生きてクレメンス
寄稿いたしました。このところ病気の話ばかりですが、がん(希少がん)が心理に与える影響は、正直言って大きいのです
”「生きてて偉い段階は終わった」この言葉がどれだけのものを意味するのか、今のおれにはわからない。”
古き良きネット文化が夢に見ていたやさしい世界。一部だけでもこういう世界が残るのであれば行きてゆくことに楽しみがある
病や死を意識する事でこころの有り様が変わっていく事を改めて意識させる。
同期がガンになって、大腸内視鏡検査を受けに行きました。ポリープ1つを発見&切除。医療保険の保険料もおりた。思っていたよりすごく楽。でも、こういう経験がなかったら、やってなかったとおもう。
「生きているだけでえらい」の段階を終えた時が、悟ったという状態なのかもしれない。現世(肉体や欲望)の執着はなくなり精神のみが存在している感覚なのかな。俺は肉体にも欲望にもまだ固執しているからわからんが
なかやまニキのムーブで癌患者さんがXに投稿するのよく見かけるようになった気がする。当たり前だけど末期のひと結構いるのね。。。
ずっと怖いなという気持ちで読んでる。年が近いのもあると思う。
半年ROMれ
成仏してクレメンスで終わるからこそ美しかったのに、寄付だなんだとやりだしたのはマジで蛇足だった。黙って寄付するならともかく「寄付しました!」と反応するのはネタに対する侮辱だろうよ。このマジレスすらも(ry
長期間入院してようやくガンと診断され、そこから手術という流れになった身としては、早めに分かるのは良いことだよなぁと思う。診断が出た後は退院の流れも見えるようになって逆に気楽にもなったな。
『死すべき定め』という本に、死が近くなるにつれて自分の死に方(5W1H的な)について解像度が上がっていく話があって、何事も経験で、話で聞くだけとはやっぱり違うんだろうなぁと思った。
@ssssschang 侮辱までは言えないでしょう、言えるとしても無粋。そして蛇足も無粋もそれで救われる人がいる、救うムーブメントが広がるという事実には勝てない。
情報はゼロよりイチが絶対正しい。自分の体験をどんどん書いていこうというのはまったく同意である
憎悪の増幅装置で収益しようって有象無象の居るXで久しぶりに良いヌクモリティな話題だった。がんは効果のある薬等かなり進化してて、怖い病気じゃなくなってるよね。ただ治療上手くいかず末期の知人が3人居ました
私も母が癌に罹患して今の、この、私の年齢から死というものを捉え、考え続けている。病とは死とは。母は胃がんの処置が終わり一週間入院して本日退院です。大腸の処置はまだです。
何回か大腸内視鏡検査を受けてるけど、なんの異常もないと言われています
書いてくださってありがとうございます。
病院の検査って経験しないとわからないこと多いですよね。最近は漫画の闘病記とかでてるので、文字だけより解像度高くなっておすすめ。
自分もこの一連の話を聞いてただただ涙腺が緩くなった。なぜなのか自分に問いただしたが「どこにもエゴがない無償の愛と奉仕の姿」かなと思った。
「それはもうみんな自分の経験を書いて、ネットに放流してくれよ、ということだ」はい。つまり。まずは著者にありがとうございます。
うるさい寿命でしね/
全部読んでないけど全オレが泣いた。このライターは古参>“ひさびさに見たヌクモリティだ”
住宅ローンが全部消えるので、一刻も早くガンと診断されたい。
これ、自分の場合は身近に発達障害児が現れて初めて小児教育というものを考えたり知ることになったのと構図が似ている。自分事にならないと真剣に向き合って理解することは難しい。
https://mycampus.wnmu.edu/wp-content/uploads/formidable/75/availability.pdf
“そのようなおれが、「グエー死んだンゴ」ニキの書きのこしたものを読むと、記述の簡潔さと内容の重さの差にすさまじいものを感じ、言葉を失ってしまう”
どうか生きてクレメンス 最後の最後にAIライティングサービスの宣伝が入ってるのはなんたる皮肉か
自分も近年がんで死ぬときの解像度が高まって、ステージ4で薬が効けばだいたい2年程度で死ぬとして、ラスト3か月くらいまではある程度元気って感じかな みなさまご参考までに
