これな。お気持ちヤクザが「嫌なら見るな」を強制してくるのほんま息苦しいわ
"not for youなんだから無言で離れるべき"ルールあるの?知らんがなって感じだな。その作品に時間をもう1秒も割く気はないとか、読後感が悪過ぎて早く忘れたいってこともあるけど、盛大に吐き出したいときもそりゃあるし
好きに批判して良いけど、当然お前も好きに批判されるってだけでしかない。"優しいようでむしろ不寛容なしょうもない雰囲気" なんてのはしょうもない空気読み。世界はお前の気持ちよさのためには存在してない。
意味とは?単にお前が憂さ晴らししたいだけだろ。それを正当化しようとするから突っ込まれてるだけ
「ネガ意見は黙れ」みたいなのって大抵「ただし実写デビルマンは除く」みたいになってるのに、当人はすげぇ表現に理解のある進歩的な人間面してて、自分のその醜さに気付きもせずに、他人にマウントするんだよな。
わざわざ言及すらしないnot for meな作品が大半なのに何故"その作品"についての不満点は世界に吐き出したくなったのか考えといて
マウンティング欲のなせる業
内容のあるレビューならばネガポジ関係なく役に立つ。否定的な意見を攻撃であると感じる奴らが話をややこしくしてる。批判を読んで自分はこれを好きそうだと触れて気に入った作品とか無いんだろうか。
言論の自由はあるんだから、好きにつまらん言ったらよろしいがな。よく分からんのだがどんな意見でも無定見に受容されるわけじゃないよ。つまらないも受け止めて欲しい?無理。リスク引き受けて発言すれば良き。
スポーツで考えるとプレイや監督がダメでも無言で去れというのはどこまでも馬鹿馬鹿しいし誰のためにもならない。そもそもこの競技はつまらん、となると not for me 的な何かだが、とはいえ主義や立場の表面としてはアリ
「つまらない」までは普通に許容されててそこから「存在の否定」まで行くからなんじゃないの。
批判は自由で、批判に対する批判すら自由。なので「皮肉」が最適解なんだよな。「Aのあのシーン、独特すぎて見られなかった🤓」くらいのやんわりとしたやつ。
批判者の作者の自己満足(性的めいた言葉で言われる)的に表現されなければ。そんな批評なら読みたい。
可処分時間内に消化しきれないコンテンツが溢れかえるこの世の中、見ない方が良い作品を教えといてくれるのとても助かる
無言とは言っとらん。「not for meといえ」と言っている。「not for me」の一言で足りないなら、詳しい理由を聞かせておくれ
つまらないって言う権利はあるが、SNSで書かないほうがいい。エゴサーチする作者に届くし、時間を無駄にさせて申し訳ありませんでしたと謝られたことがある。これだけ作品数がある現代なら、次に行ったほうがいい。
勝手に「つまらん」と言うのは好きにしたらいい。面白いと言ってる人に「どこが面白いのか全然分からないんだけど!」って言いに行かなけりゃね。
個人的にはnot for me が少数派の作品ほど not for me の理由が聞きたい。日本の場合、批判がないと自然に「批判してはいけない」みたいな空気が醸成されがちなので好きじゃない人もいると声を上げる意義はある。
まあわかる
「not for me」の説明しろとまで言ってるヤツ、ほんまめんどくさいな。国民はみんな文芸評論家であらねばならないとか思ってんのかな ( ˘ω˘ )
解らないでも無いが「楽しめた人もいる」わけで、楽しんでる奴らの前で「アレ、つまんなかった!面白く無かった!」と叫んでる自分の姿は駄々捏ねてる子供なので「スピードワゴンはクールに去るぜ」なのです。
批判はすればいいと思うし、批判の批判もすればいい。ただ、「私にはつまらなかった」を「万人にとってつまらないものである」のような主張されるとちょっと萎える
「ネガティブな感想を持った人は本当のファンじゃない」「物語を理解していない」などの根拠レスな俺様裁定でネガティブな感想を否定するから嫌われてるのを「批判意見に反論するのも自由」とか言っちゃうしな。
こんなん好きなやつはアホとか作者はカスとか言い出さなければ別に許されてると思うが
not for meと批評と批判は異なるものなのに、一緒くたに話すからいけない。not for meって謳うなら、誰も傷つけず自分の中で処理をするべきなのに、余計な一言が多いのでは。
いじめっ子がいじめてる子に「俺はいじめてるんじゃない。教えてあげてるんだ。」と言うようなもん。
つまらなかったと一度評してそれ以降は言及しないようにはしてる。好きな人は何度も発言するだろうから自然と好意票で埋まるとは思う
その理屈だとnot for meの感想に対してどんな感想を言っても自由ではないのか。
まあ、それが正義ヅラされるとイラッとはするよな
神トラとかマリオ3D大嫌いなんだけど言い出せなかったので今ここで言っておく( ˘ω˘)でもマリオ3Dはカメラがまともになれば神ゲーの予感
not for meの理由を語るのはとても難しいからですね。「いい」「尊い」はそれで成立だけど「悪い」「クソ」はそれで済ませられないからね。かつ、好きなひとを納得させられる文章を生産する時間と空間はたいてい徒労。
自分にとってつまらない。は別にいいんじゃない?世界には別の評価軸が存在することを知らない人も居るのである、とわかっているといいんだけど、世の中がそうなってない。星がつくサイトとか。
一旦英語で言わなきゃならない心理もなんか関係あるな。Not for meを「自分はそっち行かないけど皆さんで盛り上がってください」の意味なら余計な一言。盛り上がってる側から攻撃されたなら俺の意見も言わせろかな。
意見の表出をやめろっていうのは批判ではなく、抑圧に近いと思うので、表現の自由観点からは懸念する。
「(自分にとっては)「つまらなかった」と言う権利」はある。それを使って他者に何かを強要したりしてはいけない。それは「おもしろかった」場合でも同様。 / 論評自体も論評の対象になる。も追加
"自分にとってどうnot for meだったか、を語ることには意味があるだろ"意味はあるけど、聞きたがる人は少ないイメージ。
つまんねえ物が如何につまんねえかを情熱込めて書いた文章ほど面白い物はないので、「黙って離れろ」は意味がわからん。一方で「こんな物は発表するべきではない」とかは弾圧なので、凹凹にぶん殴って反撃すべき
レビューというものは「ここが良かった」だけでなく「ここがダメだった」という部分も必須なんだけどな。この世に完璧なものなんてないのでこれがないとどこまで悪い所を自分が許容できるのかという判断ができない。
「Not For Me 」は英語圏のSNS・コメント文化の中で定着したものだから、こんな僻地で気炎をあげても意味がない。はてな村では違うのだ、って主張してもいいけどね
つまらなかったらnot for meなんて生ぬるいこと言わずにボロクソにけなせばいいのにと思ってる。もちろん反撃はあるだろう。でも人気作品ほどそうする価値がある。
〇〇だからつまらなかったという意見は該当する人も居るから有意。全てが肯定のレビューは見る必要もないと思う。
"自分にとってどうnot for meだったか、を語ることには意味があるだろ" とても意味があると思うぞ。 つまらない理由として「薄っぺら」だけしか言わない人がとても多いので。
ほめるのは楽しいし聞く人もニコニコしたくなるけど、つまらんとけなすのを興味ぶかく人に聞きこませる技術は至難の技だからでしょうかね。褒める楽しみと同様、けなす楽しみも確かあるけどもさ
タイパ重視の世の中になって、「not for me」を見かけるだけで「触らずに済んだ、得した」と言い出す人が出たからだよ。ブクマにも居る。not for meと「自分に刺さらない」の間には大きな隔たりがあるのにな。
ポジティブな話は感情的で良いが、ネガティブな話は感情的を避けるべき。論理的にネガティブな話してる人はnot for youとか言われないんだわ
感想を言うのも自由だし、お前の感想がnot for meって言うのも自由、というので一貫してれば良いと思う。全員がnot for meを言い合う世界。まぁ、他の人のネガ意見を許さないというのはどうかと思うけど
