"どこにも行けない、なにもない、見る限り延々と同じ景色が続く。 都会はそんなことが全くなく、地図がなくてもある程度道がわかるほど刺激的です"
“電車賃高い”そりゃ地方衰退させたい自民党とそれに共感した公明党が地方公共交通を衰退させ、使いにくくしていたからじゃないか(´・_・`)
新海誠が長野の小海町出身であることは少なからず影響してると思う
おもろい観点やね。南関東だけで日本の人口の約3割居るんだから。刺さらせたいなら、ちかさと南関東の話で十分やな。「翔んで埼玉」が興行的に間違いない証左。
自転車を使えるだけ恵まれてるだろ
瀬戸内沿岸の地方都市だと、国道2号線、山陽道、山陽本線、山陽新幹線、眼の前の海を船が行き来し、東に行けば大阪に東京、西に行けば韓国や中国。国際ニュースに地元は絡むし、寂れても閉塞感はないかなあ
「小さい町の良いところは、ここではないどこかに行きたいと思わせてくれることだ」って誰かが言ってたな。
新海誠特有の陶酔感というか根暗でネチャアとしたじめっぽさが受け付けなかったかな? 初期作品は全般的に。
生まれ育った土地が創作物の作風に影響してくるというのは結構あると思うなあ
刺さる以前にあのラストが……
主人公は別れた後も好きでいて欲しいと初恋に囚われている一方で相手はとっくに過去のものとして先に進んでいるという話。主人公の気持ちもわからなくないがそこまで囚われるのはキモさあるよなという新海誠初期作品
昔から刺さるのは童貞だけって言われてたやろ。閉塞感という視点はおもろいが
高校生になってコレは厳しいな→"田舎は本当にこれ 車がなければどこにもいけないから、親の世界が自分の世界""地方都市の閉塞感 電車賃高いし自分の街からどこにも行けない""転校""自転車で行ける範囲が世界のすべて"
私は田舎で育ったので早い段階から東京に行って帰るチャレンジをしていた(楽しかった)。が、子供は手軽に東京に出れるので、そもそも飢えてない(このギャップに少し驚いた事がある)
だよなぁ、オラ東京だ行ぐだの精神で勉強頑張った、はず(道産子) クラスの大半は東京怖いって札幌どまりなのが理解出来なかった(公務員系か家継ぐ以外で地元に残る術は無い)
主題ってそんなところにあったっけ?
その解釈も足りない気がする。それなら東京に出れた貴樹はその時点でハッピーなはず。空間的距離(桜花抄)、精神的距離(コスモナウト)、時間的距離(秒速5センチメートル)、全ての距離に関する物語だと思う。
チェッカーズ世代。彼らは「なにもないこの街を飛び出して都会へ」を夢見る歌が多かったので、すごく影響された田舎民。10代自立精神ってだけじゃなくまじで地理要因あるね
東京の貴樹が栃木の明里に電車で会いに行く際の描写は閉塞感MAXだった印象があるけど、どうだっただろう。物理的な距離だけではなく切れかかってる関係の描写だが、明里が駅で待ってたのが貴樹にとってのその後の不幸
都会育ちの人が、田舎のノスタルジーな側面だけを取り出して、ウォッシュした作品多いよね
俺も新入社員研修が秋田の工場で、持っていた自転車で行ける範囲の狭さに絶望した。電車もあったけど、不便な上せいぜいけるのは秋田市…車のない高校生以下は必然的に閉塞状態に…
昔々当時の彼氏に観せられた時「映像はキレイかもしれないけどねぇ」「昔好きだった女をいつまでも想っていてもねぇ」と自分の感想を率直に言った。今思えば「今の彼女である私に向き合えよ」とも言えば良かったか。
都会近くでも郊外の方は似たようなもの。バスは来ない駅は遠い
高速バスで仙台行ってたりしてたけどな。行きたい人は行ってたよ。
車に対する思いも都会の人にはわからないからネットの意見になってるんだろうなと。車がないとどこにも行けない世界での車は親からの独立とかいろんな象徴になってる。
新海さんがエロゲ(はるのあしおとOP)時代から新宿駅擦り倒してるのも、長野からたどり着いた時に都会として新宿のインパクトが大きかったんだろうな、と秒速5センチ見た当時思った
毎回言うが新海キーワードは「脳内彼女」や。秒速は遠恋で彼女を脳内エミュしすぎて実際に会ったら「あれリアルって脳内彼女より可愛くないんじゃね」と気づき懊悩の果てリアルから逃げる話。
田舎の汽車(電車じゃないよ)は10分で10km以上の距離を動くが、都内はせいぜい10分で5kmしか進まない。だから都内で一駅程度歩くのは余裕だが、田舎だと「一駅歩くだと?」になるみたいな距離感の違いもある
お前ら子供の頃の両毛線なんか大冒険だろ?わかったら童心呼び起こして両毛線乗れ。
そら街中なら、中学受験の過酷な生活(or金が無くて公立に置いてけぼりの話)と、狭い住居にメディアにあるような住宅設備ができない生活と、満員電車の痴漢被害のほうが刺さるからな。世界が違うんだから仕方ない
自分の街(徒歩4~10分内)に全部有れば,他に行く必要等無いぞ. 電車や他の乗り物が必要な環境の者には自分がそうなる迄分からぬ感覚であろう.(丁度,はてな民が「車不便」と言うが車民はそう思わぬ様に,乗り物民が「乗り物
中学高校のときは郊外だったけど、学校以外に電車乗ってどこか行かないし、それで閉塞感もなかったので実感としては全くわからん/いろいろ忙しかったので、そういうことを考えてるのは暇だからじゃねえかとおもう
初恋の女性を忘れられないまではいいのだけど、自分に好意を持った女性を蔑ろにしてしまうのはちょっと…。まぁ高校の時は好意に気づかなった可能性もある…のか?
