短篇小説に沢好摩伝という俳人の評伝があって、ずっと実在の人物か疑ってたんだがネットでググれるようになってから実在する俳人だと知ることができた。なんでこの本に収録したんや
読んでみた。特にSNS社会みはなかった。そう思って読むと僅かにそうかもしれないという程度|尼のURLは公式の短縮使うか正規化しようず https://amazon.co.jp/dp/B09THZB8J5 淀 https://www.yodobashi.com/product/100000086602324607
90年代の初頭ってこういう空気だったよなって当時学生時代だった自分のことを思い出した。ネットにずっぷりハマってない人は想像すらできなかっただろうが。パソコン通信からインターネットで繋ぎ放題に変わった時期
パソコン通信の箇所のモデルはniftyのフォーラムだと思われる。管理者は盛り上げるためにお題を提起したりすることはあったよ
長い読まない
この方の作品は知らないけれど、1996年の直木賞『テロリストのパラソル』(藤原伊織)のインターネットについての描写は現代っぽくて驚いた
解釈次第かもしれないが、かなりに解像度が高く現代を予想されていた。
当該書の帯に「日本のボルヘス」と書かれてる。ボルヘスも1940年代くらいに「アレフ」でGoogle Map描いてるんですよ。水晶玉の中に世界中のストリートビューが見えて、この水晶玉はどれだけの広さを持っているのか驚く
パソコン通信が始まっていたので線形の予測先ではあるかもしれないけど、将来の推測として質が高いし、使う側の心情描写も確かに見事だと思った。
「「かなり痛烈な罵倒用語を駆使」してメッセージを書き込んで去り、夜中に反論の嵐が巻き起こるのを期待」はてなで見た
この短編も筒井康隆っぽいな。筒井康隆だと「にぎやかな未来」が秀逸だった。
当時の一部の作家はかなりパソコン通信にハマってたところはあったかも。筒井とか栗本薫とか。/ kindleで売ってるんだな。つか最後に発表した作品は2009年か。
SYSOPやSIGOPなどと言われた板の管理人のようなアカウントを調べると、当時の様子が分かりそうなやつ。CD等は下火になりましたね。
パソコン通信を体験してから想像の羽を広げていったんだろうな。でもそれも才よね
小林恭二懐かしい 結局読んだことはなかったんだけど
陶片追放
未来を先取りする小林作品、星の王子さまが地球を覗いたようですわ。
ネタバレ踏む前にkindle版買った。たほいやに出てた人だよね
インターネットマガジンの創刊が1994年9月。WWWブラウザはNCSA Mosaicくらいしか無かった。インターネットによって近未来の社会がどうなるか、いろいろ想像していた楽しい時代だった。
インターネット社会ではあっても、現実のSNS社会の予測にはほど遠いのでは?
星新一 "声の網" オススメ
科学万博にはでんでんINS館があってPRされてたように、人がこういうことをこういう風に楽しめるというのは近未来予測では定番だったのよ。時代が追いついたとも、30年経っても人のやることは変わらないとも言える。
SNSというか、いわゆる「ネットワーク」の雰囲気は、fj.*の頃からそう変わらんよね。
安部公房の「箱男」がやたらと2ch臭くて笑った記憶
小林恭二はAsahiネットで筒井康隆がやってたパスカル文学賞の審査員。作品募集から選考まですべてをパソコン通信上で公開する当時としては画期的な賞。第1回受賞者は川上弘美
なんかツッコもうと思ったけど多すぎて面倒になった…調べればすぐわかることだらけでなんかな
パソコン通信の描写は当時実際に体験してるんだろうなと思うがそこから想像を膨らませて現代のネット社会に酷似した世界を書き出してるんなら凄いな
単行本の装丁がかなり素敵で当時のダヴィンチで装丁大賞を取ったのだがKindle版の装丁は微妙。装丁という文化も意味不明のものに戻るんかねえ。/ゼウスガーデンは面白かったし薄井ゆうじもよく読んでた。
川上弘美はパソコン通信を使ったASAHIネット主催のパスカル短篇文学新人賞でデビューした。それが「神様」だから最初から天才だった。昭和の頃から「NHKと朝日新聞が流行を報じたらもうその流行は終り」と言われてた。
『ゼウスガーデン衰亡史』は傑作だった…もう新作は書かれないのかなぁ。
“かなりグッとくるエロイ話”→ここに興味が湧きました!気にしておきます!
