なので忍耐の人と形容される例の比較は適切だったと。3代で統治システム完成させたの偉大すぎると思います
家臣は張り切ったろ。諸大名に上から指図,場合によっては取り潰しできるようになったんだし。現代において正社員の中に非正規や下請けに対して偉そうにふるまう人がいるのと同様。
( しかしものすごい蓄財家。豊臣家領地権益を収用した後、領地再編時の各大名や部下の石高も低めだったことを考えると、わりとそのあたりはウキウキだったと思うぜ )
前任者がやらかし散らかしてサーバールームも炎上してる状態の引き継ぎだもんな
自分の権力固めようとしなけりゃ私婚問題や加賀征伐未遂会津征伐はおこらんよね
豊臣兄弟では秀吉がなんか家康ファンっぽいからファンボとして「秀頼を頼む」って言ってきそう。で、家康もめんどくせぇ系のリアクションをしてきそう。まぁ主人公秀長だからそこまでやらないかもしれないけど。
政敵の石田三成が助けを求めて駆け込んでくるくらいは信用のある人だったし色んな責任を投げられてたのかもねー
豊臣政権内の相対的第一人者になってしまい、朝鮮出兵の後始末から、関ヶ原会戦、西軍大名改易して、豊臣家滅ぼし、幕藩体制の確立まで…。
へえええww
や徳N1(やっぱり徳川がナンバーワン)
トランプの後任はあまりにキツすぎて舌を噛んで自死すると予想している。
三成が家康の伏見屋敷に逃げ込んだ話は否定されつつあります。一方、三成を追い込んだのは家康と縁組した武将ばかり。ゴリゴリと政敵潰しまくった像はとくに揺らぐことはありません。。
この辺、陰湿な誹謗中傷をしていたことで知られる呉座勇一先生の「陰謀の日本中世史」がコンパクトにまとめていてよかった
まとめコメ「大乱関ヶ原」で家康が「口に出して言うわけないだろ(ニヤリ)」って続く」とあるが、一番最後のコマではっきりニヤリと笑うのは家康ではなく本多正信なんだよね。家康のコマは顔上半分だけで表現してる
家康の苦悩、現代のマネージャーのようですわね!
松平清康(家康の父)とかその時代の三河の情勢とか織田今川武田などの周辺国の面々とか見るにつけて「ねぇ何でここから生き延びて天下取れて幕府出来たの?ねぇ何で?」と思わずにはいられない。それが徳川家康
謎の徳川版甲相駿三国同盟は叩かれたけど、こんな天下を俺に押し付けやがって史観はやたら定着させてしまった、どうする家康とかいう大河ドラマ
江戸時代以前の関東平野は湿地帯で、利根川や荒川の川の流れも定まってなくて洪水が多発、人が住むのも大変だった。利根川の治水工事は関ヶ原の戦いの前から始まって、昭和になっても続いていた。
トラブルシュートの多い人生/大河ドラマ「どうする家康」の内容はあれでいいんかねという意見いろいろ有るでしょうが、どうする?な事件は多いわね
徳川三代家光までは全国の寺社仏閣に手厚く寄進しまくって政治的支持層をひたすら積んでいたっぽい その途中で勃発した島原の乱は相当ヤバかったらしい
家臣に対して断固とした態度を取っていたのは、もう日本を無茶苦茶にさせたくないという思いもあったのかもなと思う。超保守派という印象。
天下取る気はなかったってことなかろう。秀頼との約束破って大阪のお堀をじわじわ埋めていってるんだから。なんというか、長期戦の人だよね。
秀吉生存時から豊政権のトップ(というより他の五大老が仕事しねぇ)ので秀吉の悪意とかは多分ないし引き継ぎ前後は絶対戦争を起こす馬鹿に対抗する準備に忙しくて嘆く暇もなかったと思うがな。上杉てめぇのことだ!
山一とか長銀を立て直した新社長ぐらいのこと家康はやってる。
辛苦家康が転じて神君家康公と崇められるようになったとか
「鯛の天麩羅うめえ」
火中の栗拾って奔走する人の頭に「会社をなんとかせねば」と同時に「これ治めれば次期社長当確」とか「余禄はあって当然だろ」があっても別に普通。
さらに家康から350年ぐらい後には、天下人になる前は刑務所に入れられて、圧倒的に強い敵軍を相手に敗戦処理のほとんどを押しつけられたけど、現在まで続く政権を築いた人がいてね、吉田茂っていうんだけど
別に家康だけが苦労したんではなくて、源頼朝だって足利尊氏だって大変な状態からスタートして自分の代では問題解決できずに先送りすらしたんだから、天下を取るってそういうことだよね。
東條英機は米国との戦争が不可避となった時、深夜に号泣していたという。首相になる前は散々開戦を煽っていたので擁護はできないけど。
トランプの後継者も大変そうだがな
家康は耐久戦をした上でそれまでの各武将の失敗ポイントを改善したから勝った人だと思う。後継者を決めたのが一番の強みよ。
天下とる気はなかったとはいえんが、おれが天下人だヒャッハーという気で天下をとる気でなかったことは明白だな。偉くなったって苦労しかないからみんな管理職になりたくないんだろ。
淀殿と秀頼に関しては、マネージャー連中が仲たがいした挙句、何の指導も受けず素人のまま現場責任を任せられ、身内の外戚も無能で現場の意見に引っ張られ、浪人連中に仕切られれた挙句、心中させられた被害者だよ
やらなければ、やられる時代
関東に左遷されてから北条と武田の遺臣を短期間でまとめて関ヶ原まで持って行ったのは凄すぎる。その手の遺臣に与えられた東京の寺社の由緒書き読むといかに仕事が丁寧だったのがわかる。
「天下は一人の天下にあらず、天下の天下なりと聞けば、たとひ他人天下の政務をとりたりとも、四海安穏にして万民その仁恩を蒙らば、これ元より家康が本意にして、いさゝか憾みおもふ事なし」ほんまか~?
