英語の発音をそれっぽく読むと失笑されるのは、自分はうまいつもりだが本当はうまくなくて、日本人が英語を喋るときの「不気味の谷」に落ちているからだよ。帰国子女だと別に笑われない。
流石にこっちでベタベタの日本語発音英語だと日本人から笑われる可能性あるが、実のところ変に巻くだけのエセ英語発音よりハキハキ喋るなら日本語発音英語の方が現地人には全然通じる。
もう25年くらい前の話だが帰国子女でも余裕で笑われたからな 「カッコつけてんじゃねーよ」って言いがかりだったから発音の良し悪しが問題ではない。今は良くなってればいいが
ネイティブを模倣して学習する側を不気味の谷とか言い訳こいて笑いものにするとか、まだ、中学生かな?
自分の体験談で「日本がー」とか断言してる人も同類。「日本人はこういう連中」って決めつけて、個々を見ようとしない点でね。「日本はこういう連中」と「朝鮮人は井戸に毒を入れる連中」の間に、境目はない。
“私が子どものときの、だるそうにダラダラするのがかっこいい、頑張るのはダサいという雰囲気がない” すごくいい!
これはガチってる奴をばかにする風潮の話で、特に英語の話に焦点を絞ってる話題でもないのに、英語の発音の部分しか反応しないのはあまりにもブクマカ英語コンプレックスすぎだろと苦笑せざるをえない
ガチなのはイタいという価値観は全般的にあった。気はする。一方でヒップホップ方面のワルい人はこなれてる方が偉いのである(たぶん)
いや、“音楽の授業や合唱でガチで歌ったり、英語の発音が良いことを理由に笑われ”る様な世の中の方がいいでしょ。どう考えても、「合唱を“ガチ”で歌わされる」事が「良い事」になってる方が地獄。英語も同じ。
松本人志の復活がぶり返しに繋がらないことを願う
権力者(先生や一目置かれている子)が認めると一気に空気が変わるのもあるある。子供って単純ね
“私は笑われてた子。なんで日本は、真面目に一生懸命やってる子が、笑われる世界なんだろう。そのくせイチローとか大谷とかの真面目は大絶賛する。偉業を成し遂げない真面目は、不毛な真面目なのか”
昨日読んだ「日本のアイドルダンス文化、何がどう変わった?(後編:竹中夏海インタビュー」 https://natalie.mu/music/column/645892 で竹中氏は、「羞恥心という最大の敵をネット文化が軽減してくれた」と指摘してたな。
今、高市を罵倒語で誹謗中傷している人ってそういう人たちなんだろうって思う。大人になっても変わらない。まるで安倍派である。まあそういう人たちは下手な人も嗤うからね
ブコメの感想。笑われるガチ(歌とか勉強)と笑われないガチ(運動)があるのが正しいってこと?強者がカラオケ上手いと称賛され弱者だと笑われるのが正しいってこと?正誤はしらんが私は嘲笑うの自体嫌い。/理解
ワンダンスかな?