映画の「ハル」とか「Lie lie Lie(永遠も半ばを過ぎて)」を思い出したが。90年代の雰囲気。
当時パソコン通信してた共通認識に近いんやないかな。そうしてインターネットが公開されて皆が一斉に飛びついた印象。会社や友人界隈がインターネットを普通に使うようになるのは、iPhoneが出てもまだずっと後のお話。
私も小林恭二好きだったけど、あんまり覚えてないな…。でも多分同じ短編集読んだ気がする。あと、岩波文庫から出てた俳句のシリーズ、すごく面白かった。
Twitterや増田の大喜利っぽいノリはjunk.testでも日常だった。voidさんやYukarinが暴れていた日々の記憶。大戦略のセーブデータをishでアップしてネット対戦していたのはもうちょい前。松田新兵はちょい後か
MGS2が今の世の中言い当ててる。未来を予測した創作なんて山ほどあるのでいくつか当たるやつくらいでてくるやろ、という印象。
いかにもパソコン通信の感じ。niftyとかは金がなかったので雰囲気知らんが。科学朝日がやってたのはサイエンスネットだっけ。あとYOMINETぐらいかな草の根以外の掲示板覗いてたのは。
mixiとかBBS全盛期から何も変わっていない気はする
『半島記・群島記』の「半島記」では下北半島と思われる場所が原発事故で汚染されて封鎖されてたなぁ。/個人的ベストは『モンスターフルーツの熟れる時』
94年だとWindows95の発売前だからなぁ。
アルビン・トフラー「第3の波」(1980)で、エレクトロニック・コテージにより在宅勤務が可能になることを予言した... てのがあってだなww
70年代の眉村卓のサラリーマンもの短編で「貸机」という月極コワーキングスペースっぽい描写の業態が出てくるのだけど、現実の不動産用語に"貸机業"というのがあり当時そういう業種があってもおかしくは無さそう?
パソコン通信は世間が狭すぎて無駄な衝突も多かった。インターネットの普及で狭い世間から解放されたかと一時期は思ったが、人々を繋げすぎる巨大SNSの隆盛によってある意味先祖帰りしてる感は
小林恭二か、なっつ。「俳句という遊び」とか面白かった。最初、小林多喜二と混同して蟹工船にSNS社会を想起させる要素あったっけと思ったw
本人に届くといいな。
SNSの地獄が予想されてるわけではなかった。ネットの初期ってこういう未来観が多かったよね
「たほいや」に出てた小林さんだ!
へぇー、すごいお話にゃ!ボクもパソコン通信したいにゃ!バズってみたいにゃ!でも、おやつくれなきゃ、猫パンチしちゃうぞにゃ!
30年前がそんなに太古の昔だと思ってるのか?? バーはハビタット的なものからの着想ではないかしら
◯◯がすでにやってるおじさん「それ、1953年にレイ・ブラッドベリが『華氏451度』で『テレビ壁』を書いてるよね」
これは読みたくなった。1990年〜1995年くらいまでのniftyには作家も普通に書き込んでたね。推理小説フォーラムにすがやみつる先生がいて、バリバリのあらし世代だったワイはテンション上がったものよ。
1995年ですとパソコン通信以外にも、インターネットの方でネットニュース (netnews) やメーリングリストが盛んでしたね。
SNS社会の暗部を予測したような話はザンヤルマの剣士シリーズ最終巻『イェマドの後継者』で語られてる。1997年発売。
雑誌Oh!PCの85年号に「未来のパソコンを語らう」って記事あったけど、普通に離島でテレワークして原稿を通信で送る話とか、SF思考実験していた人は結構いそう
テレワークしてそうな描写なら星新一とかでもたぶん色々出てくる。
リモートワーク的なものは、それこそ80年代のニューメディアブームの頃から盛んに喧伝されていた(https://dl.ndl.go.jp/pid/2295655/1/14 など)。バズる快感も荒らしの蔓延も、パソコン通信では既におなじみだったよ。
人を直接「見る」だなんてはしたない、「会う」なんてとんでもない、みたいな世界観のやつ、20世紀後半にはホーガンあたりが描写してなかったっけ?