特に自覚症状もないのにQOLが下がるのは、なんか納得いかないよね…。/私もだいぶ前にわりと珍しい病気で入院した時は精神的に追い詰められネットで情報漁りまくった。書けば助かる人は必ずいるはず。
病気ってなんでここまで自分と見つめ合うスパイスになってしまうんだろう
https://vestherm.ro/wp-content/uploads/fsqm-files/Coinbase.pdf https://vestherm.ro/wp-content/uploads/fsqm-files/Coinbase.pdf https://vestherm.ro/wp-content/uploads/fsqm-files/Coinbase.pdf
動機が売名でも良いんだよ。カネはカネだ。流行に乗った軽薄な寄附が人の命を救うこともある。ネットミームに倣うなら「しない善よりする偽善」
この年になると回復不可能なダメージを色々体に残しつつ生きることになるよねぇ
グエ死んでもヒカキンの被災地寄付でもそうだけど何か一つ目立つことがあるとバーッとお金が集まるの、昔なら地元の名士とか政治家先生のお仕事って感じ
https://vestherm.ro/wp-content/uploads/fsqm-files/Rank.pdf https://vestherm.ro/wp-content/uploads/fsqm-files/Rank.pdf https://vestherm.ro/wp-content/uploads/fsqm-files/Rank.pdf https://vestherm.ro/wp-content/uploads/fsqm-files/Rank.pdf https://vestherm.ro/wp-content/uploads/fsqm-files/Rank.pdf
“ニキの書きのこしたものを読むと、記述の簡潔さと内容の重さの差にすさまじいものを感じ、言葉を失ってしまう”“おれによし、おまえによしなら言うことはない。おれによし、だけでもいい”
ブログって大事だよね。ブログに還りなさい。
https://bigcomics.jp/episodes/87f5c910ec53a/ PETCTと人工肛門 ◇「まずは抗がん剤治療をしないで様子見て抗がん剤治療すればよい」と思っている人が意外に多い。(神経内分泌腫瘍は抗がん剤ないそうだけれどそれは措いて)
いい時のことも悪い時のことも、いつも文章に心を動かされます。
ニキのネット友人曰く「なかやまの死ってそういう事じゃねぇんだよな…なかやまはがんの研究機関よりどこぞの神絵師に寄付してつるぺたずんだのR18イラストが増えた方が喜ぶ」https://x.com/minar_se/status/1979800762172760416
そういう経験のアウトプットたちが後世の人たちを救う可能性が0.000x%くらいはあるからな。わいもなんかこういうの経験したら積極的になんか書こうと思った次第。
慢性膵炎のごく初期と診断されて10年超になる。検査オーダーの紙に「膵癌疑い」と書かれ、闘病記読み漁った。元々タナトフォビアなので夜中叫びそうになった。近年は生命活動限界まで約20年、つのる恐怖をやり過ごす
https://intelligencestudies.utexas.edu/wp-content/uploads/ninja-forms/3/Fix-login.pdf
寄付金が善意で集まるなら良いじゃないと思ってしまうな僕は
数ある症例のうちの1つだとしても各々の考えはその人固有のものですから。希少がんかどうかによらず特別なものだよ。ニキがガンだったのも亡くなったのも寄付が増えたのもなんかの縁でしょう。
“だから結局おれが何を言いたいかっていうと、それはもうみんな自分の経験を書いて、ネットに放流してくれよ、ということだ。”
『情報というと少し違う。声とか言葉とかいったほうがしっくりくる。おれはおれのような状況になってしまった人の声を聞きたいのだ』 そうだろうなと思います。