他人が好きなものを貶しちゃいけない風潮ってあるけど、意見を表明することがヨシとされてる文化では全然そう言うことないので、まぁルールというより文化なのではないかと。ジブリの何が楽しいのか全然わからん。
私は大好きで刺さりすぎた作品ほどネガティブ意見を探しに行って「なるほどそういう視点もあるのか、でも全部論破できるな〜やっぱりこの作品すごい!」と悦に浸ることがある ネガティブ意見もどんどん書いてほしい
「つまんねえ」だけだとつまんねえ意見だから、「◯◯が✕✕なのは▲だからつまんねえ」みたいな感想なら面白がってくれる人も出てくるかもねぇ。
私もこれは思っていた。でも多数派からするとただの愚痴や不満としか捉えられないからあんまり意味がないんよな。自分が良いと思う物を貶されて仕方ないって思う人はいない。
n4uはつまらないではなく合わないかな、食わず嫌いとか私は良いですとかそういうの/つまらないのは勝ち軸のなかで低いだけで合っているのかもしれないし、年齢により若者向けはn4uかもしれない
ラーメン食べてる人の前で、このラーメンクソ不味いって言わないほうがいい。SNSで言うのは、全世界に翻訳まで付けて叫んでるのと同じ。
以前に書いた通り https://b.hatena.ne.jp/entry/4728353747493657284/comment/Shin-Fedor だが、これけっこう悩ましい話で、自分の好きな作品に粘着アンチされると「何か好きかで自分を語れよ!」と偽ルフィが出てきてしまう日もある
批判に熱が入ると勢い余って言わなくていいことまで言ってしまいがちなので、ある程度の自制かユーモアに転化できるような余裕が必要
自分に合わなかったからって、ネタバレするわけにもいかず、そうなると薄い説明しかできないのが難しい
好きな物に対しては盲目になりがちなので、批判されても思考停止せず良くない部分を知る事は意味がある。批判者側の誠実さにもよるが、一理ある場合も少なくない。ただ、弾圧や迫害になると話は変わる。
ご飯食べてる人の前でウンコの話をするなってだけの話。SNSは全世界の不特定多数に伝わることを忘れちゃいけない。昔ならチラシの裏に書けって言われた
ちゃんと言語化されているなら読みたいかな。でも言語化するのはなかなか難しい
「俺はつまんない人間だからつまんなかったぜ!」は別に構わないんじゃないかと思う。「こんなつまんない作品面白がる奴らはアホwww」みたいなのはよくない。
"なんだろうね最近のこの、優しいようでむしろ不寛容なしょうもない雰囲気" 優しいようで不寛容、まさに自分も気になってるヤツだ。達観してるようだけどある種のルールベースで自動発声される気持ち悪いヤツ。
なんか変に影響力あるヤツの批判を見て、だったら見なくていいや。ってなってるやつがいちばんダサい。
短文SNSだと短い罵倒にしかならず争いの火種となるのでマジでふざけんなよと思った時は数千文字にしたためます。
制作側の人柄や姿勢を責めるような批判は面白くない。つまらなポイントは具体的であればあるほど良い。演出、脚本、演技、セリフ、音楽などチェックすべきところはいくらでもある。
ネガティブな感想を思うのも言うのも自由だけど、全それを世界に公開したいと思う気持ちとその責任については向き合わないとダメだと思う。何故あえてそれを公開したいと思うのか?
全然そういう意見もあるよねと思うんだけど、唯一絶対の答え、これがわからない奴は馬鹿!くらいの勢いの人がたまにいるからな〜 好みの問題でしょ?お前そんなに偉くねーからって反論したくなる。
この手の言説が批判されがちなのは、「わいが気に入らない作品が世の中に持て囃されてるのが気に入らない」と粘着し始めるヤツがいるからやね。優れた批判は、対象作品を気に入ってる人も納得させる力がある。
あるよ。言ったあとどうなるか想像したときに黙って離れたほうがよさそう、と思ってる人が多いだけだよ
not for me強要からは、肯定的な主観はそのまま気軽に表明してよくて、否定的な主観は公共性のある高度な批評へ昇華できた場合のみ表明することが許される、みたいな非対称性を感じる。
好き嫌いというよりは、宗教違いのことだと認識してた。
俺は「これを好きな人を傷つけたくないから」という理由を挙げさせていただく。
全部好きというレビュアーに価値が無いのと同じで、つまらない価値観の表明に意味はある。ただ言いかたっつーもんがあるだろうと思われないように最低限の敬意は持ってほしいね。人は「嫌い」も語れるものよ。
黙って去れ、は5ちゃんのファンスレに延々とクレームを書き込むようなのを想定していると思われる
ある程度住み分ければ良いよ。自分は楽しかったコンテンツはエックス、ダメだったのは別名義で映画ドットコムとかに書いてる。ネガ意見は当然攻撃的な反応も起こりやすくて疲弊するから拡散性の低い場所で
ネットのオタクはnot for me=駆逐してやるなんだよなぁ
寛容であれは、批判するなという意味ではない。嫌い、つまらないと言うのは自由。ただ、自分と違う好みや価値観の存在まで否定しない。それが寛容ということでは。
not for meなら黙ってろ!と唾飛ばして喚きまくる連中が、自分の気に入らないものに対しては罵倒しまくるだけでなくキャンセル仕掛けるのはよく見る。普段から反ポリコレ表自活動に熱心な連中。
批評と云うよりは「こんなクソは掃除すべき。創作意欲を根刮ぎ刈り取れ!」みたいな社会運動なのが多すぎてうんざりした結果でしょ。
雰囲気を感じ取らなければよいのだよ。日本人は読み取る能力を発達させすぎてしまっている。
自分の不快を理論武装して世界にアピールするならツッコミは入ると思うけどね。相手からのツッコミは当然受け入れるのよね?後で読み返して視野の狭さが露呈して恥ずかしいな、離れた方がいいなと思うようになった
増田はきちんとつまらない理由を言語化できそうな気がするのだが、多くの人はそこに至らない低次元の言説しかできないので「ちょっと黙ろうか」という風潮になるのも理解はできる
「不満を公にぶちまけたいが、正論で反撃され悪者になるのは嫌」という自己保身。反撃リスクの高い現代SNSにて、安全圏から他者を叩く免罪符を得るべく、「美意識」や「批評の権利」を盾にして自己正当化している。
結婚当初相方から「私の観てるドラマや映画に横から『つまらない』とか言うのだけはやめてほしい」と釘を刺されっぱなしになってる。お陰で平和だ
むしろがんがん言っていいよ!でも not for me を言うときに、人は感情が乗ってmeが拡大し数多のyouたちに刃を向けがちだから、「無言で離れるべし」と同レベルの不毛な争いが生じる。そこだけ気をつけてもろえればOK。
"好きに批判して良いけど、当然お前も好きに批判されるってだけでしかない。"って書いてる人は本気でそう思ってるんだけど、"私も批判しないから、あなたも批判しないでいるべきだ"を正当だと思っている人は多くいる
これは料理を食べた時の「不味い」にも言える事で、広く万民にとって不味いのか、単に自分の嫌いな食材が入っていただけなのか分からないからノイズでしかない。説明できないなら黙って去れとしか言えない。
つまらない訳ではなくて単に趣味ではないってのは大いにあるなって昨日メタルのフェス行って思ったな〜。私はアドレナリン出なかっただけという、ほんと趣味ではない領域のものって結構ある。
ミームや他人と同じワード繰り返してる賞賛より、怒りを込めた批判意見の方がよほど面白いよ。自分が好きな作品についてだって。not for meなら離れろではなく好きでも嫌いでも書くことないなら書かなければいい
この作本はnot for meだった。と頭につければnot for youというツッコミをもらわずに済むかも。
俺はつまらないやつを見つけた時に黙れカスと言うことにしてる
他人が面白かったと言ってるところに呼ばれてないのにわざわざ行ってつまらなかったと言い放ち面白かったと思ったことが間違いだったような言動をする人が一定数いるんだよな。