お前の通ってた底辺学校を基準に世間を語るな定期
40半ばだけど真面目なことを馬鹿にする人たちは結構いた。学業成績がいいことを馬鹿にする人もいた。先生受けがいいのも馬鹿にしてたので、大人からの反発をする俺かっこいいだったんだろうなぁ。
日本人の若い人たちがリベラル化してきてて年寄りの「リベラル派」もついていけてない状況、未来は明るいというべきなのか?期待はしたいね。どちらもちょっとネオリベお客様主義なのは心配だけど…(老害男性より
日本の学校英語の出発点が先端技術を仕入れる為に英語の学術書や論文の読み書き能力と学習言語の重視が出発点で、今みたくリスニングや日常で使えるみたいな生活言語を重視するコンセプトと真逆だったからなあ。
何回この話してんだよ。
息子の同級生たちを見て、なんとなく、優しい子どもが多いような気がする(自分たちの昭和で過ごした子ども時代と比べて)。優しいというか、穏やか。
子供は大人っぽくなって、大人の方が幼稚だなと感じることが多くなった。
うちの年子兄妹(4歳&3歳)保育園でネイティブティーチャーにイングリッシュタイムで教えられてくるためか、蜘蛛を指差して『すぱいるー』って言ってたな
( オペラはじめてきいた日本人が大爆笑したらしいから、異文化に接したときの作法の問題と思うぜ ) ( そしてたぶん日本人の問題というより、特定の階級における躾の問題 )
はてブにもトギャッターのコメント欄にも努力した話のまとめに小馬鹿にする奴らがいるのでその辺世代交代で一掃されるなら良い
あれ、いわゆる冷笑しぐさだよな。
真面目を茶化すようなどこぞの地域のクソ慣習とか大嫌いだね。「天才博士ちゃん」みたいな子たちが尊敬されるような世の中であってほしい。真面目を茶化すような連中は永遠に泥でもすすってろ。
子供を見ててもいわゆるグレてるのがかっこいい的な傾向はなさそう。それに伴い、問題児の問題が性格なり境遇なり、本質的なものが見えるようになってきてる気がする。それはそれでしんどい。
自分が中高生だった1980年代は、帰国子女の同級生の発音が笑われたな。一方で"danger"を「ダンガー」と読んだ同級生も笑われてた。
周りがどう思うかを気にする必要は、全くない。そういうガチの自己肯定感と本来の結びつけられるべきものなんだと思う、本気でやる行為の価値って。ゾーンに入る。
同調圧力の強さは、学校やクラスによって、もっと言えば声の大きい人物の存在によって、著しい差がある。
ある意味バカにされるのなら幸せで、「あの子とはなんか合わないから…」となんとなくドライな対応され続ける方がきついとふと思った。
そんな努力に疲れたから怠そうにやるけど実は有能(願望)というヤレヤレ系が流行っているし、本当にデキる奴はアップルとアポーはTPOに応じて使い分けるんすよ。
ほんとに変わってきたんならいいことだけど公立底辺中学出身者としては最後のほうにあるように相変わらずなところは相変わらずなんだろうなとしか
私が受けた英語の授業では、英語の先生があんまり発音をしっかり教えていませんでした。特徴的なthとか、æとか、LとRの違いとかはもちろんやりましたが、それ以外はほとんどなし。
親・大人の意識変化もあるのでは。我々の頃は大人(親含む)が自分の枠組みをすごくガッチリもってて、そこから外れるとすぐバカにしたりあげつらう発言をするのが一定いた。子供はそれをマネしていただけだと思う。
がんばる人が褒められる、当たり前のことではあるけど素敵なことだよね。
それこそPPAPのように歌として発音に慣れさせるは良い方法だし、既にやってるかな。
そういうのは男子校とか女子校の良さではあると思うかな、狭い観測範囲の中で笑
掃除の時間の方が顕著だったと思う。
"「恥ずかしがってる方が恥ずかしい」ってマインド"、ガチな人や夢中な人はカッコイイという認識を、人生の早いうちに身に付けられたら強いよね。/制服の着方も、あまり着崩してない子が増えた気がする。
自分も小2のときにめっちゃ感情込めて教科書を朗読したら担任教師に笑われた。絶対こんな思いをさせないと心に決めて小学校教師になり小2の同じ教材で感情込め朗読大会を開いてめっちゃ褒めまくる復讐を完成させたわ
大学のドイツ語の授業で、私の発音を最前列の女子集団に真似されたのを思い出す。
ネットで刺されるからかなぁ
やるやん
分かる、あったね…何かの弾みで国語の田中正造の伝記にハマり、積極的に授業に参加して、そういう扱いを受けたけど「やる気か、オレは殺るよ」と凄んで黙らせていた。何故あんなことが出来たのか今も謎
昔みたいに誰でも子供産む時代じゃないからなー。そこそこ洗練されてきてるとは思う。
国語の朗読はつっかえずにスルスル読めたので普通に読むのではつまらなくてキャラになりきったらバカにされるどころか大いに受けていい思い出しかない
いい事だ。
ネットで本物に簡単にアクセスできるようになったのが大きいよね。昔は教科書の内容は生活と地続きでない、「東京モン」とか「ガイジンさん」の話だった
逆に、たまたまそういう人間が居るといきなり荒れるんだよなぁ。上の学年のクラスが崩壊してて見てて辛い。
この悪い方の同調圧力がネットの陰湿なネガコメだったり退職者を裏切り者扱いしたりひいては自己犠牲で給料安いままこき使われて経済悪化した原因なんだろうな。
いじめや差別、からかいなどについて小学生の民度は今の親世代よりも確実に上がっているが、全国そうだと言って良いのかはわからない、特にいじめ自殺が起きているような地域では
apple の発音は ǽpl だよ!アポーじゃないよアプゥだよ!「ア」はアとエの中間くらいで発音するよ!私は昭和の時代に流暢に教科書を音読して英語の神として崇められてたよ!いまだに喋れないけどね!
