学校の授業で読まされて「このあとどうなりましたか」とか「あなたならどうしますか」とか聞かれた嫌な記憶しかない。
タイトルだけでみくのしんさんってわかる
読まなくていいんだよ。ネタにするものじゃない。馬鹿は馬鹿のままでOK
授業ではこの物語から「謝る」には話が展開しなかったかもな。ディスコミュニケーションの悲しさだけで終わってたかも
ごめんなさいの話は皆すると思うので(実体験から駆除決意してるのもいい)、みくのしんさん短歌向いてそうと思った。自然や心情を一言一言練り上げてうたい上げる世界の人のように思える
やっぱ君か
ごんが観察者として登場する(主人公)のに、最後のシーンだけ兵十の主観に(カメラワークが)変わるという視点は興味深い
面白かった。情景描写から読み取る力がすごいし、作者の構成もそれだけしっかりしたものだと実感できた。最後の感想文は目が滑って読めなかった。
“なにこれ、NARUTOじゃん!!!”その発想はなかった。
“これ、子どもの頃に読んだら衝撃だって” むしろ虫を罪悪感なく殺せる小学生だからこそ受け入れやすいのかも。忠実なアニメ化で劇場版ごんぎつね作って読んだことない外国人とかに見せたらショックやばそう。
実は俺も読んだことない。だからごんぎつねの話されるとドラゴンボールやキン肉マンの話当たり前にされるのと同じ気持ちになる
ここ、優しい。ほんとそうだよなって思った。「撃たれて、ビックリして逃げ出して、それっきり二度と会うことはありませんでしたとさ……ってラストかもな/そうであれ!」 ごんぎつね、教材として秀逸すぎるよね
ごんぎつねであなたならどうする授業わりと聞くけど嫌だな。もっと昔話らしい意味不明なやつでやってほしい
なんか加助が弱虫ペダルの御堂筋みたいなネットリキャラに見えてきた
今までもそうだったけど、一般的に空想や仮定で曖昧に補うところをこの人はほとんどを自分の記憶から引っ張り出してくるまで読み進められない分描写の理解が生々しい。今回は地面を踏むことについての視点が面白い
舌打ちの音が「ちょっ」なの永遠に謎
途中で疲れてギブ。ここすき "み:害獣じゃね? か:なんてむき出しの言い方だ"
しばらく前に話題になってた「ぐずぐず煮られている物」についての誤解(誤予想)がまた出てきた。
読んだことない人が結構いるんだな。ゴンが親指を立てながら溶鉱炉に沈んでくラストが超感動的なのに。
みくのしんさんを通して読み直すの本当ありがたい
“絵本でも明朝体で書いてあると「うわ! 本だ!」とビビってた。文字の見た目だけで「賢い大人が読むもの」って思ってたな” 鋭い指摘
面白いが新美南吉記念館によると昭和55年から全ての小学国語の教科書採用なので不登校児でない限り初めてということはない。知ってるのに知らないフリという匂いが気になる。内容を忘れちゃったテイでやればいいのに
"煮葬???"ここで声出して笑ってしまった。小学生のみなさん、へんなおじいさんに呆れられても大丈夫です。令和では副編集長を務めているような立派な大人でもこういう発想になります
このシリーズ本当に好き
”亡くなった人に「ここで眠っててほしい」と思って選んだ場所なのかな〜とか思って、センチな気分になるんだよね” すごい。考えたこともなかった。
