今どき動画の時代なんだからそのシーンを動画に撮って送ればほとほとで納得してもらえるよ
「無言の帰宅」からだんだん離れて俺こんな物知りだぜ大喜利になりつつあるのでこの辺で止めといて欲しい。「無言の帰宅」の意味はわかっててもその事実を理解してない
ほとほと困り果てる。ほとほとはネガティブな感情につながる表現で使われているのじゃないかな。ほとほと叩くは不快な音を立てながら叩いているように感じる。トントンのほうがよさそう
自分が知らない→笑うのが理解できない。自分が不勉強だと思って生きるのが知性なんだよ
社内で若い編集の仕事チェックしてから、外部と連絡取らせればいいのにと思う。ある程度は下請けが教えるのは仕方ないにしても、育成丸投げかなと思うとめんどくさいよなあ。
編集者「“ほと”が二つだなんて…えっちです///」ではなかった/ そもそも擬音語・擬態語を新たに作り出すことは間違いではない。そんなことではエロ漫画や官能小説の編集は務まらないぞ!
べつにバカにした笑いじゃなければええやろ。変わった表現なんだし
擬音語だと思ったら辞書引かないけど
まあでも通じない言葉を持ち出して相手をマウンティングするのは良くないんじゃないかな? 多くの人に通じないということは、その言葉、すでに死んでるんじゃないの?
青空文庫、「ほとほと叩く」で検索、 1 件ヒット
知らないことは恥ではないが、笑う前に一呼吸して調べてみれば良いのにとは思う。
怪談みたいなしっとりした雰囲気のときに使うイメージなのよな。
高学歴だと余計に自分の知識の範囲が全てって自信持つんだろうな。学歴ないのでGoogleレンズが大活躍してるよ。
この表現を知らなかったであろうブクマカが編集者を謎擁護していて見苦しいな。
ほとほととトントンのニュアンスの違いとその必然性によりけりかなぁ
戸はペチペチでしょ。ち〇こで叩いたらね。
媒体や作者にも依るけど、一般人向けの記事とかなら修正してもらうかな。「無言」との線引きが難しいけど、認知度に大きな差があると思うので。
典型的な待ちガイルに蹂躙され私はコンパネをほとほと叩いた お客さん、台ホトは禁止ですよ
ただ「ほとほと」は竹を編んだ戸のように叩くとじっさいに細いものが擦れ合って「ほとほと」と聞こえなくもない場合に使うべきだとも思う
知らん表現だった。日本語は奥が深いねえ
おので切る音…なのか…
さすがに知らんわ。“笑われた”のところで引っかかるのかもしれんけど、この場合はむしろ逆に「これはちょっともう使えない言い回しやな」と勉強するケースでは。
足が痺れて立てないときギャグで「身体がなまってしまった!」と言っても伝わず色んな人に「そんな表現はない」と怪訝な顔されていたが、大学でサークル入ったらみんなジブリオタクで普通に通じて安心したことがある
その若い編集者は編集者向いてない
古文で習うやつ。状況によるが、普通ライターが書く領域では、一般に浸透した語彙にすべき
「いやだなぁ」ってテンプレ感あるね
宇宙兄弟の擬音語(シャツを着た時の「シャツッ」)とか面白がってるんだから「ほとほと」でもいいじゃん。
最近のこれ系の話題は全てにおいて、相手に調べろよと思うだけじゃなく、その使い方はもうしないかもと自分に戒めにして欲しい。死んでる言葉持ち出してることも多い
東大出ようが猿は猿だよ。受験勉強程度では猿は人間になれない。
よくある定型を外れると起きるヤツ/予備校の国語教師から似た指摘をもらったことがある/編プロ時代には若い部下が老作家にやらかしたのを目撃した。慌てて叱責したが、作家は穏やかに「考えてみます」と応じた。
書き手(の側)から編集者を下に見たい欲は感じられる。さほど文章が上手いとも思えない村上春樹も「作家より文章が上手い編集者は困る」とか書いてたしな
エロいからやめましょう
やきゅやきゅ
わざわざ東大を付けたくなるのコンプか何かなのか、知念サンにも当たってたし、、、
わざわざ東大出って書いてあるところが嘘松感
平安時代だと「ほ」は「ポ」という音だったというオチとか?