“一瞬の間があって先生が「・・・上手いですね」って。そしたら周囲から拍手起きました。” いいねえ
最近、複数の漫画で子供のこの種の(昔と違う)リアクションを受け「今の子はコンプライアンスに沿ってる!」的に大人の主人公が驚くギャグがあったな。タイトル思い出せないが……
オエイシスじゃん
そもそも合唱を授業でやることや、英語を一人ずつ発音させること、感情を込めて朗読させることに問題があると思っているので、早くなくなってほしいなあ。もっと本質的な勉強しろよ。
えらいにゃ!一生懸命ってステキにゃ!笑うなんてヒドイにゃ!ボクは歌も英語もヘタクソだけど、応援するにゃ!みんな頑張ってにゃ!えいえい、にゃー!
50歳なので英会話は無かったし、歌はちゃんと歌ってた(というか何人かで声を競い合って逆に迷惑かけてたかも)。でも、校歌と国歌は歌わないのが多かった。それが、恥ずかしかったのか、反日的だったからかは分からん
あの「不良文化」って多分子供の人数が過密という悪環境で起こることで、少子化だ大変だとか言ってるけど実は今が適正化なんだろう
30年くらい前、笑われても全力で成績上位に居続ければそんなもんと認められてた気がする。そこに至るまで転校後半年くらいかかったけど。笑いたいやつは笑わせておけばいい。ずっとそうやって生きてる。
実にいいことですね。あの風潮はほんと反知性主義の温床のように感じてました
真面目だから笑うわけではなくて、その結果なんかおかしなことになってるから笑ってるんだよ。朗読で言ったら感情を込めるつもりで単に抑揚が変とか大袈裟すぎるとか。
進学者が本当に少数だった明治期は真面目にやる者を馬鹿にする文化はなかったのではないか。英語の発音は商品広告CMの影響も大きそう、企業が率先してアップルやコーヒイではなくアッポゥやカッフィと言って欲しい
発音については、奇麗な発音とか言ってる人がネイティブでもなんでもないんだよな。
そういう話ではないが大学体育会の部員は学歌を大声で歌えなければならなかったが応援団や武道等の学ラン系は当然としてもシュッとした射撃部の新入の女子が一人ずつ絶叫させられているのを見て少し気の毒だったなw
近藤真彦さんのスニーカーぶる~すが100万枚売れた時代なので仕方がない(´・ω・`)
帰国子女だと日本に帰ってきてから要らない苦労をさせられるやつ。特に英語の時間は英語そのものは好きなのにコレのせいで苦痛だった人、多いんじゃないか? あと文法ばっかりとか(不要とまでは思わないけど)
ワイもともとマジメなほうやけど、これはかつて自分が望んだ変化やなと思う反面、メリトクラシーが強まって居場所がなくなっている子どもがいるんじゃないかと思うのよね。
昭和末期だとヤンキーとかちょっと悪い奴がモテて真面目が笑われるという雰囲気はあったよな
秩序毀損に対する反応や適応だろうか。その社会での割合とか?