小説家はそもそもリモートワーカーみたいなもんだろうし心情がよく分かるのでは
ネット小説で思い出したがヴィーナスシティが1993年か。声の網は古すぎるかな。
当時は「電脳○○」ってのが流行った記憶。当時は意識的につなぐ感覚が標準だったがいまは意識せずともつながっている時代。
大衆向けならキャプテンシステムやら、当時パソコンに触れていた人たちならパソコン通信やら、通信を介して社会が変わっていくという認識の萌芽はあった頃よ。だからむしろまだ一極集中してたり無力感の方が強い。
電脳羊倶楽部でダークウェブにたどり着いちゃうのも素直にびっくりしそうな増田。未来を予測したんじゃなくて未来が回帰してきたんだよ
腐すわけじゃないんだが当時パソコン通信はあったわけで、じゃあ発信する快感というのも既に存在していたわけで、どこらへんが予言なのかなという疑問は増田記事読んでて残った。
面白そうなので途中で読むのをやめた。
読んでみた。なかなかおもしろかったよ。
そんなこと言い出すと福音書でイエスが、ファリサイ派と呼ばれる人々に対し、律法を盾に人を批判するばかりで、肝心の人助けは何もしないクソだろ?と論破しまくるみたいな話が、SNS社会の正義でスッキリすぎだろ?
堺屋太一の「平成30年」も「パソエン」とネーミングはダサかったがvTuberとの類似性を意識させるネタがあったので、予測というよりは複数あるネタの一つが実現したのだと思う
むちゃくちゃリアルなインターネット社会を描いてるといえば1990年の「ヴァレリア・ファイル」(谷甲州)とかもあるぞ
逆じゃね。30年前からツールは変わってもたいして変わってねーんだなってなる
“「会社に行くのは一か月にせいぜい二度。もともと社会とのつながりを希薄にしたくて選んだ職だ」これが2020年に書かれた作品なら普通のリモートワーカーだけど、この作品の初出は1992年である。ネットでバズる感覚”
「短編小説」と「ゼウスガーデン衰亡史」、いま買った。増田のネタバレのところは意図的に目を滑らせて読んでない。楽しみだ。
古代や中世の都市でも噂話が娯楽でレスバみたいな事やってて、口伝から印刷で本やゴシップ誌、IT化でSNSってメディアが変わっただけで人類は噂話や口論が大好きな面はある(神を信じるように見たこと無い噂を信じる力)
90年代初頭ってもうそんな感じだったんだ。Windows 95もまだの時代なのにすごいな。
今は作家講座講師なのか
俺は1984やオルテガ・イ・ガセットの著作でも現代性を感じる。なんか、やっぱり人間の本質的な部分なんだろうな
これを挙げるなら星新一の『声の網』も出さなきゃ。30年前どころか1970年の作品だぜ!さすがにパソコンは出てこないが、電話利用のコンピュータによる万能ネットワークサービス社会とそれが人間心理に与える影響の話
ヴィーナスシティもパソコン通信から先に踏み出せてないと思うけど、ネカマどころかおぢさんをTS責めはひぇってなった記憶。SNS社会すぎて、といえばブラックミラーのランク社会ぐらいのえぐいのかと思った。
50年くらい昔、テレタイプのオペレーターは仕事を早く終わらせたらチャットしてた。未来の予測は難しいけど人間は変わらない。
技術の進歩はある程度想像つくけど、それが社会にどんな影響が出るかが分からないのよね。sf作家の作風が出るとこ
じゃあ便乗して予告書くけど、立花孝志現象を小林信彦『怪物がめざめる夜』が予言してると思う次第(いつか書いておきたい)
書きました。 https://www.nejimakiblog.com/entry/em-forster-machine-stops-book-ai
当時のごく一般的な近未来像の話。Amazonの創業も1994年。世界中が同じ未来を見てた。
“哲学の会議室で「かなり痛烈な罵倒用語を駆使」してメッセージを書き込んで去り、夜中に反論の嵐が巻き起こるのを期待している。荒らしかw”増田にいそう