本当に本読まない人とは思えないほど文章から風景想像するの上手いな
…読んだ記憶ないのよね… 手ぶくろを買いには読んだけれど… 悲しい話過ぎて記憶から抹消したのかも
ごんぎつねは全ての教科書に採用されている教材なので、35才の人が読んでいないのはおかしいとマジレス。いろいろあったのだろうね。でも、このシリーズが大好き。
いやぁすごい。気付かなかった視点を見せてくれる。面白い。ごんぎつね習った時は泣いたな…
絶賛ごんぎつね履修中の小学生が、かまどとみくのしんのとこまで声に出して爆笑しながら読んでたけど、それを持って今日の音読の宿題は完了としました。「ごはん」のとこの受け方は凄かった。
彼岸花が踏まれた描写でしばらく葬式がなかったに繋がるのはすごいな
頭がおかしくなって死ぬ
みくのしんさんはビジュアルの人なんだろうなぁ。文字描写の脳内再現度が高い。
小学生の頃の興味のないことだと完全に忘れて、読んでないって思う人もいるでしょ。意地悪な見方をするなあ/お葬式のシーンでBGMが消えるという感触、なんとなくわかる
「ごんの目線で読んできた自分まで、急に異物扱いされたみたいでゾッとするわ」確かにカメラワークや照明効果やら視覚的情景を具体的に想起しつつ読むのがすごい あと「兵十は誰が許してくれるんですか?」がいい
あらすじくらいは気軽に語られているのを聞き及んでいたけど初めて全貌を知って茶化した扱いをしていいお話じゃなさそうって思いました(日本の小学校に通っていないため)
自分の間違いを認めないと、間違った自分のまま生きていくことになるんだって。「ごめんなさい」は相手への謝罪の前に、自分の軌道修正のために使うようにしたら? って教えてくれたでしょ かまど、良いこと言う
同時視聴ならぬ同時読書。リアクション動画って見たことないけどこんな感じなのか。…で、自分がごんぎつねを読んだことがなかったことに気づいた。あらすじと結末を知ってただけ。
俺も読書や講聴を映像化して解釈し、カメラワークや照明効果が出現する派なので共感する。子供の頃は想像が難しい物体が出てくると、読書を断念してたな。
読書の才能がありすぎる。うらやましい。こんなに深く読めるからこそ読書が苦手なんだと思う。
この読書体験、ゆる言語学ラジオで扱われていた「ビジュアルシンカー」という性質なのかもと思った。それにしても、こんなにも心を動かされながら読むなんて、きっととても素敵な人なんだろう。
サムネ更生した石丸信二かと思った。
すごい”秋の雨上がりって、街が早朝みたいな空気になって気持ちいいしさぁ〜!”
ごんぎつね読んだことないっていう設定が嘘くさすぎて。(これまでの読書したことがない、っていうのもそうだけど)
「兵十は誰が許してくれるんですか?」「「ごめんなさい」の土台ができてないと、何をやっても積み上がっていかないんです……。だから、初手で謝ることが大事なんですよ……」
今ちょうど4年生がやってて、親は毎日音読で聞かされる。3年生のちいちゃん、4年生の一つの花、からのごんぎつねは、毎日聞くのは辛くて読んだことにしていいよと言ってる。
このシリーズ好き
大人も泣くにゃ?ボクは最初から知ってたにゃ!ごん、罪深い男にゃ!