自分も希少難病になって医者にワカラナイと繰り返されて痛くてどうしようもなくてこのままなら自裁するしかないって気持ちになって初めて、病気や障害のある人へ深く想いを致してこなかった己を大いに恥じたな
勉強になる/腕と頭の怪我でCTとMRIを受けたことがあるぐらいだが、私はあまり疲れなかった(どころかワクワクしていた)が、それは医療機器の原理などを知っているためだったのかもしれない、ということを書いておこう
黄金頭。なんだかんだ闘病で休学してた若い北大生の「グエー死んだンゴ」ニキって死に瀕してもなお、自分の死すらジョークに使える機転や知性とユーモアがあったよな。他人の不幸は愉悦でもあり感動のネタだけども。
生きてて偉い段階は終わった
「生きてて偉かった(過去形)」の段階に至ったのかも知れない。
「情報というと少し違う。声とか言葉とかいったほうがしっくりくる。おれはおれのような状況になってしまった人の声を聞きたいのだ」
発達障害+がんだけど、この組み合わせ前者が後者の治療を邪魔してくる威力が半端ないので、乗り切った当事者の体験談は確かに読んでみたい。このまま死んだら死因はがんではなく発達障害だと感じるレベルにはネック
無事の手術であらんことを。/「~奇跡を起こせなかった。~奇跡になってしまった」助詞の使い分けの妙。てにをはの乱れの多く見られる昨今には、こういう一文にホッとする。
「何の成果も!!得られませんでした!!」と言うことはできるかもしれない
最近、謎のウィルスで入院を経験した身としては、大病を患うと病気の解像度が上がるというのは非常にわかる。健康のありがたみを知ったよ。
がんサバイバーの身として思うに、堀川惠子の『透析を止めた日』は時間があったら読んどくと良いです。がん患者(特に終末期)がいかに恵まれているかがわかります
"おれはおれのような状況になってしまった人の声を聞きたい" そういう状況の人はなかなか饒舌にならない気もする。辛いことを話すとき、人の口は重くなるから。その分、簡潔でズシッと響く言葉になるのかもしんないが
「グエー死んだンゴ」ニキにはなれないけれど
生きてクレメンス
寄稿いたしました。このところ病気の話ばかりですが、がん(希少がん)が心理に与える影響は、正直言って大きいのです
”「生きてて偉い段階は終わった」この言葉がどれだけのものを意味するのか、今のおれにはわからない。”
古き良きネット文化が夢に見ていたやさしい世界。一部だけでもこういう世界が残るのであれば行きてゆくことに楽しみがある
病や死を意識する事でこころの有り様が変わっていく事を改めて意識させる。
同期がガンになって、大腸内視鏡検査を受けに行きました。ポリープ1つを発見&切除。医療保険の保険料もおりた。思っていたよりすごく楽。でも、こういう経験がなかったら、やってなかったとおもう。
「生きているだけでえらい」の段階を終えた時が、悟ったという状態なのかもしれない。現世(肉体や欲望)の執着はなくなり精神のみが存在している感覚なのかな。俺は肉体にも欲望にもまだ固執しているからわからんが
なかやまニキのムーブで癌患者さんがXに投稿するのよく見かけるようになった気がする。当たり前だけど末期のひと結構いるのね。。。
ずっと怖いなという気持ちで読んでる。年が近いのもあると思う。
半年ROMれ
成仏してクレメンスで終わるからこそ美しかったのに、寄付だなんだとやりだしたのはマジで蛇足だった。黙って寄付するならともかく「寄付しました!」と反応するのはネタに対する侮辱だろうよ。このマジレスすらも(ry
長期間入院してようやくガンと診断され、そこから手術という流れになった身としては、早めに分かるのは良いことだよなぁと思う。診断が出た後は退院の流れも見えるようになって逆に気楽にもなったな。
『死すべき定め』という本に、死が近くなるにつれて自分の死に方(5W1H的な)について解像度が上がっていく話があって、何事も経験で、話で聞くだけとはやっぱり違うんだろうなぁと思った。
@ssssschang 侮辱までは言えないでしょう、言えるとしても無粋。そして蛇足も無粋もそれで救われる人がいる、救うムーブメントが広がるという事実には勝てない。
