かわいそ。クソみたいな料理教室のクソが誰も幸せにしていない。不幸の生産装置だ。この世に不幸しか振り撒かない、悪意の煮凝りだ
コレクター的な趣味とかで、そのコレクションの一部が失われるともうすべてがどうでもよくなる心理とかに似てる気がする。趣味というのはそういうものなのかもしれないね。
同人でもめっちゃ見た。人間関係のいざこざで「趣味で好き」がトラウマを思い出す原因になって離れるやつ。あの時我慢せずに言えばよかったって後悔で引きずるんよね・・耐えた自分を褒められればいいのだけど
ゴーストが囁くんだけど、生成AIが書いた文章っぽく思えるんだよなあ。
趣味を仕事にすると嫌いになるみたいなパターンかも。
これを印刷して近所のメンタルクリニックで読んでもらってアドバイスというか供養をお願いしますって話してみたらいいんじゃね?
料理が趣味だった友人が、猟やキノコ採取まではじめた。鍋だって奥は深い。
料理好きを自認するなら少なくとも鍋の素使うなやw。
料理教室の主は、増田が来なくなってマウント取れる人がいなくなったことが許せなくて長文を送ってきたのでは。モラハラ配偶者の恨み節みたいなものかと。増田が傷つく必要はカケラもないと思う。
決定的な事件がふんわりとしてるので、判断できないですね。料理が趣味ですって、3種の神器クラスだと思います。
お疲れ様。料理教室の件は本当にお気の毒と思う。料理を趣味にするのは自分のために料理できるだけの時間とお金と気持ちの余裕ができてからでよいのでは?と思う。それまではたかが料理でよいと思うよ。
されど料理、腕と知識でいくらでも工夫できてしまう
私の場合、生涯かけて憎み続けるしかないと思っていたとある分野から足を洗ったら憎しみも一切消えて、けど10年経った今その分野に戻ってる。感情って分からんものよ。
長い読まない
余裕があって必要性が低くないと趣味にはならないんだよねぇ。料理はすごく好き。作り上げる過程で自尊心を取り戻すというか単純なんだけどやり遂げることで満足を覚えるから好き。
そのおばさん先生は論外だけど、鍋物を「スーパーの鍋の素買って、そのパッケージに書いてある材料を切って煮ただけの食べ物」と思ってるなら、まだまだ料理の幅が狭い気がする。明日、うちに来てください、本当の鍋
まあそのおばさんのことはゆくゆく忘れていくとして、年取ってまたライフスタイルが変わる頃に料理しようかなって思ったり思わなかったりでいいんじゃないすかね。気づいたら鍋奉行になってるかもしらんし。
AIを元にして編集された創作だと思う。構成が整いすぎてAIっぽいのに、急に人間味が溢れる表現が部分的に出てきて、違和感がある。そこだけ自分の手で書いたんだろうね
悲しいなぁ…手の込んだ料理程愛情を感じる(伝わる)ものも他ににないのにな。ババアは無視しよう、心から消そう。何故ならきっとババアはもう忘れてる。貴方だけ覚えてて自らダメージを負い続けるのはめちゃ損だ。
“母親自身はその図鑑の写真にしか用がなかったらしくすぐに使わなくなったが、私はその図鑑に夢中になった”付け入るすきがあるなら、生クリームやカスタードだけでも作ってほしいな。余裕がないと遊びもなくなる…