はてブで好き勝手言ってるお前らが何を言っても無惨
場所や相手によるんだと思う。それを好きな人だけが集まるファンコミュニティや、それを好きな人に対して全否定するだけのnot for meを言うのは良くなくて、そうでない場(はてブとかSNSとか)なら別にいいと思う。
この前「SNS では良かったことだけ書いてほしい」とSNSで発言した演劇関係者が観客からも同業者からもフルボッコされてたのでものによるのでは 人格攻撃や罵倒は良くないけど創作に批判はあって当たり前
発言したならその意見への批評が発生する可能性があるという事。それと同時に他人に意見を言うなと言うのもおかしなことではある。寛容な社会では不寛容な意見は排除されるべき
盛大にお気持ち表明すればいいさ。ただし公共の場でそれを行うことは対論を受け入れることが代償となる。増田がそれを拒否するのであれば口を閉じたほうがいいね。きゅっぷい。
最近はnot for me で黙って離れる事を是とする圧力が強すぎる、とは思う。対抗すべきと思うが批判って結構体力使うのでサボりがち。▼もっとカジュアルに言ってもいいかな、あくまで「俺の感想」なんだし。
「not for you」は「つまらない」を構成する要素のごく一部に過ぎない。すべて「not for you」で説明がつくと思う者は物を知らんやつか論争に怯えているヘタレ。なにかを語る資格はない。
「自分にとってどうnot for meだったか、を語ることには意味がある」少なくとも、その時点まではnot for me ではない。
根本、批判と誹謗中傷の区別がつかないのが多すぎ。
例えば、アンパンマンに普通にハマる大人は少ない。ではつまらないのか、と言えばNoでしょ。かつて好きだったかもしれないし、これから好きになるかもしれないけど、今はいらない。これがNotformeだと思ってる
つまんないコメントだけど、言い方次第かな。作品の内容自体への批評ならご自由に。円盤や書籍を破壊してアップやただの罵倒・誹謗中傷は他所でやってくれと思う。
ネットの感想の比重がデカくなって売上とかに響くからだよそういうの気にならない規模ならいいだろうけど
否定ではなくて、ここは自分としてはおもしろいと感じなかったってのは共有していい気がしますよね。
カラオケのように場を肯定的に盛り上げるゲーム、まあは美徳シグナリング稼ぎゲームにみんな夢中。マルチプレイだから中毒性高いし。作品と自分に集中するソロゲーム派や、美徳じゃなくdisりを磨くゲームは時代遅れ。
批判もできない無関心(not for me)も結局罪なので素直につまらないと言うのだ。大体これでボドゲ因習村から何故か免罪符のために無駄に広がった始まったLRの悪しき風潮を正面から戦い弾き飛ばす
「つまらないじゃなくてNot for meと言おう」というある種の世渡り術をマナーにまで昇格させて叩き棍棒にまでした上に、Not for meすらクリエイター様が傷つくから辞めようという体たらくに付き合う必要なんて無いよ
この件で思ってるのはまずお前の好きなものを並べろ話はそれからだみたいな人が多い。正直つまらないと言ってもいいけどそのつまらないには何も価値はないからスルーせざるを得ない
誰も何も感想を言ってくれないよりも、not for me, つまらない、でも反応があったほうが嬉しいのではと思ってたけど、そうでもないの?
何年か前に増田に上がってたnot for meうるせえ!みたいな記事面白かったな
何が好きかより、何が嫌いかで自分を語れよ
“自分にとってどうnot for meだったか、を語ることには意味があるだろ”、きちんと言葉で説明できるなら素晴らしい。
まあでも「経口補水液 ★☆☆☆☆ 塩気が強すぎる」みたいなレビューも実在して、それで熱中症の人が「経口補水液!? ダメダメ! あれ塩気強いんでしょ!?」とか言って飲まないみたいなことになるから
つまらないものをつまらないって言わないと、なんとかプペルみたいなのが増えるでしょ
「人それぞれ」の言い換えだからなー 俺はその言葉は思考停止宣言だから嫌いだし
好きに批評したら良いと思うが友人の前だけはやめたほうが無難。相手の好きなものにケチをつけるような事はNG。
↓not for youなんだから無言で離れるべきと言ってる人には、批判を批判する権利は無い。無言で離れるしかない。
作者やファンの人格否定までする輩は黙ったほうがいいけど、それ以外はみんな寛容じゃない?
「not for me」だったことを粘着的に語り続ける人がいてウザいということだと思いますね。
「つまらない=not for you」を受け入れてるのが批判する者としてぬるすぎるのでは
というか、not for meって書けばいいみたいに考えてる人が結構いて、それは単なる言葉狩りでしかなくて、そう思うならわざわざ楽しんでる人たちの中に入ってくるなって話なんだよなあ
小説や映画、漫画、ゲームすら「この時間AIと壁打ちしてお金とか稼げるネタ考えたほうがおもしろい」ってなった、全てのつまらないがそこに集約し始めてる。でもDGXとか買って寧ろ散財・・。
not for meを声高に叫べばいい。not for meの声にすら承認を求めるからおかしくなる。not for meに噛みつく連中は無言で離れることが出来なかったダブスタ野郎共だから無視すればよい。
意見を「批判」、議論を「喧嘩」と思っちゃう人が多いうちは難しいよねえ
「無言で離れるべき」みたいなルールはないと思う。自分は、他に楽しいことあるから、さっさと決別して新しいことを楽しんだ方が有意義と考えている。一方で、あまりに not for me が多いなら分析したほうがよいかもね
not for meを語ることに意味はあるけど、この作品好きなんです!って言ってる人たちの中にわざわざ入っていって、つまらないと思う理由を説明されると、離れたところでやっててくれないかなとは思う。
自分の感想を他人に押し付けるなってことだろ。よくいる「つまらないから見るな」「つまらないことをやらせるな」「つまらないことをやってる人間を許さない」って、俺とお前は価値観が違うって基本的なこと考えろ
ネガティブな意見を表明するときは、ポジティブな意見よりも言葉・文章をよく考えましょうね、とは思う。
つまらなさも作品という意味でシャーク作品好きはとても真摯な態度だと思った どうでもいいけど
ちゃんとnot for meを語ってくれるレビューめちゃくちゃありがたい。おかげで全体としては高評価なのに濃い低評価レビューを見て回避出来ることが多々あるので、私もちゃんと語るようにしている。
それを公共の場で言うことで誰かが不愉快な気持ちになることと天秤にかけた上で発言することを選んだんだなコイツは、とは思う
not for me 以前に「水準に達してない」という事もある。ドラゴンボール実写版とか「何故それを商業映画として公開できた?」みたいな。うっかりそれを評価した人が「出来の悪さ」を指摘されて、not for me にすぎない! と…
教養があるから楽しめるもの、初めて接する分野だから楽しめるもの…多様な受け止めがあるのに不満を列挙してバッサリ批判している俺カッコいいみたいなのは正直見苦しい。
「not for you」を言語化するのって大変で、「つまらなかった」って言う方が楽なんよね。だけど、批評として求められるレベルは前者は「個人の感想」なので低い一方、後者は説得力がないといけなくて高くなる。
わかる。/何が好きかを語るより、何が嫌いかを語ることの方が、その人がどういう人なのかわかる
個人の感想を書くくらい自由だと思うよ。たまにXで作者に直接いう馬鹿がいるので、せめてAmazonのレビューくらいにしとけと。Xやブログで単に感想を述べるだけなら、それをエゴサした作者側が受け入れるべきだし。
肯定より説得力ある面白い批判のほうが難易度高いんだよね。特に「〜に対する差別だから駄目」とか「こんなの子供に見せられない」とか自分以外の何かのせいにしてるの見た時にそう思う。
"あらゆるつまらなかった作品はnot for me" たんにBadだった場合もある。not for meは好みと質の分離(自分の好み・状態・文脈には合わないの意)