え、小説伝もゼウスガーデンも大好きなんだけどこの短編知らなかった(こういうの、Amazonの実入りが多少減るしアフィにしてほしいとは思ってる
おおー!小林恭二好きだったよ。福武文庫は現代作家が揃ってて高校生にはありがたかった
俺もたしか92〜3年くらいにNIFTYSERVE始めた
この頃はアメリカではインターネットがあって、子供のハッカーがいたり映画「ウォーゲーム」が公開されたりと。フリーランスの開発者は既に自宅勤務開発してた。一般人からは変態扱いされたてたプログラマ達。
つなぎ放題に変わった頃は30年も前なのか…。そりゃ未来もくるかぁ。ふと思うが、昔描いたドラえもんの道具があるような未来は来てしまった。今の子はどんな夢の未来を描くんだろう。
先人が後世の人と同様の視点や感覚を表現していたという意味では、北斎が一瞬をシャッターで切り取ったような大波を描いたり、春画で乳首を責める絵を幾つも描いていたことと似ているか?
小林恭二さんたほいやで当て馬にされてた印象が強烈に残ってるんだけどそんなすごい人だったのか
30年前の短編小説があまりにもSNS社会すぎてびっくりしたという話
短篇小説に沢好摩伝という俳人の評伝があって、ずっと実在の人物か疑ってたんだがネットでググれるようになってから実在する俳人だと知ることができた。なんでこの本に収録したんや
読んでみた。特にSNS社会みはなかった。そう思って読むと僅かにそうかもしれないという程度|尼のURLは公式の短縮使うか正規化しようず https://amazon.co.jp/dp/B09THZB8J5 淀 https://www.yodobashi.com/product/100000086602324607
90年代の初頭ってこういう空気だったよなって当時学生時代だった自分のことを思い出した。ネットにずっぷりハマってない人は想像すらできなかっただろうが。パソコン通信からインターネットで繋ぎ放題に変わった時期
パソコン通信の箇所のモデルはniftyのフォーラムだと思われる。管理者は盛り上げるためにお題を提起したりすることはあったよ
長い読まない
この方の作品は知らないけれど、1996年の直木賞『テロリストのパラソル』(藤原伊織)のインターネットについての描写は現代っぽくて驚いた
解釈次第かもしれないが、かなりに解像度が高く現代を予想されていた。
当該書の帯に「日本のボルヘス」と書かれてる。ボルヘスも1940年代くらいに「アレフ」でGoogle Map描いてるんですよ。水晶玉の中に世界中のストリートビューが見えて、この水晶玉はどれだけの広さを持っているのか驚く
パソコン通信が始まっていたので線形の予測先ではあるかもしれないけど、将来の推測として質が高いし、使う側の心情描写も確かに見事だと思った。
「「かなり痛烈な罵倒用語を駆使」してメッセージを書き込んで去り、夜中に反論の嵐が巻き起こるのを期待」はてなで見た
この短編も筒井康隆っぽいな。筒井康隆だと「にぎやかな未来」が秀逸だった。
当時の一部の作家はかなりパソコン通信にハマってたところはあったかも。筒井とか栗本薫とか。/ kindleで売ってるんだな。つか最後に発表した作品は2009年か。
SYSOPやSIGOPなどと言われた板の管理人のようなアカウントを調べると、当時の様子が分かりそうなやつ。CD等は下火になりましたね。
パソコン通信を体験してから想像の羽を広げていったんだろうな。でもそれも才よね
小林恭二懐かしい 結局読んだことはなかったんだけど
陶片追放
未来を先取りする小林作品、星の王子さまが地球を覗いたようですわ。
ネタバレ踏む前にkindle版買った。たほいやに出てた人だよね
インターネットマガジンの創刊が1994年9月。WWWブラウザはNCSA Mosaicくらいしか無かった。インターネットによって近未来の社会がどうなるか、いろいろ想像していた楽しい時代だった。
インターネット社会ではあっても、現実のSNS社会の予測にはほど遠いのでは?