お疲れ様です/『あすけん』はダイエットを目的とした20~30代女性を中心に会員数を伸ばしている、とのことだが、家庭にこそ『あすけん』が必要だと思う https://www.ghf.co.jp/news/59040
料理おばさんはモラハラとかパワハラする人と同じ特性のある種の人格の障害持ちの人じゃないかな。貰い事故みたいなもんだから避けようがないけどしんどいよね。嫌な記憶が消えますように。
"スーパーで1万円以上買ったときのレシートみたいな長文LINE" ここでちょっとクスッときた。そんなクソLINEはレシート以下、ゴミじゃん。ゴミはゴミ箱へ
趣味なんてたいがいそんなもんです。
かなりわかる。あんなに料理が好きだったのに結婚した夫が偏食で好きな料理できなくなってただの苦行というかただのルーティンでしかなくなりわたしの趣味はなくなった。
鍋も凝ろうと思えばいくらでも凝れるので、家族が鍋がいいっていうから料理に張り合いが出ないというのは違和感。洋菓子、洋食専門だったのかしら…。料理教室の件は本当に気の毒。すぐ逃げるのが大事ですね
土井善晴先生の発言は、自分の父親が世間に与えた「一汁三菜」の呪いの解放、禊的な面もあると思う
別に周りの環境や嗜好の変化で趣味が変わるなんて全然あるんだからそう悲観的にならなくて良いじゃん。新しくやりたいこともあるようだし充実してるじゃない。
増田はようやっとる
ああ…かなしいね。日々の炊飯と趣味だった方のご馳走づくりをどちらも「料理」と呼ぶと混乱しやすそう。自分なりに愛しやすい/愛さなくても済む呼び方が見つかるといいかもね。お疲れさま。共感した。
増田の作った鍋はきっと美味しいんだろうな
鍋は手間の割に取れる栄養が完璧に近い、完成度の高いごはんだよね。/「しなければならないからする」になると、どんな趣味でも嫌気が差すと思う。子供さんが大きくなって、また「したいからする」日が来るといいね
料理教室の件は増田もわかってるようだけど全くその通りなので時間が経ってまた作りたくなったら色々と作り始めたら良いと思うよ。土井先生の家庭料理は適当で良いは意味を取り違えてると思うので著書を読んでみて
菓子作りは家族が消費役として巻き込まれがちだから、独りよがりになりがちで危険なんだよね。あと言い方悪いけど、たかが趣味なんだからもっと軽く考えれば良い話なのに、全方位にネガティブで読んでてイライラする
たかが部活・月島の逆パターンだ。「それがお前が料理に冷める瞬間だ」
料理が趣味の人が作る"美味しい"を追求したご飯が太りやすい(例:バターを大量投入)のは分かる。日常のご飯とハレの日のご馳走を分けて考えたらいい気がするんだけどな。日常ご飯は旦那さんの担当にするとか。
料理教室の件は気の毒…。土井先生は気にしなくていいんじゃないかな。料理好きな人は以前の増田みたいにスキル上げするだろうし、料理嫌いな人は土井先生がいなくてもスキル上げあんまりしない。
ババアの件お気の毒だし生活と切り離せないものにトラウマ植え付けられるのダルすぎる。同世代、生活の変化に伴い趣味がなくなるよねぇ。
煮込みやお菓子作りが楽しいのは料理が趣味のものとしてもわかるけど、次は野菜の副菜を自作レシピで作ってみるとかどうですか?うちはキッチンが狭くて手の込んだものが中々難しいので創作を主に楽しんでます!
