“個々の医療機関や医療者に、絶対的無輸血という条件で手術を引き受けるよう強制することは難しい" 正直、こんなことで医療資源を無駄遣いして欲しくないと思う。
救える命を見殺しにさせられる現場の心理的負担を考えたら、病院に絶対的無輸血を強要するのは流石に酷すぎるわ
“通常は輸血を必要としない治療であっても、万一の場合の輸血に同意しなければ治療を受けられないことになります。”その万が一も受け入れられないのなら手術できなくてもやむを得ない気がする。
エホバの証人信者側の自らの宗教的信念(尊厳)を害されず医療を受ける権利によって医療機関に絶対的無輸血に応じる義務が司法で認められたら、医療側も自らの信教の自由を使うしかなくなるんだよね
巻き添え事故感。「輸血すれば救命できるのに、目の前で患者さんの状態が悪化し亡くなっていくという心理的負担は、医師としてけっこうキツイっすよ」
信教の自由って弾圧されたり禁止されることなく信仰可能ってだけで他人に特定の行動を強要できる権利ではないだろう
“絶対的無輸血という条件で手術を引き受けるよう強制することは難しいです。輸血すれば救命できるのに、目の前で患者さんの状態が悪化し亡くなっていくという心理的負担は、医師としてけっこうキツイ”
宗教関係なく患者の意思による治療拒否ってどう言う扱いになるのかな
“冒頭で「存外、複雑な問題」と述べたのはこのような理由からです。解決する手段は思いつきません”患者にしても医療者にしても相応の理由がある./絶対的無輸血対応病院が少ない.かと言って説明義務違反も困る.
よくわからんが、自らの信仰で医療サービスを拒否してるのは自分達なのでは?愚行権として完全無輸血で万一の際は見殺しにするというのも理論上はありかもしれないが、そんな抑圧下で手術したくないよね医者も。
エホバは今年3月に自己血の輸血については許容すると宣言してる。冷凍含めてこれは保険適用の範囲で出来るそうな。冷蔵で1200ml、冷凍交えるとそれ以上の血液は用意出来る。が、有限である事に変わりは無いのよね。
"最近になって訴訟が相次いでいます。エホバの証人側に何らかの方針変更があった可能性""相対的無輸血方針の医療機関が多くなった結果、エホバの証人の患者さんが受診できる病院がきわめて限られてきたためではないか
輸血だけダメという教義が中途半端すぎる。あらゆる医療行為を教義で禁止すればよい
信徒内々で医療を用意するくらいしか、解決策はなさそう
ベストエフォートでやりますって言っておけばいいのでは
しなきゃいいじゃん(死ねばいいじゃん)
「解決する手段は思いつきません」←信者が医師免許を取ればよいのでは。
同じ部署の社員が一人だけ毎日残業してて「私ばかり毎日残業してる!」と怒ってたのでしばらく私がつきあい残業をしていたらその事実がその人の耳に入り「そんなこと頼んでない!」と言っていた。どっちにしても文句
エホバの証人がエホバの証人用の病院を作ってくれ
診療拒否の前に治療拒否だよね。お前のところのサービスが気に入らない→分かる 気に入るサービスをしろ→???