面白かった!という感想をつまらない文章で書かれても「良かったね」ぐらいで済むけれども、つまらん!をつまらない文章で書かれると「お前の方がよほどつまらん」と言いたくなるのが人間の性。批判もエンタメであれ
カネをもらって賛美コメントを書かせるスパムコメント業者はこういう主張に反発する(そうしないと自らの悪質な商売が邪魔されるので)
どちらかというと、not for meに過ぎないものを、後付けの理由でevel だとかbadだと批判するひとに使われる言葉のように思う。
not for meがnot for meって意見に口出しせずには居られないはてブのみなさん。
あーこれ、叛逆ほむらーによる廻天への不満カキコを泥犬信者にボコされた悲しみが綴られた文章やな。大丈夫、一人じゃないよ。(まどアンチセルマ、チーズ娘、アオは良かったじゃん。良くない?、、、そうか、、、)
「(私は)面白くなかった」「美味しくなかった」に目くじら立てる人は攻撃性高いな。一方で、「こんなの面白いとか言う奴は可哀想」「こんなのが旨いとかバカ舌だろ」て一般化してディスる人も攻撃性高くて幼稚や
宇多丸がつまらなかった映画をボロクソに言わなくなってから急にポリコレ臭が吹き込んできた
人の意見に左右されるタイプが、批判的意見を嫌うという側面もありそう。誰が何と言おうと自分の好きは好きで押し通していいはずなのに、それが出来ない脆さを抱えている場合、批判的意見を危険と認識する的な。
だいたい、わたしが気に食わないもんを好きだという奴がたくさんいるのが許せない、好きだと言うやつは頭がおかしいみたいな論調が目立つよね。よくないよ
今や巨乳アレルギーには2次元3次元問わず大抵のセクシーコンテンツがnot for meでして…ぐらいは言わせてください
snsで「コレはアレに比べて良くなかった」と書くと「比較して悪く言うな」という返信返ってくることはある。比較しないで「コレは良くない」と書くとそういうことないのでそうすることにしてる
「無言で離れるべき」という意見には不寛容という人。意見を言うのが自由なら「無言で離れるべき」という意見も言うのはいいだろ。何を気にしているのか。言いたいことがあるなら堂々と無視して言えばいいだけ
つまらないという感想は何も問題がなく、日本国民同士、それをやめろと言う権利もない。問題なのはnot for meを勝手にnot for worldと拡大解釈して表現規制に走ってしまう人たち。それだけだね。
ポジティブな意見もネガティブな意見も玉石混交で、それは健全なネット言論空間ではあるのだが、ポジティブな石に対しネガティブな石はどうにも目障りという非対称性がある
攻撃性を緩和するための一種のマナーだと思うが同調圧力までバーを上げる連中が出てくるんよね
感想なんか他人のことを気にせずに好きにいえばいいんだけど「つまらないといわれている作品」よりもさらにつまらない感想はもっといらないんで。「おれは大嫌いだ」と持論をぶつ方が全然いい。
ノットフォーミーは批判でもなく、私に合わなかったと言ってるだけという認識。発言は自由なので、好き勝手にすればいいと思う。批判されるのもするのも自由。見下したり、バカにしたら自分自身もそのように扱われる
たいていしょうもない後ろ足で砂かけだから飽きられてるんでしょ
どうつまらなかったか説明できる人が少ない、やる気がないってのが問題なんだろうと思うけどなぁ
つまらない理由をちゃんと言語化できる人は口塞いでも発信するから。
何も強制されてはいない。相手がそう言っているだけだ。権利は何ら制限されていない。それでもウンザリして「自発的に」投稿をしなくなれば、相手側の勝ちである。それが言論戦というものだ。
つまらないとは別に、存在が許せない作品ってのもあるよね。許さない権利は持っていない訳ですけども。単につまらないだけなら離れれば良いだけだけど、許せない場合は自らの信念をかけて戦うことになる。
"not for me"って本来、その作品が好きな人とかに感想を聞かれてなるべく角が立たないようにつまらなかったって言うためのものなんじゃないの。だから別に一人で感想言う分にはつまらなかったって言ってもいいんじゃね。
今はそれだけじゃなくて、どこでそれやるかが大きい。昔は喫茶店や居酒屋でくだまいてたのが、ブログになり、SNSでさらに言語の壁もなくなった。SNSは新宿の通りでデモやってるみたいな拡声力があるのが不粋。
つまらないとか長文お気持ちしてもいいけど、楽しんでるコミュニティに粘着荒らしするのはやめてくれ。
文句を言うのはいいけど、文句を言ったからには反論されるのを覚悟するべきで、それを許容せずに俺だけ言いたい放題なのはNG、って話だと思うよ。反論されたくないのなら言うべきじゃない、の言い換えじゃない?
増田の不寛容のスイッチが、ちょっとわかんないですね
無言で離れるべきという人は、それを実践するならそれを表明せずに無言で離れれば良いのではと思うが、不寛容を寛容できるのかと同じ問題なんだろうな。
「not for me→黙って立ち去れ」ならなんでみんなみいちゃんに対してそれができなかったんですかねとか言いたくなるけど、みいちゃんに関しては本当にそうすべきだった説はあるので難しいな。
not for me じゃなくて its for me で語ろう|小林秀雄曰く、批評とは創作表現の形が偶然批評の形を取っただけであり、元来もっと自由にあるべきである
イジメの構造に近くて、not for meをいかに不愉快かを喧伝したいという不快な自分を分かってほしいという承認欲求は出ることはある。批評と不快の承認欲求は別物にしておかないと不快の承認の快楽は感染拡大するよ。
私がクリエイターなら時間とお金を消費して作品を鑑賞してくれた上にネガティブな感想を言うことにもどこか遠慮がちでいてくれる消費者はきっと大好き
なんでもいいけどお前の面白いものを教えてよ。それがつまらなかったらボコボコにしたいんだ
異論はない
つまらない = not for me じゃないよ。面白いけど自分向きじゃないとか、名作なのはわかるけど好みじゃないとか全然あるから。そのへんを履き違えてるとゴチャゴチャ言われるだろうね。でもゴチャゴチャ言う権利もあるよ
「おもしろかった」「つまらなかった」はその人の感想なのでお好きにどうぞと思うけど、演出意図とか作中の事実関係とかを誤認している感想を見るとなんか言いたくなる。
「私にとって面白かった」人は「万人に素晴らしいものである」かのように言うのが珍しくもないのに、逆になるとエクスキューズを要求するのも何なの。
悪口は金払ったんなら言っていいな。ただ作品の評価にとどめるべし
弾圧がダメなのであって批判はむしろ後学のためにも残す価値があるものだけど、問題なのは「誹謗中傷・弾圧表現か批判の範疇か」をメタ視する技術が育ってないorそういう人材が少ない、なのでは
「静かに去れ」と言っている人は結局、自分が好きなものが批判されているのを見るのが耐えられないのだと思う。それ自体は自然な感情だとも思う。
個人的な感想を批評として出すことは有意義だと思うけど、すぐに(自分の奉ずる)社会正義に接続させて界隈に延焼させようとする輩はウゼーと思う。クソがクソを書くことは芥川賞だって認めてる。
批判はそのコミュニティには要らないんだよ。無条件でお互いヨイショできる空間が好きだから煙たがれる
商業なら、金払った分の文句や批判も含めてコンテンツだろう。マーケティングの都合でのトーンポリシングは受け入れ難い。
批判的批評の自由も表現の自由の重要な一部だということを理解してない人がいるということ。批評に対してナイーブすぎるというか、自分の推しへの同調だけを求めているというか。
わざわざファンコミュニティに乱入して騒いでたら単なる荒らし行為だから「not for youなんだから無言で離れるべき」なんだろうけどね。SNSなら気になる方がミュート/ブロックで終わる話。
全然関係ないけど「not for you」ってよくある言い方なのかしら?not for meのままでよくない?