すごい。おれ、授業でごんぎつね2回やったけど、この読み方はホンマ先生が「そこ気づいて欲しいっ!」って目線ほぼ全部入り。教材研究したの?ちなみに「小きつね」であって「子きつね」ではないから子供ではない。
そういや書店で初めて本を読む人の本が出てたな。そう言う商売かよってなんか萎えたわ
和解パターン想定が、最後ふと顔を上げてごんを目にした兵十の視点に変わった"狐が家の中へ入った"でこの二人が絶対わかりあえない話と悟る辺りとか、読みのセンスがすごい。兵十は誰が許してくれるのか、は核心よね
明朝体苦手。"いいニュースか、悪いニュースかも分からないままソワソワするように、自分の態度が決められないときの居心地の悪さを感じるんだよ"
みくのしんの感想はいつも的確でたしかに、と思ってしまう
“小学校高学年になると自分の体に起こる変化を、キツネと一緒に勉強していく物語だったりするんじゃない? 『ごんぎつね』が保健体育の教材になるわけねえだろ” 考えてみると最後の晩餐なら必死においかける気が…
1人で読んだ時はなんとも思わなかったけど、みくのしんを通して作品に触れたらうっかり涙が出て出てきちゃったよ。読書の解像度が人より高すぎるんだろうな。だから少しの文章で膨大な情報量で処理しきれなくなる。
″お前、情緒の可動域ひろいな″ このシリーズはかまど氏の秀逸なツッコミを楽しむコンテンツでもある。
“絵本でも明朝体で書いてあると「うわ! 本だ!」とビビってた。文字の見た目だけで「賢い大人が読むもの」って思ってた” MS明朝の質の低さで、明朝体を採用するサイトが無かったため、日本人の明朝体離れが進んだ
算数等と違って国語の教科書は全部やらないのが普通なので、教科書に採用されてるから必ず読んだことあるとも限らん。大体最初のアンケート回答にその趣旨の話あるし。いちゃもんつけてる連中は日本語読めてないな
この人は本当にしゃぶりつくすように読むよなあ。自分もこんな感じで読めるかどうか試してみようかな
どうせ、みくのしんに感動させられるんでしょ!
中卒の運送業の漫画しか読まない身近なおっちゃんが初小説で北方謙三の水滸伝とか普通に楽しんでるからなぁ。自分には感動ポルノの亜種に見えた
景色が広がった。
“たった3行なのに、この2人が絶対に分かり合えないって伝わるのスゴすぎる!!! ” 言われてみたらこれホントその通りで、絶望感すごい。
久々にごんぎつね読んだけど大泣きしたわ、なんなんだろうなこの破壊力は
内容と関係ないけど、うちのダンナ(70歳)からついこの間「杜子春」の読み方を聞かれた。青空文庫で読めるし短いと言ったけど読まなかった。ちなみに好きそうだと思って紹介したなろうは私より読んでいる。
35歳の大人が初めて「ごんぎつね」を読んだらどうなるのか? | オモコロ
学校の授業で読まされて「このあとどうなりましたか」とか「あなたならどうしますか」とか聞かれた嫌な記憶しかない。
タイトルだけでみくのしんさんってわかる
読まなくていいんだよ。ネタにするものじゃない。馬鹿は馬鹿のままでOK
授業ではこの物語から「謝る」には話が展開しなかったかもな。ディスコミュニケーションの悲しさだけで終わってたかも
ごめんなさいの話は皆すると思うので(実体験から駆除決意してるのもいい)、みくのしんさん短歌向いてそうと思った。自然や心情を一言一言練り上げてうたい上げる世界の人のように思える
やっぱ君か
ごんが観察者として登場する(主人公)のに、最後のシーンだけ兵十の主観に(カメラワークが)変わるという視点は興味深い
面白かった。情景描写から読み取る力がすごいし、作者の構成もそれだけしっかりしたものだと実感できた。最後の感想文は目が滑って読めなかった。
“なにこれ、NARUTOじゃん!!!”その発想はなかった。
“これ、子どもの頃に読んだら衝撃だって” むしろ虫を罪悪感なく殺せる小学生だからこそ受け入れやすいのかも。忠実なアニメ化で劇場版ごんぎつね作って読んだことない外国人とかに見せたらショックやばそう。
実は俺も読んだことない。だからごんぎつねの話されるとドラゴンボールやキン肉マンの話当たり前にされるのと同じ気持ちになる
ここ、優しい。ほんとそうだよなって思った。「撃たれて、ビックリして逃げ出して、それっきり二度と会うことはありませんでしたとさ……ってラストかもな/そうであれ!」 ごんぎつね、教材として秀逸すぎるよね