この問題、シンプルな論点に絞ってもナトロムさんにして結論が「ありません」という救いの無さ。宗教側が最新医療に合わせてアップデートしないと解決しないのでは?輸血、という分かりやすい治療ですら、だし。
輸血を受けないのは自由だが、診療を断ったから提訴となると社会悪でしかない
「エホバの証人側に何らかの方針変更があった可能性があります。個人的な推測ですが、相対的無輸血方針の医療機関が多くなった結果、エホバの証人の患者さんが受診できる病院がきわめて限られてきたためではないか」
白内障で輸血はまずありえないだろうけど、「まずありえない」を罰してきたのがこの結果なんだよなあ
輸血すれば助けられるのに輸血しない方針なので結果死んだ、というときにその決断を医療者に押しつけるのも厳しいよなと思うところはある。
エホバの証人、これでも自己血輸血を解禁する程度の柔軟性は見せたんだよな。しかし輸血の可能性が僅かでもありうるのかというゼロイチが焦点になるのはあまりにも厳しい。
AIに何で彼らは自前の病院建てないのか聞いたら、彼らは「高等教育は悪」とみなしているらしく、医師は難しいのでフリーライドの技術を発達させているらしい。
宗教ではないけど義父が病院大嫌いで肺がん疑いなのにまともに協力せず義母が頭抱えてる。早く死にたきゃご自由にとは思うが確実に無駄な負担かけることになる自覚はして欲しいよね。
体にメスを少しでも入れる手術は禁止なら分かりやすかろうに、中途半端に輸血だけ禁止で治療はされたいのはズルだなと思う。手術途中で問題が起きた時の対処を全部医者に丸投げだけど、神ではない者に完璧を求めすぎ
仮に患者が「輸血しないことで生じる死亡を含めた全リスクを容認し、医療者を訴えない」と誓約書を書いても、「必要になっても輸血しない自分」を認められない医療者はいるだろう。それが応召義務違反になるか?
「緊急時には輸血を行う条件を受諾しなければ診療出来ません」という条件を、患者が拒否したと見るか医者が診療を拒否したと見るか。医者には応召義務もあり、単純な問題ではない。
医療機関側も「死にかけたら輸血してでも助けねばいけない」という教義のある宗教を作って対抗しようぜ!
《消極的見殺し》を医療者が強いられるとすれば、その心情は察するに余りある。断固として輸血を拒否する患者に対し、じゃあ自己決定によって死ぬのもやむを得ない、などと冷厳に振る舞える医療者は、そうはいまい。
判例が出ているものについては自己決定権の範囲というより他にないし、当人の意思に医者の「治療本来の『救命』が達せられない」という意思が優先されることはない
今年の3月に、自己血輸血はOKみたいに教義が変更されてるので、それで受診出来る病院が増えると踏んでたのが上手く行ってないのかな。/緊急性高くなかったなら、彼等の教義向けの病院行きなよ、にしかならんよなあ。
しれっと輸血して返せばいい
この治療行為は輸血拒否でもやれる、という判断にはコストがかかり回避するのは経済合理性があるので、エホバ側が万一の際には輸血される条件だけど、実際にはされない治療範囲を判断するのが妥当で、敗訴でいいかと
コメント、結構素朴な感想が多くて若干驚きがある。「複雑な問題」だなと私は思いました。
ダーウィン論なら将来的にエホバの証人信者は絶滅するハズ
逆説的に言えば、患者を見殺しにして良心の呵責を感じないくらいのサイコパスな医者ならばエホバ専従の医者になれるということか。
エホバの証人信者は世界的に高齢化してきているのもあるんだと思う。
問題の複雑さは洗い出されていて、医療機関の方針表明も成されている。訴訟の権利はあるとしても、社会に無駄なハレーションを増やしてるな。
手術をしに来て輸血を受けるか受けないかを「個人の権利」にするのは明らかにおかしい。法を改正して輸血拒否していても必要があれば輸血しても医師は免責されるべきだ。それは応召義務に対する医師の権利であるべき