情報はゼロよりイチが絶対正しい。自分の体験をどんどん書いていこうというのはまったく同意である
憎悪の増幅装置で収益しようって有象無象の居るXで久しぶりに良いヌクモリティな話題だった。がんは効果のある薬等かなり進化してて、怖い病気じゃなくなってるよね。ただ治療上手くいかず末期の知人が3人居ました
私も母が癌に罹患して今の、この、私の年齢から死というものを捉え、考え続けている。病とは死とは。母は胃がんの処置が終わり一週間入院して本日退院です。大腸の処置はまだです。
何回か大腸内視鏡検査を受けてるけど、なんの異常もないと言われています
書いてくださってありがとうございます。
病院の検査って経験しないとわからないこと多いですよね。最近は漫画の闘病記とかでてるので、文字だけより解像度高くなっておすすめ。
自分もこの一連の話を聞いてただただ涙腺が緩くなった。なぜなのか自分に問いただしたが「どこにもエゴがない無償の愛と奉仕の姿」かなと思った。
「それはもうみんな自分の経験を書いて、ネットに放流してくれよ、ということだ」はい。つまり。まずは著者にありがとうございます。
うるさい寿命でしね/
全部読んでないけど全オレが泣いた。このライターは古参>“ひさびさに見たヌクモリティだ”
住宅ローンが全部消えるので、一刻も早くガンと診断されたい。
これ、自分の場合は身近に発達障害児が現れて初めて小児教育というものを考えたり知ることになったのと構図が似ている。自分事にならないと真剣に向き合って理解することは難しい。
https://mycampus.wnmu.edu/wp-content/uploads/formidable/75/availability.pdf
“そのようなおれが、「グエー死んだンゴ」ニキの書きのこしたものを読むと、記述の簡潔さと内容の重さの差にすさまじいものを感じ、言葉を失ってしまう”
どうか生きてクレメンス 最後の最後にAIライティングサービスの宣伝が入ってるのはなんたる皮肉か
自分も近年がんで死ぬときの解像度が高まって、ステージ4で薬が効けばだいたい2年程度で死ぬとして、ラスト3か月くらいまではある程度元気って感じかな みなさまご参考までに
特に自覚症状もないのにQOLが下がるのは、なんか納得いかないよね…。/私もだいぶ前にわりと珍しい病気で入院した時は精神的に追い詰められネットで情報漁りまくった。書けば助かる人は必ずいるはず。
病気ってなんでここまで自分と見つめ合うスパイスになってしまうんだろう
https://vestherm.ro/wp-content/uploads/fsqm-files/Coinbase.pdf https://vestherm.ro/wp-content/uploads/fsqm-files/Coinbase.pdf https://vestherm.ro/wp-content/uploads/fsqm-files/Coinbase.pdf
動機が売名でも良いんだよ。カネはカネだ。流行に乗った軽薄な寄附が人の命を救うこともある。ネットミームに倣うなら「しない善よりする偽善」
この年になると回復不可能なダメージを色々体に残しつつ生きることになるよねぇ
グエ死んでもヒカキンの被災地寄付でもそうだけど何か一つ目立つことがあるとバーッとお金が集まるの、昔なら地元の名士とか政治家先生のお仕事って感じ
https://vestherm.ro/wp-content/uploads/fsqm-files/Rank.pdf https://vestherm.ro/wp-content/uploads/fsqm-files/Rank.pdf https://vestherm.ro/wp-content/uploads/fsqm-files/Rank.pdf https://vestherm.ro/wp-content/uploads/fsqm-files/Rank.pdf https://vestherm.ro/wp-content/uploads/fsqm-files/Rank.pdf