ごんぎつねであなたならどうする授業わりと聞くけど嫌だな。もっと昔話らしい意味不明なやつでやってほしい
なんか加助が弱虫ペダルの御堂筋みたいなネットリキャラに見えてきた
今までもそうだったけど、一般的に空想や仮定で曖昧に補うところをこの人はほとんどを自分の記憶から引っ張り出してくるまで読み進められない分描写の理解が生々しい。今回は地面を踏むことについての視点が面白い
舌打ちの音が「ちょっ」なの永遠に謎
途中で疲れてギブ。ここすき "み:害獣じゃね? か:なんてむき出しの言い方だ"
しばらく前に話題になってた「ぐずぐず煮られている物」についての誤解(誤予想)がまた出てきた。
読んだことない人が結構いるんだな。ゴンが親指を立てながら溶鉱炉に沈んでくラストが超感動的なのに。
みくのしんさんを通して読み直すの本当ありがたい
“絵本でも明朝体で書いてあると「うわ! 本だ!」とビビってた。文字の見た目だけで「賢い大人が読むもの」って思ってたな” 鋭い指摘
面白いが新美南吉記念館によると昭和55年から全ての小学国語の教科書採用なので不登校児でない限り初めてということはない。知ってるのに知らないフリという匂いが気になる。内容を忘れちゃったテイでやればいいのに
"煮葬???"ここで声出して笑ってしまった。小学生のみなさん、へんなおじいさんに呆れられても大丈夫です。令和では副編集長を務めているような立派な大人でもこういう発想になります
このシリーズ本当に好き
”亡くなった人に「ここで眠っててほしい」と思って選んだ場所なのかな〜とか思って、センチな気分になるんだよね” すごい。考えたこともなかった。
本当に本読まない人とは思えないほど文章から風景想像するの上手いな
…読んだ記憶ないのよね… 手ぶくろを買いには読んだけれど… 悲しい話過ぎて記憶から抹消したのかも
ごんぎつねは全ての教科書に採用されている教材なので、35才の人が読んでいないのはおかしいとマジレス。いろいろあったのだろうね。でも、このシリーズが大好き。
いやぁすごい。気付かなかった視点を見せてくれる。面白い。ごんぎつね習った時は泣いたな…
絶賛ごんぎつね履修中の小学生が、かまどとみくのしんのとこまで声に出して爆笑しながら読んでたけど、それを持って今日の音読の宿題は完了としました。「ごはん」のとこの受け方は凄かった。
彼岸花が踏まれた描写でしばらく葬式がなかったに繋がるのはすごいな
頭がおかしくなって死ぬ
みくのしんさんはビジュアルの人なんだろうなぁ。文字描写の脳内再現度が高い。
小学生の頃の興味のないことだと完全に忘れて、読んでないって思う人もいるでしょ。意地悪な見方をするなあ/お葬式のシーンでBGMが消えるという感触、なんとなくわかる
「ごんの目線で読んできた自分まで、急に異物扱いされたみたいでゾッとするわ」確かにカメラワークや照明効果やら視覚的情景を具体的に想起しつつ読むのがすごい あと「兵十は誰が許してくれるんですか?」がいい
あらすじくらいは気軽に語られているのを聞き及んでいたけど初めて全貌を知って茶化した扱いをしていいお話じゃなさそうって思いました(日本の小学校に通っていないため)
自分の間違いを認めないと、間違った自分のまま生きていくことになるんだって。「ごめんなさい」は相手への謝罪の前に、自分の軌道修正のために使うようにしたら? って教えてくれたでしょ かまど、良いこと言う
同時視聴ならぬ同時読書。リアクション動画って見たことないけどこんな感じなのか。…で、自分がごんぎつねを読んだことがなかったことに気づいた。あらすじと結末を知ってただけ。
俺も読書や講聴を映像化して解釈し、カメラワークや照明効果が出現する派なので共感する。子供の頃は想像が難しい物体が出てくると、読書を断念してたな。
読書の才能がありすぎる。うらやましい。こんなに深く読めるからこそ読書が苦手なんだと思う。
この読書体験、ゆる言語学ラジオで扱われていた「ビジュアルシンカー」という性質なのかもと思った。それにしても、こんなにも心を動かされながら読むなんて、きっととても素敵な人なんだろう。
サムネ更生した石丸信二かと思った。
すごい”秋の雨上がりって、街が早朝みたいな空気になって気持ちいいしさぁ〜!”