この手の編集者の話は全て月刊少女野崎くんの前野さんで脳内再生してしまう
たしかに竹の網戸はほとほと言いそう
こうゆう「私は世界の全てを知っている」全知全能系編集者の話題が定期的に出てくるのは何故なのか
知り合いのライターから”戸をほとほと叩く”という表現を使ったら若い編集者から「いやだなぁ、戸はトントンとかドンドンでしょ」と笑われたという話を聞いた
今どき動画の時代なんだからそのシーンを動画に撮って送ればほとほとで納得してもらえるよ
「無言の帰宅」からだんだん離れて俺こんな物知りだぜ大喜利になりつつあるのでこの辺で止めといて欲しい。「無言の帰宅」の意味はわかっててもその事実を理解してない
ほとほと困り果てる。ほとほとはネガティブな感情につながる表現で使われているのじゃないかな。ほとほと叩くは不快な音を立てながら叩いているように感じる。トントンのほうがよさそう
自分が知らない→笑うのが理解できない。自分が不勉強だと思って生きるのが知性なんだよ
社内で若い編集の仕事チェックしてから、外部と連絡取らせればいいのにと思う。ある程度は下請けが教えるのは仕方ないにしても、育成丸投げかなと思うとめんどくさいよなあ。
編集者「“ほと”が二つだなんて…えっちです///」ではなかった/ そもそも擬音語・擬態語を新たに作り出すことは間違いではない。そんなことではエロ漫画や官能小説の編集は務まらないぞ!
べつにバカにした笑いじゃなければええやろ。変わった表現なんだし
擬音語だと思ったら辞書引かないけど
まあでも通じない言葉を持ち出して相手をマウンティングするのは良くないんじゃないかな? 多くの人に通じないということは、その言葉、すでに死んでるんじゃないの?
青空文庫、「ほとほと叩く」で検索、 1 件ヒット
知らないことは恥ではないが、笑う前に一呼吸して調べてみれば良いのにとは思う。
怪談みたいなしっとりした雰囲気のときに使うイメージなのよな。
高学歴だと余計に自分の知識の範囲が全てって自信持つんだろうな。学歴ないのでGoogleレンズが大活躍してるよ。
この表現を知らなかったであろうブクマカが編集者を謎擁護していて見苦しいな。
ほとほととトントンのニュアンスの違いとその必然性によりけりかなぁ
戸はペチペチでしょ。ち〇こで叩いたらね。
媒体や作者にも依るけど、一般人向けの記事とかなら修正してもらうかな。「無言」との線引きが難しいけど、認知度に大きな差があると思うので。
典型的な待ちガイルに蹂躙され私はコンパネをほとほと叩いた お客さん、台ホトは禁止ですよ
ただ「ほとほと」は竹を編んだ戸のように叩くとじっさいに細いものが擦れ合って「ほとほと」と聞こえなくもない場合に使うべきだとも思う
知らん表現だった。日本語は奥が深いねえ
おので切る音…なのか…
さすがに知らんわ。“笑われた”のところで引っかかるのかもしれんけど、この場合はむしろ逆に「これはちょっともう使えない言い回しやな」と勉強するケースでは。
足が痺れて立てないときギャグで「身体がなまってしまった!」と言っても伝わず色んな人に「そんな表現はない」と怪訝な顔されていたが、大学でサークル入ったらみんなジブリオタクで普通に通じて安心したことがある
その若い編集者は編集者向いてない
古文で習うやつ。状況によるが、普通ライターが書く領域では、一般に浸透した語彙にすべき
「いやだなぁ」ってテンプレ感あるね
宇宙兄弟の擬音語(シャツを着た時の「シャツッ」)とか面白がってるんだから「ほとほと」でもいいじゃん。
最近のこれ系の話題は全てにおいて、相手に調べろよと思うだけじゃなく、その使い方はもうしないかもと自分に戒めにして欲しい。死んでる言葉持ち出してることも多い
東大出ようが猿は猿だよ。受験勉強程度では猿は人間になれない。
よくある定型を外れると起きるヤツ/予備校の国語教師から似た指摘をもらったことがある/編プロ時代には若い部下が老作家にやらかしたのを目撃した。慌てて叱責したが、作家は穏やかに「考えてみます」と応じた。
書き手(の側)から編集者を下に見たい欲は感じられる。さほど文章が上手いとも思えない村上春樹も「作家より文章が上手い編集者は困る」とか書いてたしな
エロいからやめましょう
やきゅやきゅ
わざわざ東大を付けたくなるのコンプか何かなのか、知念サンにも当たってたし、、、
わざわざ東大出って書いてあるところが嘘松感
平安時代だと「ほ」は「ポ」という音だったというオチとか?
この手の編集者の話は全て月刊少女野崎くんの前野さんで脳内再生してしまう
たしかに竹の網戸はほとほと言いそう
こうゆう「私は世界の全てを知っている」全知全能系編集者の話題が定期的に出てくるのは何故なのか