楽しんでるところにいきなり割り込んできて「つまんねー」とか言うのを辞めろって言われてんだろ
好きな哲学者が「悪い音楽を口笛でやじるより、よい音楽に拍手をおくる方がいいし、その方が一段と正しく、効果的なのだ。なぜか。愛とは生理的に強く、憎しみとは生理的に弱いからである」と言ってたので採用してる
この増田自体がnot for meで叩かれ、元増田らしき人が反論してて笑った。じゃあそれは受け入れろよと
つまらなかった理由を公表するのは全然いいと思う。ボロクソに貶す、までいくと(記憶力の良い人は別かもしれんが)ツッコミどころをつぶすためにがっつり時間を使わないといけなくなり、それなら好きな作品みるわって
アサクリ買い続けてるがボロクソに貶めることもできるよ。絶対に理解できない感情だと思うけど、俺はそこまで単純な人間じゃないし大概の人間はそう
映画ニュースサイトのレビューを見るの好きなんだけど、ここは今も昔も「つまんない」の感想いっぱいある。みんなの意見が同一TL上に表示されるSNSだと、見る人の境界線があいまいになっちゃうんじゃないかと思ってる
「つまらない=not for you」
これな。お気持ちヤクザが「嫌なら見るな」を強制してくるのほんま息苦しいわ
"not for youなんだから無言で離れるべき"ルールあるの?知らんがなって感じだな。その作品に時間をもう1秒も割く気はないとか、読後感が悪過ぎて早く忘れたいってこともあるけど、盛大に吐き出したいときもそりゃあるし
好きに批判して良いけど、当然お前も好きに批判されるってだけでしかない。"優しいようでむしろ不寛容なしょうもない雰囲気" なんてのはしょうもない空気読み。世界はお前の気持ちよさのためには存在してない。
意味とは?単にお前が憂さ晴らししたいだけだろ。それを正当化しようとするから突っ込まれてるだけ
「ネガ意見は黙れ」みたいなのって大抵「ただし実写デビルマンは除く」みたいになってるのに、当人はすげぇ表現に理解のある進歩的な人間面してて、自分のその醜さに気付きもせずに、他人にマウントするんだよな。
わざわざ言及すらしないnot for meな作品が大半なのに何故"その作品"についての不満点は世界に吐き出したくなったのか考えといて
マウンティング欲のなせる業
内容のあるレビューならばネガポジ関係なく役に立つ。否定的な意見を攻撃であると感じる奴らが話をややこしくしてる。批判を読んで自分はこれを好きそうだと触れて気に入った作品とか無いんだろうか。
言論の自由はあるんだから、好きにつまらん言ったらよろしいがな。よく分からんのだがどんな意見でも無定見に受容されるわけじゃないよ。つまらないも受け止めて欲しい?無理。リスク引き受けて発言すれば良き。
スポーツで考えるとプレイや監督がダメでも無言で去れというのはどこまでも馬鹿馬鹿しいし誰のためにもならない。そもそもこの競技はつまらん、となると not for me 的な何かだが、とはいえ主義や立場の表面としてはアリ
「つまらない」までは普通に許容されててそこから「存在の否定」まで行くからなんじゃないの。
批判は自由で、批判に対する批判すら自由。なので「皮肉」が最適解なんだよな。「Aのあのシーン、独特すぎて見られなかった🤓」くらいのやんわりとしたやつ。
批判者の作者の自己満足(性的めいた言葉で言われる)的に表現されなければ。そんな批評なら読みたい。
可処分時間内に消化しきれないコンテンツが溢れかえるこの世の中、見ない方が良い作品を教えといてくれるのとても助かる
無言とは言っとらん。「not for meといえ」と言っている。「not for me」の一言で足りないなら、詳しい理由を聞かせておくれ
つまらないって言う権利はあるが、SNSで書かないほうがいい。エゴサーチする作者に届くし、時間を無駄にさせて申し訳ありませんでしたと謝られたことがある。これだけ作品数がある現代なら、次に行ったほうがいい。
勝手に「つまらん」と言うのは好きにしたらいい。面白いと言ってる人に「どこが面白いのか全然分からないんだけど!」って言いに行かなけりゃね。
個人的にはnot for me が少数派の作品ほど not for me の理由が聞きたい。日本の場合、批判がないと自然に「批判してはいけない」みたいな空気が醸成されがちなので好きじゃない人もいると声を上げる意義はある。
まあわかる
「not for me」の説明しろとまで言ってるヤツ、ほんまめんどくさいな。国民はみんな文芸評論家であらねばならないとか思ってんのかな ( ˘ω˘ )
解らないでも無いが「楽しめた人もいる」わけで、楽しんでる奴らの前で「アレ、つまんなかった!面白く無かった!」と叫んでる自分の姿は駄々捏ねてる子供なので「スピードワゴンはクールに去るぜ」なのです。
批判はすればいいと思うし、批判の批判もすればいい。ただ、「私にはつまらなかった」を「万人にとってつまらないものである」のような主張されるとちょっと萎える
「ネガティブな感想を持った人は本当のファンじゃない」「物語を理解していない」などの根拠レスな俺様裁定でネガティブな感想を否定するから嫌われてるのを「批判意見に反論するのも自由」とか言っちゃうしな。
こんなん好きなやつはアホとか作者はカスとか言い出さなければ別に許されてると思うが
not for meと批評と批判は異なるものなのに、一緒くたに話すからいけない。not for meって謳うなら、誰も傷つけず自分の中で処理をするべきなのに、余計な一言が多いのでは。
いじめっ子がいじめてる子に「俺はいじめてるんじゃない。教えてあげてるんだ。」と言うようなもん。
つまらなかったと一度評してそれ以降は言及しないようにはしてる。好きな人は何度も発言するだろうから自然と好意票で埋まるとは思う
その理屈だとnot for meの感想に対してどんな感想を言っても自由ではないのか。
まあ、それが正義ヅラされるとイラッとはするよな
神トラとかマリオ3D大嫌いなんだけど言い出せなかったので今ここで言っておく( ˘ω˘)でもマリオ3Dはカメラがまともになれば神ゲーの予感
not for meの理由を語るのはとても難しいからですね。「いい」「尊い」はそれで成立だけど「悪い」「クソ」はそれで済ませられないからね。かつ、好きなひとを納得させられる文章を生産する時間と空間はたいてい徒労。
自分にとってつまらない。は別にいいんじゃない?世界には別の評価軸が存在することを知らない人も居るのである、とわかっているといいんだけど、世の中がそうなってない。星がつくサイトとか。
一旦英語で言わなきゃならない心理もなんか関係あるな。Not for meを「自分はそっち行かないけど皆さんで盛り上がってください」の意味なら余計な一言。盛り上がってる側から攻撃されたなら俺の意見も言わせろかな。
意見の表出をやめろっていうのは批判ではなく、抑圧に近いと思うので、表現の自由観点からは懸念する。
「(自分にとっては)「つまらなかった」と言う権利」はある。それを使って他者に何かを強要したりしてはいけない。それは「おもしろかった」場合でも同様。 / 論評自体も論評の対象になる。も追加
"自分にとってどうnot for meだったか、を語ることには意味があるだろ"意味はあるけど、聞きたがる人は少ないイメージ。
つまんねえ物が如何につまんねえかを情熱込めて書いた文章ほど面白い物はないので、「黙って離れろ」は意味がわからん。一方で「こんな物は発表するべきではない」とかは弾圧なので、凹凹にぶん殴って反撃すべき
レビューというものは「ここが良かった」だけでなく「ここがダメだった」という部分も必須なんだけどな。この世に完璧なものなんてないのでこれがないとどこまで悪い所を自分が許容できるのかという判断ができない。
「Not For Me 」は英語圏のSNS・コメント文化の中で定着したものだから、こんな僻地で気炎をあげても意味がない。はてな村では違うのだ、って主張してもいいけどね
つまらなかったらnot for meなんて生ぬるいこと言わずにボロクソにけなせばいいのにと思ってる。もちろん反撃はあるだろう。でも人気作品ほどそうする価値がある。
〇〇だからつまらなかったという意見は該当する人も居るから有意。全てが肯定のレビューは見る必要もないと思う。
"自分にとってどうnot for meだったか、を語ることには意味があるだろ" とても意味があると思うぞ。 つまらない理由として「薄っぺら」だけしか言わない人がとても多いので。
ほめるのは楽しいし聞く人もニコニコしたくなるけど、つまらんとけなすのを興味ぶかく人に聞きこませる技術は至難の技だからでしょうかね。褒める楽しみと同様、けなす楽しみも確かあるけどもさ