星新一 "声の網" オススメ
科学万博にはでんでんINS館があってPRされてたように、人がこういうことをこういう風に楽しめるというのは近未来予測では定番だったのよ。時代が追いついたとも、30年経っても人のやることは変わらないとも言える。
SNSというか、いわゆる「ネットワーク」の雰囲気は、fj.*の頃からそう変わらんよね。
安部公房の「箱男」がやたらと2ch臭くて笑った記憶
小林恭二はAsahiネットで筒井康隆がやってたパスカル文学賞の審査員。作品募集から選考まですべてをパソコン通信上で公開する当時としては画期的な賞。第1回受賞者は川上弘美
なんかツッコもうと思ったけど多すぎて面倒になった…調べればすぐわかることだらけでなんかな
パソコン通信の描写は当時実際に体験してるんだろうなと思うがそこから想像を膨らませて現代のネット社会に酷似した世界を書き出してるんなら凄いな
単行本の装丁がかなり素敵で当時のダヴィンチで装丁大賞を取ったのだがKindle版の装丁は微妙。装丁という文化も意味不明のものに戻るんかねえ。/ゼウスガーデンは面白かったし薄井ゆうじもよく読んでた。
川上弘美はパソコン通信を使ったASAHIネット主催のパスカル短篇文学新人賞でデビューした。それが「神様」だから最初から天才だった。昭和の頃から「NHKと朝日新聞が流行を報じたらもうその流行は終り」と言われてた。
『ゼウスガーデン衰亡史』は傑作だった…もう新作は書かれないのかなぁ。
“かなりグッとくるエロイ話”→ここに興味が湧きました!気にしておきます!
映画の「ハル」とか「Lie lie Lie(永遠も半ばを過ぎて)」を思い出したが。90年代の雰囲気。
当時パソコン通信してた共通認識に近いんやないかな。そうしてインターネットが公開されて皆が一斉に飛びついた印象。会社や友人界隈がインターネットを普通に使うようになるのは、iPhoneが出てもまだずっと後のお話。
私も小林恭二好きだったけど、あんまり覚えてないな…。でも多分同じ短編集読んだ気がする。あと、岩波文庫から出てた俳句のシリーズ、すごく面白かった。
Twitterや増田の大喜利っぽいノリはjunk.testでも日常だった。voidさんやYukarinが暴れていた日々の記憶。大戦略のセーブデータをishでアップしてネット対戦していたのはもうちょい前。松田新兵はちょい後か
MGS2が今の世の中言い当ててる。未来を予測した創作なんて山ほどあるのでいくつか当たるやつくらいでてくるやろ、という印象。
いかにもパソコン通信の感じ。niftyとかは金がなかったので雰囲気知らんが。科学朝日がやってたのはサイエンスネットだっけ。あとYOMINETぐらいかな草の根以外の掲示板覗いてたのは。
mixiとかBBS全盛期から何も変わっていない気はする
『半島記・群島記』の「半島記」では下北半島と思われる場所が原発事故で汚染されて封鎖されてたなぁ。/個人的ベストは『モンスターフルーツの熟れる時』
94年だとWindows95の発売前だからなぁ。
アルビン・トフラー「第3の波」(1980)で、エレクトロニック・コテージにより在宅勤務が可能になることを予言した... てのがあってだなww
70年代の眉村卓のサラリーマンもの短編で「貸机」という月極コワーキングスペースっぽい描写の業態が出てくるのだけど、現実の不動産用語に"貸机業"というのがあり当時そういう業種があってもおかしくは無さそう?