まぁ、どんなに一生懸命作ってもCookDoみたいなインスタント出すほうが『美味しい』って普段より言われたりするんだよね。やる気なくなるよね。
おばさんに喧嘩売られて殴らなかったからでは。物理か裁判か方法はともかく、泣き寝入りしたからトラウマになってるんだよ。舐められたら殺せってのは、尊厳は死んでも守れってコトでさ。
きっとこれはまた何かのきっかけで料理が好きになってカタルシスを得るまでの伏線だよ増田
今が落ち着いているならそれでいいんだけど料理に限らず「趣味」との距離を適度に保てない人は生きづらいだろうなと思う。まあそういう中から大成する人も出てくるんだろうけど。
人間はどの瞬間に「老害」ばら撒くジジイババアになるのかと長年観察してたが、変化の瞬間は無くて、単に生まれたときからだった。核廃棄物みたいな存在だから、近くにいるだけで被爆させられるんだよね。わかる
ライフスタイルの変化で作れる料理が変わるのはわかる。ダイエットとか考えるとお菓子とかパンとかうっかり作れないし。まあでも一番の原因はおばさんぽいな
https://www.viainfo.net/wp-content/uploads/formidable/67/webull-1.pdf
料理は食べて完成するから難しいな
誰かAIぽいと書いてたけど、男性っぽい気がする
子供のゲーム熱を冷ませる策として、毎日のノルマにするってのがあったよね。
①鍋の素をバカにしてるコメ。文脈理解できてないっぽい。そういう意味じゃないよ。②料理教室のババアからのLINEは訴えたら十分勝てるはずだから地獄を見せてやれ。
料理が趣味で作り続けてきた人が、「鍋は鍋の素に切った具材入れるだけ」で満足できるとは思えないんだよな。鍋の素、家人が好きらしくてよく使ってるが、正直言って美味いと思った事ない。
その先生ともっと激しくレスバしてコテンパンに叩きのめせば、やる気が出るのでは?文面は今ならAIでも増田でも使い放題
「飽きた」でおk
ではホットクック教へ入信ですね。切った具材を分量通り入れてボタンポチでそこそこ美味しい。もっとクック追加したらさらに美味しくなる
今は一旦休んで、また気が向いたらやればいいんじゃないかしら。子供が大きくなれば増田の作るお菓子を喜んで食べることもあろうよ。
料理教室の事件ひどいな
習い事でそんなことある!?
結婚と子育てという生活の変化、パートナーのダイエットへの適応…は頷けたのだけど、料理教室のくだりがあまりにも不遇すぎて同情。
3はかわいそうすぎる
おいお前、その包丁は何のためにあるんだ(過激派)
ブコメで結構こうゆう人がいると知って衝撃
「オタクを降りる」ってこんな感じなのかなと思ったら「同人界隈で見た」というブコメがあり、ううむ、と唸ってしまった。
これから10年とか20年の時を経て、モラハラおばさんの記憶も薄れ夫や子どもの比重も下がるころにまたじわじわ料理に興味が出てくるかもしれない。料理は日常に結びついてるからきっかけはどこにでも転がってる
料理教室ショックが尾を引いてる感じだ…/小池田マヤさんの「日用の糧」という話の中で出てくる言葉『家事はつまらない毎日を生きる力をつけるもの』凝らずともそう思いながら料理してる。たかが料理。されど料理。
歳とってから料理始めたけど、季節の食材を美味しく頂けるだけで生活に彩りが出始めた。なのでまた心に余裕ができたら好きになればいいんじゃないかな。
趣味を辞めるだけなのに固執してるのは何故?トラウマだけ邪魔してる気がするが嫌な事は忘れるに限るよ?私は料理好きなのに家族全員偏食なので家族分料理してる。自分の為の料理は解体どデカ食材骨とか煮込むの好き
ゆっくり休んで、自分のために作りたくなった時にまた趣味にしたら良いと思う。お疲れ様です。
時間をかければある程度風化していくとは思うけど、また料理を作りたいと思えるようなきっかけを作れたら治癒が早まるのでは。ババアのせいでついた傷なら、増田の料理を喜んでくれる別な人との記憶で上書きしては?