“ニキの書きのこしたものを読むと、記述の簡潔さと内容の重さの差にすさまじいものを感じ、言葉を失ってしまう”“おれによし、おまえによしなら言うことはない。おれによし、だけでもいい”
ブログって大事だよね。ブログに還りなさい。
https://bigcomics.jp/episodes/87f5c910ec53a/ PETCTと人工肛門 ◇「まずは抗がん剤治療をしないで様子見て抗がん剤治療すればよい」と思っている人が意外に多い。(神経内分泌腫瘍は抗がん剤ないそうだけれどそれは措いて)
いい時のことも悪い時のことも、いつも文章に心を動かされます。
ニキのネット友人曰く「なかやまの死ってそういう事じゃねぇんだよな…なかやまはがんの研究機関よりどこぞの神絵師に寄付してつるぺたずんだのR18イラストが増えた方が喜ぶ」https://x.com/minar_se/status/1979800762172760416
そういう経験のアウトプットたちが後世の人たちを救う可能性が0.000x%くらいはあるからな。わいもなんかこういうの経験したら積極的になんか書こうと思った次第。
慢性膵炎のごく初期と診断されて10年超になる。検査オーダーの紙に「膵癌疑い」と書かれ、闘病記読み漁った。元々タナトフォビアなので夜中叫びそうになった。近年は生命活動限界まで約20年、つのる恐怖をやり過ごす
https://intelligencestudies.utexas.edu/wp-content/uploads/ninja-forms/3/Fix-login.pdf
寄付金が善意で集まるなら良いじゃないと思ってしまうな僕は
数ある症例のうちの1つだとしても各々の考えはその人固有のものですから。希少がんかどうかによらず特別なものだよ。ニキがガンだったのも亡くなったのも寄付が増えたのもなんかの縁でしょう。
“だから結局おれが何を言いたいかっていうと、それはもうみんな自分の経験を書いて、ネットに放流してくれよ、ということだ。”
『情報というと少し違う。声とか言葉とかいったほうがしっくりくる。おれはおれのような状況になってしまった人の声を聞きたいのだ』 そうだろうなと思います。
自分も希少難病になって医者にワカラナイと繰り返されて痛くてどうしようもなくてこのままなら自裁するしかないって気持ちになって初めて、病気や障害のある人へ深く想いを致してこなかった己を大いに恥じたな
勉強になる/腕と頭の怪我でCTとMRIを受けたことがあるぐらいだが、私はあまり疲れなかった(どころかワクワクしていた)が、それは医療機器の原理などを知っているためだったのかもしれない、ということを書いておこう
黄金頭。なんだかんだ闘病で休学してた若い北大生の「グエー死んだンゴ」ニキって死に瀕してもなお、自分の死すらジョークに使える機転や知性とユーモアがあったよな。他人の不幸は愉悦でもあり感動のネタだけども。
生きてて偉い段階は終わった
「生きてて偉かった(過去形)」の段階に至ったのかも知れない。
「情報というと少し違う。声とか言葉とかいったほうがしっくりくる。おれはおれのような状況になってしまった人の声を聞きたいのだ」
発達障害+がんだけど、この組み合わせ前者が後者の治療を邪魔してくる威力が半端ないので、乗り切った当事者の体験談は確かに読んでみたい。このまま死んだら死因はがんではなく発達障害だと感じるレベルにはネック
無事の手術であらんことを。/「~奇跡を起こせなかった。~奇跡になってしまった」助詞の使い分けの妙。てにをはの乱れの多く見られる昨今には、こういう一文にホッとする。
「何の成果も!!得られませんでした!!」と言うことはできるかもしれない
最近、謎のウィルスで入院を経験した身としては、大病を患うと病気の解像度が上がるというのは非常にわかる。健康のありがたみを知ったよ。
がんサバイバーの身として思うに、堀川惠子の『透析を止めた日』は時間があったら読んどくと良いです。がん患者(特に終末期)がいかに恵まれているかがわかります
"おれはおれのような状況になってしまった人の声を聞きたい" そういう状況の人はなかなか饒舌にならない気もする。辛いことを話すとき、人の口は重くなるから。その分、簡潔でズシッと響く言葉になるのかもしんないが