タイパ重視の世の中になって、「not for me」を見かけるだけで「触らずに済んだ、得した」と言い出す人が出たからだよ。ブクマにも居る。not for meと「自分に刺さらない」の間には大きな隔たりがあるのにな。
ポジティブな話は感情的で良いが、ネガティブな話は感情的を避けるべき。論理的にネガティブな話してる人はnot for youとか言われないんだわ
感想を言うのも自由だし、お前の感想がnot for meって言うのも自由、というので一貫してれば良いと思う。全員がnot for meを言い合う世界。まぁ、他の人のネガ意見を許さないというのはどうかと思うけど
他人が好きなものを貶しちゃいけない風潮ってあるけど、意見を表明することがヨシとされてる文化では全然そう言うことないので、まぁルールというより文化なのではないかと。ジブリの何が楽しいのか全然わからん。
私は大好きで刺さりすぎた作品ほどネガティブ意見を探しに行って「なるほどそういう視点もあるのか、でも全部論破できるな〜やっぱりこの作品すごい!」と悦に浸ることがある ネガティブ意見もどんどん書いてほしい
「つまんねえ」だけだとつまんねえ意見だから、「◯◯が✕✕なのは▲だからつまんねえ」みたいな感想なら面白がってくれる人も出てくるかもねぇ。
私もこれは思っていた。でも多数派からするとただの愚痴や不満としか捉えられないからあんまり意味がないんよな。自分が良いと思う物を貶されて仕方ないって思う人はいない。
n4uはつまらないではなく合わないかな、食わず嫌いとか私は良いですとかそういうの/つまらないのは勝ち軸のなかで低いだけで合っているのかもしれないし、年齢により若者向けはn4uかもしれない
ラーメン食べてる人の前で、このラーメンクソ不味いって言わないほうがいい。SNSで言うのは、全世界に翻訳まで付けて叫んでるのと同じ。
以前に書いた通り https://b.hatena.ne.jp/entry/4728353747493657284/comment/Shin-Fedor だが、これけっこう悩ましい話で、自分の好きな作品に粘着アンチされると「何か好きかで自分を語れよ!」と偽ルフィが出てきてしまう日もある
批判に熱が入ると勢い余って言わなくていいことまで言ってしまいがちなので、ある程度の自制かユーモアに転化できるような余裕が必要
自分に合わなかったからって、ネタバレするわけにもいかず、そうなると薄い説明しかできないのが難しい
好きな物に対しては盲目になりがちなので、批判されても思考停止せず良くない部分を知る事は意味がある。批判者側の誠実さにもよるが、一理ある場合も少なくない。ただ、弾圧や迫害になると話は変わる。
ご飯食べてる人の前でウンコの話をするなってだけの話。SNSは全世界の不特定多数に伝わることを忘れちゃいけない。昔ならチラシの裏に書けって言われた
ちゃんと言語化されているなら読みたいかな。でも言語化するのはなかなか難しい
「俺はつまんない人間だからつまんなかったぜ!」は別に構わないんじゃないかと思う。「こんなつまんない作品面白がる奴らはアホwww」みたいなのはよくない。
"なんだろうね最近のこの、優しいようでむしろ不寛容なしょうもない雰囲気" 優しいようで不寛容、まさに自分も気になってるヤツだ。達観してるようだけどある種のルールベースで自動発声される気持ち悪いヤツ。
なんか変に影響力あるヤツの批判を見て、だったら見なくていいや。ってなってるやつがいちばんダサい。
短文SNSだと短い罵倒にしかならず争いの火種となるのでマジでふざけんなよと思った時は数千文字にしたためます。
制作側の人柄や姿勢を責めるような批判は面白くない。つまらなポイントは具体的であればあるほど良い。演出、脚本、演技、セリフ、音楽などチェックすべきところはいくらでもある。
ネガティブな感想を思うのも言うのも自由だけど、全それを世界に公開したいと思う気持ちとその責任については向き合わないとダメだと思う。何故あえてそれを公開したいと思うのか?
全然そういう意見もあるよねと思うんだけど、唯一絶対の答え、これがわからない奴は馬鹿!くらいの勢いの人がたまにいるからな〜 好みの問題でしょ?お前そんなに偉くねーからって反論したくなる。
この手の言説が批判されがちなのは、「わいが気に入らない作品が世の中に持て囃されてるのが気に入らない」と粘着し始めるヤツがいるからやね。優れた批判は、対象作品を気に入ってる人も納得させる力がある。
あるよ。言ったあとどうなるか想像したときに黙って離れたほうがよさそう、と思ってる人が多いだけだよ
not for me強要からは、肯定的な主観はそのまま気軽に表明してよくて、否定的な主観は公共性のある高度な批評へ昇華できた場合のみ表明することが許される、みたいな非対称性を感じる。
好き嫌いというよりは、宗教違いのことだと認識してた。
俺は「これを好きな人を傷つけたくないから」という理由を挙げさせていただく。
全部好きというレビュアーに価値が無いのと同じで、つまらない価値観の表明に意味はある。ただ言いかたっつーもんがあるだろうと思われないように最低限の敬意は持ってほしいね。人は「嫌い」も語れるものよ。
黙って去れ、は5ちゃんのファンスレに延々とクレームを書き込むようなのを想定していると思われる
ある程度住み分ければ良いよ。自分は楽しかったコンテンツはエックス、ダメだったのは別名義で映画ドットコムとかに書いてる。ネガ意見は当然攻撃的な反応も起こりやすくて疲弊するから拡散性の低い場所で
ネットのオタクはnot for me=駆逐してやるなんだよなぁ
寛容であれは、批判するなという意味ではない。嫌い、つまらないと言うのは自由。ただ、自分と違う好みや価値観の存在まで否定しない。それが寛容ということでは。
not for meなら黙ってろ!と唾飛ばして喚きまくる連中が、自分の気に入らないものに対しては罵倒しまくるだけでなくキャンセル仕掛けるのはよく見る。普段から反ポリコレ表自活動に熱心な連中。
批評と云うよりは「こんなクソは掃除すべき。創作意欲を根刮ぎ刈り取れ!」みたいな社会運動なのが多すぎてうんざりした結果でしょ。
雰囲気を感じ取らなければよいのだよ。日本人は読み取る能力を発達させすぎてしまっている。
自分の不快を理論武装して世界にアピールするならツッコミは入ると思うけどね。相手からのツッコミは当然受け入れるのよね?後で読み返して視野の狭さが露呈して恥ずかしいな、離れた方がいいなと思うようになった
増田はきちんとつまらない理由を言語化できそうな気がするのだが、多くの人はそこに至らない低次元の言説しかできないので「ちょっと黙ろうか」という風潮になるのも理解はできる
「不満を公にぶちまけたいが、正論で反撃され悪者になるのは嫌」という自己保身。反撃リスクの高い現代SNSにて、安全圏から他者を叩く免罪符を得るべく、「美意識」や「批評の権利」を盾にして自己正当化している。
結婚当初相方から「私の観てるドラマや映画に横から『つまらない』とか言うのだけはやめてほしい」と釘を刺されっぱなしになってる。お陰で平和だ
むしろがんがん言っていいよ!でも not for me を言うときに、人は感情が乗ってmeが拡大し数多のyouたちに刃を向けがちだから、「無言で離れるべし」と同レベルの不毛な争いが生じる。そこだけ気をつけてもろえればOK。
"好きに批判して良いけど、当然お前も好きに批判されるってだけでしかない。"って書いてる人は本気でそう思ってるんだけど、"私も批判しないから、あなたも批判しないでいるべきだ"を正当だと思っている人は多くいる
これは料理を食べた時の「不味い」にも言える事で、広く万民にとって不味いのか、単に自分の嫌いな食材が入っていただけなのか分からないからノイズでしかない。説明できないなら黙って去れとしか言えない。
つまらない訳ではなくて単に趣味ではないってのは大いにあるなって昨日メタルのフェス行って思ったな〜。私はアドレナリン出なかっただけという、ほんと趣味ではない領域のものって結構ある。
ミームや他人と同じワード繰り返してる賞賛より、怒りを込めた批判意見の方がよほど面白いよ。自分が好きな作品についてだって。not for meなら離れろではなく好きでも嫌いでも書くことないなら書かなければいい
この作本はnot for meだった。と頭につければnot for youというツッコミをもらわずに済むかも。
俺はつまらないやつを見つけた時に黙れカスと言うことにしてる
他人が面白かったと言ってるところに呼ばれてないのにわざわざ行ってつまらなかったと言い放ち面白かったと思ったことが間違いだったような言動をする人が一定数いるんだよな。