「スーパーで1万円以上買ったときのレシートみたいな長文」。芥川賞取れそうな比喩だ。一部ブコメには「エーアイAIウッセーわ AIだとしたら何なんだよ」と言いたい
土井善晴の活動に同意できないところはとても同意。お父さんが料亭のように丁寧な和食を家庭に広めたことへのバランス取るためにしても、ちょっとやりすぎやんな…。
距離を取るってのも一つの手なのね
料理は冒険ってわかるなぁ。私は日常の料理が嫌いだけど、日本では外食でも食べられはなさそうな世界のメニューを作るのは楽しい。図書館で世界のレシピ本見るのも楽しい。
子どもが手を離れて暇になったらまたやってみたらいい。誰のためでもなく自分自身のためにな。
そんな好きじゃなかったって事だろ。自分は家庭のタスクとして週3〜7の夕食を作るが残り物で作るのも何日も仕込んだ肉を扱うのも短時間で作るのも全部楽しい。お膳立てされた環境じゃなきゃできない人っているよね。
もったいない!日々のタスクとしての食事作りと別に、週一回(一食)でも趣味のレシピを作る余裕があるといいのですが。家族以外を呼んで振る舞う場が作れたら、作る喜びも反応も得られて一番いいんですけどね。
料理、趣味にするには生活と紐付きすぎてるんだよねえ。作ったら食べなきゃいかんし。
私も経験ある。小さい頃から毎日絵を描いてたけど、高校でやっと入れた美術部の先生が合わなすぎて、美術部と共に絵を描くのもやめちゃった。しかもそれがなぜか自然と受け入れられたという…
料理は創造的行為であり、一種の自己表現なので、それに没頭することで癒しとして機能すると感じている。元増田が料理とはまた別の創造的行為に没頭できるように祈っているよ。
何か毒が回って魔女化しとるが。トラウマとか言うのに縛ってるのは自分自身やで。やる気とかそういうのは自分で制御して出すもの。ええ年してるなら気分を乗りこなすようにならんとなあ。
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美味い飯の腕は財産だよ!あとおばさん先生に引くほど長いLINEを今から送ってやろうよ!お前のせいで料理が嫌いと。言われっぱなしで置いておいて増田の中の傷が塞がらないなら、やっとこ!送りつけてブロックしよ!
ヤバい料理教室に当たった事故と思って忘れよう。自分はハレとケで平日は手軽なケ・土日とか時間がかけられる時はハレの料理と分けてる。子が大きくなりスパイスとか癖ある料理も増えた。しばし間をおくのもいいかも
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料理教室ババアみたいなやつを退治するための土井善晴先生だと思ってたよ
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絶対誰かしら「人」のせいだろうなという予感はしたけど終始理性的で偉いなあ。ばばあのフルコース位考えてもええんやで。
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なんで料理教室なんやこいつって思った瞬間にやめなかったんだろ
子育て終わったら、余裕もできて趣味に戻るかもしれないけど、ともかく料理教室の人には増田は怒り狂ってもいいと思う。ホントなんだその人。
土井先生は一汁一菜でいいと言いつつも旬の食材を使うとか、凝りすぎずに料理を日常として楽しむことも大切にしてるので料理をまた好きになれるかもよhttps://open.spotify.com/show/4GlVqMs60smKfu8gg45fsM?si=_j7I7ILlQHmCazpWk0Gp9A
未だに独身なので料理は趣味で居続けてるけど、義務感が芽生えた瞬間にそうなるのかな と。「たかが料理」という心は持ち続けておかないといかんな。週7で料理するのと週7でパチンコ行くの、本質は同じだと。
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最後の段の話に関連するけど流行りのレシピ本みたいなの見ると使う食材3つだけみたいなのばっかりでいいんかなぁこんなんでみたいな気持ちになったりしなくもない的な感じがある
料理教室のおばさんキツすぎる
趣味から料理が消えた話に共感しつつ、ホームパーティーで料理を振る舞うことができれば趣味として復活する可能性もあるかもしれない。特に(人によるけれど)各国料理は喜ばれることも多くそれがヒーリングになるかも
いや、自身の吐露ww、ご苦労様。子供が成人したら、お菓子を作るひとときが必ず来るから。その時は昔取った杵柄は必ず生きてくるから!