よもや「頑張らない」性質が淘汰された結果では…
小学校は先生によるのでは。僕は公立の小学校でしたけどそういうのは無かったと記憶しています。高校の時はなんか気恥ずかしさがありましたけど
>「恥ずかしがってる方が恥ずかしい」ってマインドで、合唱も真剣にやるし、英語は、外国人も増えたせいかネイティブ並みの発音の割合が増えたから、「うまく発音したい」という意欲を感じる。
俺も笑われたなぁ。懐かしい
小さなポルポト
上手に披露して揶揄されないことは喜ばしいが下手な時にどう反応されるか気になる。スポーツ得意な児童が称賛される時ドベはどういう扱いを受けたか
ネイティブに週イチで英会話習ってた小学生時代だったので、当然のように中学校で「ガチな発音」したら笑われました。ガチな発音が周囲から「おぉ」って評価されたのは就職して海外向け機器の製造/販売に就いてから
TVバラエティもラジオの深夜番組もがそうういう笑いを作ってたし真面目な事柄を笑うネタやってたし子供のせいじゃなく当時の大人のせい。そのくせオリンピックとか品行方正を求めてたしひどい時代だった。
真面目にやらない=反権力がカッコイイと言う時代が去ったんだな。
しくじり先生でやってたね
ネットの煽りで「必死だなw」というのを最近あまり見なくなったような気がする
うちの子供はちゃんと発音したら隣の子供に「英語喋るなら外国に行ったら?」と言われたそう。
いや、ガチで本当に上手い歌は人を黙らせる威力があるぞ。そんな瞬間を見た時がある。
変わってきているのならいいことだな
ガチチャレンジを嘲笑う風潮を止めようとしてくれている全ての人、ありがとう。小さな私が喜んでいます。 ていうか、あの嘲笑、何の役に立つの? 何の理由があって嘲笑ってたんだろう。
“なんで日本は真面目に一生懸命やってる子が笑われる世界なんだろう”
「あいつ必死だよ」「まじめぶってる」って時代あったね。その世代が成長して、今のネウヨを染め上げてる世代になってんだよ。
かつて音楽の授業や合唱でガチで歌ったり、英語の発音が良いことを理由に笑われる時代があったが、今の小中学生は変わってきている、という話
英語の発音をそれっぽく読むと失笑されるのは、自分はうまいつもりだが本当はうまくなくて、日本人が英語を喋るときの「不気味の谷」に落ちているからだよ。帰国子女だと別に笑われない。
流石にこっちでベタベタの日本語発音英語だと日本人から笑われる可能性あるが、実のところ変に巻くだけのエセ英語発音よりハキハキ喋るなら日本語発音英語の方が現地人には全然通じる。
もう25年くらい前の話だが帰国子女でも余裕で笑われたからな 「カッコつけてんじゃねーよ」って言いがかりだったから発音の良し悪しが問題ではない。今は良くなってればいいが
ネイティブを模倣して学習する側を不気味の谷とか言い訳こいて笑いものにするとか、まだ、中学生かな?
自分の体験談で「日本がー」とか断言してる人も同類。「日本人はこういう連中」って決めつけて、個々を見ようとしない点でね。「日本はこういう連中」と「朝鮮人は井戸に毒を入れる連中」の間に、境目はない。
“私が子どものときの、だるそうにダラダラするのがかっこいい、頑張るのはダサいという雰囲気がない” すごくいい!