信仰の問題なので難しいけど、「相対的無輸血」が医療機関にとって合理的なのは明らかなので、彼らとしては、「絶対的無輸血」に依存するか、「相対的無輸血」≒医療そのものを拒絶するしか選択肢がなさそうに見える
輸血拒否は自己責任やろがい。訴えるとかモンスターすぎるやろ
「輸血しないと死ぬかもしれないような手術だけでなく、白内障手術のように通常は輸血を必要としない治療であっても、万一の場合の輸血に同意しなければ治療を受けられない」それは難しいところだな。
ヒポクラテスの誓いはこういうときどうなるんだろうか?素人考えだけど、輸血の可能性を伝えてそれで拒否されたら、他の病院に行ってもらうくらいしか思いつかない
人工血液が解決するか、否か。
エホバの証人の「輸血拒否」に、医療機関はどこまで応じるべきか - NATROMのブログ
“個々の医療機関や医療者に、絶対的無輸血という条件で手術を引き受けるよう強制することは難しい" 正直、こんなことで医療資源を無駄遣いして欲しくないと思う。
救える命を見殺しにさせられる現場の心理的負担を考えたら、病院に絶対的無輸血を強要するのは流石に酷すぎるわ
“通常は輸血を必要としない治療であっても、万一の場合の輸血に同意しなければ治療を受けられないことになります。”その万が一も受け入れられないのなら手術できなくてもやむを得ない気がする。
エホバの証人信者側の自らの宗教的信念(尊厳)を害されず医療を受ける権利によって医療機関に絶対的無輸血に応じる義務が司法で認められたら、医療側も自らの信教の自由を使うしかなくなるんだよね
巻き添え事故感。「輸血すれば救命できるのに、目の前で患者さんの状態が悪化し亡くなっていくという心理的負担は、医師としてけっこうキツイっすよ」
信教の自由って弾圧されたり禁止されることなく信仰可能ってだけで他人に特定の行動を強要できる権利ではないだろう
“絶対的無輸血という条件で手術を引き受けるよう強制することは難しいです。輸血すれば救命できるのに、目の前で患者さんの状態が悪化し亡くなっていくという心理的負担は、医師としてけっこうキツイ”
宗教関係なく患者の意思による治療拒否ってどう言う扱いになるのかな
“冒頭で「存外、複雑な問題」と述べたのはこのような理由からです。解決する手段は思いつきません”患者にしても医療者にしても相応の理由がある./絶対的無輸血対応病院が少ない.かと言って説明義務違反も困る.
よくわからんが、自らの信仰で医療サービスを拒否してるのは自分達なのでは?愚行権として完全無輸血で万一の際は見殺しにするというのも理論上はありかもしれないが、そんな抑圧下で手術したくないよね医者も。
エホバは今年3月に自己血の輸血については許容すると宣言してる。冷凍含めてこれは保険適用の範囲で出来るそうな。冷蔵で1200ml、冷凍交えるとそれ以上の血液は用意出来る。が、有限である事に変わりは無いのよね。
"最近になって訴訟が相次いでいます。エホバの証人側に何らかの方針変更があった可能性""相対的無輸血方針の医療機関が多くなった結果、エホバの証人の患者さんが受診できる病院がきわめて限られてきたためではないか
輸血だけダメという教義が中途半端すぎる。あらゆる医療行為を教義で禁止すればよい
信徒内々で医療を用意するくらいしか、解決策はなさそう
ベストエフォートでやりますって言っておけばいいのでは
しなきゃいいじゃん(死ねばいいじゃん)
「解決する手段は思いつきません」←信者が医師免許を取ればよいのでは。
同じ部署の社員が一人だけ毎日残業してて「私ばかり毎日残業してる!」と怒ってたのでしばらく私がつきあい残業をしていたらその事実がその人の耳に入り「そんなこと頼んでない!」と言っていた。どっちにしても文句
エホバの証人がエホバの証人用の病院を作ってくれ
診療拒否の前に治療拒否だよね。お前のところのサービスが気に入らない→分かる 気に入るサービスをしろ→???