うーん おこさんが大きくなったらおいしいレストラン巡りをすべきだと思う インプットでおいしいを補充するとアウトプットにつながりそう
「料理が趣味じゃなくなった自分」を責めなくていい。失ったんじゃなくて一区切りついた。増田の料理の情熱は、ここにちゃんと残った。
典型的なトラウマ体験だ。料理自体に逃走/闘争感覚があるならしばらくパートナーに代わってもらうとか距離を置いて自分の位置を見直せると良いんだけど。
BBAの加害性がすごい
好きなことの位置付けが、趣味「程度」だと確かに意欲の有無で左右されるよ。仕事にしちゃうとあまり消えない。創作系は特に思い入れはないけど〇〇は滅茶苦茶できるという人はよくいて、一種佇まいがあるよね
"使ったことのない調味料を使って食べたことのない料理を作って食べる""美しいお菓子の写真は眺めるだけで楽しく、またレシピを隅から隅まで読んで、それを実際に作っているのを想像するだけで楽しかった" 共感する
料理教室の下りで柚木麻子「BUTTER」思い出した。増田みたいな人こそあの料理教室に通えたら良かったのに。ヤバい生徒はいるが…
趣味でなくなったとはいえ、若い時にやり込んだ技術は身に付いて日々を助けているのでは。増田がきっと当たり前に出来る包丁さばきとか、複数タスクを回しながら作る方法とか。後から義務感では身に付かないのよ。
LINE送りつけて来られたのは法的に精神的苦痛として対処出来ないことなのかと思ってしまう。あたりやみたいな話では。
「土井善晴氏は「家庭料理なんて適当でいいんだよ」的な趣旨の発信でメシを食っている人」「家庭料理の質やスキル向上には寄与せずに、むしろその質を全体的に底下げ」
原因の9割は3だろwwwwwwww 趣味のいいところは飽きたら休めるところ。料理は休みにくいのが大変。料理も惣菜買ってきたり楽をする回、適当に作る回、気合いを入れて新料理を作る回とか、意識して強弱をつければいいよww
マウントおばさんやばすぎる…。そしてうまそうな洋食も中華も基本脂質とカロリーおばけだからね…旦那さんきちんと全部食べてくれてたんだねぇ。基本和食にして週に1回くらいおしゃれなの作る、で丁度よさそう。
個人でやっているものはPTSDとなる加害性のものが含まれると理解できた
めちゃわかる。夫に加えて子供も偏食というか嫌いな食材はそこまでないがこだわりが強いので自分が食べたいものを作ってもな、みたいなのと仕事しながらあんまり工数かけられないので楽しいとか達成感とかなくなった
長げぇ。ニコニコ動画タイトル風要約:【悟り】「たかが料理」で平穏を取り戻す【哲学】タグ #料理悟り #家事割り切り #精神安定
料理教室で反撃しなかった増田がよく耐えたんだよ。偉かったよ。反発したらしたで後悔したよきっと/同居人がいると、本当に料理の幅が狭まるよね……わかるよ……作りたいものが作れないのストレスだよね
趣味は情熱が冷めても自分の中に知識や技術として蓄積されたものがあるよね。ちなみに鍋も奥深い料理で、マツコの知らない世界の鍋つゆの素の回面白かったし、色々な国内外の鍋のレシピを集めた料理本も楽しい。
趣味を楽しみたい人をそこから弾き出してしまうのは同じカテゴリーにいる年長者、というのはよくある話。自分もそうなってしまわないよう気をつけたい。
夫はダイエットで無理でも子供にお菓子作るとかつての増田みたいに目を輝かせて喜ぶんじゃないだろうか。
そんなにやってるなら仕事にしたらと思ったけど、余計に嫌いになっちゃうかもな
3が最悪、嫌な人間を集合させて煮詰めたみたいな人間だ
3の事件は置いておいて、他はわかりみが深い。私は平日は「鍋」的なものを土井善晴的メンタルで作り、土日に海外の家庭料理やネットで見つけた美味しそうな料理を作りバランスとって今でも趣味は料理だわね
音楽趣味からウクレレへ
たぶん縁があればまた戻って来るし、別の事を好きになってもいい。無理しないでね
趣味仲間が出来るとまた違うかもな。料理ってお互いに美味しい美味しいって作りあうと楽しい。自分1人だと作らん。
最後に唐突に土井先生が不当に貶されていてビックリした。進撃の巨人の予告マンガのようだ。(特に理由のない暴力がライナーを襲う!)