ごんぎつね読んだことないっていう設定が嘘くさすぎて。(これまでの読書したことがない、っていうのもそうだけど)
「兵十は誰が許してくれるんですか?」「「ごめんなさい」の土台ができてないと、何をやっても積み上がっていかないんです……。だから、初手で謝ることが大事なんですよ……」
今ちょうど4年生がやってて、親は毎日音読で聞かされる。3年生のちいちゃん、4年生の一つの花、からのごんぎつねは、毎日聞くのは辛くて読んだことにしていいよと言ってる。
このシリーズ好き
大人も泣くにゃ?ボクは最初から知ってたにゃ!ごん、罪深い男にゃ!
すごい。おれ、授業でごんぎつね2回やったけど、この読み方はホンマ先生が「そこ気づいて欲しいっ!」って目線ほぼ全部入り。教材研究したの?ちなみに「小きつね」であって「子きつね」ではないから子供ではない。
そういや書店で初めて本を読む人の本が出てたな。そう言う商売かよってなんか萎えたわ
和解パターン想定が、最後ふと顔を上げてごんを目にした兵十の視点に変わった"狐が家の中へ入った"でこの二人が絶対わかりあえない話と悟る辺りとか、読みのセンスがすごい。兵十は誰が許してくれるのか、は核心よね
明朝体苦手。"いいニュースか、悪いニュースかも分からないままソワソワするように、自分の態度が決められないときの居心地の悪さを感じるんだよ"
みくのしんの感想はいつも的確でたしかに、と思ってしまう
“小学校高学年になると自分の体に起こる変化を、キツネと一緒に勉強していく物語だったりするんじゃない? 『ごんぎつね』が保健体育の教材になるわけねえだろ” 考えてみると最後の晩餐なら必死においかける気が…
1人で読んだ時はなんとも思わなかったけど、みくのしんを通して作品に触れたらうっかり涙が出て出てきちゃったよ。読書の解像度が人より高すぎるんだろうな。だから少しの文章で膨大な情報量で処理しきれなくなる。
″お前、情緒の可動域ひろいな″ このシリーズはかまど氏の秀逸なツッコミを楽しむコンテンツでもある。
“絵本でも明朝体で書いてあると「うわ! 本だ!」とビビってた。文字の見た目だけで「賢い大人が読むもの」って思ってた” MS明朝の質の低さで、明朝体を採用するサイトが無かったため、日本人の明朝体離れが進んだ
算数等と違って国語の教科書は全部やらないのが普通なので、教科書に採用されてるから必ず読んだことあるとも限らん。大体最初のアンケート回答にその趣旨の話あるし。いちゃもんつけてる連中は日本語読めてないな
この人は本当にしゃぶりつくすように読むよなあ。自分もこんな感じで読めるかどうか試してみようかな
どうせ、みくのしんに感動させられるんでしょ!
中卒の運送業の漫画しか読まない身近なおっちゃんが初小説で北方謙三の水滸伝とか普通に楽しんでるからなぁ。自分には感動ポルノの亜種に見えた
景色が広がった。
“たった3行なのに、この2人が絶対に分かり合えないって伝わるのスゴすぎる!!! ” 言われてみたらこれホントその通りで、絶望感すごい。
久々にごんぎつね読んだけど大泣きしたわ、なんなんだろうなこの破壊力は
内容と関係ないけど、うちのダンナ(70歳)からついこの間「杜子春」の読み方を聞かれた。青空文庫で読めるし短いと言ったけど読まなかった。ちなみに好きそうだと思って紹介したなろうは私より読んでいる。