パソコン通信は世間が狭すぎて無駄な衝突も多かった。インターネットの普及で狭い世間から解放されたかと一時期は思ったが、人々を繋げすぎる巨大SNSの隆盛によってある意味先祖帰りしてる感は
小林恭二か、なっつ。「俳句という遊び」とか面白かった。最初、小林多喜二と混同して蟹工船にSNS社会を想起させる要素あったっけと思ったw
本人に届くといいな。
SNSの地獄が予想されてるわけではなかった。ネットの初期ってこういう未来観が多かったよね
「たほいや」に出てた小林さんだ!
へぇー、すごいお話にゃ!ボクもパソコン通信したいにゃ!バズってみたいにゃ!でも、おやつくれなきゃ、猫パンチしちゃうぞにゃ!
30年前がそんなに太古の昔だと思ってるのか?? バーはハビタット的なものからの着想ではないかしら
◯◯がすでにやってるおじさん「それ、1953年にレイ・ブラッドベリが『華氏451度』で『テレビ壁』を書いてるよね」
これは読みたくなった。1990年〜1995年くらいまでのniftyには作家も普通に書き込んでたね。推理小説フォーラムにすがやみつる先生がいて、バリバリのあらし世代だったワイはテンション上がったものよ。
1995年ですとパソコン通信以外にも、インターネットの方でネットニュース (netnews) やメーリングリストが盛んでしたね。
SNS社会の暗部を予測したような話はザンヤルマの剣士シリーズ最終巻『イェマドの後継者』で語られてる。1997年発売。
雑誌Oh!PCの85年号に「未来のパソコンを語らう」って記事あったけど、普通に離島でテレワークして原稿を通信で送る話とか、SF思考実験していた人は結構いそう
テレワークしてそうな描写なら星新一とかでもたぶん色々出てくる。
リモートワーク的なものは、それこそ80年代のニューメディアブームの頃から盛んに喧伝されていた(https://dl.ndl.go.jp/pid/2295655/1/14 など)。バズる快感も荒らしの蔓延も、パソコン通信では既におなじみだったよ。
人を直接「見る」だなんてはしたない、「会う」なんてとんでもない、みたいな世界観のやつ、20世紀後半にはホーガンあたりが描写してなかったっけ?
小説家はそもそもリモートワーカーみたいなもんだろうし心情がよく分かるのでは
ネット小説で思い出したがヴィーナスシティが1993年か。声の網は古すぎるかな。
当時は「電脳○○」ってのが流行った記憶。当時は意識的につなぐ感覚が標準だったがいまは意識せずともつながっている時代。
大衆向けならキャプテンシステムやら、当時パソコンに触れていた人たちならパソコン通信やら、通信を介して社会が変わっていくという認識の萌芽はあった頃よ。だからむしろまだ一極集中してたり無力感の方が強い。
電脳羊倶楽部でダークウェブにたどり着いちゃうのも素直にびっくりしそうな増田。未来を予測したんじゃなくて未来が回帰してきたんだよ
腐すわけじゃないんだが当時パソコン通信はあったわけで、じゃあ発信する快感というのも既に存在していたわけで、どこらへんが予言なのかなという疑問は増田記事読んでて残った。
面白そうなので途中で読むのをやめた。
読んでみた。なかなかおもしろかったよ。
そんなこと言い出すと福音書でイエスが、ファリサイ派と呼ばれる人々に対し、律法を盾に人を批判するばかりで、肝心の人助けは何もしないクソだろ?と論破しまくるみたいな話が、SNS社会の正義でスッキリすぎだろ?