情熱失うの分かるわ。別のことに目を向けてるとそのうちまた興味が戻って来るけど以前ほどの情熱はもうない
悲しいような、生活と折り合いつけれてよかったね、なのか複雑な気持ちになるな
増田は土井先生と同じ過程を辿っている気がする。素材には永遠に勝てないのよ。
趣味のハイレベルと義務の家事が混ざると、家族にハイレベルの感謝を要求することになり家族が感情的に疲弊する。家事をハイレベルにしたいのが本人だけの場合、感謝は徴収できないことを割り切れる人はあまりいない
楽しいと思うものや気持ちに他者を介入させることは悲しい思いをするリスクがある。そして、このリスクは認識されづらいうえに、メンタルを既存したり自尊心を喪失したりするダメージが大きいのだろう。
“スーパーで1万円以上買ったときのレシートみたいな長文LINE” で笑った。LINEってそんな長文送れるんだ
一部わかります。結婚してから、料理は人の嗜好に合った食事を急いで作らなくてはならないというタスクになってしまい、ただただレシピを見てその通りにするだけの作業になってしまったという側面はあるように思うの
AI作文を(多少いじったとして)増田に貼ってバズったとして嬉しいのかな、それ。まったくわからない感性だ。/やっぱAIだよねこれ
3の件辛すぎるでしょ…。とりあえず今は休憩!ということで、脇にそっと置いておく感じでいいのでは。また興味がわくときも来るかもしれない。増田にいいことがありますように。
謙遜してるけど料理好き(元)の人の作る鍋は一味違うと思うよ。/土井先生は、一旦「頑張らなくていい」ってメッセージを発して、その後でモチベに応じて凝ればいい、って感じじゃないかなあ。
なんてそんな意味不明な料理教室に通い続けるのか意味不明なんだけど。1年分の月謝まとめて払ってるとかか?だとしても不快になってまで通い続けるのはアホでしかないだろ。
私の趣味から料理が消えるまで
かわいそ。クソみたいな料理教室のクソが誰も幸せにしていない。不幸の生産装置だ。この世に不幸しか振り撒かない、悪意の煮凝りだ
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土井善晴の活動に同意できないところはとても同意。お父さんが料亭のように丁寧な和食を家庭に広めたことへのバランス取るためにしても、ちょっとやりすぎやんな…。
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料理は冒険ってわかるなぁ。私は日常の料理が嫌いだけど、日本では外食でも食べられはなさそうな世界のメニューを作るのは楽しい。図書館で世界のレシピ本見るのも楽しい。
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料理、趣味にするには生活と紐付きすぎてるんだよねえ。作ったら食べなきゃいかんし。
私も経験ある。小さい頃から毎日絵を描いてたけど、高校でやっと入れた美術部の先生が合わなすぎて、美術部と共に絵を描くのもやめちゃった。しかもそれがなぜか自然と受け入れられたという…
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災難でしたな。こうして文章にすることで供養になり忘れられるといいね。
美味い飯の腕は財産だよ!あとおばさん先生に引くほど長いLINEを今から送ってやろうよ!お前のせいで料理が嫌いと。言われっぱなしで置いておいて増田の中の傷が塞がらないなら、やっとこ!送りつけてブロックしよ!
ヤバい料理教室に当たった事故と思って忘れよう。自分はハレとケで平日は手軽なケ・土日とか時間がかけられる時はハレの料理と分けてる。子が大きくなりスパイスとか癖ある料理も増えた。しばし間をおくのもいいかも
凝った料理を作ってた人が、家人から全否定されて代わりに鍋のような量産型簡単やっつけ料理を求められて情熱を失う心理、すごくわかる。創作を仕事にしてる人は余程の大作家以外多かれ少なかれぶち当たるのでは?