これはガチってる奴をばかにする風潮の話で、特に英語の話に焦点を絞ってる話題でもないのに、英語の発音の部分しか反応しないのはあまりにもブクマカ英語コンプレックスすぎだろと苦笑せざるをえない
ガチなのはイタいという価値観は全般的にあった。気はする。一方でヒップホップ方面のワルい人はこなれてる方が偉いのである(たぶん)
いや、“音楽の授業や合唱でガチで歌ったり、英語の発音が良いことを理由に笑われ”る様な世の中の方がいいでしょ。どう考えても、「合唱を“ガチ”で歌わされる」事が「良い事」になってる方が地獄。英語も同じ。
松本人志の復活がぶり返しに繋がらないことを願う
権力者(先生や一目置かれている子)が認めると一気に空気が変わるのもあるある。子供って単純ね
“私は笑われてた子。なんで日本は、真面目に一生懸命やってる子が、笑われる世界なんだろう。そのくせイチローとか大谷とかの真面目は大絶賛する。偉業を成し遂げない真面目は、不毛な真面目なのか”
昨日読んだ「日本のアイドルダンス文化、何がどう変わった?(後編:竹中夏海インタビュー」 https://natalie.mu/music/column/645892 で竹中氏は、「羞恥心という最大の敵をネット文化が軽減してくれた」と指摘してたな。
今、高市を罵倒語で誹謗中傷している人ってそういう人たちなんだろうって思う。大人になっても変わらない。まるで安倍派である。まあそういう人たちは下手な人も嗤うからね
ブコメの感想。笑われるガチ(歌とか勉強)と笑われないガチ(運動)があるのが正しいってこと?強者がカラオケ上手いと称賛され弱者だと笑われるのが正しいってこと?正誤はしらんが私は嘲笑うの自体嫌い。/理解
ワンダンスかな?
お前の通ってた底辺学校を基準に世間を語るな定期
40半ばだけど真面目なことを馬鹿にする人たちは結構いた。学業成績がいいことを馬鹿にする人もいた。先生受けがいいのも馬鹿にしてたので、大人からの反発をする俺かっこいいだったんだろうなぁ。
日本人の若い人たちがリベラル化してきてて年寄りの「リベラル派」もついていけてない状況、未来は明るいというべきなのか?期待はしたいね。どちらもちょっとネオリベお客様主義なのは心配だけど…(老害男性より
日本の学校英語の出発点が先端技術を仕入れる為に英語の学術書や論文の読み書き能力と学習言語の重視が出発点で、今みたくリスニングや日常で使えるみたいな生活言語を重視するコンセプトと真逆だったからなあ。
何回この話してんだよ。
息子の同級生たちを見て、なんとなく、優しい子どもが多いような気がする(自分たちの昭和で過ごした子ども時代と比べて)。優しいというか、穏やか。
子供は大人っぽくなって、大人の方が幼稚だなと感じることが多くなった。
うちの年子兄妹(4歳&3歳)保育園でネイティブティーチャーにイングリッシュタイムで教えられてくるためか、蜘蛛を指差して『すぱいるー』って言ってたな
( オペラはじめてきいた日本人が大爆笑したらしいから、異文化に接したときの作法の問題と思うぜ ) ( そしてたぶん日本人の問題というより、特定の階級における躾の問題 )
はてブにもトギャッターのコメント欄にも努力した話のまとめに小馬鹿にする奴らがいるのでその辺世代交代で一掃されるなら良い
あれ、いわゆる冷笑しぐさだよな。
真面目を茶化すようなどこぞの地域のクソ慣習とか大嫌いだね。「天才博士ちゃん」みたいな子たちが尊敬されるような世の中であってほしい。真面目を茶化すような連中は永遠に泥でもすすってろ。
子供を見ててもいわゆるグレてるのがかっこいい的な傾向はなさそう。それに伴い、問題児の問題が性格なり境遇なり、本質的なものが見えるようになってきてる気がする。それはそれでしんどい。
自分が中高生だった1980年代は、帰国子女の同級生の発音が笑われたな。一方で"danger"を「ダンガー」と読んだ同級生も笑われてた。
周りがどう思うかを気にする必要は、全くない。そういうガチの自己肯定感と本来の結びつけられるべきものなんだと思う、本気でやる行為の価値って。ゾーンに入る。