明治維新でその役目を江藤と西郷に背負わせた上で自由民権運動でもう一つ風穴を開ける羽目に。
何だこれ。そもそも少年時代、ずっと人質生活だった人だよね。昔から我慢の人のイメージ。
今川&織田&豊臣「家康(元康)のところに身内嫁いだし、もう準一門衆みたいなもんやで。信用できるしまさか裏切らんやろ!」 家康「えっ?大将死んだん?ここからワイが敗戦処理する流れなん…?」×3
一番大変だったのは朝鮮出兵と撤兵を差配した治部少輔こと石田三成だろう。やりたくも無い事をやらされ、武将から恨みを買っているのだからやりきれん。家康は自ら望んで天下人になったので何を言っているのやら。
関ヶ原は長束正家の主導という説(首謀者は三成ではない)があるけど、繋がるのかしら?
なんやかんや徳川家康ってすごいんだよなあ、って一周回って好評価
家康「『後始末をする』『自分の家を盤石のものとする』、『両方』やらなきゃいけないのが『将軍』の辛いところだな…」
秀吉が黒田官兵衛を恐れず、九州で百万石くらい与えて大老の一人に加えていれば、徳川家の天下掌握も難しかったかも・・・。
応仁の乱から江戸期初期までの150年に平和なんて存在しなかったのだから、家康にとって如何にその中で安定的に権力を維持するかが主題で、天下統一は手段だった。だから幕藩体制を固めた。
秀吉死んだのが55歳の時で、関ヶ原が60歳位で死ぬのが73歳。 あそこから300年の長期政権を打ち立てた家康の気力と手腕が凄い。
徳川家康って、昔は「俺様の天下だヒャッハー!」な人だと思ってたけど、今は「何から片付けりゃ良いんだコレ!」だったんだろうなと察してる
なので忍耐の人と形容される例の比較は適切だったと。3代で統治システム完成させたの偉大すぎると思います
家臣は張り切ったろ。諸大名に上から指図,場合によっては取り潰しできるようになったんだし。現代において正社員の中に非正規や下請けに対して偉そうにふるまう人がいるのと同様。
( しかしものすごい蓄財家。豊臣家領地権益を収用した後、領地再編時の各大名や部下の石高も低めだったことを考えると、わりとそのあたりはウキウキだったと思うぜ )
前任者がやらかし散らかしてサーバールームも炎上してる状態の引き継ぎだもんな
自分の権力固めようとしなけりゃ私婚問題や加賀征伐未遂会津征伐はおこらんよね
豊臣兄弟では秀吉がなんか家康ファンっぽいからファンボとして「秀頼を頼む」って言ってきそう。で、家康もめんどくせぇ系のリアクションをしてきそう。まぁ主人公秀長だからそこまでやらないかもしれないけど。
政敵の石田三成が助けを求めて駆け込んでくるくらいは信用のある人だったし色んな責任を投げられてたのかもねー
豊臣政権内の相対的第一人者になってしまい、朝鮮出兵の後始末から、関ヶ原会戦、西軍大名改易して、豊臣家滅ぼし、幕藩体制の確立まで…。
へえええww
や徳N1(やっぱり徳川がナンバーワン)
トランプの後任はあまりにキツすぎて舌を噛んで自死すると予想している。
三成が家康の伏見屋敷に逃げ込んだ話は否定されつつあります。一方、三成を追い込んだのは家康と縁組した武将ばかり。ゴリゴリと政敵潰しまくった像はとくに揺らぐことはありません。。
この辺、陰湿な誹謗中傷をしていたことで知られる呉座勇一先生の「陰謀の日本中世史」がコンパクトにまとめていてよかった
まとめコメ「大乱関ヶ原」で家康が「口に出して言うわけないだろ(ニヤリ)」って続く」とあるが、一番最後のコマではっきりニヤリと笑うのは家康ではなく本多正信なんだよね。家康のコマは顔上半分だけで表現してる
家康の苦悩、現代のマネージャーのようですわね!