料理教室ババアみたいなやつを退治するための土井善晴先生だと思ってたよ
自分にとって、無くてはならない物…になった時も「趣味」とは呼びにくいなとは思う
絶対誰かしら「人」のせいだろうなという予感はしたけど終始理性的で偉いなあ。ばばあのフルコース位考えてもええんやで。
うん、俺も我慢したのがよくなかったと思ったけど自覚しててよかった
なんで料理教室なんやこいつって思った瞬間にやめなかったんだろ
子育て終わったら、余裕もできて趣味に戻るかもしれないけど、ともかく料理教室の人には増田は怒り狂ってもいいと思う。ホントなんだその人。
土井先生は一汁一菜でいいと言いつつも旬の食材を使うとか、凝りすぎずに料理を日常として楽しむことも大切にしてるので料理をまた好きになれるかもよhttps://open.spotify.com/show/4GlVqMs60smKfu8gg45fsM?si=_j7I7ILlQHmCazpWk0Gp9A
未だに独身なので料理は趣味で居続けてるけど、義務感が芽生えた瞬間にそうなるのかな と。「たかが料理」という心は持ち続けておかないといかんな。週7で料理するのと週7でパチンコ行くの、本質は同じだと。
自分の場合は何かを習得している時や研究している時は自信を持って趣味と言えるのだけれど、一定以上のスキルを習得してしまうと興味レベルが下がって趣味とは言えなくなってしまう。
3は災難だったけど、年中行事としておせちだけ作るとか、またどこかで再開できると良いかもと思ったり思わなかったり / 「やばい奴からはできるだけ早く逃げるべきだと身を以て痛感した一件だった」
最後の段の話に関連するけど流行りのレシピ本みたいなの見ると使う食材3つだけみたいなのばっかりでいいんかなぁこんなんでみたいな気持ちになったりしなくもない的な感じがある
料理教室のおばさんキツすぎる
趣味から料理が消えた話に共感しつつ、ホームパーティーで料理を振る舞うことができれば趣味として復活する可能性もあるかもしれない。特に(人によるけれど)各国料理は喜ばれることも多くそれがヒーリングになるかも
いや、自身の吐露ww、ご苦労様。子供が成人したら、お菓子を作るひとときが必ず来るから。その時は昔取った杵柄は必ず生きてくるから!
うーん おこさんが大きくなったらおいしいレストラン巡りをすべきだと思う インプットでおいしいを補充するとアウトプットにつながりそう
「料理が趣味じゃなくなった自分」を責めなくていい。失ったんじゃなくて一区切りついた。増田の料理の情熱は、ここにちゃんと残った。
典型的なトラウマ体験だ。料理自体に逃走/闘争感覚があるならしばらくパートナーに代わってもらうとか距離を置いて自分の位置を見直せると良いんだけど。
BBAの加害性がすごい
好きなことの位置付けが、趣味「程度」だと確かに意欲の有無で左右されるよ。仕事にしちゃうとあまり消えない。創作系は特に思い入れはないけど〇〇は滅茶苦茶できるという人はよくいて、一種佇まいがあるよね
"使ったことのない調味料を使って食べたことのない料理を作って食べる""美しいお菓子の写真は眺めるだけで楽しく、またレシピを隅から隅まで読んで、それを実際に作っているのを想像するだけで楽しかった" 共感する
料理教室の下りで柚木麻子「BUTTER」思い出した。増田みたいな人こそあの料理教室に通えたら良かったのに。ヤバい生徒はいるが…
趣味でなくなったとはいえ、若い時にやり込んだ技術は身に付いて日々を助けているのでは。増田がきっと当たり前に出来る包丁さばきとか、複数タスクを回しながら作る方法とか。後から義務感では身に付かないのよ。
LINE送りつけて来られたのは法的に精神的苦痛として対処出来ないことなのかと思ってしまう。あたりやみたいな話では。
「土井善晴氏は「家庭料理なんて適当でいいんだよ」的な趣旨の発信でメシを食っている人」「家庭料理の質やスキル向上には寄与せずに、むしろその質を全体的に底下げ」
原因の9割は3だろwwwwwwww 趣味のいいところは飽きたら休めるところ。料理は休みにくいのが大変。料理も惣菜買ってきたり楽をする回、適当に作る回、気合いを入れて新料理を作る回とか、意識して強弱をつければいいよww