はてブで好き勝手言ってるお前らが何を言っても無惨
場所や相手によるんだと思う。それを好きな人だけが集まるファンコミュニティや、それを好きな人に対して全否定するだけのnot for meを言うのは良くなくて、そうでない場(はてブとかSNSとか)なら別にいいと思う。
この前「SNS では良かったことだけ書いてほしい」とSNSで発言した演劇関係者が観客からも同業者からもフルボッコされてたのでものによるのでは 人格攻撃や罵倒は良くないけど創作に批判はあって当たり前
発言したならその意見への批評が発生する可能性があるという事。それと同時に他人に意見を言うなと言うのもおかしなことではある。寛容な社会では不寛容な意見は排除されるべき
盛大にお気持ち表明すればいいさ。ただし公共の場でそれを行うことは対論を受け入れることが代償となる。増田がそれを拒否するのであれば口を閉じたほうがいいね。きゅっぷい。
最近はnot for me で黙って離れる事を是とする圧力が強すぎる、とは思う。対抗すべきと思うが批判って結構体力使うのでサボりがち。▼もっとカジュアルに言ってもいいかな、あくまで「俺の感想」なんだし。
「not for you」は「つまらない」を構成する要素のごく一部に過ぎない。すべて「not for you」で説明がつくと思う者は物を知らんやつか論争に怯えているヘタレ。なにかを語る資格はない。
「自分にとってどうnot for meだったか、を語ることには意味がある」少なくとも、その時点まではnot for me ではない。
根本、批判と誹謗中傷の区別がつかないのが多すぎ。
例えば、アンパンマンに普通にハマる大人は少ない。ではつまらないのか、と言えばNoでしょ。かつて好きだったかもしれないし、これから好きになるかもしれないけど、今はいらない。これがNotformeだと思ってる
つまんないコメントだけど、言い方次第かな。作品の内容自体への批評ならご自由に。円盤や書籍を破壊してアップやただの罵倒・誹謗中傷は他所でやってくれと思う。
ネットの感想の比重がデカくなって売上とかに響くからだよそういうの気にならない規模ならいいだろうけど
否定ではなくて、ここは自分としてはおもしろいと感じなかったってのは共有していい気がしますよね。
カラオケのように場を肯定的に盛り上げるゲーム、まあは美徳シグナリング稼ぎゲームにみんな夢中。マルチプレイだから中毒性高いし。作品と自分に集中するソロゲーム派や、美徳じゃなくdisりを磨くゲームは時代遅れ。
批判もできない無関心(not for me)も結局罪なので素直につまらないと言うのだ。大体これでボドゲ因習村から何故か免罪符のために無駄に広がった始まったLRの悪しき風潮を正面から戦い弾き飛ばす
「つまらないじゃなくてNot for meと言おう」というある種の世渡り術をマナーにまで昇格させて叩き棍棒にまでした上に、Not for meすらクリエイター様が傷つくから辞めようという体たらくに付き合う必要なんて無いよ
この件で思ってるのはまずお前の好きなものを並べろ話はそれからだみたいな人が多い。正直つまらないと言ってもいいけどそのつまらないには何も価値はないからスルーせざるを得ない
誰も何も感想を言ってくれないよりも、not for me, つまらない、でも反応があったほうが嬉しいのではと思ってたけど、そうでもないの?
何年か前に増田に上がってたnot for meうるせえ!みたいな記事面白かったな
何が好きかより、何が嫌いかで自分を語れよ
“自分にとってどうnot for meだったか、を語ることには意味があるだろ”、きちんと言葉で説明できるなら素晴らしい。
まあでも「経口補水液 ★☆☆☆☆ 塩気が強すぎる」みたいなレビューも実在して、それで熱中症の人が「経口補水液!? ダメダメ! あれ塩気強いんでしょ!?」とか言って飲まないみたいなことになるから
つまらないものをつまらないって言わないと、なんとかプペルみたいなのが増えるでしょ
「人それぞれ」の言い換えだからなー 俺はその言葉は思考停止宣言だから嫌いだし
好きに批評したら良いと思うが友人の前だけはやめたほうが無難。相手の好きなものにケチをつけるような事はNG。
↓not for youなんだから無言で離れるべきと言ってる人には、批判を批判する権利は無い。無言で離れるしかない。
作者やファンの人格否定までする輩は黙ったほうがいいけど、それ以外はみんな寛容じゃない?
「not for me」だったことを粘着的に語り続ける人がいてウザいということだと思いますね。
「つまらない=not for you」を受け入れてるのが批判する者としてぬるすぎるのでは
というか、not for meって書けばいいみたいに考えてる人が結構いて、それは単なる言葉狩りでしかなくて、そう思うならわざわざ楽しんでる人たちの中に入ってくるなって話なんだよなあ
小説や映画、漫画、ゲームすら「この時間AIと壁打ちしてお金とか稼げるネタ考えたほうがおもしろい」ってなった、全てのつまらないがそこに集約し始めてる。でもDGXとか買って寧ろ散財・・。
not for meを声高に叫べばいい。not for meの声にすら承認を求めるからおかしくなる。not for meに噛みつく連中は無言で離れることが出来なかったダブスタ野郎共だから無視すればよい。
意見を「批判」、議論を「喧嘩」と思っちゃう人が多いうちは難しいよねえ
「無言で離れるべき」みたいなルールはないと思う。自分は、他に楽しいことあるから、さっさと決別して新しいことを楽しんだ方が有意義と考えている。一方で、あまりに not for me が多いなら分析したほうがよいかもね
not for meを語ることに意味はあるけど、この作品好きなんです!って言ってる人たちの中にわざわざ入っていって、つまらないと思う理由を説明されると、離れたところでやっててくれないかなとは思う。
自分の感想を他人に押し付けるなってことだろ。よくいる「つまらないから見るな」「つまらないことをやらせるな」「つまらないことをやってる人間を許さない」って、俺とお前は価値観が違うって基本的なこと考えろ
ネガティブな意見を表明するときは、ポジティブな意見よりも言葉・文章をよく考えましょうね、とは思う。
つまらなさも作品という意味でシャーク作品好きはとても真摯な態度だと思った どうでもいいけど
ちゃんとnot for meを語ってくれるレビューめちゃくちゃありがたい。おかげで全体としては高評価なのに濃い低評価レビューを見て回避出来ることが多々あるので、私もちゃんと語るようにしている。
それを公共の場で言うことで誰かが不愉快な気持ちになることと天秤にかけた上で発言することを選んだんだなコイツは、とは思う
not for me 以前に「水準に達してない」という事もある。ドラゴンボール実写版とか「何故それを商業映画として公開できた?」みたいな。うっかりそれを評価した人が「出来の悪さ」を指摘されて、not for me にすぎない! と…
教養があるから楽しめるもの、初めて接する分野だから楽しめるもの…多様な受け止めがあるのに不満を列挙してバッサリ批判している俺カッコいいみたいなのは正直見苦しい。
「not for you」を言語化するのって大変で、「つまらなかった」って言う方が楽なんよね。だけど、批評として求められるレベルは前者は「個人の感想」なので低い一方、後者は説得力がないといけなくて高くなる。
わかる。/何が好きかを語るより、何が嫌いかを語ることの方が、その人がどういう人なのかわかる
個人の感想を書くくらい自由だと思うよ。たまにXで作者に直接いう馬鹿がいるので、せめてAmazonのレビューくらいにしとけと。Xやブログで単に感想を述べるだけなら、それをエゴサした作者側が受け入れるべきだし。
肯定より説得力ある面白い批判のほうが難易度高いんだよね。特に「〜に対する差別だから駄目」とか「こんなの子供に見せられない」とか自分以外の何かのせいにしてるの見た時にそう思う。
"あらゆるつまらなかった作品はnot for me" たんにBadだった場合もある。not for meは好みと質の分離(自分の好み・状態・文脈には合わないの意)
面白かった!という感想をつまらない文章で書かれても「良かったね」ぐらいで済むけれども、つまらん!をつまらない文章で書かれると「お前の方がよほどつまらん」と言いたくなるのが人間の性。批判もエンタメであれ
カネをもらって賛美コメントを書かせるスパムコメント業者はこういう主張に反発する(そうしないと自らの悪質な商売が邪魔されるので)
どちらかというと、not for meに過ぎないものを、後付けの理由でevel だとかbadだと批判するひとに使われる言葉のように思う。