松平清康(家康の父)とかその時代の三河の情勢とか織田今川武田などの周辺国の面々とか見るにつけて「ねぇ何でここから生き延びて天下取れて幕府出来たの?ねぇ何で?」と思わずにはいられない。それが徳川家康
謎の徳川版甲相駿三国同盟は叩かれたけど、こんな天下を俺に押し付けやがって史観はやたら定着させてしまった、どうする家康とかいう大河ドラマ
江戸時代以前の関東平野は湿地帯で、利根川や荒川の川の流れも定まってなくて洪水が多発、人が住むのも大変だった。利根川の治水工事は関ヶ原の戦いの前から始まって、昭和になっても続いていた。
トラブルシュートの多い人生/大河ドラマ「どうする家康」の内容はあれでいいんかねという意見いろいろ有るでしょうが、どうする?な事件は多いわね
徳川三代家光までは全国の寺社仏閣に手厚く寄進しまくって政治的支持層をひたすら積んでいたっぽい その途中で勃発した島原の乱は相当ヤバかったらしい
家臣に対して断固とした態度を取っていたのは、もう日本を無茶苦茶にさせたくないという思いもあったのかもなと思う。超保守派という印象。
天下取る気はなかったってことなかろう。秀頼との約束破って大阪のお堀をじわじわ埋めていってるんだから。なんというか、長期戦の人だよね。
秀吉生存時から豊政権のトップ(というより他の五大老が仕事しねぇ)ので秀吉の悪意とかは多分ないし引き継ぎ前後は絶対戦争を起こす馬鹿に対抗する準備に忙しくて嘆く暇もなかったと思うがな。上杉てめぇのことだ!
山一とか長銀を立て直した新社長ぐらいのこと家康はやってる。
辛苦家康が転じて神君家康公と崇められるようになったとか
「鯛の天麩羅うめえ」
火中の栗拾って奔走する人の頭に「会社をなんとかせねば」と同時に「これ治めれば次期社長当確」とか「余禄はあって当然だろ」があっても別に普通。
さらに家康から350年ぐらい後には、天下人になる前は刑務所に入れられて、圧倒的に強い敵軍を相手に敗戦処理のほとんどを押しつけられたけど、現在まで続く政権を築いた人がいてね、吉田茂っていうんだけど
別に家康だけが苦労したんではなくて、源頼朝だって足利尊氏だって大変な状態からスタートして自分の代では問題解決できずに先送りすらしたんだから、天下を取るってそういうことだよね。
東條英機は米国との戦争が不可避となった時、深夜に号泣していたという。首相になる前は散々開戦を煽っていたので擁護はできないけど。
トランプの後継者も大変そうだがな
家康は耐久戦をした上でそれまでの各武将の失敗ポイントを改善したから勝った人だと思う。後継者を決めたのが一番の強みよ。
天下とる気はなかったとはいえんが、おれが天下人だヒャッハーという気で天下をとる気でなかったことは明白だな。偉くなったって苦労しかないからみんな管理職になりたくないんだろ。
淀殿と秀頼に関しては、マネージャー連中が仲たがいした挙句、何の指導も受けず素人のまま現場責任を任せられ、身内の外戚も無能で現場の意見に引っ張られ、浪人連中に仕切られれた挙句、心中させられた被害者だよ
やらなければ、やられる時代
関東に左遷されてから北条と武田の遺臣を短期間でまとめて関ヶ原まで持って行ったのは凄すぎる。その手の遺臣に与えられた東京の寺社の由緒書き読むといかに仕事が丁寧だったのがわかる。
「天下は一人の天下にあらず、天下の天下なりと聞けば、たとひ他人天下の政務をとりたりとも、四海安穏にして万民その仁恩を蒙らば、これ元より家康が本意にして、いさゝか憾みおもふ事なし」ほんまか~?
明治維新でその役目を江藤と西郷に背負わせた上で自由民権運動でもう一つ風穴を開ける羽目に。
何だこれ。そもそも少年時代、ずっと人質生活だった人だよね。昔から我慢の人のイメージ。
今川&織田&豊臣「家康(元康)のところに身内嫁いだし、もう準一門衆みたいなもんやで。信用できるしまさか裏切らんやろ!」 家康「えっ?大将死んだん?ここからワイが敗戦処理する流れなん…?」×3
一番大変だったのは朝鮮出兵と撤兵を差配した治部少輔こと石田三成だろう。やりたくも無い事をやらされ、武将から恨みを買っているのだからやりきれん。家康は自ら望んで天下人になったので何を言っているのやら。
関ヶ原は長束正家の主導という説(首謀者は三成ではない)があるけど、繋がるのかしら?
なんやかんや徳川家康ってすごいんだよなあ、って一周回って好評価
家康「『後始末をする』『自分の家を盤石のものとする』、『両方』やらなきゃいけないのが『将軍』の辛いところだな…」
秀吉が黒田官兵衛を恐れず、九州で百万石くらい与えて大老の一人に加えていれば、徳川家の天下掌握も難しかったかも・・・。
応仁の乱から江戸期初期までの150年に平和なんて存在しなかったのだから、家康にとって如何にその中で安定的に権力を維持するかが主題で、天下統一は手段だった。だから幕藩体制を固めた。
秀吉死んだのが55歳の時で、関ヶ原が60歳位で死ぬのが73歳。 あそこから300年の長期政権を打ち立てた家康の気力と手腕が凄い。