マウントおばさんやばすぎる…。そしてうまそうな洋食も中華も基本脂質とカロリーおばけだからね…旦那さんきちんと全部食べてくれてたんだねぇ。基本和食にして週に1回くらいおしゃれなの作る、で丁度よさそう。
個人でやっているものはPTSDとなる加害性のものが含まれると理解できた
めちゃわかる。夫に加えて子供も偏食というか嫌いな食材はそこまでないがこだわりが強いので自分が食べたいものを作ってもな、みたいなのと仕事しながらあんまり工数かけられないので楽しいとか達成感とかなくなった
長げぇ。ニコニコ動画タイトル風要約:【悟り】「たかが料理」で平穏を取り戻す【哲学】タグ #料理悟り #家事割り切り #精神安定
料理教室で反撃しなかった増田がよく耐えたんだよ。偉かったよ。反発したらしたで後悔したよきっと/同居人がいると、本当に料理の幅が狭まるよね……わかるよ……作りたいものが作れないのストレスだよね
趣味は情熱が冷めても自分の中に知識や技術として蓄積されたものがあるよね。ちなみに鍋も奥深い料理で、マツコの知らない世界の鍋つゆの素の回面白かったし、色々な国内外の鍋のレシピを集めた料理本も楽しい。
趣味を楽しみたい人をそこから弾き出してしまうのは同じカテゴリーにいる年長者、というのはよくある話。自分もそうなってしまわないよう気をつけたい。
夫はダイエットで無理でも子供にお菓子作るとかつての増田みたいに目を輝かせて喜ぶんじゃないだろうか。
そんなにやってるなら仕事にしたらと思ったけど、余計に嫌いになっちゃうかもな
3が最悪、嫌な人間を集合させて煮詰めたみたいな人間だ
3の事件は置いておいて、他はわかりみが深い。私は平日は「鍋」的なものを土井善晴的メンタルで作り、土日に海外の家庭料理やネットで見つけた美味しそうな料理を作りバランスとって今でも趣味は料理だわね
音楽趣味からウクレレへ
たぶん縁があればまた戻って来るし、別の事を好きになってもいい。無理しないでね
趣味仲間が出来るとまた違うかもな。料理ってお互いに美味しい美味しいって作りあうと楽しい。自分1人だと作らん。
最後に唐突に土井先生が不当に貶されていてビックリした。進撃の巨人の予告マンガのようだ。(特に理由のない暴力がライナーを襲う!)
情熱失うの分かるわ。別のことに目を向けてるとそのうちまた興味が戻って来るけど以前ほどの情熱はもうない
悲しいような、生活と折り合いつけれてよかったね、なのか複雑な気持ちになるな
増田は土井先生と同じ過程を辿っている気がする。素材には永遠に勝てないのよ。
趣味のハイレベルと義務の家事が混ざると、家族にハイレベルの感謝を要求することになり家族が感情的に疲弊する。家事をハイレベルにしたいのが本人だけの場合、感謝は徴収できないことを割り切れる人はあまりいない
楽しいと思うものや気持ちに他者を介入させることは悲しい思いをするリスクがある。そして、このリスクは認識されづらいうえに、メンタルを既存したり自尊心を喪失したりするダメージが大きいのだろう。
“スーパーで1万円以上買ったときのレシートみたいな長文LINE” で笑った。LINEってそんな長文送れるんだ
一部わかります。結婚してから、料理は人の嗜好に合った食事を急いで作らなくてはならないというタスクになってしまい、ただただレシピを見てその通りにするだけの作業になってしまったという側面はあるように思うの
AI作文を(多少いじったとして)増田に貼ってバズったとして嬉しいのかな、それ。まったくわからない感性だ。/やっぱAIだよねこれ
3の件辛すぎるでしょ…。とりあえず今は休憩!ということで、脇にそっと置いておく感じでいいのでは。また興味がわくときも来るかもしれない。増田にいいことがありますように。
謙遜してるけど料理好き(元)の人の作る鍋は一味違うと思うよ。/土井先生は、一旦「頑張らなくていい」ってメッセージを発して、その後でモチベに応じて凝ればいい、って感じじゃないかなあ。
なんてそんな意味不明な料理教室に通い続けるのか意味不明なんだけど。1年分の月謝まとめて払ってるとかか?だとしても不快になってまで通い続けるのはアホでしかないだろ。