山崎まさよしの曲がとてもいい歌なのに映画によってストーカーソングみたいな印象になってしまってアレ
仙台駅の時刻表のリンク先が東北本線なのはミスリーディングだと思う(クソリプ)
何処にも行けないというか、「何処に行っても知り合いが居て新しく会う奴も知り合いの知り合い」という閉塞感な気がする。行ってない場所行くべき場所は沢山あるんだけども。
アニメだけ履修したけど内容全部忘れた。種子島だけ覚えてる。なんか、執着が凄くて成仏しない怨霊じみた恋愛の話のような気がしてるけど、実写だとまた違うのかな。
星を追う子どもまでの新海誠は人を選ぶってだけだと思うけど
都会には都会の閉塞感があるの。本筋に共感することは1mmもないけどこの台詞だけは覚えてる。『僕はただ働き続け、気づけば日々弾力を失っていく心がひたすらつらかった』
西のはずれのわが町に来たことある人は多いと思うけど、住む身からするとどこに行くにも佐賀を通らないといけないんだぞ
高校生以下の話だろうけど「出ていけなくて不満」じゃなく「不満だから出ていきたい」でしょ、因果が逆。お前と実家、地元の不協和を地方のせいにするなよ。
表題作の刺さる刺さらないは置いといて、行きたい人は行ってたと言える土地が羨ましい。無理なもんは無理な場所もある。地元は中高生だけではその年代の子が欲しい服が買える場所には行けなかった。
基本バイク車がないと遠出できないよね
ファスト風土化により自分の街から出たはいいが大都市(圏)以外どこにいっても同じような街なのに自分は異邦人みたいな感覚はちょっと面白いので経験できる人はしてみても良いような気はする
小山駅なのに
あれってそういう話なん? 地方の閉塞感って電車賃どうのじゃなくて精神的なものだと思うけどな(周りの圧力とか、地元にいないの?なんで?わざわざ外にでるの?的な)
P4のラストが今生の別れみたいになってるのがピンと来なかったのはこの辺か
実写版は尺が長い分だけ女子側の描写解像度が高くて、むかし好きだった男に会いたい気持ちより三十になった自分をキラキラしてた頃の自分しか知らない男に見せたくない気持ちが勝ったんだろうってことは理解できた。
あのアニメは曲が流れると、え?桜木町だった??ってなるのが一番東京西側や神奈川県民に刺さらないポイントだと思う。
栃木は南東北
岩舟は群馬県じゃなく栃木県。/約束の時刻に野木駅で足止め食らうシーン、大人(あるいは財力がある)ならタクシーで岩舟まで飛ばせばすぐなのになあ…と、子どものつらさを感じた点がなんかえらく刺さった記憶。
https://intelligencestudies.utexas.edu/wp-content/uploads/ninja-forms/3/24-7-help-guide.pdf
本当の田舎は電車通っているとこまで辿り着けない
関東なら金銭的にも時間的にも割と気軽に東京行けるからね...。
アニメしか見てないけど、そんな話だっけ?ハッピーエンドにならない話としか覚えてない
秒速に対してそのコメントは何かズレてる感じはするがなあ。親の都合で転々としてるから閉塞感ってのは少なそう。
秒速30万キロメートルで刺さった
秒速はそんな話じゃなくてクネクネしてるところに感情移入してオギャーってなる話だろ
>閉塞感は関係なく刺さらない人もいる そうよな、そして「刺さる人」にはある種の呪いともなる作品なんだよな…。ええ、自分も。
電車も廃線になる地方出身だけど全く理解できなかった。東京の人にはこういうのが刺さるんかなーと思ってた。
ネットがあるから何処に住んでいても関係ないと言えるのは、仕事仲間程度の関係性だからという側面はある。/家族、友人、恋人とは互いに触れられる距離で直接会う価値がある。
説明されてわかる話なら映画見た時点でわかるのでは。創作の物語は全部そうかと。
もう忘れてしまったが、見返したいとは思わなかった、という記憶しかない(「君の名は。」より前の作品は、だいたいそう)。本当の田舎者にとっては、都会者が言う田舎が都会に見える。うちはクルマもなかったよ。
この反転で新海フィルタを通した可能性に満ちたキラッキラの新宿があるのかな。