この問題、シンプルな論点に絞ってもナトロムさんにして結論が「ありません」という救いの無さ。宗教側が最新医療に合わせてアップデートしないと解決しないのでは?輸血、という分かりやすい治療ですら、だし。
輸血を受けないのは自由だが、診療を断ったから提訴となると社会悪でしかない
「エホバの証人側に何らかの方針変更があった可能性があります。個人的な推測ですが、相対的無輸血方針の医療機関が多くなった結果、エホバの証人の患者さんが受診できる病院がきわめて限られてきたためではないか」
白内障で輸血はまずありえないだろうけど、「まずありえない」を罰してきたのがこの結果なんだよなあ
輸血すれば助けられるのに輸血しない方針なので結果死んだ、というときにその決断を医療者に押しつけるのも厳しいよなと思うところはある。
エホバの証人、これでも自己血輸血を解禁する程度の柔軟性は見せたんだよな。しかし輸血の可能性が僅かでもありうるのかというゼロイチが焦点になるのはあまりにも厳しい。
AIに何で彼らは自前の病院建てないのか聞いたら、彼らは「高等教育は悪」とみなしているらしく、医師は難しいのでフリーライドの技術を発達させているらしい。
宗教ではないけど義父が病院大嫌いで肺がん疑いなのにまともに協力せず義母が頭抱えてる。早く死にたきゃご自由にとは思うが確実に無駄な負担かけることになる自覚はして欲しいよね。
体にメスを少しでも入れる手術は禁止なら分かりやすかろうに、中途半端に輸血だけ禁止で治療はされたいのはズルだなと思う。手術途中で問題が起きた時の対処を全部医者に丸投げだけど、神ではない者に完璧を求めすぎ
仮に患者が「輸血しないことで生じる死亡を含めた全リスクを容認し、医療者を訴えない」と誓約書を書いても、「必要になっても輸血しない自分」を認められない医療者はいるだろう。それが応召義務違反になるか?
「緊急時には輸血を行う条件を受諾しなければ診療出来ません」という条件を、患者が拒否したと見るか医者が診療を拒否したと見るか。医者には応召義務もあり、単純な問題ではない。
医療機関側も「死にかけたら輸血してでも助けねばいけない」という教義のある宗教を作って対抗しようぜ!
《消極的見殺し》を医療者が強いられるとすれば、その心情は察するに余りある。断固として輸血を拒否する患者に対し、じゃあ自己決定によって死ぬのもやむを得ない、などと冷厳に振る舞える医療者は、そうはいまい。
判例が出ているものについては自己決定権の範囲というより他にないし、当人の意思に医者の「治療本来の『救命』が達せられない」という意思が優先されることはない
今年の3月に、自己血輸血はOKみたいに教義が変更されてるので、それで受診出来る病院が増えると踏んでたのが上手く行ってないのかな。/緊急性高くなかったなら、彼等の教義向けの病院行きなよ、にしかならんよなあ。
しれっと輸血して返せばいい
この治療行為は輸血拒否でもやれる、という判断にはコストがかかり回避するのは経済合理性があるので、エホバ側が万一の際には輸血される条件だけど、実際にはされない治療範囲を判断するのが妥当で、敗訴でいいかと
コメント、結構素朴な感想が多くて若干驚きがある。「複雑な問題」だなと私は思いました。
ダーウィン論なら将来的にエホバの証人信者は絶滅するハズ
逆説的に言えば、患者を見殺しにして良心の呵責を感じないくらいのサイコパスな医者ならばエホバ専従の医者になれるということか。
エホバの証人信者は世界的に高齢化してきているのもあるんだと思う。
問題の複雑さは洗い出されていて、医療機関の方針表明も成されている。訴訟の権利はあるとしても、社会に無駄なハレーションを増やしてるな。
手術をしに来て輸血を受けるか受けないかを「個人の権利」にするのは明らかにおかしい。法を改正して輸血拒否していても必要があれば輸血しても医師は免責されるべきだ。それは応召義務に対する医師の権利であるべき
信仰の問題なので難しいけど、「相対的無輸血」が医療機関にとって合理的なのは明らかなので、彼らとしては、「絶対的無輸血」に依存するか、「相対的無輸血」≒医療そのものを拒絶するしか選択肢がなさそうに見える
輸血拒否は自己責任やろがい。訴えるとかモンスターすぎるやろ
「輸血しないと死ぬかもしれないような手術だけでなく、白内障手術のように通常は輸血を必要としない治療であっても、万一の場合の輸血に同意しなければ治療を受けられない」それは難しいところだな。
ヒポクラテスの誓いはこういうときどうなるんだろうか?素人考えだけど、輸血の可能性を伝えてそれで拒否されたら、他の病院に行ってもらうくらいしか思いつかない
人工血液が解決するか、否か。