同調圧力の強さは、学校やクラスによって、もっと言えば声の大きい人物の存在によって、著しい差がある。
ある意味バカにされるのなら幸せで、「あの子とはなんか合わないから…」となんとなくドライな対応され続ける方がきついとふと思った。
そんな努力に疲れたから怠そうにやるけど実は有能(願望)というヤレヤレ系が流行っているし、本当にデキる奴はアップルとアポーはTPOに応じて使い分けるんすよ。
ほんとに変わってきたんならいいことだけど公立底辺中学出身者としては最後のほうにあるように相変わらずなところは相変わらずなんだろうなとしか
私が受けた英語の授業では、英語の先生があんまり発音をしっかり教えていませんでした。特徴的なthとか、æとか、LとRの違いとかはもちろんやりましたが、それ以外はほとんどなし。
親・大人の意識変化もあるのでは。我々の頃は大人(親含む)が自分の枠組みをすごくガッチリもってて、そこから外れるとすぐバカにしたりあげつらう発言をするのが一定いた。子供はそれをマネしていただけだと思う。
がんばる人が褒められる、当たり前のことではあるけど素敵なことだよね。
それこそPPAPのように歌として発音に慣れさせるは良い方法だし、既にやってるかな。
そういうのは男子校とか女子校の良さではあると思うかな、狭い観測範囲の中で笑
掃除の時間の方が顕著だったと思う。
"「恥ずかしがってる方が恥ずかしい」ってマインド"、ガチな人や夢中な人はカッコイイという認識を、人生の早いうちに身に付けられたら強いよね。/制服の着方も、あまり着崩してない子が増えた気がする。
自分も小2のときにめっちゃ感情込めて教科書を朗読したら担任教師に笑われた。絶対こんな思いをさせないと心に決めて小学校教師になり小2の同じ教材で感情込め朗読大会を開いてめっちゃ褒めまくる復讐を完成させたわ
大学のドイツ語の授業で、私の発音を最前列の女子集団に真似されたのを思い出す。
ネットで刺されるからかなぁ
やるやん
分かる、あったね…何かの弾みで国語の田中正造の伝記にハマり、積極的に授業に参加して、そういう扱いを受けたけど「やる気か、オレは殺るよ」と凄んで黙らせていた。何故あんなことが出来たのか今も謎
昔みたいに誰でも子供産む時代じゃないからなー。そこそこ洗練されてきてるとは思う。
国語の朗読はつっかえずにスルスル読めたので普通に読むのではつまらなくてキャラになりきったらバカにされるどころか大いに受けていい思い出しかない
いい事だ。
ネットで本物に簡単にアクセスできるようになったのが大きいよね。昔は教科書の内容は生活と地続きでない、「東京モン」とか「ガイジンさん」の話だった
逆に、たまたまそういう人間が居るといきなり荒れるんだよなぁ。上の学年のクラスが崩壊してて見てて辛い。
この悪い方の同調圧力がネットの陰湿なネガコメだったり退職者を裏切り者扱いしたりひいては自己犠牲で給料安いままこき使われて経済悪化した原因なんだろうな。
いじめや差別、からかいなどについて小学生の民度は今の親世代よりも確実に上がっているが、全国そうだと言って良いのかはわからない、特にいじめ自殺が起きているような地域では
apple の発音は ǽpl だよ!アポーじゃないよアプゥだよ!「ア」はアとエの中間くらいで発音するよ!私は昭和の時代に流暢に教科書を音読して英語の神として崇められてたよ!いまだに喋れないけどね!
“一瞬の間があって先生が「・・・上手いですね」って。そしたら周囲から拍手起きました。” いいねえ
最近、複数の漫画で子供のこの種の(昔と違う)リアクションを受け「今の子はコンプライアンスに沿ってる!」的に大人の主人公が驚くギャグがあったな。タイトル思い出せないが……
オエイシスじゃん
そもそも合唱を授業でやることや、英語を一人ずつ発音させること、感情を込めて朗読させることに問題があると思っているので、早くなくなってほしいなあ。もっと本質的な勉強しろよ。
えらいにゃ!一生懸命ってステキにゃ!笑うなんてヒドイにゃ!ボクは歌も英語もヘタクソだけど、応援するにゃ!みんな頑張ってにゃ!えいえい、にゃー!