not for meがnot for meって意見に口出しせずには居られないはてブのみなさん。
あーこれ、叛逆ほむらーによる廻天への不満カキコを泥犬信者にボコされた悲しみが綴られた文章やな。大丈夫、一人じゃないよ。(まどアンチセルマ、チーズ娘、アオは良かったじゃん。良くない?、、、そうか、、、)
「(私は)面白くなかった」「美味しくなかった」に目くじら立てる人は攻撃性高いな。一方で、「こんなの面白いとか言う奴は可哀想」「こんなのが旨いとかバカ舌だろ」て一般化してディスる人も攻撃性高くて幼稚や
宇多丸がつまらなかった映画をボロクソに言わなくなってから急にポリコレ臭が吹き込んできた
人の意見に左右されるタイプが、批判的意見を嫌うという側面もありそう。誰が何と言おうと自分の好きは好きで押し通していいはずなのに、それが出来ない脆さを抱えている場合、批判的意見を危険と認識する的な。
だいたい、わたしが気に食わないもんを好きだという奴がたくさんいるのが許せない、好きだと言うやつは頭がおかしいみたいな論調が目立つよね。よくないよ
今や巨乳アレルギーには2次元3次元問わず大抵のセクシーコンテンツがnot for meでして…ぐらいは言わせてください
snsで「コレはアレに比べて良くなかった」と書くと「比較して悪く言うな」という返信返ってくることはある。比較しないで「コレは良くない」と書くとそういうことないのでそうすることにしてる
「無言で離れるべき」という意見には不寛容という人。意見を言うのが自由なら「無言で離れるべき」という意見も言うのはいいだろ。何を気にしているのか。言いたいことがあるなら堂々と無視して言えばいいだけ
つまらないという感想は何も問題がなく、日本国民同士、それをやめろと言う権利もない。問題なのはnot for meを勝手にnot for worldと拡大解釈して表現規制に走ってしまう人たち。それだけだね。
ポジティブな意見もネガティブな意見も玉石混交で、それは健全なネット言論空間ではあるのだが、ポジティブな石に対しネガティブな石はどうにも目障りという非対称性がある
攻撃性を緩和するための一種のマナーだと思うが同調圧力までバーを上げる連中が出てくるんよね
感想なんか他人のことを気にせずに好きにいえばいいんだけど「つまらないといわれている作品」よりもさらにつまらない感想はもっといらないんで。「おれは大嫌いだ」と持論をぶつ方が全然いい。
ノットフォーミーは批判でもなく、私に合わなかったと言ってるだけという認識。発言は自由なので、好き勝手にすればいいと思う。批判されるのもするのも自由。見下したり、バカにしたら自分自身もそのように扱われる
たいていしょうもない後ろ足で砂かけだから飽きられてるんでしょ
どうつまらなかったか説明できる人が少ない、やる気がないってのが問題なんだろうと思うけどなぁ
つまらない理由をちゃんと言語化できる人は口塞いでも発信するから。
何も強制されてはいない。相手がそう言っているだけだ。権利は何ら制限されていない。それでもウンザリして「自発的に」投稿をしなくなれば、相手側の勝ちである。それが言論戦というものだ。
つまらないとは別に、存在が許せない作品ってのもあるよね。許さない権利は持っていない訳ですけども。単につまらないだけなら離れれば良いだけだけど、許せない場合は自らの信念をかけて戦うことになる。
"not for me"って本来、その作品が好きな人とかに感想を聞かれてなるべく角が立たないようにつまらなかったって言うためのものなんじゃないの。だから別に一人で感想言う分にはつまらなかったって言ってもいいんじゃね。
今はそれだけじゃなくて、どこでそれやるかが大きい。昔は喫茶店や居酒屋でくだまいてたのが、ブログになり、SNSでさらに言語の壁もなくなった。SNSは新宿の通りでデモやってるみたいな拡声力があるのが不粋。
つまらないとか長文お気持ちしてもいいけど、楽しんでるコミュニティに粘着荒らしするのはやめてくれ。
文句を言うのはいいけど、文句を言ったからには反論されるのを覚悟するべきで、それを許容せずに俺だけ言いたい放題なのはNG、って話だと思うよ。反論されたくないのなら言うべきじゃない、の言い換えじゃない?
増田の不寛容のスイッチが、ちょっとわかんないですね
無言で離れるべきという人は、それを実践するならそれを表明せずに無言で離れれば良いのではと思うが、不寛容を寛容できるのかと同じ問題なんだろうな。
「not for me→黙って立ち去れ」ならなんでみんなみいちゃんに対してそれができなかったんですかねとか言いたくなるけど、みいちゃんに関しては本当にそうすべきだった説はあるので難しいな。
not for me じゃなくて its for me で語ろう|小林秀雄曰く、批評とは創作表現の形が偶然批評の形を取っただけであり、元来もっと自由にあるべきである
イジメの構造に近くて、not for meをいかに不愉快かを喧伝したいという不快な自分を分かってほしいという承認欲求は出ることはある。批評と不快の承認欲求は別物にしておかないと不快の承認の快楽は感染拡大するよ。
私がクリエイターなら時間とお金を消費して作品を鑑賞してくれた上にネガティブな感想を言うことにもどこか遠慮がちでいてくれる消費者はきっと大好き
なんでもいいけどお前の面白いものを教えてよ。それがつまらなかったらボコボコにしたいんだ
異論はない
つまらない = not for me じゃないよ。面白いけど自分向きじゃないとか、名作なのはわかるけど好みじゃないとか全然あるから。そのへんを履き違えてるとゴチャゴチャ言われるだろうね。でもゴチャゴチャ言う権利もあるよ
「おもしろかった」「つまらなかった」はその人の感想なのでお好きにどうぞと思うけど、演出意図とか作中の事実関係とかを誤認している感想を見るとなんか言いたくなる。
「私にとって面白かった」人は「万人に素晴らしいものである」かのように言うのが珍しくもないのに、逆になるとエクスキューズを要求するのも何なの。
悪口は金払ったんなら言っていいな。ただ作品の評価にとどめるべし
弾圧がダメなのであって批判はむしろ後学のためにも残す価値があるものだけど、問題なのは「誹謗中傷・弾圧表現か批判の範疇か」をメタ視する技術が育ってないorそういう人材が少ない、なのでは
「静かに去れ」と言っている人は結局、自分が好きなものが批判されているのを見るのが耐えられないのだと思う。それ自体は自然な感情だとも思う。
個人的な感想を批評として出すことは有意義だと思うけど、すぐに(自分の奉ずる)社会正義に接続させて界隈に延焼させようとする輩はウゼーと思う。クソがクソを書くことは芥川賞だって認めてる。
批判はそのコミュニティには要らないんだよ。無条件でお互いヨイショできる空間が好きだから煙たがれる
商業なら、金払った分の文句や批判も含めてコンテンツだろう。マーケティングの都合でのトーンポリシングは受け入れ難い。
批判的批評の自由も表現の自由の重要な一部だということを理解してない人がいるということ。批評に対してナイーブすぎるというか、自分の推しへの同調だけを求めているというか。
わざわざファンコミュニティに乱入して騒いでたら単なる荒らし行為だから「not for youなんだから無言で離れるべき」なんだろうけどね。SNSなら気になる方がミュート/ブロックで終わる話。
全然関係ないけど「not for you」ってよくある言い方なのかしら?not for meのままでよくない?
楽しんでるところにいきなり割り込んできて「つまんねー」とか言うのを辞めろって言われてんだろ
好きな哲学者が「悪い音楽を口笛でやじるより、よい音楽に拍手をおくる方がいいし、その方が一段と正しく、効果的なのだ。なぜか。愛とは生理的に強く、憎しみとは生理的に弱いからである」と言ってたので採用してる
この増田自体がnot for meで叩かれ、元増田らしき人が反論してて笑った。じゃあそれは受け入れろよと
つまらなかった理由を公表するのは全然いいと思う。ボロクソに貶す、までいくと(記憶力の良い人は別かもしれんが)ツッコミどころをつぶすためにがっつり時間を使わないといけなくなり、それなら好きな作品みるわって
アサクリ買い続けてるがボロクソに貶めることもできるよ。絶対に理解できない感情だと思うけど、俺はそこまで単純な人間じゃないし大概の人間はそう
映画ニュースサイトのレビューを見るの好きなんだけど、ここは今も昔も「つまんない」の感想いっぱいある。みんなの意見が同一TL上に表示されるSNSだと、見る人の境界線があいまいになっちゃうんじゃないかと思ってる