堺屋太一の「平成30年」も「パソエン」とネーミングはダサかったがvTuberとの類似性を意識させるネタがあったので、予測というよりは複数あるネタの一つが実現したのだと思う
むちゃくちゃリアルなインターネット社会を描いてるといえば1990年の「ヴァレリア・ファイル」(谷甲州)とかもあるぞ
逆じゃね。30年前からツールは変わってもたいして変わってねーんだなってなる
“「会社に行くのは一か月にせいぜい二度。もともと社会とのつながりを希薄にしたくて選んだ職だ」これが2020年に書かれた作品なら普通のリモートワーカーだけど、この作品の初出は1992年である。ネットでバズる感覚”
「短編小説」と「ゼウスガーデン衰亡史」、いま買った。増田のネタバレのところは意図的に目を滑らせて読んでない。楽しみだ。
古代や中世の都市でも噂話が娯楽でレスバみたいな事やってて、口伝から印刷で本やゴシップ誌、IT化でSNSってメディアが変わっただけで人類は噂話や口論が大好きな面はある(神を信じるように見たこと無い噂を信じる力)
90年代初頭ってもうそんな感じだったんだ。Windows 95もまだの時代なのにすごいな。
今は作家講座講師なのか
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これを挙げるなら星新一の『声の網』も出さなきゃ。30年前どころか1970年の作品だぜ!さすがにパソコンは出てこないが、電話利用のコンピュータによる万能ネットワークサービス社会とそれが人間心理に与える影響の話
ヴィーナスシティもパソコン通信から先に踏み出せてないと思うけど、ネカマどころかおぢさんをTS責めはひぇってなった記憶。SNS社会すぎて、といえばブラックミラーのランク社会ぐらいのえぐいのかと思った。
50年くらい昔、テレタイプのオペレーターは仕事を早く終わらせたらチャットしてた。未来の予測は難しいけど人間は変わらない。
技術の進歩はある程度想像つくけど、それが社会にどんな影響が出るかが分からないのよね。sf作家の作風が出るとこ
じゃあ便乗して予告書くけど、立花孝志現象を小林信彦『怪物がめざめる夜』が予言してると思う次第(いつか書いておきたい)
書きました。 https://www.nejimakiblog.com/entry/em-forster-machine-stops-book-ai
当時のごく一般的な近未来像の話。Amazonの創業も1994年。世界中が同じ未来を見てた。
“哲学の会議室で「かなり痛烈な罵倒用語を駆使」してメッセージを書き込んで去り、夜中に反論の嵐が巻き起こるのを期待している。荒らしかw”増田にいそう
え、小説伝もゼウスガーデンも大好きなんだけどこの短編知らなかった(こういうの、Amazonの実入りが多少減るしアフィにしてほしいとは思ってる
おおー!小林恭二好きだったよ。福武文庫は現代作家が揃ってて高校生にはありがたかった
俺もたしか92〜3年くらいにNIFTYSERVE始めた
この頃はアメリカではインターネットがあって、子供のハッカーがいたり映画「ウォーゲーム」が公開されたりと。フリーランスの開発者は既に自宅勤務開発してた。一般人からは変態扱いされたてたプログラマ達。
つなぎ放題に変わった頃は30年も前なのか…。そりゃ未来もくるかぁ。ふと思うが、昔描いたドラえもんの道具があるような未来は来てしまった。今の子はどんな夢の未来を描くんだろう。
先人が後世の人と同様の視点や感覚を表現していたという意味では、北斎が一瞬をシャッターで切り取ったような大波を描いたり、春画で乳首を責める絵を幾つも描いていたことと似ているか?
小林恭二さんたほいやで当て馬にされてた印象が強烈に残ってるんだけどそんなすごい人だったのか