50歳なので英会話は無かったし、歌はちゃんと歌ってた(というか何人かで声を競い合って逆に迷惑かけてたかも)。でも、校歌と国歌は歌わないのが多かった。それが、恥ずかしかったのか、反日的だったからかは分からん
あの「不良文化」って多分子供の人数が過密という悪環境で起こることで、少子化だ大変だとか言ってるけど実は今が適正化なんだろう
30年くらい前、笑われても全力で成績上位に居続ければそんなもんと認められてた気がする。そこに至るまで転校後半年くらいかかったけど。笑いたいやつは笑わせておけばいい。ずっとそうやって生きてる。
実にいいことですね。あの風潮はほんと反知性主義の温床のように感じてました
真面目だから笑うわけではなくて、その結果なんかおかしなことになってるから笑ってるんだよ。朗読で言ったら感情を込めるつもりで単に抑揚が変とか大袈裟すぎるとか。
進学者が本当に少数だった明治期は真面目にやる者を馬鹿にする文化はなかったのではないか。英語の発音は商品広告CMの影響も大きそう、企業が率先してアップルやコーヒイではなくアッポゥやカッフィと言って欲しい
発音については、奇麗な発音とか言ってる人がネイティブでもなんでもないんだよな。
そういう話ではないが大学体育会の部員は学歌を大声で歌えなければならなかったが応援団や武道等の学ラン系は当然としてもシュッとした射撃部の新入の女子が一人ずつ絶叫させられているのを見て少し気の毒だったなw
近藤真彦さんのスニーカーぶる~すが100万枚売れた時代なので仕方がない(´・ω・`)
帰国子女だと日本に帰ってきてから要らない苦労をさせられるやつ。特に英語の時間は英語そのものは好きなのにコレのせいで苦痛だった人、多いんじゃないか? あと文法ばっかりとか(不要とまでは思わないけど)
ワイもともとマジメなほうやけど、これはかつて自分が望んだ変化やなと思う反面、メリトクラシーが強まって居場所がなくなっている子どもがいるんじゃないかと思うのよね。
昭和末期だとヤンキーとかちょっと悪い奴がモテて真面目が笑われるという雰囲気はあったよな
秩序毀損に対する反応や適応だろうか。その社会での割合とか?
よもや「頑張らない」性質が淘汰された結果では…
小学校は先生によるのでは。僕は公立の小学校でしたけどそういうのは無かったと記憶しています。高校の時はなんか気恥ずかしさがありましたけど
>「恥ずかしがってる方が恥ずかしい」ってマインドで、合唱も真剣にやるし、英語は、外国人も増えたせいかネイティブ並みの発音の割合が増えたから、「うまく発音したい」という意欲を感じる。
俺も笑われたなぁ。懐かしい
小さなポルポト
上手に披露して揶揄されないことは喜ばしいが下手な時にどう反応されるか気になる。スポーツ得意な児童が称賛される時ドベはどういう扱いを受けたか
ネイティブに週イチで英会話習ってた小学生時代だったので、当然のように中学校で「ガチな発音」したら笑われました。ガチな発音が周囲から「おぉ」って評価されたのは就職して海外向け機器の製造/販売に就いてから
TVバラエティもラジオの深夜番組もがそうういう笑いを作ってたし真面目な事柄を笑うネタやってたし子供のせいじゃなく当時の大人のせい。そのくせオリンピックとか品行方正を求めてたしひどい時代だった。
真面目にやらない=反権力がカッコイイと言う時代が去ったんだな。
しくじり先生でやってたね
ネットの煽りで「必死だなw」というのを最近あまり見なくなったような気がする
うちの子供はちゃんと発音したら隣の子供に「英語喋るなら外国に行ったら?」と言われたそう。
いや、ガチで本当に上手い歌は人を黙らせる威力があるぞ。そんな瞬間を見た時がある。
変わってきているのならいいことだな
ガチチャレンジを嘲笑う風潮を止めようとしてくれている全ての人、ありがとう。小さな私が喜んでいます。 ていうか、あの嘲笑、何の役に立つの? 何の理由があって嘲笑ってたんだろう。
“なんで日本は真面目に一生懸命やってる子が笑われる世界なんだろう”
「あいつ必死だよ」「まじめぶってる」って時代あったね。その世代が成長して、今のネウヨを染め上げてる世代になってんだよ。